ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業 第34期(2014年度)研修派遣生報告書「自立へのはばたき」 第34期研修派遣生(敬称略) 個人研修生 前田健成(まえだたけなり) スタディ・イン・アメリカ研修生 川端 舞(かわばたまい) 蔵本紗希(くらもとさき) 木戸奏江(きどかなえ) グループ研修生 知的障害者グループ研修 ディスカバリー7 山﨑 慶子(やまさきけいこ) 岡野 麻美(おかのあさみ) 鳥井 孝平(とりいこうへい) 大石 翔平(おおいししょうへい) ジュニアリーダー育成グループ研修(視覚障がい者ユースグループプログラム) 佐川 慧(さがわけい) 道原佳歩(みちはらかほ) 野澤幸男(のざわゆきお) 執印優莉亜(しゅういんゆりあ) 伊山功起(いやまこうき) 藤原なるみ(ふじわらなるみ) ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業実行委員会 委員 (敬称略)(任期:2015年4月1日~2017年3月31日) 八木三郎(やぎさぶろう)天理大学 准教授、本研修派遣事業 第3期研修派遣生 青松利明(あおまつとしあき)筑波大学付属視覚特別支援学校教諭 青柳まゆみ(あおやぎまゆみ)愛知教育大学障害児教育講座准教授、本研修派遣事業第18期研修派遣生 金塚たかし(かなづかたかし)大阪精神障害者就労支援ネットワーク統括所長 石川准(いしかわじゅん)静岡県立大学国際関係学部教授、本研修派遣事業 第3期研修派遣生 尾上浩二(おのうえこうじ)DPI日本会議副議長 小林洋子(こばやしようこ)筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター助教 山下幸子(やましたさちこ)淑徳大学 総合福祉学部教授 ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業とは   1981年、障がい者の社会への完全参加と平等の実現をめざして国連で決議された「国際障害者年」にちなみ、地域社会のリーダーとなって貢献したいと願う障がいのある若者たちに、海外での研修の機会を提供する「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」がスタートしました。   1982年に10名の研修派遣生を初めてアメリカへ派遣して以来、これまで35年間に延べ498人の研修派遣生を輩出し、帰国後その多くの方々が全国各地で、自立生活運動、政治、学術、教育、スポーツなど様々な分野でリーダーとして活躍されています。   今回の「自立へのはばたき」は、2014年度(第34期)の研修派遣生の研修報告書をまとめさせていただいたものです。個人研修生1名とスタディ・イン・アメリカ研修生3名と2つのグループ研修生の14名が、夢と希望を持って世界各地で、何を感じ、何を学んだかをぜひご一読ください。   第34期研修派遣生の皆様、研修をサポートされたスタッフの方々、ご関係者の方々、愛の輪会員の皆様のお力添えに対しまして、改めて感謝申し上げますとともに、今後も「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」に格別のご理解とお力添えを賜りますよう、心からお願い申し上げます。 ※研修報告書の研修生のプロフィールは、研修期間中のものです。 ※障害の「がい」の文字表記について 事業名称等定款に記載されている文言並びに法律用語については従来通りの漢字表記とし、それ以外については「害」を「がい」とひらがな表記とさせていただきます。 ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業の流れ(第34期研修派遣生) 2013年9月1日 募集開始 2013年11月30日 募集締切 2014年 1月 書類選考 2014年 2月22日 面接審査 2014年 3月 研修派遣生決定 2014年 3月29日、30日 事前研修会 2014年 5月29日 壮行会 2014年 7月30日~12月22日 スタディ・イン・アメリカ研修生派遣 2014年 8月8日~19日 ジュニアリーダー育成グループ研修生派遣 2014年 9月13日~19日 知的障害者グループ研修生 ディスカバリー7研修派遣 2015年 1月10日~12月23日 個人研修生 前田健成さん研修派遣 2016年 7月2日 成果発表会 研修種別について 個人研修 3ヵ月~1年間希望した諸国で、自らの「夢」を実現するためのリハビリテーション関連機関、学校等の教育機関、研究機関、障がい者団体、ボランティア団体、その他の行政機関、企業等で研修。テーマは障がい者福祉をリードする、研修プログラム。新しい障がい者のライフスタイルを創出する、創造的な研修プログラム他、研修目的、研修計画を自身で立案・作成しそれを実行する。 スタディ・イン・アメリカ研修 5ヵ月間アメリカで研修。英語集中もしくはASL(アメリカ手話)研修の後、学期間の障がい学習、障がい者リーダーシップ個人研修。それぞれ、個人の関心、プロジェクトのテーマ、及びニーズ別に地元地域での研修先を決定。定期的にグループ指導セミナーを開催。研修生は研修先における状況を協議し、体験を振り返る。そして、体験と研修を障がい及びインクルージョンに連動させる。 ジュニアリーダー育成グループ研修(視覚障がい者ユースグループプログラム) 15歳以上20歳までのグループ。夏休みの10日間で日常生活・情報・文化・教育・就労等における障がい者のアクセシビリティについて、障がい者の自立に向けた努力や取り組み、障がい者リーダーの活動状況や想い、異文化体験、自立への意識・コミュニケーション力・他人への思いやり・リーダーシップ等の向上を図る。 知的障害者グループ研修 1週間程度、海外の障がいのある方々の働いているところや暮らしの場、余暇活動や本人活動の場面を訪問し、交流する。海外の仲間に会い、どのように暮らしているか体験、日本ではどうすれば良いか、どのような支援(手助け)を求めたいか体験や交流で学ぶ。 個人研修生:前田 健成さん研修報告 住所:東京都 障がい:聴覚障がい 研修期間:2015年1月10日~12月23日 研修国:アメリカ、カリフォルニア州 研修機関:オーロニ大学(Ohlone College) 研修テーマ:ろうLGBTQをめぐる日本と米国西海岸社会の比較 研修目的:聴覚障がいLGBTQの立場から、社会への理解普及および情報獲得しやすい環境づくり 「ベイエリアでの体験を生かして日本のろうLGBTQのために尽したい」 ・はじめに   この研修報告書を通して、ろうLGBTQ(ダブルマイノリティ)について理解して頂き、私のテーマに沿ったろうLGBTQの日米比較を行いたい。そして、日本のろうLGBTQの課題を挙げ、課題解決方法について考察したい。ろうLGBTQの特性上、データが少ないのが現状である。その代り、私の経験、アメリカでのフィールドワークに重点を置いて解説したい。   2015年はLGBTという言葉が日本の多くのメディアで取り上げられた年だった。アメリカでは2015年6月26日に連邦最高裁判所の判決により、全50州に同性婚が合法化された瞬間に立ち会うことが出来た。どちらもゲイである私にとって非常に心強い出来事だった。   この報告書を手にした方々がろうLGBTQについてほんの少しでも理解して下さることを願ってやまない。 ※「ろう(者)」という言葉は、難聴(者)も含める。障がいの種類については「聴覚障がい」を使う。 ※研修対象地域としての「アメリカ」及び「米国」は、「ベイエリア」を指すものとする。サンフランシスコを含む「ベイエリア」という地域で過ごし、私はアメリカからではなく、「ベイエリア」から多くを学んだ。 ・テーマ設定の経緯と背景   私が22歳でゲイと自覚した頃、日本のろうLGBTQはほとんどがカミングアウトしておらず、違和感を持ちつつ、自分を隠して生きていた。私の中では、お互い自分のセクシャリティを知った上で、自由に恋愛するという理想があった。そのため、ろうLGBTQ向けのイベントに参加しても、隠れて開催している雰囲気があり、物足りなかった。   健聴ゲイコミュニティ、ろうLGBTQコミュニティ、どちらにも属せず、ゲイとしての自信を無くした。この経験から、自分の生き方を見つけ、同じ悩みを持ったろうLGBTQの支援作りをしたいと考えるようになった。自分自身が感じた周囲の理解のなさと、情報獲得の難しさから「ろうLGBTQの立場から社会への理解普及および情報獲得しやすい環境づくり」というテーマを設定した。研修場所も全米三大ゲイシティの一つであるサンフランシスコに決めた。 平日はオーロニ大学のろう者向けプログラムに通い、英語とアメリカ手話を学びつつ、私がゲイであることをオープンに先生や学生と交流をした。ろう者向けプログラムの一環で、ろうLGBTQの講演会に参加できた。週末は多くのろうLGBTQが暮らすサンフランシスコに通い、ろうLGBTQのイベントに積極的に参加し、様々な人たちの価値観や体験談などを聞いた。 ・ろうLGBTQ(ダブルマイノリティ)の特徴 その1「受容」 家族の受容 ろう×LGBTQ   聴覚障がいを持った赤ちゃんが生まれた時、ほとんどの親は動揺し、悲観的になり、どうやって育てていけばいいのか悩む。そして、医者とインターネットなどの目先の情報に頼る。その情報は口話訓練、人工内耳、聴力活用、補聴器など「聴覚障がいを良くすること・治すこと」がほとんどであり、日本手話を覚える機会、ろう者が生き生きと生活している世界からは遠ざけられる。その間、健聴の子どもと比べてしまうなど、自分の子どもの聴覚障がいに対する受容に時間がかかるのである。   それに加えて、わが子から「異性愛者じゃないかもしれない」「実は私はLGBTQなの」と言われると、親は二つ目の問題を抱えることになる。自分の子どもがまさかLGBTQとは……と、信じられない気持ちになる。「気持ち悪い」「普通じゃない」と考え、「どうやったら異性愛者に戻せるのか」「それを治す方法はないか」とも考える。このようにわが子がLGBTQであることも受容できない。   ろう×LGBTQの親は一生のうちにダブルショックを受けることになるのである。もちろん、オープンな考えを持つ親で、両方の受容が困難でない家庭もあり、親によって非常にばらつきがある。 自己受容(アイデンティティの確立)ろう×LGBTQ   こうした親の元で、健聴学校に通うろう児の多くは、先生や生徒の話していることが分からないまま、独学で学校生活を過ごす。ろう学校に通えばその問題は無縁と思われるかもしれないが、ろう学校でも、口話訓練や人工内耳の訓練をする。