ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業 第37期(2017年度)研修派遣生報告書「自立へのはばたき」 第37期研修派遣生(敬称略) 個人研修生 森 雄大(もりゆうだい) 宮城千恵子(みやぎちえこ) 齋藤智子(さいとうともこ) スタディ・イン・アメリカ研修生 林田光来(はやしだみく) 大塚里奈(おおつかりな) ミドルグループ研修生 斎藤新吾(さいとうしんご) 生井祐介(なまいゆうすけ) 鈴木仁美(すずきひとみ) ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業実行委員会 委員 (敬称略)(任期:2019年4月1日〜2021年3月31日) 青松利明(あおまつとしあき)筑波大学付属視覚特別支援学校教諭 青柳まゆみ(あおやぎまゆみ)愛知教育大学障害児教育講座准教授、本研修派遣事業第18期研修派遣生 金塚たかし(かなづかたかし)大阪精神障害者就労支援ネットワーク統括所長 尾上浩二(おのうえこうじ)DPI日本会議副議長 小林洋子(こばやしようこ)筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター講師 長瀬 修(ながせおさむ)立命館大学教授 福田暁子(ふくだあきこ)全国盲ろう者協会評議員 国際協力推進委員 世界盲ろう者連盟事務局長 小林昌之(こばやしまさゆき)日本貿易振興機構アジア経済研究所 主任調査研究員 ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業とは   1981年、障がい者の社会への完全参加と平等の実現をめざして国連で決議された「国際障害者年」にちなみ、地域社会のリーダーとなって貢献したいと願う障がいのある若者たちに、海外での研修の機会を提供する「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」がスタートしました。   1982年に10名の研修派遣生を初めてアメリカへ派遣して以来、これまで38年間に延べ512人の研修派遣生を輩出し、帰国後その多くの方々が全国各地で、自立生活運動、政治、学術、教育、スポーツなど様々な分野でリーダーとして活躍されています。   今回の「自立へのはばたき」は、2017年度(第37期)の研修派遣生の研修報告書をまとめさせていただいたものです。個人研修生3名とスタディ・イン・アメリカ研修生2名とミドルグループ研修生3名が、夢と希望を持って世界各地で、何を感じ、何を学んだかをぜひご一読ください。   第37期研修派遣生の皆様、研修をサポートされたスタッフの方々、ご関係者の方々、愛の輪会員の皆様のお力添えに対しまして、改めて感謝申し上げますとともに、今後も「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」に格別のご理解とお力添えを賜りますよう、心からお願い申し上げます。 ※研修報告書の研修生のプロフィールは、研修期間中のものです。 ※障害の「がい」の文字表記について 事業名称等定款に記載されている文言並びに法律用語については従来通りの漢字表記とし、それ以外については「害」を「がい」とひらがな表記とさせていただきます。 ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業の流れ(第37期研修派遣生) 2016年7月1日 募集開始 2016年11月15日 募集締切 2017年 1月 書類選考 2017年 2月19日 面接審査 2017年 3月 研修派遣生決定 2017年 3月25日、26日 事前研修会 2017年 5月   壮行会 2017年 7月28日〜12月19日 スタディ・イン・アメリカ研修生派遣 2017年 11月11日〜24日  ミドルグループ研修生 いばけんつ研修派遣 2018年 3月7日〜2019年1月23日 個人研修生 齋藤智子さん研修派遣 2018年 3月17日〜2019年2月10日    個人研修生 宮城千恵子さん研修派遣 2018年 4月4日〜2019年3月17日     個人研修生 森雄大さん研修派遣 2019年 3月29日 成果発表会 個人研修生 森 雄大さん 視覚障がい 福島県 研修期間:2018年4月4日〜2019年3月17日 研修国:アメリカ マサチューセッツ州 研修機関:Boston Center for Independent Living 研修テーマ:障がいのある若者が自分の権利を理解し、自立して学ぶためにどのような支援がなされているのかを学ぶ 研修目的:ボストンの障害者自立生活センターで実際に障がいのある若者を支援する立場で現場でどのような支援がされているのかについて学ぶ タイトル 「障がいのある若者が自分の可能性を信じ、地域で活躍できる社会を実現するために」 はじめに    私はBoston Center for Independent Living(以下BCIL)という、1972年にアメリカで二番目に設立された障害者自立生活センターで1年間研修を行ってきました。BCILでは多様な障がい、多様な年齢層の障がい者に対して、病院や障がい者施設といった、自分の生活をコントロールできない場所ではなく、地域で自己決定をしながら暮らしていくための支援を提供しています。障がい者に対して、低所得者向け住宅サービスに関するワークショップの運営や障がい者向け生活保護、ヘルスケア制度への申請支援、就職や進学支援、介護サービスを受けるための支援、障がいのある若者向けのワークショップ等を運営しています。    また上記のような個人向けのサービスだけでなく、他の障がい者支援団体と協力して、障がい者に関連する政策の改善のために、当事者として声を上げることで、政治家に働きかける活動も数多く行っています。   個人研修に応募したきっかけ    私が障がいのある若者の自立について関心を持ったきっかけは自分の体験にありました。私は小学校から高校まで通常学級で他の生徒と同じ教室で学んできました。他の生徒同様に、紙に印刷された教科書と紙のノートを使用し、授業を受けていました。しかし大学入学後、私は自分にとってより最適な方法は紙の教科書の代わりにデータの資料をパソコンやタブレットの音声読み上げ機能で聞き、キーボードを使ってノートテイキングをすることだと気づきました。その旨を大学側に伝え、それらの機器の講義および試験時の使用を合理的配慮として認められました。この経験から、私は人それぞれの特性に応じて、最適な学びの手段が異なること、その違いを受容すること、そして自らで自分のニーズを主張することで学びやすい環境を整備することが、障がいのある子どもが通常学級で他の生徒と共に学ぶために重要なのではないかなと考えるようになりました。 それと同時に日本では全体の大学生に占める障がいのある学生の割合がアメリカに比べて圧倒的に低いことを知りました。その現状を知った時、私は日本は小学校から高校の段階で、障がいのある子どもが自分に適した方法で教育を受けることができていないからなのではないかと仮説を立てました。そこから、ではアメリカでは障がいのある子どもはどのようにして彼らの学ぶ権利が保障されているのかについて関心を持ちました。これが私が個人研修に応募したきっかけでした。 研修準備  研修準備で私が最も苦労したことがビザの取得でした。過去の個人研修生がアメリカの別な地域のCenter for Independent Livingで研修をした際、B1という短期商用・観光訪問者ビザを取得したと愛の輪事務局からアドバイスをいただいたため、私も同様のものをアメリカ大使館に申請しました。しかし大使館での面接時、面接官から私が取得すべきは学生ビザなのではないかと指摘されました。私は自分はアメリカでは学校には通わないこと、個人研修生として現地でTrainingを受けることを説明しましたが、聞き入れてもらえず、追加書類を求められました。その後研修機関や事務局、同期や先輩の研修生からのアドバイスをいただきながら、複数回の追加書類の提出を経て、2ヵ月以上かけて無事B1ビザを取得することができました。 研修中の外国語でのコミュニケーション  個人研修に応募する以前から私は英語を話すことに関心がありました。大学では留学生とほぼ毎日英語でコミュニケーションをする時間を設けていたため、実際にアメリカに行く段階では、日常会話では特に困らないのではと思っていました。しかし研修を始めてみると、ネイティブの話すスピードや、他の国出身の人の独特のアクセントによって聞き取りが困難だったこと、大学で話していた時には出会わなかったような専門的な用語が頻出したことがあいまって、研修でのコミュニケーションには苦労しました。そのため研修を始めた頃、頻出するフレーズを暗唱して話したり、聞き取れなかった時は何度もSay it again please?(もう一度いいですか?)と聞き返すことを続けていくことで、自然に耳が慣れていきました。また文法的には正しくなくとも、単語を並べて自分の伝えたいことを話すことを続けていくうちに、頭で考える言いたいフレーズがすぐに言葉として出てくるようになりました。海外に行ったことのある多くの人が言うように、たとえ正しくなくとも自分の英語に自信を持って話すことが重要だということは本当なんだなと実感しました。 研修内容    私はBCILではアドボケイトという立場で研修を行いました。BCILのサービスを必要としている約30ケースの障がいのある若者や大人を担当しました。障がいのある若者に対しては、彼らの高校卒業後どのような進路があるのかについてや彼らが大学に進学した際、どのような支援が必要で大学の障がい学生支援室にどのようにアプローチをしたら良いのかについてメンタリングを通して共に考えました。また個人およびグループに対して自立生活に必要な公共交通機関やお金の管理、就職のための履歴書作成および面接対策、そしてリスク管理やコミュニケーションについてのスキルトレーニングを担当しました。  大人の障がい者に対しては、主に低所得者向け住宅補助サービス申請の支援やヘルスケア制度申請の支援、就職支援や障がいを理由に不当な取扱いを受けた障がい者の権利擁護のためのアドボケイト活動に取り組みました。  さらに障がい者の自立生活に関する政策改善のための社会運動にも参加し、当事者が自らが声をあげ、障がい者コミュニティが連携して社会を変えていこうという活動を何度も目の当たりにすることもできました。  それと同時にボストンにある障がいのある若者がコミュニティで活躍することを支援する複数の団体や視覚障がいおよび重複障がい者向けの特別支援学校、大学の障がい学生支援室へ訪問し、担当者にインタビューをしました。さらにカリフォルニアで開催された支援機器の展示会にも参加してきました。 研修による自分の変化  私は障がいのある若者のスキルトレーニングやメンタリングを担当したことで、障がいのある若者を支援する上で重要な4つについて気づくことができました。    第一は彼らとの関係性の構築です。一般的に大人の障がい者は自分自身でBCILからのサービスが必要であると判断し、団体にコンタクトを取ってきます。    それに対し、彼らの場合親や教師といった周囲の人間が団体にサービスを求めることが多いです。そのため実際に彼らとミーティングをした際、彼らにとって現状何が必要なのか、BCILに何をして欲しいのかを尋ねても、なかなかはっきりした答えが返ってきません。そもそも自己決定の能力が欠けていて、自分のニーズを伝えることができなかったり、自分の障がいによる困難さをきちんと把握できず、結果何も必要ないと言う子どもたちがたくさんいました。    故に彼らを支援する際は、時間をかけてコミュニケーションをとることに重点を置きます。    学校や趣味の話といった、BCILのサービスとは関係ないことも含めて多く話すことによって、まず彼らのアドボケイトに対する警戒心を減らし、彼らがより自分のことについて話しやすい環境を作ります。そうすることで彼らがよりアドボケイトに対してオープンになり、彼らをより支援しやすくなるのです。    第二は相手の能力に応じた柔軟な内容の調整です。これは特にグループのケースを担当するときに気をつけるべきことです。グループのスキルトレーニングでは実際に高校へ行って、5人から10人程度の子供達を一度に請け負います。グループワークに参加する彼らは考える力やコミュニケーションの力も障がいの特性上異なります。トレーニングの内容が簡単すぎると、能力の高い子供達にとってはとても退屈な時間になってしまう一方で、能力の高い子供達に合わせた内容では、一部の子供達にとってはついていけないものになってしまいます。そのため同じ内容のワークでも、人によって難易度を変えるのはもちろんですが、質問の仕方や解答の仕方といった細かい部分を変更、調整することで、一人でも多くの子供達がグループワークを楽しむことができるように工夫する過程がとても勉強になりました。   第三は親や教師といった、彼らの周囲の人間とのコミュニケーションについてです。    多くの場合、障がいのある若者本人ではなく、親や教師がBCILに彼らのためのサービスを求めてコンタクトを取るため、彼らの状況を把握するという意味でも彼らを取り巻く周囲の人間と話す機会も数多くあります。親や教師と話していると、彼らが子供達に望むことと、実際に子供達がやりたいと思っていることが異なる場合がよくあります。例えば親は子供に大学に行って欲しいと思っている一方で、当事者は働きたいと考えていたり、先生はその子が感情のコントロールがときに困難があるため、大学ではその子をなだめるための支援員が必要であると考えているのに対し、その子自身は自分には全く人間関係で問題がないと思っているケースです。    そのような場合は両者の意見を聞き、親や教師がどのように話していたのかについて、子供に話した上で、最終的にはその子自身がやりたいことをアドボケイトは支援します。なぜなら自立生活で重要なことは自己決定であり、自分の意思決定に責任を持つことだからです。障がいのある子供の多くはそれまでに主に親が先回りして彼らに必要なことを揃えてしまうがゆえに、彼ら自身で何かを決める機会が少ない傾向にあります。したがって、親や教師が望むものももちろん重要ではありますが、最終的に子供自身が望むものを自分で決め、それをアドボケイトが支援することが、彼らが将来自立するために非常に重要であると学ぶことができました。    そして第四は障がいのある若者に将来の選択肢を示すことの重要性です。個人やグループを担当していく中で、私は彼らが目にする障がいのある大人の働く姿はとても限定的であることに気づきました。そもそも日本と同様にアメリカでも障がい者の就職率はあまり高くありません。そのような状況で彼らが出会う障がいのある大人はBCILで働いているスタッフのように障がい者支援や福祉の分野で働いている人がほとんどです。もちろん障がい当事者が自分の経験等を生かして、福祉の分野で働くことは非常に価値のあることです。しかしその一方で子供達がその分野でのみ働いている人の姿だけを見たならば、彼らが働くことを考えた際に、選択肢が限られてしまうのではと考えるようになりました。故に、より障がいのある若者が社会の多方面で活躍する社会を目指すには、スポーツや芸術といったものだけでなく、販売、営業、技術職、ジムといった社会人の多数派が従事している分野ですでに活躍している障がいのある大人と彼らを引き合わせる場所を作ることだと思うようになりました。これは帰国後日本で取り組んで行こうと計画しています。 おわりに    私にとって、知り合いが一人もいない異国の地で1年間、人生で初めてのフルタイムの研修に取り組むことは非常に多くを与えてくれました。BCILで毎日多様な障がいのある人と関わる中で、自分の障がいや障がい者が直面する社会の構造がもたらす不利益についての価値観も大きく変わりました。そして障がいの有無にかかわらず、自分の好奇心や専門性、強みを生かして仕事に取り組んでいる障がい者の姿を多くそばでみたこと、また自分自身も障がい者のケースを担当して彼らを支援したことは私にとって自信にもなりました。さらには世界に誇る学園都市であるボストンという土地で、研修の外でも非常に多くの素敵な出会いをして、多くの人から刺激を受けることもできました。私にとってボストンでの1年間の生活はかけがえのない時間でした。    このような素晴らしい機会を私にくださった、ダスキン愛の輪基金、ミスタードーナツ、アドバイザーの青松先生をはじめ、この事業を支えてくださった本当に多くの方々、研修中に支えてくださったBCILのスタッフや37期の研修生、そしてこれまでずっと支えてくれた家族には本当に感謝申し上げます。この研修での学びを自分だけのものにするのではなく、社会に還元することで、社会をより良い方向に導く一ピースとなるため、これからも精進していきます。 個人研修生  宮城 千恵子さん 肢体不自由 沖縄県 研修期間:2018年3月17日〜2019年2月10日 研修国:アメリカ アリゾナ州 研修機関:DIRECT Center for Independence  NCIL(National Council on Independent Living)、他 研修テーマ:ピアカウンセリングを用いた障がい者のエンパワメントについて 研修目的 ピアカウンセリング・ピアサポートの重要性を主に学ぶ。パワーロスの状態からどのようにエンパワーされるかに重点を置く。 関わり合いを通して当事者・支援者双方の変化を観察する。DIRECTのプログラム参加、NCIL参加、他CIL(Ability360)・アリゾナ大学内(Disability Resource Center)の他、 地域コミュニティを見学。 障がい当事者へのインタビューを通して、彼らの変化と地域社会との関わり方を学ぶ。 タイトル 「人との出会い・かかわりはエンパワメントのキッカケ」 はじめに    私は交通事故が原因で骨盤損傷し、両下肢機能全廃の障がいを持っています。退院後は10数年程、福祉とは全く畑違いの分野の仕事に就いておりましたが、自分の経験を社会に活かしたいと考え、現在は大学で福祉を学んでいます。もともとカウンセリングを学んだことがありましたが、障がいを持つ「仲間(ピア)」同士で、自身の経験や思いを語り合うことで思いを共有、課題解決に導く一端を担う手段のピアカウンセリングに興味を持ち、その発祥の地であるアメリカにおいて、ピアカウンセリングを通して障がい者がどのようにエンパワメントされ、地域で生活しているのかを直に学びたいと思っていたところ、ミスタードーナツ店舗で本事業のパンフレットをみつけ挑戦するに至りました。 