先生が手話を使わない学校もある。   そんな環境の中でろう者として自信を持てず、ろう者としてのアイデンティティが確立できない。私の場合も口話訓練で育ったため、自分の第一言語が「日本語」なのか「日本手話」なのか悩んだ時期があり、ろう者としてのアイデンティティの確立に時間がかかった。ろう者は「ろう者として生まれてこなければよかった」「健聴になれるように努力する」というマイナスな考えを持ってしまう。   更にその上、自分自身がLGBTQと分かったとき、二回目のアイデンティティの確立が必要となる。周りにろうLGBTQの人がいない。LGBTQをネタにした差別的な会話を友人から聞く。両親からLGBTQは気持ち悪いと会話の中で出る。そんな自分のセクシャリティが否定された環境で過ごすことで、LGBTQとしてのアイデンティティの確立ができない。   ゲイとしてうまく生きられない日々が22歳から29歳までずっと続いた。実はこのアメリカ研修を通して初めてゲイとしてのアイデンティティの確立ができたと言える程である。  「LGBTQとして生まれてこなければよかった」「異性愛者になれるように努力する」という考え方には、ろう者としてのアイデンティティのマイナス面と通じるところがある。 社会の受容 ろう×LGBTQ   ろう者より健聴者が優位の社会の中、就職活動で面接に行った時に「電話はできますか?」と必ずといっていいほど聞かれる。しまいには電話が出来る人しか募集していませんと門前払いされる。電車の中での緊急アナウンスがあっても聞こえない。テレビのすべての番組に字幕がつかない。映画の字幕が付く日に観に行けず、DVDをレンタルしようにも字幕がついていない。聴覚優先社会で暮らすことは、情報弱者であるろう者にとって非常に不利である。社会がろう者を受容できていないということになる。   さらに、「異性以外を好きになることは普通じゃない」と言われる社会であり、男女で構成された社会である。恋愛や結婚の話題では、「パートナーはいる?」ではなく、男性に対して「彼女はいる?」ということが前提になってしまう。私がゲイとしてオープンになる前は女性について聞かれたら、いつも男女替えて話を合わせ、それに慣れていた。セクシャリティに関するストレス下の社会で暮らしているわけだ。社会が多様な性を受容できていないということになる。   ろうストレートはこの「家族の受容」「自己受容」「社会の受容」の三点の課題を持っているが、ろうLGBTQはこの三点に加えて、LGBTQという課題を抱えているということになる。   残念なことに日本ではろうLGBTQであることをオープンにして生きている人は少ないのが現状である。改めて言うが、私はこのアメリカ研修をきっかけに全て受け入れることができ、アイデンティティの確立ができた。この経験を活かして、日本で生きるろうLGBTQのロールモデルになれるようにアクションを起こしていきたい。 ・ろうLGBTQ(ダブルマイノリティ)の特徴 その2「カミングアウト」 1.自分へのカミングアウト   さきほどお話しした、三点の受容が必要な環境の中で、まず自分にカミングアウトする必要がある。 2.家族へのカミングアウト   自分自身がろう×LGBTQを受け入れても、家族にカミングアウトすることは非常に高いハードルとなる。私の場合は、ダスキン愛の輪研修生に決まったことがホームページ上で公開される前に、家族に直接伝えたいという思いからカミングアウトできた。 3.社会へのカミングアウト   ろう×LGBTQであることを友達、職場などに伝える必要がある。健聴ストレートに対して、聴覚障がいについて理解して貰うだけでも大変なのに、LGBTQについても理解して貰う必要がある。ろうストレートに対しても、同じろう者とはいえ、LGBTQについては知識のない人が多いので、そこも理解して貰う必要がある。残念ながら、ろうコミュニティの中でもLGBTQに対して偏見を持つろう者は多い。 ・ろうLGBTQ(ダブルマイノリティ)の特徴 その3「見えない」   聴覚障がいは「見えない障がい」と言われている。車いすや白杖は見えるが、聴覚障がいは話してみないと気づかない。それに対して、LGBTQは「見えない性」と言われている。恋愛話などで、私はLGBTQと言わない限り、周りの人はLGBTQであることに気がつかない。それがどちらにおいても理解が進まない理由の一つである。 ・日米比較 ろうLGBTQの立場から社会への理解普及 1.聴覚障がいの理解普及   日本:私の経験から、地域の手話講習会や手話サークル、社会福祉協議会などを通して社会へ理解普及をしていくことが多い。大学の手話講義や手話講座もある。しかし、健聴者のろう者に対する理解は乏しく、コミュニケーションをはじめとした社会のバリアを感じる場面が非常に多い。   ベイエリア:ADA法(障がいのあるアメリカ人法)などの影響により、大学の講義の中にアメリカ手話があったり、健聴の学校の中にろう者向けプログラムがあったり、手話通訳者が仕事として成り立っていたりと、手話だけでなく、ろう文化の理解者が非常に多い。ろう者がいることが当たり前の社会になっている。 2.LGBTQの理解普及 日本:LGBTQとは何かを自分から説明する必要がある。最近はNPO団体による講演会も増えてきており、日本各地で理解普及が進んでいる。LGBTQであることを隠して生きている人がほとんどだが、最近、カミングアウトする人も少しずつ増えてきている。可視化、それが理解普及のキーポイントの一つとなっている。   ベイエリア:ほとんどの人たちがオープンであり、カミングアウトしてもあっそう?と言われる。 3.ろうLGBTQの理解普及  日本:LGBTQに関しても、ろう者に関してもどちらも相手に説明する必要があり、それぞれの理解普及が必要となる。   ベイエリア:ベイエリアのろうLGBTQにとって、LGBTQについては既に周囲の理解が得られているため、その面では楽だが、聴覚障がいに関しての権利の実現は今でも大きな課題である。 ・日米比較 ろうLGBTQの立場から情報獲得しやすい環境づくり 1.日本の場合   最近は東京や大阪にろうLGBTQの組織ができたため、インターネットなどを通して相談する人が少しずつ増えてきている。組織を通して、自分以外のろうLGBTQの存在を知り、不安から解放される。ろうLGBTQの理解がある人はまだまだ少なく、そのような組織の存在意義は大きい。 2.ベイエリアの場合   主にFacebook:アメリカではSNSの中でもFacebookが特に使われており、驚くほど盛んである。友達の招待を通してイベントの情報を知ることができる。ろうLGBTQ とアライ の交流会などのイベントが開かれる。Facebookなしでは情報をあまり得られないのが現状である。ろうLGBTQのFacebookは非公開のため、クローゼット の人も安心して使えるし、アライの人も多く登録しているため、安心できる。 ※Ally(アライ):LGBTQを支持するストレートの人 ※Closet(クローゼット):世間にカミングアウトしていないLGBTQの人 ・日本のろうLGBTQの課題   日本にはろう者の課題とLGBTQの課題が存在している。ろう者の課題に「ろう教育」「手話という言語の理解普及」「災害時などのろう者の対応」などがある。LGBTQの課題に「結婚」「遺産相続」「子どもを持つ権利」などがある。   ろう者とLGBTQの課題解決をそれぞれ進めていけば、ろうLGBTQの課題のほとんどは解決される。しかし、ろうLGBTQの特別な課題もあることを忘れないで頂きたい。その課題をいくつか挙げたい。 1.手話通訳 (パソコン通訳、要約筆記含む) LGBTQ関係のイベントや講演会、ゲイバーなどのトークショーなど手話通訳者がつかない。 LGBTQやセクシャリティに関する専門知識を持った手話通訳者がいない。 2.ろうLGBTQの理解者が少ない 健聴LGBTQコミュニティに入りたくても、健聴LGBTQが手話やろう文化を知らないため、入りづらい。 ろうLGBTQの相談相手がいなく孤独になりやすい。健聴者に相談できても、ろう文化とろうコミュニティの特性を知らないため、共感が得られない。 ろうコミュニティの中で、ろうLGBTQの理解者が少ない。 ろうLGBTQの中でも、平気でアウティング する人がいる。 ※Outing(アウティング)誰かのセクシャリティを他の人にばらしてしまうこと。 3.ろう学校での性教育 保健の授業の中に、ゲイを念頭に置いたエイズ予防の予備知識が含まれていない。 LGBTQに関する知識を学ぶ機会がない。 教師のLGBTQの知識のなさから「男同士で性行為するからエイズになる」という誤った情報を子どもたちに伝わってしまう。 4.ろう学校のLGBTQに関する対応 健聴の学校ではLGBTQの理解が進んでも、特別支援学校は障がい者教育に重点を置いているため、LGBTQについて話し合われていない。(知的障がいLGBTQや視覚障がいLGBTQなどもいる) 女の子っぽい!というようなセクシャリティに関する会話について、ろう学校の教職員は気にしていないことが多い。教職員の中でのLGBTQの勉強会が必要である。 保健室の先生やカウンセラーがろうLGBTQのことを知らない。 保護者向けのLGBTQ講座がない。 聴覚障がいを持つ自分の子どもがもしかしたらLGBTQではないかと考えたときに、親向けの相談先がない。LGBTQの相談先でも、ろう者の特性を知らないため、的確な相談にならないため。 5.字幕がつかない LGBTQに関するインターネット上の動画、テレビ、映画、DVDなどに字幕がつかないため、情報を得ることができない。 ・ろうLGBTQの課題解決について考える 1.ろうLGBTQの可視化   ベイエリアに来て感じたことは、ろうLGBTQがろうLGBTQコミュニティ、ろうコミュニティ、健聴コミュニティなどに関係なく、どのコミュニティにもいて、目に見える存在であることだ。日本だと、隠して生きている人が多く、日常生活の中で誰がLGBTQなのか分からないため、孤独を感じやすい。イベントに参加しようとすると、アライがいないLGBTQのイベントになるので、狭いLGBTQの世界だけで生きているという閉塞感がある。 2.可視化によるロールモデルの実現   私自身を「ろうゲイとして可視化」することで、ろうゲイのロールモデルになることができる。しかし、一つのロールモデルがろうゲイ以外のロールモデルを兼ねることはできない。それぞれのろうLGBTQを可視化することが重要である。 3.発信の継続(理解普及)   ろうLGBTQの存在はまだ日本中に知られていない。ろうLGBTQのパンフレット配布、ゲイである旨を記載した名刺の積極的配布など、できる範囲から始めたい。それだけで大きな意味があると考える。