研修地アリゾナ州ツーソン    私は米国アリゾナ州南に位置するツーソンという田舎町にある、自立生活センター「DIRECT Center for independence」を拠点にし、2018年3月から2019年1月まで「ピアカウンセリングとエンパワメント」をテーマに、障がいが原因でパワーロスになった状態からどのようにエンパワメントされるかを学びました。DIRECT内の各プログラムへの参加を中心に、同州内他施設の見学・議員会館へのロビー活動・ワシントンDCでのNCILカンファレンス・シカゴでのDisability Pride Paradeへの参加に加え、アリゾナ大学で活躍する学生や社会人を対象としたインタビューを行いました。加えてツーソン地域のアクセシビリティチェック等を積極的に行いました。    アリゾナ州にCILは4ヵ所あり、DIRECTは州南地域全域〜メキシコ国境まで担当しており、障がい者の自立した地域生活の支援を行っています。ツーソンはアリゾナ州の南に位置し、メキシコ国境までは数時間の場所です。「アリゾナ」と聞くと最初にサボテンと砂漠を連想する方が多いと思われるのですが、ツーソン国際空港到着時に大きなサボテンが目に入り、街中には大小様々なサボテンがあちこちに点在するツーソンは、「アリゾナらしい地域」だと言えるでしょう。年間平均気温が20度前後、空気はカラッと乾燥しており非常に過ごしやすい場所でしたので、暖かい地域での研修を希望していた私にピッタリの地域でした。    プログラムは主に交通プログラム・ピアカウンセリング・ハウジングサポートを中心に展開しています。これは電車が一部(大学周辺の路面電車と貨物用)にしか普及していないツーソンならではの内容です。市内の高等学校で行われる相談会においても、バス(公共バス・支援バス)の利用の仕方など、移動訓練する交通プログラムへ興味を示す相談者が最も多いです。  何を求めてこの会場にきたのかという目的意識が多くの参加者から感じられ、且つ「誰の目的なのか」が明確でありました。保護者としての希望があっても、まずは本人の希望を優先するという自己選択・自己決定の尊重が見られました。これまで参加したプログラム全てにおいて「自己」が尊重されているのは基本であり、NOTHING ABOUT US WITHOUT US の精神が広くアメリカ社会に浸透していることを実感しました。 最初の関門、研修・滞在先 決定とビザ申請    自身で研修内容を組み立て、研修先や滞在先を探し、交渉することは本事業の一番の魅力です。研修先・滞在先・期間・研修内容など、何度も交渉を重ね、研修を組み立てる。簡単に受入れ承諾を得られるわけではなく、道のりは決して容易ではありませんが、悩むプロセスも含めて、全てが今後の己の成長に繋がる貴重な体験です。私は当初希望していたCILには受入れ了承を頂けなかったのですが、同じ州のCILへ紹介をしてもらい、受入れの運びとなりました。時差もあるとはいえ、レスポンスが考えていたよりも遅いことが多く、何も決まらないまま時間だけが過ぎていくようで、焦りばかり募り、期限まで間に合わないのでは・・と不安もありました。特に返事を催促することは相手に対して失礼なのでは、という思いが強く、なかなか催促が出来ず鬱々とした日を過ごしていたことが思い出されます。DIRECTから受入れ了承の通知が届いた時は心からホッとしました。    ビザについては、ビジネス上の目的で行う調査・見学・視察などで利用するB1ビザを取得しました。(通常B1ビザは6ヵ月とされていますが、滞在が必要と認められた場合は1年間滞在することが出来ます)パスポートを持つのも初めてだったため、当然ビザの申請も初めて。ネット上でのDS160申請時のミスや、提出書類の不足があったために発行までに2週間ほど多く時間を費やしてしまいました。追加の内容によっては大幅に時間を要する場合もあるので、特にビザ申請については受け入れ先・滞在先が決まったら出来るだけ早めの申請を勧めます。 恵まれた滞在先の環境    初めての土地で一人での生活は非常に心細く、治安の面でも不安があったため、当初からホームステイを希望していました。しかし、文化や習慣の違いに戸惑うことが予想されていたので、一人暮らしも視野に入れながら滞在先を探していました。他の地域に比べると家賃や物価が安いツーソンでしたが、条件に合う環境がなかなか見つからず、やっと研修受入れ先のDIRECTのスーパーバイザーの方の自宅に滞在させてもらうことが決まりました。研修受入れ依頼から長くやり取りをしていた方だったので、安心したのを覚えています。    ツーソン空港で出迎えてくれたのは私と同年代の夫婦で驚きましたが、すぐに打ち解けることができました。また、偶然にも彼らの生活スタイルが我が家と酷似していて、長い間滞在していたかのような錯覚を覚えるほど、居心地がいい場所でした。出発前のやり取りの中で私の身体の状況・車椅子のサイズやADL(日常生活動作)について細かく伝えていたため、ゆとりのある広さの部屋を提供頂き、バスルームには私の体に合わせた手すりとバスチェアが用意され、不便のない毎日を過ごすことが出来ました。    彼らは私のことを本当の家族の一員として受け入れてくれました。東海岸への出張が終わった後、血圧の数値が通常値の半分にまで落ち込み、言葉も話せず起き上がれない状況に陥ったことがありました。その時、ホストファザ―さんが病院まで付き添い、回復するまで気にかけ、手助けしてくれたので、安心して体を休めることができました。異国の地での研修において、緊急時に心から頼れる存在は絶対的に必要であり、「健康で安心して学べる環境にあるか」は滞在先を選定する上で重要です。安心して帰れる場所があるからこそ、心置きなく研修に打ち込めるのです。 最も大きな課題・コミュニケーション の困難さと楽しさ    英語の拙さは私にとって最も大きな不安要素でした。英語自体は好きで洋楽や洋画を好んではいましたが、恥ずかしながらカタコト単語と簡単な挨拶程度しか話せず、とても実践で使えるような語学力ではありませんでした。そのため、出発前までに少しでも単語・会話力を身につけなければとオンライン英会話レッスンを受講し、基礎である中学英語から徹底して学び直しました。また、語学学習アプリを活用しながら実際に現地の人とやり取りする等取り組みました。当初はこのレベルで学びに行くの?と懸念されておりましたが、出発前には「上達した」とアドバイザーさんに言われたことがとても嬉しく思い出されます。研修中はイベントや会議の前日までに資料を取り寄せ、内容や用語を調べて場に臨み、携帯の録音機能を使って終了後に書きおこしたりと、理解に励みました。移動サービスのUberを利用することも多かったため、ドライバーさんに話しかけたりするなど積極的な会話に努めました。    また、アリゾナ大学内で英語を第二言語とする学生向けのCenter for English as a Second Language(CESL)に通い、会話と発音を学びました。発音クラスの先生から「それぞれの母語は美しい。人の数だけ訛りもあるから訛ってて当然。自信を持って」と言われたことは強く心に響きました。クラスにはアジア人も多く、彼らのどん欲に学ぶ姿勢には改めて強く刺激を受けると共に、アメリカ以外の国の友人もでき、それぞれの国の文化や言葉の訛りも多く耳にすることができたため、自信と度胸がより身につきました。週末は英語が頭に入ってこないほど疲れることもありましたが、そのおかげで個人インタビューが出来るようになり、一人で出かけた際も物怖じせずに話しかけることが出来るようになりました。アメリカには様々な人種の人がおり、発音・癖・訛りも人それぞれです。出発前に出来るだけその国の文化や言語を学んでいくことは勿論のことですが、海外では自分の意思を相手に伝えることが大事だと痛感しました。今ではスマートフォンさえあれば翻訳機能を利用したり、ネットで検索したりと解決策は必ず見つかります。不得手を嘆くよりも、大切なのは困難に陥った時に自分がどう対応するか・様々なツールを使うことでハンデをカバーし、環境に適応していくかだと思います。 苦しい時のあたたかい多くの支え    気候も人も暖かい環境のツーソンで思ったよりもリラックスして過ごせていましたが、言葉がうまく伝わらない・習慣の違いに戸惑うのは毎日のことで、3ヵ月を過ぎるころには帰宅後は一言も口を利かない・休日は部屋に引きこもってしまった時期がありました。他の研修生と比べてしまい、自分の未熟さばかりが目立つ気がして研修を続ける自信を無くしかけていました。そんな時支えてくれたのは、家族・同期の研修生、ツーソン在住の日本人の皆さんです。長年ツーソンで暮らす日本人女性のお宅で久しぶりの日本食をご馳走になった際、白米やみそ汁、焼き魚の美味しさを改めて噛みしめて頂きました。また、彼らが経験したアメリカ生活での困りごと・体験談を聞き一人で悩むよりも周囲のチカラを借りながら考え方を柔軟にして見習うことで、気持ちが落ち着いていくことを実感しました。更に有難いことに、当時は個人研修生同期全員がアメリカに滞在していたので、グループ通話で近況報告や悩み事をシェア出来たことも、気持ちを切り替えるきっかけになりました。「海外生活の悩み・体験をシェアする」ことで障がい者コミュニティ以外のピアの繋がりを意識できたと考えます。    また、毎月の報告書を提出した後に愛の輪事務局・アドバイザーの方々から届く生活や体を気遣う暖かいフィードバックにも心が救われました。時に厳しく時に優しく、叱咤激励していただけたことは非常に励みになりました。 特に印象に残った、「違いを受入れ・ 適応する」ということ    この1年間の研修機関で、様々な障がいを持つ人と出会い、彼らの経験や障がい者の自立についての考え方を聴きました。彼らに共通しているのは「自身の障がいだけに焦点が当たっていない」ことです。「障がい」はあくまでも個人の特徴の一つであるに過ぎず、得手不得手は障がいの有無に関わらず誰しもが持っており、障がいだけがすべてではない、という考え方です。インタビューで一人の学生が言った「disability is a part of your story」は、事故後に残った歪な後遺症をスティグマと捉えていた私の気持ちを明るくさせました。また、「あなたの考える、障がい者の自立で不可欠な要素は何だと思いますか?」という質問に対し特に印象的だったのは「ADAPTING(適応)」「DIFFERENT(違い)」です。人種・性別が違うように、困りごと(社会的障壁)も人それぞれ違う。乗り越えるための必要な要素もそれぞれ違うため、自分に出来ること・出来ないことを自身で把握する自己理解の重要性、状況判断と一歩踏み出し実行する勇気、これらが障がい者が社会参加するために必要であるといえます。 最高の経験で学んだものとは    多様な人・情報とどれだけ関わっているか。その手段の一つがピアカウンセリングであると考えます。もちろん自ら情報を得る力のある人もいれば、精神的・肉体的パワーロスの状態でその動きが出来ない人もいます。故に、自立生活センターはアウトリーチの働きも担い、情報を発信する活動も積極的なのです。DIRECTでも地域の他施設や学校に出向き、プログラムの説明や自立生活の理念をアプローチしています。また、障がい者コミュニティに留まらず、地域の様々なコミュニティと関わることで、己の知識が増え経験を積むキッカケになるのです。    【出来ないではなく、どうやったら出来るか】を社会全体が当事者として捉え、障がいの有無に関わらず共に質の向上を目指していくことが、障がい者の自立への促進に繋がります。    研修・ツーソン生活で経験した全てのことを学びと捉えるようにしていたので、帰国後の日々の生活の中でもアメリカとの違いや日本(沖縄)の良いところ、改善策を考える癖がついていることに気づきます。    共通して感じるのは、多くの人と出会い、経験をすることの大切さです。物事には多くの側面があり、立場が異なれば課題にもなることもあります。特にカウンセリングにおいては多様な考え方が出来ること、相手の考え方を聴く・ありのままの相手を受け入れることの大切さをこの研修で深く学びました。この学びを今後の活動に活かしていくことが私の課題です。  このような充実した学びが出来たのも、愛の輪のみなさん、アドバイザーの方々の丁寧なご支援、応援してくれた家族・研修中に出会い、支えてくれた全ての友人のおかげに他なりません。かけがえのない貴重な機会を与えて頂き、心から感謝を申し上げます。 個人研修生  齋藤 智子さん 肢体不自由 千葉県 研修期間:2018年3月7日〜2019年1月23日 研修国:アメリカ ニューヨーク州、 デンマーク コペンハーゲン、 英国 ロンドン市 研修機関 国連開発計画(アメリカ・デンマーク)、 Leonard Cheshire Disability(英国) 研修テーマ:障がいがあっても、有する能力を発揮して就業し、所属する組織に貢献する (国連開発計画) 英国における「障がい者雇用」の実態と、実際の雇用現場の実例を学ぶ(英国) 研修目的:多様な働き方を推奨するUNDPのプログラムに参加し、障がいがあっても自分の持てる力を活用して健常者と共に就業することを経験する。その体験を帰国後、日本の障がい者雇用の改善に活かす(国連開発計画) 英国の障がい者支援団体に滞在し、英国の障がい者がどのような問題に直面し、それを解決するためどのような支援を行なっているのかを、障がい者雇用支援の現場で学び、帰国後日本で活用する(英国) タイトル 「ニューヨーク・コペンハーゲン ・ロンドンと、日本とを比較して 見えてきた障がい者雇用の 新しい在り方 -障がい者雇用機会均等のために必要なこと-」  2機関・3ヵ国での研修を通じて非常に多くの事例に触れ、大勢の人と出会ったことが深く印象に残っています。10ヵ月半に渡る海外での生活の中で、日本人とは大きく異なる価値観や、働き方、生き方を目の当たりにし、今後障がい者リーダーとして進むべき方向性が明確になったと共に、幅広い分野への理解を深めることができました。    私が障がい者リーダーとして活動テーマに掲げている障がい者雇用(特に障がい者の雇用機会均等)分野においては、働く側の障がい者と、雇う側の雇用主(企業等)の二つの立場が存在します。障がい者雇用を推進するためには、障がい者が能力やスキルを身につけ、企業内でそれを発揮することも大切ですが、雇用主である企業の経営者や人事、及び現場の上長や同僚が、障がい者と共に働く意義を理解し、障がいへの理解不足や偏見を解消する必要があります。    障がいを持つ労働者として、どのように周囲の人々(健常者)に働きかけ、障がいへの理解を促すのか、そして自分自身がプロフェッショナルとして組織にいかに貢献をするのか。また、どのように雇用主に障がい者を雇用する意義の理解を促し、実際に健常者の職場の中に、障がい者の雇用を実現していくのか。この労働者、雇用主という二つの立場双方の努力・改善無くしては、真の障がい者の雇用機会均等は実現できないと考えています。    その点において、本研修を通じて双方の立場での知識と経験を深められたことは非常に有意義でした。    ニューヨークの国連開発計画本部では、人事部に人事コンサルタントとして所属しました。これは日本で主流となっている、障がい者のために特別に仕事を切り出して『障がい雇用枠』で雇用するという意味合いでの所属ではなく、プロフェッショナルとして経験・スキルを活かせる人材であれば、人種や性別、障がいの有無等に関わらず雇用するという意味合いでの所属でした。  幾つかの人事戦略プロジェクトに携わり成果物と提言を残す傍ら、人事部、国連の日本人職員、そして国連に視察訪問した日本人大学生に対して、人権や障がいの社会モデルと絡めながら、『障がいを持ちながらプロフェッショナルとして働くこと』や『障がいを持つ人と同じ職場で働く上で必要なこと』等について講演をする機会を得ました。半年が過ぎる頃には、人事部や関連部署で共に過ごしたメンターや同僚の方々から「初めは障がいを持つ人が来ると聞いて、どう接したら良いか非常に気を使ったが、いつのまにか齋藤さんが障がい者であることを忘れてしまった」という言葉が聞かれるようになり、最終的には国連開発計画の窓口担当者からも、人事戦略プロジェクトの成果だけでなく、周囲へ与えた様々な影響も含めて「齋藤さんが来てくれて本当に良かった」との言葉を頂きました。『障がいを持つ労働者として、どのように周囲の人々(健常者)に働きかけ、障がいへの理解を促すのか、そして自分自身がプロフェッショナルとして組織にいかに貢献をするのか』という点において、今後日本で取り組む障害者雇用機会均等実現のための一定の成果と自信を得ることができました。    また、国連本部のあるニューヨークに滞在したことで、自主的に様々な学びを深めることができました。国連で毎年6月に開催される障害者権利条約締約国会議には3日間フルに参加し、国際社会における障がい者問題への取り組みや、各国の先進事例について最新の情報を得ることができました。国連で障がい者問題解決に携わる方々ともネットワーク構築を行い、実際に国連内部における障がい者登用についてもリアルな実情を知ることができました。    国連において障がい者の問題は、人種・性別(女性差別・LGBTIQ等)・児童・移住労働者(移民・難民・亡命者)と並び、重要な人権問題のテーマの一つです。そして、これら人権関連テーマの中で最も新しい(=取り組み始めてからの歴史の浅い)テーマでもあります。障がい者の人権に関する取り組みは、国連においても、また世界各国においてもまだまだ改善途上にあり、今後取り組むべき課題が大きく残っている状況です。    その国際情況の中でも、日本は障がい者の人権については著しい遅れをとっています。現在国連には193の加盟国がありますが、日本が障害者権利条約に批准したのは138ヵ国目と遅く、障害者権利条約に付帯する選択議定書に至っては既に92ヵ国が署名・批准を済ませていますが、日本は批准どころかまだ署名すら行なっていません。国際社会に大きく遅れて国内法整備がようやく始まったばかりの日本において、障がい者の人権に関する理解と施策を後押しするためには、国連や各国の事例を紹介したり、国際社会で日本がいかに遅れているかを啓発したりしていくことが重要だと強く感じました。