ろうLGBTQの人たちが相談場所を知り、相談に行きやすくなるというメリットもある。 4.ろうLGBTQ及びその親の相談場所   ろうLGBTQの支援団体は全国に三か所ある(東北、東京、大阪)。それぞれの団体や代表と相談する人の相性もあるため、この三か所だけではまだ足りないのが現状である。相談場所を増やす必要がある。または健聴のLGBTQ団体にLGBTQろう者を配置する必要がある。 ・調査結果   LGBTQの課題ではなく、ろう者の課題が多い。ベイエリアのろうLGBTQがみんな口をそろえていうのは、LGBTQとして生きることに全く不満はないが、ろう者として生きるのに不便なことが多いことだ。ベイエリアでも手話通訳、仕事、教育など社会へのアクセスがまだ整っていない現実がある。つまり、ろう者の権利が取り残されたのである。最近、私の日本人友人から「世界で一番最後の権利は障がい者」と言われたことが印象に残っている。日本ではまだLGBTQの課題がたくさんあるが、その課題に向き合うためにはまず、ろう者としての課題を一つずつクリアしていく必要がある。その活動の上で、ろうLGBTQのサポートをしていく必要がある。このことをベイエリアから学んだ。 ・終わりに   当初はろうLGBTQのために何かしたいという思いで研修に行ったが、自分も得るところの大きな一年間だった。幸い、自分の目指すロールモデルに出会い、帰国の一週間前には自分の人生を変える出来事もあった。帰国後、ろう者として、ゲイとして、自分らしく生きられるようになった。この素晴らしい機会を与えて下さったダスキン愛の輪の皆さまに感謝している。この貴重な経験を活かして、ろうLGBTQに関わる社会貢献を目指し、まずは講演会活動から始めたいと思う。本当にありがとうございました。 スタディ・イン・アメリカ研修生:川端 舞さん研修報告 住所:茨城県 障がい:肢体不自由 研修期間:2014年7月30日~12月21日 研修国:アメリカ、マサチューセッツ州 研修機関:マサチューセッツ州立大学ボストン校(UMB)       地域インクルージョン研究所       Federation for Children with Special Needs 研修テーマ:障がい児を持つ保護者への支援について 研修目的:①英語集中研修(基本英語力を磨く) ②学期間の障がい学習 文化としての障がい、障がいに関する提言、政策、施策実行、国際的観点、および、障がい者への支援及びサポートの改革の概要を学ぶ。  ③障がい者リーダーシップ個人研修 個人の関心、プロジェクトのテーマ、ニーズ別に地域での研修 ④定期的なグループ指導セミナー 研修先における状況を協議し、体験を振返る。体験と研修を障がいおよびインクルージョンに連動させる。 「ボストンで学んだことを生かして日本の障がい児の保護者支援に貢献していきたい」 ・はじめに   ボストンに到着した当初、私はただ漠然と、障がい児教育について学びたいと考えていた。しかし、最初の一ヶ月のオリエンテーション期間で、様々な障がい関連の組織や公的機関を回り、様々な場面で繰り返し繰り返し自己紹介をしていくうちに、自分を深く見つめることができ、自分が本当は障がい児の保護者の支援をやりたいことに気がついた。私は幼い頃から両親との関係に悩み、決して楽しい子供時代ではなかった。どうして両親との関係がうまくいかなかったのか、そして、その経験から自分は障がい児の保護者の支援について考えたいのだということに気づき、それを自己紹介の中に組み込むようになった。このようにして完成した私の自己紹介を、ボストンで出会った人々は真剣に聞いてくれた。そんな人々との出会いが、私に障がい児の保護者支援に真剣に向き合う勇気をくれた。 ・Federation for Children with Special Needsでのインターンシップ   一ヶ月のオリエンテーション期間を終えた9月から、週に2回、Federation for Children with Special Needsでインターンシップをさせていただいた。Federationは、障がい児を持つ保護者のための組織である。障がい児の保護者、専門家、そして地域に、情報や支援・援助を提供している。職員のほとんどが、障がい児を持つ保護者やその家族である。   私は今まで、保護者支援は心理的支援が中心だと考えていた。しかし、Federationでは心理的支援を提供するだけではなく、障がい児の保護者の教育もしていた。例えば、Federationの職員が保護者に対して教育システムや子どもの権利を守る方法を教えていた。日本に比べ、アメリカでは、保護者の意見が障がい児の教育計画に反映されやすい。したがって、保護者がどのくらい障がい児教育についての知識を持っているのかにより、その子どもがどの程度充実した支援を受け入れられるかが変わってくる。そのため、Federationが保護者に対して障がい児教育の知識を教えることで、保護者がより効果的に子どもの権利を主張できるようになり、将来的には、子ども自身が自分の権利を主張できるようになることにもつながるのだ。 Federationの職員は障がい児の保護者のサポートグループの活動の促進もしている。私は今まで、サポートグループでは、保護者への教育よりも心理的支援が提供されると考えていた。しかし、私のスーパーバイザーが支援しているサポートグループを訪れた時、サポートグループでは、心理的支援だけではなく、保護者への教育も行うことができることに気づかされた。グループの中に、障がい児教育について詳しいメンバーがいることにより、サポートグループ内で、心理的支援と保護者への教育、両方を行うことができることを学んだ。   私もいつか、Federationの職員の方たちのように、障がい児の保護者に、心理的支援と、保護者への教育の両方を提供できる支援者になりたいと考えるようになった。 ・Boston Special Needs(BSN)との出会い   ダスキン・プログラムにより、私たち研修生は、ボストン在住の障がい児を持つ日本人家族のサポートグループであるBoston Special Needs (BSN)とも関わるようになった。BSNは2005年に、障がい児を持つ日本人の数家族が集まって結成されたものである。現在では、月に1,2回集まり、家族間の交流や情報交換、障がい児に携わる専門家を招いた勉強会などを行い、毎回、30人ほどのメンバーが集まる。私たちも数回、この集まりに参加させていただいた。   BSNのメンバーたちは、お互いの子どもについて、楽しいことばかりではなく、悩みも話し合っていた。例えば、私たちは、メンバーのひとりであり、自閉症の息子を持つ女性と知り合った。彼女はいつも笑顔で、とてもパワフルな女性だった。しかし、彼女が家族と共にボストンに移住してきたとき、自閉症による行動上の問題を抱える息子との関わりに悩み、毎日のように泣いていたという。その時、BSNのメンバーは、そのリーダーを中心として彼女を支えた。その後、彼女の息子は自閉症専門の学校に通い始め、落ち着いて生活できるようになり、彼女自身も安心して生活できるようになった。 ・Asian American Studies Programとの関わり   プログラム・コーディネータの田那邊さんの橋渡しで、マサチューセッツ州立大学ボストン校の中のAsian American Studies Programの学生とも親しくするようになった。Asian American Studies Programとは、大学に通うアジア系アメリカ人の学生の集まりで、アジア系アメリカ人としてのアイデンティティを考えていくプログラムである。   そして、障がいのあるアジア系アメリカ人の女子学生と知り合い、彼女が今までの人生を振り返り書いた詩を読ませてもらった。その詩の中で、彼女は幼い頃経験した自分の葛藤について表現していた。その詩の中に、いちばん安全でくつろげるはずの自分の家にいる時でさえ、どこか窮屈さを感じてしまう彼女の葛藤を読み取ることができた私は、彼女の詩への返事として、自分自身の母親との葛藤についての詩を書き、Asian American Studies Programの学生や教員の前で発表した。その詩をAsian American Studies Programで発表した時、その詩にこめた私の思いを、その場にいた学生や教員がありのまま受け止めてくれたことが、私に、幼い頃の葛藤と向き合う一つのきっかけを与えてくれた。 その後、前述の女子学生とともに、各々が書いた詩を、Asian American Studies Programが主催するイベントで発表することになった。そのイベントでは、Asian American Studies Programにかかわる学生や教員が集まり、一人ひとりの抱えているものを、それぞれステージの上で、思い思いの形で表す。その時、ともにステージに立った女子学生が、声を震わせながら詩を朗読した。私はそれを、彼女の隣で、驚きながら聞いていた。いつもニコニコ笑っている彼女が、大勢の人の前で泣いている。人前で泣いてはいけないと思っていた私には、その光景は驚きであった。そこは、自分の感情を素直に表してよい、安全な場所だった。私たちが詩を読み終わった時、会場は温かい拍手に包まれた。自分の中の葛藤も自分の一部として持っていていいんだと思えた瞬間だった。 その後も、Asian American Studies Programでは、学生や教員のサポートのもとで、自分自身に向き合うセミナーを受けた。私以外のダスキンプログラムの研修生たちは、セミナーが進むにつれて、自分自身やその障がいに対する捉え方を変えていったようだった。しかし、私はその変化についていくことができず、そんな自分に嫌悪感を抱く時期もあった。その時は、その感覚をどうすることもできなかったが、今考えれば、自分自身やその障がいをどう見るかは、その人次第であり、それについて、良いとか悪いとか、誰も決められないのだ。自分とは異なる価値観を理解する努力は必要だが、それと同時に、自分の感じ方も大切にしていいことに気づかされた、Asian American Studies Programだった。 ・最後に   「保護者支援を考えるのは、苦しくないですか。」ボストンで出会ったある方に、自分の幼い頃の記憶を話した時に言われた言葉である。私自身も、子ども時代の大半を両親との関係に悩みながら過ごしてきた自分にとって、保護者支援に携わることに苦しみが伴うことは自覚している。それでもやりたいと、ボストンに滞在していた時も、帰国したあとも、思い続けているということは、おそらく、これが私が心からやりたいと思っていることなのだろう。