また、国連や各国事例の紹介を通じた啓発だけでなく、障がい者問題解決のためには、障がい者当事者や支援団体のみで活動するのではなく、他の人権テーマ(女性活躍推進、子育て世代支援、介護世代支援、シニア活躍推進、LGBTIQの権利拡大)等の諸団体・当事者たちと連携して、大きなムーブメントを作り出していく必要性も強く感じました。    またニューヨークの国連開発計画に所属している半年の中で、2週間ほどデンマークの首都コペンハーゲンにある国連オフィスに出張し、現地人事部の方々と共に仕事をしたり、研修に参加したりする機会がありました。    建国以来、多くの移民の入国窓口となったニューヨークは、アメリカの中でも非常にユニバーサルな都市です。これほど多様な人種の人間が生活し、世界中から旅行者を集める都市は、全米でも数える程しかありません。日本の東京・大阪と比べても様々な違いがあり興味深い点が多々ありましたが、途中コペンハーゲンを経験したことで、複数の都市を比較した興味深い考察を行うことができました。    例えば、ニューヨークでは地下鉄はエレベーターもエスカレーターも故障していることが多く、また運行範囲も限られるため、多くの車椅子ユーザーは日常的にバスを使用します。バスは地下鉄よりもより広い範囲で運行しているということだけでなく、バスの運転手も乗客も、車椅子ユーザーがバスを利用することが日常になっているため、日本だったら乗車拒否や嫌な顔をされそうな場面でも、ごく当たり前にバスを利用します。むしろ車椅子ユーザーが乗車する際には、一般の乗客よりも車椅子ユーザーが優先される場面に何度も遭遇しました。しかしベビーカーユーザーにはニューヨークのバスは非常に不親切で、折り畳まずにはまず乗車ができませんし、折り畳んだベビーカーを置く場所もないほどです。    一方コペンハーゲンでは、車椅子ユーザーがバスに乗車するためには24時間前に事前予約する必要があるとのことで、非常に不便なシステムになっていると感じました。そのため、ニューヨークでは日に何度も車椅子ユーザーがバスを利用している風景を目にしましたが、コペンハーゲンでは一度も出くわすことがありませんでした。それに対してコペンハーゲンのバスはベビーカーユーザーには非常に手厚く、ベビーカーは畳まず乗車でき、事情を知らない観光客がベビーカースペースに立っているとベビーカーに場所を譲るようにと他の乗客から注意されたりします。    ニューヨークで参加した障害者権利条約締約国会議の分科会で、デンマークの児童・社会福祉省大臣の話を聞く機会がありました。なんと大臣自身が37歳という若さで、更にママでもあるという日本では考えられない事実に、さすがデンマークは福祉の国かつ女性活躍推進が進んでいる国だと実感しましたが、大臣曰く「デンマークは障がい者分野に関しては、まだまだ。今後多くの課題がある」とのことでした。    北欧諸国は福祉が充実しているというイメージがありましたが、実際にデンマークを訪問し2週間生活する中で、新たに気づいたことも多くありましたし、ニューヨークとコペンハーゲン、そして次なる研修地ロンドン、そして日本(東京)という4都市を比較して考察・検討する機会に恵まれたということは、大変大きな刺激になりました。    では次に、障がい者雇用機会均等のための二つ目の観点である『どのように雇用主に障がい者を雇用する意義の理解を促し、実際に健常者の職場の中に、障がい者の雇用を実現していくのか』という点ですが、その事例を学ぶためにロンドンに渡りました。    英国では主に障がい者サイドで支援を行なっているLeonard Cheshire Disability(以下LCD)を研修先のベースにしながら、企業サイドで障がい者雇用の促進を行なっているBusiness Disability Forum(以下BDF)の方とも話をする機会がありました。    LCDは英国内でもかなり大手の障がい者支援団体で、非常に幅広い支援活動を行なっています。元は障がい者のケアホームから始まった団体ですが、現在では政府やパートナー企業とタイアップし、英国内でも先進的な支援プロジェクトを多く運営しています。私は国際ボランティアという立場で、@LCD全体のサービスユーザーに対する顧客満足度調査、Aケアホーム及び自宅でのデジタルインクルージョン推進プログラム、B障がい者自身が支援の受け手から担い手になる変革を促すプログラム、C高等教育(大学・大学院等)を修めた障がい者が適切な雇用機会を得るための支援プログラムに参加をしました。    LCDでの研修第1週目には、LCD(英国)の他にフランス(2団体)、スペイン、ハンガリー、スロベニア(2団体)の計7団体合同で、互いの団体の活動を紹介し合い共通の課題について議論したり、参加団体同士が相互連携するプログラムの案を練ったりするStudy Visitにも参加し、英国のみならずEU諸国の障がい者支援の現状等について学べました。    BDFは英国内の大手企業を中心に幅広い企業会員ネットワークを持つ非営利団体で、会員企業に対して障がい者雇用促進のための支援や情報提供を行なっています。BDF本部のシニアコンサルタントを訪問し、英国における障がい者雇用の現状について聞いたり、英国と日本及びアメリカにおける障がい者雇用との比較について情報交換をしたりと、大変有意義な時間を過ごすことができました。     研修国として英国を希望していた理由の一つに、2012年のロンドンパラの影響とその後の国内における障がい者を取り巻く環境の変化について情報を得たいという考えを持っていました。というのも、ロンドンオリンピック・パラリンピックでは史上初となるオリパラ合同の運営委員会を組織し、ロンドンパラは過去最も成功した大会と言われました。その英国において、大会終幕後にどれだけ障がい者への理解が定着し、実際に障がい者の雇用改善へ繋がったのか等について話を聞けたことは極めて有意義でした。2020年にパラリンピックを控える日本の未来にとって非常に参考になると共に、今後の私の活動にも大きな刺激となりました。    BDFが主催し、英国外務省で開かれた「Disability-Smart Awards 2018」の授与式典・レセプションにも招いて頂き、英国での障がい者インクルージョンの最新事例にも触れることができました。最も印象に残ったのは、それぞれの賞の最終ノミネーター及び受賞者に、Civil Serviceが含まれていたことです。障がい者のインクルージョンを、政府機関や警察組織が率先して行っているということを目の当たりにし、昨年、官公庁等の障がい者雇用の「水増し」が問題となった日本とは大きく「水をあけられた」状況であると実感しました。    ロンドンは、ニューヨークと同様に大変ダイバーシティに富んだ都市ではありますが、違いもあると感じました。新大陸アメリカにヨーロッパを中心とした様々な民族人種が入植して作られた国と、古い歴史を誇る英国の植民地政策をベースに形成された英国Commonwealth(英連邦)諸国の頂点である国。黒人奴隷を使役した過去を持ち、中南米からの不法移民が大きな問題になっている国と、労働力不足を補うために旧植民地からの移民を多く受け入れ、現在は欧州経由の移民・難民がBrexitの一因にもなっている国。大陸に占める大きな国土を持つ国と、大きな大陸に隣接する島国である国。一見、人種のダイバーシティという点では同じように感じられる二つの都市ですが、自分たちとは異なる属性やマイノリティの人々への接し方や受け入れに対する気質等が、ロンドンとニューヨークでは異なるように感じます。そして、それは人種や移民問題だけでなく、障がい者への接し方や受け入れ方にも共通点があるように感じました。    雇用主に障がい者を雇用する意義の理解を促すという点については、女性や人種同様、障がい者についても不平等を是正するために法(リハビリテーション法第503条)という強制力のある決まりを定めた上で、「平等は『正しいこと』である」という認識を前提に行われるアメリカ型のアプローチよりは、「幅広い人々(=性別、人種、障がい者等のマイノリティを含む)に支持されるのは『素晴らしい』ことである」という価値観をベースに、世論を意識し、他の企業の動向に遅れを取らぬように進める英国型のアプローチの方が、日本企業には参考になると感じます。    現在の日本では福祉的就労や障がい者枠での雇用が一般的です。そういった場があるからこそ仕事に就ける障がい者もいるのは事実ですが、障がいがあるが故に、一般の職場で雇用され能力を発揮する機会を得られずにいる障がい者も存在します。ダスキン愛の輪基金の海外研修で経験したことをベースに、日本でも障がいがあっても障がいのない人々と同様の待遇で雇用され、能力を発揮し、成果を評価され仕事を通じてキャリアアップすることが当たり前になることを目標に今後活動をしていきます。ご支援下さった全ての方に心から感謝致します。ありがとうございました。 スタディ・イン・アメリカ研修生  林田 光来さん 肢体不自由(車いす) 神奈川県 研修期間:2017年7月28日〜12月19日 研修国:アメリカ マサチューセッツ州 研修機関 マサチューセッツ州立大学ボストン校(UMB)地域インクルージョン研究所 Federation for Children with Special Needs 研修テーマ:障がいを持つ子どもとその家族のための コミュニティー支援 研修目的:@英語集中研修(基本英語力を磨く) A学期間の障がい学習 文化としての障がい、障がいに関する提言、政策、施策実行、国際的観点、および、障がい者への支援及びサポートの改革の概要を学ぶ。  B障がい者リーダーシップ個人研修  個人の関心、プロジェクトのテーマ、ニーズ別に地域での研修 C定期的なグループ指導セミナー  研修先における状況を協議し、体験を振り返る。体験と研修を障がいおよびインクルージョンに連動させる。 タイトル 「自分らしく生きる鍵」 1.はじめに    私は初め、障がい児とその家族支援について学びたいと考えてこの研修に応募しました。なぜなら、私自身の経験も含めて、多くの日本の障がい児家族が支援やコミュニティーとの繋がりを必要としていることだと強く感じていたからです。渡米前の私はそんな家族のために私が支援としてできることは何かをボストンで探ってみたいとそればかり考えていたことを覚えています。しかし、私が5ヵ月間ボストンで様々な出逢いを通して学んだことは、障がい児の家族支援の在り方だけではありませんでした。この研修は常に私自身や私の障がいと向き合ってきた日々でもあり、自分自身の在り方についても深く学んだ5ヵ月間となったのです。 2.声を持つことの大切さ    私は、Federation for Children with Special Needsという障がい児を抱える家族やその関係者に対する支援を行っている機関でインターンシップを行いました。そのインターンシップの中で私はほぼ全てのプロジェクトチームリーダーのお話を伺う機会を頂けたのですが、どの支援プロジェクトでもFCSNが全体として大切にしているあることに私は気づきました。それは、障がい児家族それぞれがセルフアドボカシーできるように、心理的支援だけではなく家族を教育しエンパワメントしていたということです。障がい児者に関する法律の内容やしくみ、合理的配慮の具体例を伝えて教育することで、自分達の持つ権利を知り、それを学校や地域にうまく主張できるように支援していました。話をする中で、FCSNのスタッフ達が私によく言っていた言葉があります。それは「家族達が専門職や私達を頼りきりにするのではなく、家族達本人は私達と対等な関係であるべきである。私達は保護者のために何かを代わりにやる存在ではなく、自分の力で道を拓いていけるのだと家族に伝え、その力を支えるためにここにいる」というものでした。私はそれを聞く度に、障がい当事者やその家族自身が声を持つことの重要性を感じていました。アメリカの障がい福祉やその他マイノリティーへの支援は「社会が障がい者のために何かをやってあげる」という保護的な支援ではありません。そうではなく、「声を出してくれれば必要なことはする」という体制です。もちろんそれが全て叶っているわけではないのが現状ですが、だからこそアメリカでは自分の権利を知り、それぞれが当事者として声を持つことが欠かせないのです。そのような背景があるから、FCSNは障がい児家族への教育やエンパワメントをして障がい児の保護者や子ども達が自分自身の声を持てるように支援することをとても大切にしているのだと学びました。 3.私自身の声の価値    当事者の声の大切さに気が付き始めた私は、FCSNの皆さんに家族支援の在り方についてインタビューをする中で、私自身の障がい当事者としての声の価値についても考えるようになりました。インタビュー中、FCSNの皆さんが私に繰り返し教えてくれたことがありました。それは、私自身の今までの経験の全てが障がい児やその家族をエンパワメントできる材料であり、私は彼らのロールモデルになれるのだということでした。私はこれまで、障がい当事者としての自分の経験を話すことに抵抗を感じていました。自分自身の障がいを嫌だと思ったことはありませんでしたが、障がい者である私を前面に出すことで「障がい者=弱い」などというレッテルを貼られたくないという思いが人一倍強かったからです。また、ロールモデルになることは周囲から完璧を求められている存在なのだと思ってもいました。しかし、FCSNの皆さんは私にロールモデルとは完璧にいようと無理をすることではなく、自分自身の葛藤を含めて自分自身を認め、それとどのように向き合ってきたのかをまっすぐに人と共有する人のことだと教えてくれました。そうする中で私を理解しようとしてくれる人は絶対にいるし、何よりもどの経験も今の私を創ってきたものなのだからそのどれもが私自身の足跡であり、それを全て大事にしながら活かすことが大切なのだと教えてくれたのです。その時に初めて、私は自分自身の経験値の価値や当事者として声を堂々と出しても良いのだ、その価値があるのだということに気が付きました。これらの学びを通して、私の障がい当事者としての経験が日本の障がいを持つ子ども達やその家族をエンパワメントする要素になれるのだということを知り、私の「障がい者」というアイデンティティーをより大切にして生きていきたいと思うようになりました。 4.これからの私    帰国後、私は研修生から大学生という立場に戻ることになります。それでも、私がボストンで学んだことや私自身の価値観の変化が消えてしまうわけではありません。これから先は、私の中の全てのアイデンティティーを大切にしながら、マイノリティーだからといって抑圧されることなく、日本のコミュニティーの中でそれらの声や自己決定が尊重されるような社会を創るために私ができることを一歩ずつやっていこうと思います。最後になりましたが、この私の研修生活を支えて下さったボストン、日本の皆さんに心から感謝しています。今年度の研修生になれたことを誇りに思います。本当にありがとうございました。 スタディ・イン・アメリカ研修生  大塚 里奈さん 肢体不自由(車いす) 埼玉県 研修期間:2017年7月28日〜12月19日 研修国:アメリカ マサチューセッツ州 研修機関 マサチューセッツ州立大学ボストン校(UMB)地域インクルージョン研究所(ICI) Boston Center for Independent Living(BCIL) 研修テーマ:自立を実現するためのアドボカシーを学ぶ。 研修目的:@英語集中研修(基本英語力を磨く) A学期間の障がい学習 文化としての障がい、障がいに関する提言、政策、施策実行、国際的観点、障がい者への支援およびサポートの改革の概要を学ぶ。 B障がい者リーダーシップ個人研修 C定期的なグループ指導セミナー  研修先における状況を協議し、体験を振り返る。体験と研修をインクルージョンに連動させる。 タイトル 「障がいが自信に変わった5ヵ月」 1 新しい私に出会うために    ボストンに行く前、20歳になったばかりの私は家族に強く依存する生活スタイルに違和感を抱いていました。私が自立を実現し、障がいを持つ人の当たり前を地域の当たり前にしたい。その思いから、障がいを持つ方の自立に向けたAdvocacyに関心が向き、ボストンで学ぼうと決意しました。    ボストンでの経験と出会いは私に障がいを持ち生きることに対する自信をもたらしてくれました。私は研修を通して新しい私に出会えたのです。 2 失敗とAsking helpの先に    人生初の異国の地で私はたくさんの戸惑いに直面しました。生活習慣も人々も公共交通機関も異なるボストンで、環境に慣れるまで多くのステップを踏まなければなりませんでした。特に公共交通機関の利用は大きな壁となりました。反対の電車に乗ってしまう、降りるバス停を間違える…など失敗を繰り返すたび自信喪失しましたが、目印となる場所の写真を撮り記憶することで対処していきました。    またボストンの生活は私のAsking helpのスキルを模索する絶好の機会でした。日本にいたころ私は人への尋ね方やヘルプの頼み方も知らず、そもそもヘルプを頼むことに抵抗を感じていました。しかし街で何度も通りすがる人に尋ね頼み、快く手を差し伸べてくれる彼らと関わる中で、その抵抗は薄れていき、少しずつ私自身に自信を得ていきました。    生活に慣れてきたころ、それまで恐怖を抱いていた周りからの視線にも動じなくなりました。コミュニケーションにも変化があり、私自身に向いていた関心はともに行動するほかの研修生に移っていきました。彼らに私は何ができるのか考えるようになりました。    私はこれらの経験を通して、自ら考え行動し、もし失敗してもそこから学ぶことで成長につながることを学ぶとともに、新たなコミュニケーションを会得しました。 3 Self-Awarenessと経験    8月の終わりからBoston Center for Independent Living(BCIL)でのインターンシップが始まりました。BCILは“Integration people with disability into the society”(障がい者と社会の統合)をミッションに掲げ障がいを持つ人の自立支援を行うNPOで、彼らが行うサービスのひとつに私が注目したAdvocacyがあります。ここでは障がいを持つ方自身が本人に向けて行うAdvocacyという意味であるSelf-AdvocacyおよびBCILが行うサポートに焦点を当てることにします。    私はインターンシップ中にBCIL利用者であるConsumerの方がそれぞれの目標に取り組むための話し合いを行うミーティングに多く参加しました。Consumerの目標設定においては、本人が取り組みたいことを最重要視しサポートします。