そして、自分が心からやりたいと思えることを見つけられたのは、ボストンで出会った方々がありのままの私を受け入れてくださったからである。さらに、私が保護者支援と真剣に向き合うためには、葛藤が伴うことを理解してくれる方々が、ボストンにいる。そのことが私にはとても心強い。 ありのままの自分を受け入れるという作業と並行して、障がい児を育てる保護者支援にも、自分なりの形で関わり続けていきたい。ありがたいことに、帰国直前に行われた、ダスキン研修の集大成である授賞式での私のプレゼンテーションに、マサチューセッツ州立大学ボストン校の教員の一人が興味を持っていただき、日本で障がい児の家族支援を行われている方をご紹介いただいた。これから、このような人脈を大切にしながら、自分と同じような興味関心をもたれている方と積極的につながっていきたい。そして、Federationでのインターンシップで学んだこと、特に保護者への心理的支援と教育的支援の両立の大切さを取り入れ、日本の障がい児の保護者支援に貢献していきたい。 最後に、私の5ヶ月のボストン生活を支えてくださった全ての皆様、そして、私にこのような素晴らしい機会を与えてくださったダスキン愛の輪基金の皆様、本当にありがとうございました。 スタディ・イン・アメリカ研修生:蔵本紗希さん研修報告 住所:神奈川県 障がい:肢体不自由 研修期間:2014年7月30日~12月21日 研修国:アメリカ、マサチューセッツ州 研修機関:マサチューセッツ州立大学ボストン校(UMB)       地域インクルージョン研究所       Federation for Children with Special Needs 研修テーマ:障がいのある学生が通常学級で得ているサポートについて、インクルーシブな教育環境について 研修目的:①英語集中研修(基本英語力を磨く) ②学期間の障がい学習 文化としての障がい、障がいに関する提言、政策、施策実行、国際的観点、および、障がい者への支援及びサポートの改革の概要を学ぶ。  ③障がい者リーダーシップ個人研修 個人の関心、プロジェクトのテーマ、ニーズ別に地域での研修 ④定期的なグループ指導セミナー 研修先における状況を協議し、体験を振返る。体験と研修を障がいおよびインクルージョンに連動させる。 「障がいを持つ人が支援を受けるのに引け目を感じない社会のために」 ・はじめに    私は、元々初等教育における障がい学生支援について関心がありました。今回のスタディ・イン・アメリカ研修で、アメリカで障がいのある学生が通常学級でどのように一緒に学んでいるか、そしてどのような福祉の支援が与えられるのかを知り日本との現状と比較することが目標でした。   今回のボストンでの研修を通じて、プログラム中のオリエンテーションでの様々な現場視察や、私のインターンシップ先であるFederation for Children with Special Needsでの経験はこれらの課題に対しより理解を深める助けとなりました。   一方で、このボストンでの5ヶ月で、私は障がいというマイノリティのことにのみ注目をしており、マイノリティ全体についてまたそれらの活動については一切知らなかったことに気づかされました。私は自分の経験からしか物事を見ていなかったのですが、他のマイノリティと通ずる活動や困難さがあるのではないかと気づきました。このことに気づくことが出来たのは、スタディ・イン・アメリカ研修を通して様々な人と出会えたからです。 ・ボストンでのオリエンテーション   8月のオリエンテーション期間では、Boston Center for Independent Living, the Center for Applied Special Technology, JobNet Career Center,マサチューセッツ州立大学ボストン校にあるAsian American Studies Programなど様々な機関を訪ね、アメリカにおけるマイノリティについて、またそれに関係する社会問題などを学びました。   例えばJobNet Career Center では、職を探してる人々で移民の人、精神を患い軍隊を引退した人、また障がいのある人などと出会いました。そこでこれらの人々は雇用主のマイノリティに対する偏見などにより職に就くことが難しい現状があることを学びました。JobNet Career Centerの職員はこうした就活者に自身のアピールポイントと困難さに気づくことが大切であると伝え、自身をきちんと主張する方法を教えています。 ・マサチューセッツ州立大学 ボストン校での学び   現場視察やインターンシップに加え、私はマサチューセッツ州立大学ボストン校でAsian American Studies Programの中にある“Asians in the United States”という授業を受けました。この授業では、アジアからを中心としたアメリカの移民の歴史、アジア系アメリカ人やアジアからの移民の人々が受けていた偏見や差別などについて深く学びました。この授業で私が強く学び感じたことは社会正義のための働き、また移民の人々の声を世代を越え、今に繋げていくことの重要さです。またAsian American Studies Programの中で、教授やスタッフ、学生達と時間を過ごすうちに、この学びを通じた交わりの世界が、多くの集まる人にとっての“safe space”であることを感じた。彼らはここで自分達のアイデンティティーやその他の人種・社会問題について考え、お互いにそれを語り合い理解しあい、ともに活動をするのです。 ・研修を通じて気づいたこと   今回の研修を通じて、アメリカでは人種や民族、文化、宗教、性などあらゆる要素において社会から除外されているマイノリティの人々が存在することに気づかされました。私はこれらのマイノリティの人々が持っているアイデンティティーについて、様々な壁にぶつかりながらも、どのように社会性を獲得するのかに興味を持ちました。そして、社会的公正や機会を得るためにどのように自己主張していくのか、その方法を知りたいと思います。 ボストンでのたくさんの経験により、私は自分自身を障がいというものにとらわれずに考えられるようになりました。障がいがあっても、他の何らかのマイノリティの要素がその人にあっても、それのみがその人自身を作り上げているわけではないのです。アメリカの社会は個人というものをとても大事にする文化があり、自分というものをしっかりと主張します。障がいについては、その人のあり方の軸ではないとはっきり示し、一人ひとりの人格と権利が守られるべきであるとADA法で定められています。   平等を得るためにも、自分自身を周囲に発信する自己主張が必要である、というセルフアドボカシーの概念は分かり易いですが、それを伴う実行や訓練は難しいかもしれません。私のインターンシップ先であるFederation for Children with Special Needsでは、まず教育者や保護者が、そしていずれ本人がアドボカシーを学び主張することが大事だと伝え、その方法を教えます。アメリカはマイノリティとしての主張、そして権利が重視される国なのだと思います。   インターン先では多くの刺激を得ることができ、自分の考えを構築するのに非常に役に立ちました。私自身は障がいを持つ当事者ですが、Parent Consultant Trainingでたくさんの親御さんの立場の意見を聞くことができました。また、30人ほどの保護者や教育者、弁護士の前で日本での福祉や私の学校での経験をアメリカと比較した上で発表する機会が与えられ、これがボストンでのひとつ大きな自信となりました。   もうひとつ、ボストンでのスーパーバイザーとの時間が私にとっては記憶に残っています。障がいをもつ親として子供にどれだけのチャレンジをさせるか、多くの期待を持つか、個人として尊重することと助けを出す場面の判断はどうするか、その際の文化の違いが子供への向き合い方にどう影響するのか、そんなことを話す時間が私には新鮮でした。 ・アイデンティティ、マイノリティ、そして自分自身について   私は今回のボストン研修中に出会った人々のコミュニティやアイデンティティに対する考えに興味を持ち以下のようなことを聞いてみました。   あなたにコミュニティはありますか   そのコミュニティとあなたを結びつけるものは何ですか   あなたにとってそのコミュニティはどのような意味を持ちますか   これらの質問を元にインターンシップ先、Boston Special Needs(ボストンにある障がいのある子供を持つ日本人家族のサポートグループ)、マサチューセッツ州立大学ボストン校のAsian American Studies Programの学生や教員と話をしました。   11月に訪れたVietnamese Support Group、またBoston Special Needs、Asian American Studiesの3つでは外国人であること、移民であることはマイノリティだということを知りました。そして障がいのある人たちと似た経験や活動をしていることに気がつきました。両方に共通している大事なキーでありできることは社会で声を上げていくこと “safe space”の構築です。 Federation for Children with Special Needs では4か国語の Support Groupがあります。それぞれのSupport Groupには同じ国からの移民や同じ言語を話す親たちがOutreachコーディネーターを含め月に一回集まります。Support Groupでは同じ移民でもバックグラウンドや福祉の知識や語学力、子供のニーズによって個人個人の細かなサポートは異なります。通常は、その様な点が原因で必要な情報にアクセスできる機会が極端に少なくなってしまいますが、Support Groupでは、それらの障壁を超えてお互いに共感できることや信頼できることで繋がっていることが分かりました。実際私がアジア人であることや障がいを持っているということで、グループのみなさんは私にそれぞれ個人の体験をシェアしてくれ、私の学びを応援してくれました。その時にひしひしと感じたのは、この時代になっても、このアメリカであっても、まだマイノリティの理解者やサポートが足りないという実態です。 ・今後に向けた想い   私は5ヶ月間のプログラムを通しアメリカの文化に触れることによって、自分はこれまで周囲の理解を受けて、配慮してもらうことに遠慮していると気づきました。様々な要素によりマイノリティに属する人々は、ただ人間としての権利を主張しているだけであって支援を受けることに引け目を感じなくても良いと思います。ましてやそれによって自分自身に対して悲観をしてはいけないと思います。