自立に向けた目標達成のために何をするべきかに焦点をあてます。例えば大学進学が決まっていて、自主通学に向けて公共交通機関利用のスキル獲得を目標にするConsumerの場合、アクセスを調べるアプリを使う練習や実際に電車を使いながら街を歩く練習に取り組むのです。すなわちBCILはConsumerに経験を提供しているといえるでしょう。    Advocacyは多くの概念が複合して成り立つ考えですが、構成要素の1つにSelf-Awarenessがあります。Awarenessは気づきという意味です。Consumerは経験を通して自ら気づき、その成功体験から自信を得、ときには失敗から学び、目標達成に向けて彼らに合った方法を彼ら自身が模索、獲得していくのです。成長に繋がるこの営みこそがSelf-Advocacyだと私は考えます。BCILの取り組みから、私はConsumerに様々な経験を提供する重要性を学びました。 4 Advocacyの意義と自信    同じConsumerに複数回お会いしていると、例えば障がいに対する認識に変化があったり自らの目標がより明確になったりと、彼らの変化と成長を目にすることができました。そのたび私は彼らが抱く「声」に触れられたようで幸せな気持ちになっていました。    私のスーパーバイザーは、Consumerには彼らの声を持ってほしいと言っていました。インターンシップが始まった当初Advocacyの意義が分からなかった私は、インターンシップが終わるまでには私が思うAdvocacyの意義を言葉にできるようになると目標を持ってインターンシップに臨んでいました。日本では権利擁護と訳されることが多いですが、Advocacyの何かと問われたとき私は、その人が持つ声が形作られ、発信する営みと答えます。    スーパーバイザーが彼らの声と同様に持ってほしいと言っていたものがもうひとつ、障がいを持ち生きることの自信です。私はスーパーバイザーから「確かに障がいはときどき厄介だけど、悪いものではない。スキルを得ればなんだってできる。だからもっと障がいに自信を持っていいよ」と言われました。この言葉はそれまで障がいを持つことにどこか劣等感を抱いていた私の背中を強く押してくれました。 5 大好きなホストファミリーと英語    インターンシップに集中できたのは、ホストファミリーのサポートがあったからです。プログラムが始まったばかりのころ私の英語スキルは乏しく、ホストマザーの言っていることもあまり分かりませんでした。しかしホストマザーはとても楽しい方だったので、私は彼女と話したくて日々の会話から表現を習い、聞き、発話するように心がけていました。夕食時の会話は絶好の機会でした。徐々に語彙も増え、プログラムの後半には彼女とストレスなく会話できるようになっていました。私は言いたいことが表現できる喜びを感じていました。    初めてのホームステイで私を迎えてくれたホストファミリーは、とても温かいみなさんでした。初めての地で緊張する私を和ませてくれ、ときに失敗を重ね落ち込む私を鼓舞してくれたのです。私にとって彼らの存在はとても大きなものでした。    この研修の参加条件のひとつは研修生が障がいを持っていることです。私は今までさんざん疎ましく思っていた障がいを持っていたからこそ彼らに出会えたのです。ホストファミリーは私のボストンの家族ですから、この繋がりを大切にしていきます。 6 最後に    この研修への参加は、私にとって今まででいちばんの決断でした。大変なこともありました。しかし私は障がいを持ち生きる誇りを得られ大きく成長できたと思います。それはホストファミリーやプログラムコーディネーター、スーパーバイザー、ほかの研修生など約5ヵ月間のあいだ私を支えてくれたみなさんのおかげです。本当にありがとうございました。研修生であった誇りを胸に、ボストンの学びを地域に還元していきます。 ミドルグループ研修  グループ名 いばけんつ 斉藤 新吾さん 脊髄性進行性筋萎縮症 茨城県 生井祐介さん 関節リウマチ 茨城県 鈴木仁美さん 脊髄損傷 茨城県 研修期間:2017年11月11日〜11月24日 研修国:ニュージーランド 研修機関:ODI、DPA、ピープルファーストニュージーランドなどを含む20ヵ所 研修テーマ:日本における「社会モデル」を軸とした障がい者権利運動の未来図を創るための視察 研修目的:社会モデルを軸とした、サービス支給のプロセスを学ぶ  条約を実施して行くための障がい戦略を学ぶ スタッフ:赤穂雅文、松岡功二、立原裕子、美留町璃依、浜島恭子、冨川功喬 タイトル 「障がいのある人が社会で生きる国ニュージーランドを視てきました。」 ODI    ODIでは、主にODIの役割とニュージーランド障がい戦略の概要について学びました。ODIは障害者権利条約とニュージーランド障がい戦略を実施するため、各省庁との調整等を行う政府の部局になります。また、DPO’sなどの障がい当事者団体との政策協議も頻繁に行っています。また、数年前から2ヵ所で試行事業として行っている「enabling good lives(EGL)」という仕組みについても当事者を含めたワーキンググループを作り議論を重ねその実務を担っています。このEGLは、各省庁の予算を一元化した上で、個人予算として障がい者が受け取れるようにするものです。これによって、これまでの制度よりもより自己決定、自己選択の自由が生まれ、自身の人生のコントロールできるような仕組みだそうです。  来年度からは、議論を重ねた結果として、「システムトランスポーティーション」という新たな仕組みとして実施される予定になっているようです。 人権委員会    人権委員会では、人権委員会の役割と差別事例の解決の仕組みについて学びました。人権委員会はニュージーランド人権法のよって定められた機関であり、障がいだけではなく、雇用やマオリなど定められた差別について解決を図っています。障がいに関わる主な差別相談は「雇用」に関わるものが占めていると言うことでした。解決の仕組みについては、相談が差別に当たるものかどうかを法に照らし合わせて検討し、差別であれば被差別者にその内容を伝え、事実確認をした上で改善を求めるそうです。特に調査はしないそうです。両者が納得がいかなければ、一度両者と共に話し合いの席を設けるそうです。事例が差別に当たった上で、改善が図られなければ裁判になるようです。感心したことは、公務員採用のときに、日本では自力で通勤できる者などの条件があるが、ニュージーランドではそういった条件をつけての募集は差別に当たるということでした。 障がい者団体    DPAでは、主に「enabling good lives(EGL)」について説明を受けました。EGLは個人予算として障がい者が受け取れる仕組みで、私たちの質問は、その管理が難しい障がい者はこの仕組みを利用しづらいのではないかということでした。それについては、コネクターというサービス等の調整役を設定することで利用者の自己決定をサポートするそうです。そのコネクターはマオリの中に存在する「トゥーホノ」からきており、トゥーホノは人との関係を結びつけたり、未来と結びつけたりする存在だそうです。また、このEGLの仕組みの中には、障がい者が役所に使った予算を申告しなくても良く自由に使える予算もあり、その理念としては失敗できる予算があることによって失敗することができると言うことでした。誰もが失敗しながら学んでいるので、障がい者も失敗することによって生きる力をつけていけると言うことでした。    ピープルファーストニュージーランド この団体は知的障がい者の当事者団体で、権利擁護運動や知的障がい者へのサポートを行っています。訪問した際にお会いした当事者三人の方は自立生活を実現されていました。中には仕事をしながら自立生活をしている方もいてパワフルさを感じました。しかしニュージーランドでは、一般的には親が知的障がい者の子供を自立生活をさせるよりグループホームに入れたいという考えが強く、まだまだ親が決めている現状があるそうです。    またこの団体では、自分の身を自分で守れるようにする為のkeeping safeという学習を4回コースで提供していました。教材をeasy readという難しい説明を簡単な言葉で表現する工夫をし、知的障がい者に対して理解しやすい学習コースになっていました。 サービス提供事業所    CCS Disability Actionは、ニュージーランド全土に支所があるサービス提供事業所であり、全体では、約1,000人のスタッフで約5,000人の利用者をサポートしていました。今回、私たちは、オークランドにある北部地域を中心に活動している支所を訪問しました。CCSは障がい者当事者主導のサービスを行っています。障がい者への介助派遣の他に、家族向けサービス、若者向けサービスなどを行っており、この事業は、CCS独自で行っているサービスです。その中で若者向けのサービスとしては、学校を卒業後に、どのような仕事に就きたいのか?どこに誰と住みたいのか?などを一緒に考えるプログラムを行っています。介助派遣については、この事業所では、24時間の派遣は行っておらず、一日最大15時間の派遣を行っています。また、介助サービスは、痰の吸引などの医療行為は行っておらず、家事や掃除などの居宅サービスを行っています。