そういった気持ちがどこかにある限り、私を含めた日本人はアイデンティティーに障がいやあらゆることを縛り付けてしまいその考えにとらわれて生きてしまいます。障がいの種別と等級が自己のアイデンティティーと考えていた私が、その他の自分に気づくことが出来たように、障がいを持つ仲間や特別支援級の親御さんにもそのきっかけを体験して欲しいと思います。    そのためにも、私が第一歩としてできることはセルフアドボカシーの大切さを伝えることです。障がいというものがその人のあり方の軸ではないのです。そして一人ひとりの人格と権利が守られるべきであるという根本的なところから活動していきたいと思います。   日本に帰国した今、私は障がいだけにとどまらずマイノリティについて、Social JusticeやActivismに焦点を合わせて考え学び続けていきたいと考えています。私たち個人が人と交わる中でマイノリティを感じる経験が生まれ、私たちが所属する社会に対して、経験を通じた考えを発信しなければならないと思います。特に、社会との接点が少ない人々にとっては、それがとても重要なのです。マイノリティ同士の交流と教育がSocial Justiceへの次の一歩の鍵になると思います。私は、個人、コミュニティ、社会という3つのつながりと影響についてより深く考えていきたいです。私にこのような貴重な学びの機会を与えてくださったダスキン愛の輪基金の皆さまに感謝申し上げます。 スタディ・イン・アメリカ研修生:木戸奏江さん研修報告 住所:奈良県 障がい:肢体不自由 研修期間:2014年7月30日~12月21日 研修国:アメリカ、マサチューセッツ州 研修機関:マサチューセッツ州立大学ボストン校(UMB)       地域インクルージョン研究所       Massachusetts Bay Transportation Authority Institute for Human Centered Design 研修テーマ:アメリカでのバリアフリー環境、特に公共交通機関について学びたい 研修目的:①英語集中研修(基本英語力を磨く) ②学期間の障がい学習 文化としての障がい、障がいに関する提言、政策、施策実行、国際的観点、および、障がい者への支援及びサポートの改革の概要を学ぶ。  ③障がい者リーダーシップ個人研修 個人の関心、プロジェクトのテーマ、ニーズ別に地域での研修 ④定期的なグループ指導セミナー 研修先における状況を協議し、体験を振返る。体験と研修を障がいおよびインクルージョンに連動させる。 「ー“当たり前”への問い直しが、新たな障がい理解につながるー アメリカで学んだ障がいの捉え方を日本に広めたい」 ・公共交通のバリアフリー   私はアメリカでのバリアフリー環境、特に公共交通機関について学びたいと考え、この5か月間の研修に参加しました。実際の公共交通を目の当たりにすることによって、日本との比較ができ、多様な面から「バリアフリー」というものを考察することができました。   ボストンで驚いたことは、街にいる障がい者の数が日本よりもずっと多いことです。もちろん、電車の運行が時間通りでなかったり、道がガタガタであったり、日本よりも発達していないところもありましたが、実際に車椅子や歩行で街に出てみると、日本よりも出かけやすいと私は確実に感じました。障がいが特別なものではなく、自然に社会に溶け込み、生活し働くことができるこの社会は、どのようなシステムによって成り立っているのか知りたくなりました。 ・MBTAでのインターンシップ   マサチューセッツ州の公共交通事業は主にMassachusetts Bay Transport Authority(MBTA)と呼ばれる交通局が担っています。MBTAにはDepartment of System-Wide Accessibility(SWA)という部署があり、私はそこでインターンさせて頂きました。SWAはMBTAのバリアフリーを推進する役割を担い、公共交通機関に関連した障がいとアクセシビリティの問題を管理しています。SWAがどのようなプロセスを踏んで、政府が管理する交通機関を変えていくのか、インターンシップを通して学ぶことができました。   SWAでの経験の一つとして私は駅のモニタリング調査に参加しました。これは、MBTAの調査だということを周りに知らせず、利用者の一人として、駅の使い勝手や職員の態度・サービスを調査するものであります。障がい者や歩行または移動に問題を抱える人達のための公共交通機関の改善には、実際に利用する人達の立場になり意見を取集する調査法の必要性と重要性を肌で感じました。   モニタリング調査でバス乗務員の態度をチェックする項目に、興味深い記述がありました。「足の不自由な歩行している人の為に、車体を下げること。手を貸すこと。必要であれば、スロープを設置すること。」最近車椅子を使用するようになってから感じるようになったのですが、日本では公共交通での支援の対象とみなされているのが、車椅子使用者に限られているように感じます。多様な障がい者、高齢者、妊婦、子供連れと、支援の対象がより広がっていってほしいと思います。   また、SWAのアクセシビリティサービスプログラムにて、苦情の処理について話を聞く機会を通し、 MBTAに寄せられた苦情の内容や、障がいを持つ人の意見を処理していく過程を知りました。個人の意見であっても、数名の同じような苦情があれば、要望として挙げていく。優秀なサービスの提供可能な交通機関を作り上げるために、一人ひとりの意見を単なる個人的なクレームとして受けるのではなく、要望としての大きな声に変換していくという重要な役割をSWAが担っていることに気づきました。   SWAの興味深い特徴は、その社会的な立ち位置です。SWAはMBTAの中の組織でありながら、交通を作り運営するMBTAと利用者の間で中立した立場にあります。SWAで働くスタッフの多くは障がいを持ち、MBTAに属する以前は、障がい者運動の組織やユニバーサルデザインの研究所など、別の場所で働いていた経歴を持ちます。そのような障がいに関する知識と経験を重視する部の人材構成により、障がいのある市民と公共交通機関の間で中立したSWAの重要な立場を保っているのであると学びました。 ・アイデンティティ   当初、バリアフリーやユニバーサルデザインについて勉強したいとアメリカに旅立ちましたが、日本とは全く異なる環境で外国人として生活していくうちに、新たにアイデンティティというテーマに興味を持つようになりました。   私はずっと自分は障がい者なのか健常者なのか分からず、自分のアイデンティティに違和感を持ち続けていました。数年前、私はまだ病気の症状が顕著ではなく、見た目からは障がい者と認識されませんでした。そして、社会のイメージする「障がい者」にそぐわないため、障がいによって起こる私の不自由さは周囲から認められにくかったことがありました。いつも社会の考える障がい者像と比較して、自分という人間を捉えられることに窮屈さを感じていました。私が科目履修生として所属していた大学UMass BostonのAsian American Studies Programでアイデンティティの違和感について分析する機会を得ました。   学生やスタッフとのprojection photo shootの写真撮影を通して、障がいとアイデンティティの関係性を形にすることができました。このアクティビティの目的は、私たち(ダスキンの研修生)が自分自身に持つイメージと、他者が私たちに持つイメージを、写真という形で表現することです。社会の中にある障がい者へのイメージが、私の行動、アイデンティティ、自己受容にどれほどの影響を及ぼすかを、私は初めて明確にすることができました。   また、Institute for Human Centered DesignでADA法を学び、アメリカと日本との障がいの認識の仕方の違いについて更に理解することができました。アメリカでは私の障がいを「診断」ではなく、「能力」に焦点を合わせて認識する傾向があります。私自身、アメリカに滞在して数か月、全く自分の病気について話すことがなかったことに驚きました。私の見た目、病名に注目するのではなく、「何ができるか、できないか」といった私の能力に注目するアメリカの環境はとても心地よく感じました。   いままで「社会の障がい者についての問題」については勉強してきたが、「私にとっての障がい」という私の内面についてはあまり着目してきませんでした。日本ではマイノリティな要素である「障がい者」というアイデンティティがあまりにも自分の中で大きかった。しかし、アメリカでは私は「外国人」である。「障がい者」以外のマイノリティな要素が大きくなるにつれ、「障がい者」であることが、私の「大切な一部分」であることに気づき始めました。 ・偏見と教育   また、UMass BostonでのAsian American Studies Programの一環で自分の経験について発信する機会がありました。私はボストンへ出発する1か月前に初めて車椅子を購入しました。進行性の病気を持つ私にとって、車椅子の購入と使用は人生の中で大きな戸惑いのある出来事でした。ここ数年、医療の面からは車椅子の使用を勧められていたが、自分を含め私の身近な人たちは車椅子の使用を現実的なものだとは受けとめられてはいませんでした。 私はその複雑な思いを詩で表現することを決めました。車椅子の使用を拒否する気持ちはなぜあるのか、車椅子に乗る前と乗ってからの気持ちの変化、車椅子に乗るようになって自分が他人にどう見られるか、など。障がい、そして車椅子に対する自分の気持ちを詩として表現したことで、いままで感じていた障がい者として社会に感じる違和感を明らかにすることができました。自分が持っていた「偏見」が自分を苦しめたこと、そしてその「偏見」は社会のシステム、そして幼少期の障がいについての学習から生まれたものであると気が付きました。 そして、障がいを持たない子供への障がいについての学習に興味を持ち始めた私は、アメリカの小学校での一般児童向けの障がい者教育の見学に参加させて頂きました。ボストン近郊のNewtonという都市ではUnderstanding our Differencesという教育委員会が関連する団体が、アメリカの小学校での一般児童向けの障がい者教育を担っている。糖尿病やアレルギーなど、見えにくい障がいについても広く取り扱っていました。   またBoston Children museumで行われる障がいのアウェアネスのプログラムに携わるスタッフの話を聞きました。私が子どもの時、小学校で行われる障がいについての学習として、障がいの疑似体験が多く行われていました。