しかし、日本と同じように、介助者集めに苦労しているそうで、研修を始めても、1日目は来ても2日目は来なかったりする人もいるそうです。事業資金は政府からの契約によって得る収入では足りなく、チャリティー、会費、助成金などを活用して運営しています。    Disabled Citizens’ Societyは、日本で言う作業所です。身体障がい、知的障がい、聴覚障がいなど、さまざな障がい者が働いています。また、国籍もさまざまで、白人、黒人、アジア系、インド系、先住民など多国籍な人々が働いています。スタッフは4名で、利用者は120名ほどいるが、120名が毎日来るわけではなく、月、水、金などで来る人もいます。政府からは、一番低い予算で運営しているが、自由に活動をしており、釣りに行ったり、スポーツをしたりしている。外に出ることで、障がい者の経験を増やすこと、公共交通機関を利用することで、社会へ貢献しています。そして、障がい者が社会にでることで、一般の人に障がい者を知ってもらうことが大切だと考えて運営しています。    訪問した時も、みんな、楽しく働いている様子が印象的でした。    Renaissance Groupは、サリドマイドの被がい者のバリーさんが代表を務めている事業所です。バリーさんは、CCSで働いていたこともあるが、自分で事業所を立ち上げたそうです。80人のスタッフで、230人の利用者をサポートしています。この事業所では、介助派遣と、障がい者の資金の管理を行っています。    この事業所では、24時間介助者を使っている方の話をきくことができました。この方々は、筋ジストロフィーの双子で、フラットシェア(住居シェア)をして、同居している人に夜間の介助をしてもらい、24時間の介助と自立生活を実現しています。介助者が確保できたことで、ニュージーランド国内を旅行したりして、自立生活を満喫しています。この事業所では、この方々の資金の管理を行っています。    バリーさんによると、障がい者が新しい生活をはじめるなど、生活を変えようとした時、介助派遣事業所では、介助者の派遣を引き受けてもらえない時があるので、個人予算で介助者を雇う方が自由に生活ができる、とのことでした。 学校    エッジウォータースペシャルスクールは特別支援学級があり、生徒8人?10人に対して先生1人とアシスタントティーチャー2人がつきます。また行動障がいがある生徒には1対1でつくこともあります。生徒には胃ろうや痰吸引、自閉症や体重120kgなど様々な障がいを持つ生徒が在籍していました。普通学級もバリアフリーなので特別支援学級の生徒が普通学級に移りたいという意思があったら体験授業の形で授業に参加してみて、生徒本人、先生、親で話し合いをして普通学級に移れる体制が整っていました。    ランギトトカレッジは普通学級の中に学習障がいや車椅子の生徒が在籍していました。校内はバリアフリー。学校の考え方として、障がいあるなしに関係無く個人の能力に必要な物事に対応していく。その考え方をもとに、みんなで授業を受けられるように授業内容をアレンジしていました。車椅子ユーザーの生徒にお話を聞くと、「すごく学校生活が楽しい。友達も先生も最高!」と、とてもキラキラした笑顔で話してくれました。    グレナバンスクールは今現在は身体障がいの生徒はいなく自閉症の生徒はたくさん在籍していました。アシスタントティーチャーはそれぞれ担当の生徒についていました。このアシスタントティーチャーは親が教育委員会に申請を行います。全ての生徒に個別教育計画があり、自閉症の生徒には他の生徒と別に教育を受けるプログラムがつく場合もあるけど出来るだけ一緒に学べるようにしていました。もし医療ケアが必要な生徒がキャンプなどに参加するのが難しい場合、校長が教育委員会に必要な資金を出してもらうように申請します。 感想 斉藤新吾    この旅で、サラさんにお会いすることができました。彼女は障がいがあり、義手といえばよいのか義腕といえばよいのか、そのようなものを利用して携帯や電動車椅子を操作していました。そんな彼女から半世紀くらいの彼女自身のライフヒストリーを粘った末に聞くことができた。彼女は半分根負けしたように、半分愉しみながら三日間に渡って話をしてくれました。その中では、彼女の自宅に招待されディナーをご馳走になったり、ウェリントンの観光まで手配して下さるおもてなしを受けました。    私の中で彼女との出会いによって、この旅のストーリーがどんどん結びついていきました。彼女のヒストリーを聞くことによって、ニュージーランドで障がいがある人がどのような生活を送ってきたのかを垣間見ることができました。その歴史的経過を経ることによって、今あるニュージーランドの障がい者施策があるという意味を知ることができました。そして、これから始まろうとしている新たな仕組みへの文脈も理解が深まりました。また、彼女と彼女の介助者とのやりとりも少し覗くことができました。そればかりではなく、この旅を実現させてくれた出会いの数々もストーリーとなっていきました。    ニュージーランドと日本を比較することは難しいです。ニュージーランドに憧れるところもあれば、日本の仕組みを伝えたいところもあります。言えることとしては、障がいがある人の人権を回復するために当事者含めさまざまな人が闘っている現状があることです。しかしながら、その状況を悲観的に捉えるだけではなく、笑顔あるコミュニティーを形成しながら人生を営んでいるということです。それは日本もニュージーランドも一緒だと感じました。 生井祐介    ニュージーランドは、障害者権利条約にも策定段階から参加したりと、障がい者施策については先進的な国で、社会モデルの考えが浸透している国ではないかと思って訪問しましたが、思っていた通りで、訪れた障がい者団体でも、障害者権利条約の考えに沿って、アドボカシーを行っていたり、活動をしていた。また、障がい者施策を進める上では、障がい者の声を活かせるような体制を政府自ら整えていたことも素晴らしいと思いました。    また、街にでても、歩道と車道の段差もほとんどなく、車いすでも快適に移動ができ、お店も段差がなくスムーズに入れる店舗が多かったです。エレベーターでは列に並んでいる人が、車いすが来たら譲ってくれたりして、とても親切でした。ダニーデンで出会った車いすを利用している障がいのある学生によると、アパートを引っ越すことになったときに、新しいアパートの大家さんが入り口に段差があるので、入居までにそこにスロープを作っておくよと言ってくれたとの話を聞き、この国は、一般の人々にも、社会モデルの考えが浸透していることが実感できました。    ニュージーランドは、障がい者が社会の中で生活していく上で暮らし易い社会システムがすでにできあがっており、日本もニュージーランドを見習い、障がい者が社会の中で暮らし易い社会を目指したいと思いました。そのためには、まずは、障害者差別解消法の改正の際に、私たち障がい者の声を反映したものにしていきたいと思います。 鈴木仁美    今回2週間のニュージーランド研修を終えて思った事として、障がい当事者の声がしっかりと政府や学校に届いているなと感じました。新しい制度を作る時も、新しい校舎を建てる時も、障がい当事者の声を聞いて反映させていて、健常者と障がい当事者が一緒になって物事を作り出せる環境があることは、絶対に日本に持ち帰って日本でも実現させるべきだと思いました。例えば日本では建築基準法はあるけれどその基準を満たしていても実際に全ての障がい当事者にとって利用しやすい建物が出来る訳ではありません。その問題点を私たち障がい当事者と一緒になって解決していってみんなが過ごしやすい、利用しやすい社会を作っていけたらいいなと思いました。今回たくさんの団体を訪問しましたがその中で当事者団体の活動がとても盛んだなと感じました。日本にいると、困ったり不便を感じたら諦めてしまうことがありますが、ちょっとしたことでも自分たちは何に困っているか、何が必要か、そうした想いを伝えていかないといけないなと思いました。私自身、当事者団体に所属している身としてまだまだだなと反省しつつ、これからより良い社会にしていく為にも私たち障がい当事者が声を上げて運動をしていく必要があると感じました。そしてとても印象的だったことは、みんな生き生きしているなと感じました。明るくて笑顔で、熱い想いで活動をしていて、すごくパワーを貰いました。この経験を無駄にせず日本の社会に活かしていかなければいけないと感じました。 謝辞    この旅はほんとうにとてもたのしい時間でした。なかなか視察先と連絡が取れず焦っていたときに以前友人から紹介されたニュージーランドの大学で学んでいる方に連絡をしました。彼女ともその時点ではほぼ面識もありませんでしたが、そこからどんどん進展していき、無事に研修を終えることができました。人とのつながりの大切さや、可能性を感じた出会いでした。おそらく、お会いしたこともないたくさんの人によってこの旅は出来上がったのだと思います。ありがとうございます。最後になりますが、そのつながりを作って下さったダスキン愛の輪基金関係者のみなさまに感謝申し上げます。 公益財団法人ダスキン愛の輪基金 〒564-0063 大阪府吹田市江坂町3-26-13 TEL.06(6821)5270 FAX.06(6821)5271 http://www.ainowa.jp