現在少なくともアメリカでは目隠しをして歩く、また耳栓をして聴覚障がい者の気持ちになってみるなどといった疑似体験は、より「かわいそう、大変」という偏見や誤解を招くものとしてだんだん少なくなってきたそうです。車椅子に乗った「障がい者」を対象とした教育ではなく、車椅子を移動するための一つの「ツール」としての理解を広めているのが印象的でした。   アメリカで生活をしてから、どれだけ多くのイメージ、先入観の中で生きてきたかに改めて気づかされました。日本では当たり前だと思っていたことが、はたして本当にそうなのか、どうしてこうなったのか考える力を得たいと思うきっかけとなりました。偏見というものはただ抑え込むことによってなくなるものではない。偏見を非難することは得策ではないのだと思います。「偏見と教育」、私がアメリカで新しく興味を持ったトピックです。 ・これから   今回、MBTAでは、日本に持ち帰りたい経験をたくさんすることができました。公共交通機関を改善するために共に要望書に取り組んでいた学生と教授と、この経験を共有したいと思います。そしてボストンで出会った素敵な人々との繋がりをこれからも大切にしていきたいです。   またアメリカで新しく興味を持ったことが日本ではどうなのか、改めて日本の状況を学ぶことが私には必要だと思いました。更に理論の面を補強したうえで、大学の卒業論文のテーマにボストンでの経験を活かしたいです。 ・謝辞   ダスキン愛の輪基金の支援のおかげで、この5か月間、たくさんの素晴らしい経験をすることができました。ダスキン愛の輪関係者の皆様に心から感謝申し上げます。そして出発前から手厚いサポートをしてくださったICIの皆様の支えがなければこの研修をここまで充実したものにはできませんでした。本当にありがとうございました。この経験で学んだことを社会に還元できるよう、より一層頑張っていきたいと思います。また、このボストンでの研修プログラムが続いていくことを願います。 知的障害者グループ研修生:ディスカバリー7研修報告 障がい:知的障がい 研修期間:2014年9月13日~9月19日 研修国:アメリカ、ハワイ州 研修機関:グループホーム「ヘレマノプランテーション」 (グループホーム、職業訓練、生活支援施設) 研修目的:知的障がい者の自立支援サービス体験利用体験 (職業訓練体験、グループホーム見学、当事者との交流) 研修日程:9月13日~14日 移動、ハワイ着、アクティビティ       9月15日~17日 ヘレマノプランテーション訪問       9月18日~19日 移動、帰国 研修生:山﨑 慶子さん(東京都)、岡野 麻美さん(三重県)、鳥井 孝平さん(兵庫県)、大石 翔平さん(福岡県) スタッフ:柿島 一さん 、中尾 紀子さん アドバイザー:武居 光さん(実行委員) 「一人ひとり夢や希望を持って生活しているのが素晴らしい ハワイの「やさしさ」「明るさ」は見習いたい」 研修日① ヘレマノプランテーション訪問 グループホーム見学~敷地内見学(養殖魚場等)~ビデオ(施設紹介)~理事長ご挨拶~調理実習(ロミロミ) <施設について> ・利用者数:デイケア70名強、グループホーム40名。 ・グループホーム利用料は1人1か月20~30万円。州から補助が出る。水光熱費は割り勘。 ・就職をめざした職業訓練を行っている。 ・公的支援だけでなく、寄付で成り立っている活動が多い。 ・州知事が変わると政策が大きく変わる。今のハワイ州知事はホームレスに重きを置いているため、障がいの公的支援が厳しい状況となっている。 <グループホームの様子> ・入居者4~5名(中重度知的障がい) ・住み込みスタッフが1名いてすぐに相談できるようになっている。ただし最小限(ミニマム)のサポート。 ・ハワイ州では介護支援員が不足した。政府は介護職希望者にはグリーンカードを出したところ、英語ができてきめ細やかなケアを得意とするフィリピン人の応募が増えた。フィリピンからの介護職を住み込みスタッフとして採用し、互いのニーズに合う形となって安定している。 ・共有スペース・キッチンだけでなく、個人のどの部屋もとてもきれいに片付いている。 ・自分だけの暮らしではなく、互いに気持ちよく暮らし、互いに助け合うことを大事にしている。 <イボンヌ施設長の質疑応答> Q:グループホームではなく一人暮らしを希望の場合はどうすればいいのか? A:申請して許可された人にケースマネージャーがついて住む場所を捜す。一人暮らし後は、ケースマネージャーが定期訪問して生活で困っていることがないかなど確認する。困っていることがあった場合は新たなサービスの申請手続きをするのだが、申請が通るまでに時間がかかる。決まったら人を雇うという流れになっている。 Q:障がいを持っている人の一人暮らしの世間の理解は?またサポートの仕方は? A:社会的理念として差別はしない。恋人ができたらお金がかかったり、一人で暮らすと近所づきあいが難しいなどリスクもあるが、その人が一人暮らしを選ぶ権利がある。支援者は障がい者をコントロールするのではなく困ったときに助けるのが役割だ。 Q:一人暮らしで脳梗塞になるなど、病気のサポートについては? A:看護士がサポートするが、病状が落ち着いたら看護士の役割は終わり。 Q:障がいの程度はどのように分かれているか? A:軽度・中度・重度の3段階に分かれている。 Q:障がい基礎年金はありますか? A:エージェンシーに申請して政府から認可されれば年金が支払われる。年金がおりるまでにとても時間がかかる。今は少ない金額で厳しい状況。 Q:ヘレマノのみなさんは楽しく仕事をしていますか? A:(ヘレマノのみなさん)お金を稼ぐのは楽しいよ! Q:仕事が合わなくて変えたいと思ったときは変えられますか? A:そうですね。でもどの仕事にも嫌な日がある。むっとしたり、がっかりしたり、生活していればそういうこともあってあたりまえですよ。Trouble is OK.  Tomorrow is a new day! 【今日の感想】 大石:一つの施設を作るのに、大変な努力と費用がかかっていることがわかった。スタッフがみな笑顔だったのが印象に残った。グループホームはグループホームとは思えないぐらいきれいで、自分のところとは全然違うと思った。施設全体が楽園のように思えた。 鳥井:大きな自然に包まれていた。一人ひとりに役割があり、みな自信と誇りを持っていると感じた。食事をする場所や談話室といった一つ一つの部屋が大きいことや、働く場としてのレストランやお土産屋さんなど、日本にはない規模の大きさだと思う。利用者の人たちはみな、僕たちにいろいろ話しかけるなど、自らアクションを起こしているのがすごい。自分が逆の立場だったらできるか?グループホームの部屋がきれいだった!旅行に行くのが目標になっていると言っていたが、目標が旅行だけなのか?自分だったら5年間旅行のためにお金を貯めるかな?政策の話(ホームレスの件)は、誰かが我慢しなければいけないのかな?と思った。 山﨑:日本でも一人ひとりを大切にすることをしてほしい。(今日は)初めてのところなので恐怖と不安でいっぱいだった。 岡野:施設全体がきれいだった。一緒に海外旅行に行きたいと思った。制度の説明や価値観についての話が聞けたので、日本に帰ったら団体や福祉活動に関わっているみなさんに伝えたいと思う。自分は「自由・平等・博愛」を大事にしている。明日もいろいろ話を聞いて、これからも一生懸命活動していきたい。 研修日② スコフィールド米軍基地内の食堂で職業体験 ・床清掃、テーブルとイス拭き、砂糖・胡椒等補充と各テーブルへセッテイング、窓ふき、ゴミ出し ・この基地内での仕事は、ヘレマノプランテーション内での職業訓練が終了した後の次のステップの一つ。他の基地などいくつか働く場所があり、いずれもグループ就労(職員付)の形を取っている。最低賃金が保障されている。 ・重度の方もグループの一員で、現実社会で役割を持っている。 ・基地内の特別な会議室清掃は勤務時間が特殊で、朝4時からの勤務なので施設を3時に出発し戻りは昼の12時頃。職員も付き添うため同じ勤務時間帯で働いている。働くまでには、FBIによる一人ひとりの厳重なバックグランド調査があり(職員も含む)、審査に合格した者でないとこの仕事には就けない。審査は3か月~6か月かかる。 【今日の感想】 大石:軍の中で働けると思っていなかったので、今日の経験は貴重だった。軍の中で障がい者が働くことは日本ではないこと。みなさんは自分の作業工程をきちんと覚えていて、生き生き働いていた。一緒に働いて楽しかった。 鳥井:窓ふきとゴミ出しを担当した。言葉が通じなくても、互いのコミュニケーションはある程度取れるものだと思った。日本の実習と違い、張り詰めた感がなく、途中でドリンクを勧められたり、やることはやりながらも、余裕もあるといった感じだった。送迎のバスに横から昇降できる車いす用のリフトがついていて感動した。いろいろ日本との違いを見て、自己決定は大事だと思った。 山﨑:米軍基地の中に食堂があることにびっくりした。基地で働けたことに感謝している(職業体験は)頭の中が混乱してしまった。みんな楽しそうに一生懸命働いていたことに感動した。日本では考えられない。日本の企業は障がい者を受け入れる姿勢がない。 岡野:普段なかなか入れない軍の基地の中に入ることができて良かった。同じ障がいを持ったみなさんが生き生きと働いている姿を見れたことも良かった。軍の中の仕事がどんなものかがわかり、体験もできて良かった。 研修日③ ミーティング~交流 <ミーティング> Q:ヘレマノで生活している利用者が「困った」場面はどのようなことがあるか? A(ジュビイさん):困ったことは、対人関係のトラブルが多い。施設を利用する前に「人には優しくしましょう」と伝える。モチベーションを上げる方法として「良いことをすれば良いことがおきる」と日ごろから話している。怒っている人がいたら、対人関係なのか、薬が変わったばかりなのか、親御さんと話をしたら落ち着きそうなのか、よく観察する必要がある。きちんとアセスメントをしてアプローチする。ケースワーカーに相談するなど、みなで解決方法を考える。 Q:意思表示が遠慮がちな人のSOSに対してのどのように支援しているか? A:同じ人として同じ目線で語りかけると、時間はかかるが自然に打ち解けて話しかけてくれるようになる。このスタッフにだったら話してもいいと相手に思ってもらえるように、「本当にあなたのことが知りたいのよ」という思いで話しかけている。2~3分であってもきちんとその人の話を聞くなど、相手を尊重し認めていることを伝える。やはり信頼関係が一番大事。 Q:基地で就労するまでどのような段階になっているか?個人の能力によるのか、一律の実習期間なのか。また、1か月の給料はいくらか? A:施設に入るときに、どのくらいのスキルがあるのかよく観察する。まずヘレマノで職業訓練する。職業訓練の期間は2週間~3か月間で個人の能力による。掃除には何(道具)を使うのか、どのように使うのかを訓練で学ぶ。ハワイは景気が良くないので、職を持つのは大変。競合相手が多い。プログラムがあって職業訓練をしているところが企業に安心されている。給料は1か月だいたい10万円。 Q:発達障がい者の支援機関はあるか? A:発達障がい(自閉症)の人に特化した支援機関はありませんが、手助けが必要な人に対する公的機関はある。グッドウィル社が高機能自閉症の方の雇用を進めていたり、イースターシールズが発達障がい者の支援をしていたり、色々な活動があります。 Q:発達障がいの人は社会でどのように受け入れられているか? A:アメリカの場合、「病気が人の形をしている」とは考えない。個人がたまたまそういう状態であると理解している。個人の特徴の一部としてみていこうという考え方。だからニーズは個別化され、サービスはカスタマイズされるべきだと考えています。特に福祉関係はその考え方がとても強い。障がいの法律にもそのように謳っている。 Q:支援をするうえで大切にしていることは? A:相手を同じ人間としてみることが大切だと考えています。 【3日間の施設研修の感想】 大石:フラダンスやブレスレット作りと普段経験できないことができ、カラオケはみなさんと一緒に楽しむことができて、とても良い思い出になった。ヘレマノのみなさんは、一人ひとり夢や希望を持って生活しているのが素晴らしいと思った。日本の福祉もよりよくなるよう願っている。 鳥井:FBIの審査を受けて、朝方~正午までという勤務時間の基地での仕事にびっくりした。日本でも基地がある市に、アメリカの基地での障がい者雇用の話をしたら仕事の道が開けないか?職業評価の段階も、個人の能力に合わせて2週間~3か月ということで、一人ひとりに沿った決め方が大事だと思った。カラオケが一緒にできて楽しかった。「君も歌いなよ」と言われ、逆の立場だったら自分はそんなふうに言えるかな?と考えた。日ごろあまり味わえないことを体験した。印象に残っているのは、施設のみんなが笑顔だったこと。環境が大事なんだなと思った。ヘレマノのような施設が日本でも増えて、日本の福祉がよくなってほしい。充実した研修内容だった。ハワイには今度また個人で気軽な気持ちで羽をのばして来たい。 山﨑:フラダンスをしたりブレスレットを作ったり、カラオケしたり、ヘレマノの人と交流した。最後のあいさつで、自己紹介が自分からできたのが良かった。1日目は声も出なかった。基地で体験実習したり、ヘレマノのことがわかって良かった。不安と緊張で大変だったけれど、2日目、3日目と慣れてきて楽しかった。ヘレマノは差別をしないところ。スタッフの笑顔が素敵だった。日本は差別をする。 岡野:今日はブレスレットと天使の人形を作った。人形作りに時間がかかり、カラオケに参加できなくて残念だった。参加できなかったので写真を撮った。フラダンスが踊れてよかった。ヘレマノはアットホーム。みんなが打ち解けていて、いい雰囲気だった。ありのままの姿をスタッフに出している。研修内容のすべてが良かった。自分が通っているポレポレもヘレマノと同じようなところなので安心した。地域社会ではポレポレ以外は過ごしにくい施設が多い。社会の受け皿だけが増えてもだめだと思う。人々の考えや支援者の考え方を変えていきたい。安心して住める社会、緊張せず気楽な気持ちで暮らしたい。これからもボランティア精神でますます頑張りたいと思った。 「違いを認め合う文化」との 出会い 武居光 研修生4人、支援者3人あわせて7人でハワイの福祉施設で1週間を過ごしました。   7人がそれぞれの発見をしよう。「ディスカバリー7」はそんな思いを込めたネーミングです。   月曜から3日間、私たちはオワフ島の中央部にあるヘレマノ農園という知的障がい者福祉施設に通い、そこで米国の知的障がい者がどのような支援を受けているかを見せて頂きながら、2日目からは職業訓練などに「利用者」として参加させていただき、日本では得られない貴重な体験を積みました。 「日本とはちがう!」初日が終わってホテルに戻った4人はこう連発しました。「職員に余裕がある」「話がわかりやすい」「やさしい」「明るい」というのがその理由です。(耳が痛い!)   2日目の感想は「仕事が楽しかった!」「ゆとりがあった」(確かに!)   3日目の感想は「職員は利用者にちゃんと人間として付き合っている感じがした」(本当に!) 全米の中でもハワイ州はけっして福祉先進州ではありません。しかしハワイ州の障がい福祉の魅力は、50番目の州として多様な人種と背景をもつ人々が「違いを認め合う」「同じ人間として付き合う」ことを鉄則とする移民の国アメリカのよきモラルと平和と共存に価値を置くハワイ独自の伝統文化がいきいきと息づいているところにあります(ヘレマノ農園のキャッチフレーズは「アロハが始まる場所」です)。   研修生たちはわずかな滞在でしたが、こうした日米の人間観の違いに鋭く気づき、同時に励まされました。そしてこの貴重な体験は、4人の研修生が障がいを持ちながら生きていく時、そして先輩リーダーとして誰かを支える時、大きな糧になっていくことと確信しています。さらに研修期間中、研修生・支援者が互いに自然にうちとけあうなかで、普段なら話題にしないような人生や社会について色々な話ができたことも大きな収穫になったのではないかと思います。改めて、実りの多かったこの研修を応援してくれた皆様に感謝したいと思います。ありがとうございました。 ジュニアリーダー育成グループ研修(視覚障がい者ユースグループプログラム)研修報告  障がい:視覚障がい 研修期間:2014年8月8日~8月19日 研修国:イギリス 研修テーマ:①日常生活・情報・文化・教育・就労等における障がい者のアクセシビリティについて学び、体験する   ②障がい者の自立に向けた努力や取り組みについて知る   ③障がい者リーダーの活動状況や想いに触れる   ④異文化体験をする   ⑤自立への意識・コミュニケーション力・他人への思いやり・リーダーシップ等の向上を図る 研修先:Marsden(マースデン)村、国立炭鉱博物館、      ヨークシャー彫刻公園散策、セイントポール大聖堂      RNIBプロダクションセンター、ロイヤルアルバートホール、ロンドンアイ、大英博物館 研修生:佐川 慧さん(東京都・大学生)、道原佳歩さん(東京都・大学生)、野澤幸男さん(東京都・高校生)、執印優莉亜さん(東京都・高校生)、伊山功起さん(福井県・高校生)、藤原なるみさん(愛媛県・高校生) スタッフ:佐藤紀子さん、城間梨絵さん、鈴木 彩さん、高橋優子さん、千葉寿夫さん、中村里津子さん 通訳:宮﨑晶子さん アドバイザー:青松利明さん(実行委員) 「自分の障がいをどう隠すかではなくどうカバーするかが重要」 ・はじめに   2014年8月8日から19日まで、イギリスにおいて高校生から二十歳までの若い視覚障がいのある生徒・学生を対象に12日間の研修プログラムを実施しました。   研修の前半は、イギリス・オールダム教育局 特別なニーズ支援部視覚・運動障がい児チーム 代表のKay Wrench(ケイ・レンチ)先生ご夫妻が宿泊施設に一緒に泊まり込んでくださり、コーディネートをしてくださいました。また後半は、RNIB(英国盲人協会)児童・青年・家庭支援部長のJulie Jennings(ジュリー・ジェニングス)氏にプログラムのコーディネートの協力をいただき、研修を実施することができました。宿泊は、前半が野外教育センターとホームステイ、後半が大学の学生寮でした。前半は自然豊かな地方に、後半は大都市に滞在しながら、視覚障がい当事者やその関係者との交流、イギリス文化の体験、教育や雇用・アクセシビリティに関する学習等、多岐に渡る研修をおこないました。 ・研修を終えて(研修生) 1)伊山 功起   振り返ってみると内容の濃いとても充実した毎日で、一日一日がとても印象に残っています。最初は少し不安だったこの研修も、気付けばあっという間に過ぎてしまいました。異文化に触れ、人と関わり、学んだこと、感じたことはとても貴重なものでした。この研修をきっかけに出会えた仲間たちをこれからも大切にして関係を続けていきたいと思います。 僕は研修中、特に心に残ったことが二つあります。一つ目は博物館の見学についてです。日本では、展示物を壊してしまわないように触ることを禁じている博物館や美術館がたくさんあります。一方、イギリスでは視覚障がいがあることを伝えれば展示品のいくつかを触ることができます。それは、訪れてくれた人に楽しんで欲しい、知って欲しいといった気持ちが日本よりも強いからではないかと思います。日本でもイギリスの博物館や美術館にあるような展示物のタッチツアーをもっと設けてほしいと思いました。イギリスのような本格的なものはいきなりできないにしても、まずは作品に触れてもらうということに対する抵抗感をなくしていってほしいです。   二つ目は英語についてです。僕は今回の研修では英語を使っての会話や質問がほとんどできませんでした。中途半端な英語で自分の言いたいことが変わってしまうことを避けたかったからです。ただ、それでは自分の思いや意見を素直に自分の言葉で伝えることはできません。だからもっと英語力を付けて、自分の思いを自分の言葉で伝えられるようになって、またイギリスに行きたいと思いました。 2)佐川 慧   研修の内容には、視覚障がい者に対する教育や雇用の現状、テクノロジーについてなど、学習的な内容はもちろんですが、ミュージカルやコンサートといった文化・芸術色の強いものも含まれていて、さまざまな分野をまんべんなく体験出来るように日程構成がなされていました。スタッフの方々も研修生の希望をしっかりと聴いて下さった上でこのようなカリキュラム構成をおこなってくださり、大変充実した12日間を過ごす事ができました。   最初は私自身、人見知りの上にはじめての海外ということもあり、全日程を健康に楽しく過ごせるのかとても不安でしたが、研修生のみんなもスタッフの皆様もとても気さくで、すぐにそのような不安はどこかに行ってしまいました。そして最終的には、日本に帰ってみんなと別れるのが少し寂しくなってしまうほど、楽しく、実りある研修でした。  私はこの研修を通して、これまでの自分の障がいに対する考え方が少し変わったように思います。それこそ障害者手帳を持っているのが嫌になるくらい、私は自分の障がいをとても悲観的に捉えていました。もちろん頭の中では、障がいを持っているという事は恥ずかしいことでもなんでもない。というのは分かってはいました。しかし、それを自分の中で完全に納得するという事はどうしても出来ませんでした。しかし今回、イギリスで視覚障がい者の現状を実際にみて学んだり、研修生のみんなと一緒に過ごしたりするうちに、自分の障がいをどのようにすれば隠せるのかではなく、どのようにすればカバー出来るのかが大事であると気づく事が出来ました。   視覚障がいをはじめ、障がい者が置かれている現状は世界的にも決して芳しくはありません。なので、私は将来、自分の経験もふまえて、障がいのある人が周りの理解を得て、社会で出来る限り快適に生きていく事が出来る様に、少しでも力になりたいと思っています。   最後になりましたが、こうした研修を企画して下さった公益財団法人ダスキン愛の輪基金の皆様、研修においてサポートして下さったスタッフの皆様、背中をおしてくれた家族、そして共に学んだ研修生の皆さんに心からの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。 3)執印 優莉亜   心待ちにしていた12日間もあっという間に過ぎ、蒸し暑い日本でこの報告書を書いています。   日本とイギリスの決定的な違いは、何より国民性でした。日本人は何か手助けをするときに「やってあげる」という精神がどこからか顔を出しています。しかしイギリス人は「連れていく」ではなく「一緒に行く」精神なのです。ハンディをカバーするためにお世話しすぎず、冷たすぎないサービス精神が国中に溢れていると感じました。   そしてみんな仲がいいこと。初めて会う私たち日本人にも、前から友達のように接してくれたので心がとても和みました。日本人は、人と人とのつながりに対して臆病になりがちで、相手の特性を知るまでなかなか心を開かない部分があるので、もっとイギリスを見習うべきだと感じました。   今回の研修で視覚障がい者の社会的立場は世界的にも低い所にあるということを実感しました。平等な社会が生まれるのにはまだまだ時間がかかるのでしょう。この現実は障がい者として残念なことですが、その分できることがあるという意味にも私は感じ取れます。   小学生の時から夢見ていた留学への思いもより一層強くなりましたし、支えていただいている皆様の思いに応えられるような障がい者リーダーを目指していく良いきっかけとなりました。研修で出会った現地の学生とは今後も交流を続けていきたいです。また、自身のスキルアップをはかるとともに、世界の視覚障がい者の社会的立場を向上させるために努力していきたいです。 4)野澤 幸男   今回の研修は、12日間と言う短い期間でしたが、文化交流・野外活動・教育・アクセシビリティ・芸術・歴史学習など、本当に素晴らしいプログラムが詰まっていました。私にとってははじめてのことがたくさんあって、毎日新鮮な発見ばかりでした。   そして、それらの体験は本当に私を成長させてくれたと思います。具体的に何がよかった、これが面白かったというだけではなく、もっと深い意味で、この研修はほんとうにすばらしい経験となりました。   今の自分には何が足りなくて、これからの自分には何が必要で、そのために自分はどうしたらよいのか。自分はこれからなにをしたいのか、それを実現するために、どんな能力を習得し、どこを目標に進めばよいのか。現在自分の進路を本気で考えなければならない時期にさしかかっている私には、簡単には答えを出せない疑問や葛藤が多くあります。自分の能力に自信が持てずに、それでも今の目標を達成できるのか、自分が果たして社会に出て働いていけるのか、不安になることもよくあります。   そういった山積みの問題の答えとなるヒントを、今回の研修でたくさんもらいました。直接の答えに結びつくわけではありませんが、何かのきっかけでそれらのヒントがつながっていき、なにか新しい道が開けるときが来るかもしれない。そんなすばらしい体験をたくさんさせていただけた12日間でした。   最後に、この研修を企画してくださった方々、事前準備や研修のサポートをしてくださった友人・アドバイザー・スタッフの皆様、そして研修旅行への参加を許可し、暖かく支援してくれた家族に感謝したいと思います。皆様、本当にありがとうございました。 5)藤原 なるみ   終わってみたらあっという間の12日間でした。毎日が充実していて、行く前に感じていた不安など思いだす暇もないくらいでした。   オールダムで受け入れをしてくださったケイ先生の話やRNIBでの研修を通じて、日本でインクルーシブ教育を行うには情報の共有が大切であると感じました。日本にも点字や音訳された図書をダウンロードできるサピエというサービスがありますが、学齢期に必要な教科書や参考書は数が限られており、個人的にボランティアの方に頼むのが一般的です。しかもその情報が共有されることはほとんどありません。最近の教科書は写真や図が多く、視覚障がい児にとって(特に点字使用者にとって)非常にわかりづらいです。一方、イギリスでは最近、視覚障がいのある子どもたちのために、展示や音声、拡大が可能な電子教科書のデータベースであるロードトゥーラーン(Load 2 Learn)というシステムがあります。これが日本でも広がれば、どこにいても必要な教材が手に入るようになります。自分の望む場所で教育を受ける子どもたちが、形だけのインクルーシブ教育ではなく、実りある教育を受けるために、まだまだ日本では体制が整っていないと痛感しました。   スタッフの方々が研修生の意見を取り入れて下さったミュージカルやコンサート、アフタヌーンティー、イギリスの地下鉄やバスなどの体験はどれも楽しく、今回の研修で初めての経験をたくさんすることができました。   今回この報告書を書きながら、研修生を選考するための面接から始まった、研修生としての日々を思い出しています。大阪、東京での事前オリエンテーションを経てイギリスでの12日間を無事終えたことにとても誇りを持っています。もちろんたくさんの方に迷惑や心配をおかけしました。一人では決してできないことでした。この研修に同行してサポートして下さったスタッフのみなさま、いつも優しく助けてくれた研修生のみんな、応援してくれる家族、先生、友達すべての人に感謝したいと思います。本当にありがとうございました。 6)道原 佳歩   私は、この研修を通して2つのことを学びました。   1つ目は、現地の人の話を直接聞くということの重要性です。今回、私たちはイギリスの視覚障がい教育について学ぶ機会が多くありました。そのなかで、実際にオールダムで視覚障がい教育支援をしている方や、RNIBで視覚障がい児用の教科書の作成を担当している方のお話を聞き、これまで日本で学んだり考えたりしなかったことにたくさん気づきました。例えば、イギリスではインクルーシブ教育が進んでいますが、学校の授業の支援は充実していても、友人との人間関係や自立に悩みや困難を抱えている視覚障がい児はたくさんいます。このように、私はインクルーシブ教育にも課題点や問題点がたくさんあることを改めて知り、一概にはこの教育制度を見習うべきだとは言えないと思いました。   そして私はこの研修を終え、以前から興味を持っていた視覚障がい教育についてもっと知りたくなりました。今後はこの研修で学んだことを生かし、机上以外の勉強もたくさんしていきたいです。イギリス以外の国にも、どんどん行ってみたいと考えています。また、偏りや思い込みにとらわれない見方ができるよう、さまざまな視点からの学びも大切にしたいと思いました。   2つ目は、現地の人たちと親しくなるためには、こちらが現地のことをただ聞くだけでなく、日本のことをたくさん伝えることも大切だということです。今回私たちが交流した現地の視覚障がい学生たちは、最初日本のことをほとんど何も知らず、ただこちら側が一方的に質問ばかりするという状況でした。しかし、それではなかなかコミュニケーションがうまくとれなかったので、私は異文化交流パーティや普段の会話の中で、彼らに日本文化や私たち日本人の日常生活の様子についてたくさん話してみました。すると、イギリスと日本の学生の共通点やおもしろい違いが見つかり、会話もだんだんと弾むようになったのです。結局、彼らが日本に興味を持ってくれたかはわかりませんが、私は、ただ受け身になって学ぶのではなく、自分から情報を発信していくことでさらに良い勉強ができる時もあるのだということに気づきました。これからは、この経験を大学での学習や将来目標としている留学にもつなげていきたいと思います。   この12日間、スタッフの方のサポートや他の研修生のおかげで、私はとても充実した研修をすることができました。今後は、長期の留学や将来の目標に向けて、今回の研修で学んだことを生かしながら、語学力の向上を目指すと共に、興味のある視覚障がい教育について幅広く学んでいきたいと思います。皆さん12日間本当にありがとうございました。 おわりに   研修全体のアドバイザーとして、研修生・スタッフの全員が病気や怪我も無く、無事に帰国できたことに安堵しております。また、ハードスケジュールにも関わらず、全員がすべてのプログラムに参加することができ、充実した時間を過ごせたことをうれしく思います。   ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業の実行委員として、このようなジュニア研修を企画・実施することは、私の希望でもあり夢でした。それは私自身が高校時代に1年間アメリカに留学し、異文化の中で生活・学習をすることで、その後の生き方を左右するような大きな刺激を受けたからです。今回は短期間ではありましたが、各研修生のまとめを読むと、彼らが様々なことを学び、大きなインパクトを受けたことが伝わってきます。   高校生・大学生という若い世代の視覚障がい者が直接異文化にふれ、同年代の視覚障がい当事者と交流し、アクセシビリティについて知り、視覚障がいのある人のための最新のサービスを学ぶという体験は、彼らの将来にとって意義のあることだと思います。これらの経験を通じて、かけがえのない財産を得ることができたに違いありません。  忙しい中、参加してくれたスタッフの協力がなければ、この研修は実現できませんでした。研修生の健康管理、記録のための写真や動画の撮影、レストランの検索や選定、地図の確認、細かな会計作業、宿泊施設や飛行機・鉄道の予約、各施設との連絡・調整など、さまざまな役割を分担しましたが、スタッフ間のチームワークの良さが研修の成功につながったものと思います。   この場をお借りして、公益財団法人ダスキン愛の輪基金、スタッフのみなさま、さまざまな形で研修生を応援し送り出してくださった保護者や各学校の先生方、イギリスでの受け入れをしてくださったレンチ先生をはじめ多くの方々、その他支援してくださったすべてのみなさまにお礼申し上げます。 青松利明(アドバイザー) 公益財団法人ダスキン愛の輪基金 〒564-0063 大阪府吹田市江坂町3-26-13 TEL.06(6821)5270 FAX.06(6821)5271 http://www.ainowa.jp