ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業 第38期(2018年度)研修派遣生報告書「自立へのはばたき」 第38期研修派遣生(敬称略) 個人研修生 大下歩(おおしたあゆみ) 上田大貴(うえだたいき) 大橋ノア愛喜恵(おおはしのああきえ) 大城亮(おおしろりょう) ミドルグループ研修生 岩田朋之(いわたともゆき) 角谷佳祐(かどやけいすけ) 丸山哲生(まるやまてつお) 大平英一郎(おおひらえいいちろう) ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業実行委員会 委員 (敬称略・順不同)(任期:2019年4月1日〜2021年3月31日) 青松利明(あおまつとしあき)筑波大学付属視覚特別支援学校教諭 青柳まゆみ(あおやぎまゆみ)愛知教育大学障害児教育講座准教授、本研修派遣事業第18期研修派遣生 金塚たかし(かなづかたかし)大阪精神障害者就労支援ネットワーク統括所長 尾上浩二(おのうえこうじ)DPI日本会議副議長 小林洋子(こばやしようこ)筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター講師 長瀬 修(ながせおさむ)立命館大学教授 福田暁子(ふくだあきこ)全国盲ろう者協会評議員 国際協力推進委員 世界盲ろう者連盟事務局長 小林昌之(こばやしまさゆき)日本貿易振興機構アジア経済研究所 主任調査研究員 ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業とは   1981年、障がい者の社会への完全参加と平等の実現をめざして国連で決議された「国際障害者年」にちなみ、地域社会のリーダーとなって貢献したいと願う障がいのある若者たちに、海外での研修の機会を提供する「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」がスタートしました。   1982年に10名の研修派遣生を初めてアメリカへ派遣して以来、これまで39年間に延べ521人の研修派遣生を輩出し、帰国後その多くの方々が全国各地で、自立生活運動、政治、学術、教育、スポーツなど様々な分野でリーダーとして活躍されています。   今回の「自立へのはばたき」は、2018年度(第38期)の研修派遣生の研修報告書をまとめさせていただいたものです。個人研修生4名とミドルグループ研修生4名が、夢と希望を持って世界各地で、何を感じ、何を学んだかをぜひご一読ください。   第38期研修派遣生の皆様、研修をサポートされたスタッフの方々、ご関係者の方々、愛の輪会員の皆様のお力添えに対しまして、改めて感謝申し上げますとともに、今後も「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」に格別のご理解とお力添えを賜りますよう、心からお願い申し上げます。 ※研修報告書の研修生のプロフィールは、研修期間中のものです。 ※障害の「がい」の文字表記について 事業名称等定款に記載されている文言並びに法律用語については従来通りの漢字表記とし、それ以外については「害」を「がい」とひらがな表記とさせていただきます。 ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業の流れ(第38期研修派遣生) 2017年7月1日 募集開始 2017年11月15日 募集締切 2018年 1月 書類選考 2018年 2月18日 面接審査 2018年 3月 研修派遣生決定 2018年 3月23日、24日 事前研修会 2018年 5月   壮行会 2018年 8月19日〜2019年5月13日 個人研修生 上田大貴さん研修派遣 2018年 8月19日〜2019年7月29日 個人研修生 大橋ノア愛喜恵さん研修派遣 2018年 9月13日〜25日  ミドルグループ研修 グループ名 「英国Football文化視察団」研修派遣 2018年 11月1日〜2019年8月29日 個人研修生 大下歩さん研修派遣 2019年 1月28日〜2020年1月27日    個人研修生 大城亮さん研修派遣 個人研修生 大下 歩 さん 神奈川県 視覚障がい 研修期間:2018年11月1日〜2019年8月29日 研修国:コスタリカ共和国 研修機関:1.障害者自立支援センターモルフォ 研修テーマ:コスタリカの障害者自立生活運動、障がい者と自然とのかかわりを学ぶ 研修目的:コスタリカとラテンアメリカの文化一般および自立生活の理念を学ぶ。福祉と並び環境政策に力を入れるコスタリカで、障がい者と自然とのかかわりに焦点を当てる。 研修機関:2.UNDP(国連開発計画)コスタリカオフィス 研修テーマ:持続可能な社会を実現するためのコスタリカの取り組みを、国際的な枠組み作りの観点から学ぶ 研修目的:コスタリカが、経済成長だけでなく、環境や平和を重視する開発を目指す過程で、どのような人々が関わり、どのように意思決定がなされているのかを、実際に現地で生活してみての実感と照らし合わせて研究する。 タイトル コスタリカに魅せられて はじめに 〜コスタリカとの出会い〜 「途上国っていったい何だろう?」  2年前初めてコスタリカに行ったときから、10ヵ月の研修を終えた今に至るまで、この疑問はずっと私の胸の中にあります。細かい研修テーマはいくつかありますが基本的にはこの1つ大きな関心事に導かれて、私は今ここにいると思っています。  きっかけは、2017年の春に、20歳の記念と称してコスタリカの国立公園に単身ボランティアに行ったことでした。元々環境問題、特に先進国の搾取による途上国の環境破壊に興味を持っていた私は、その構図から抜け出す方法として、自然を観光地化することで環境保護と経済発展を両立させる、エコツーリズムという考え方に強く惹かれていました。そのコンセプトの発祥地が、世界の生物の5%が生息するといわれる大自然の国、コスタリカだったのです。国土の4分の1が国立公園に指定されており、国の電力をほぼすべて自然エネルギーで補うなど、環境の分野でいくつも画期的な取り組みを行っています。また、常備軍を持たない平和国家としても知られる中米の小国です。  生まれて初めて1人も知り合いのいない海外で3週間過ごしましたが、緊張したり疲れたりする瞬間はあっても、さびしいと思うことはいちどもありませんでした。仕事中でもコーヒーを飲みながらおしゃべりしたり、ふらりとお互いの家を訪問したり、「今日は午後からサッカーの試合があるから」とその日の活動を休みにしてしまったりするような現地の人々のおおらかさ、親しみやすさが、とても心地よかったからです。国際化の進むこの時代に、古典的な感想と言われてしまいそうですが、「地球の裏側の人たちと、こんなに共感し合えるなんて」というのが、そのときの素直な感慨でした。全盲のボランティアは私が初めてだったそうですが、私専用のスタッフを1人つけてくれたうえに、本来ボランティアには触らせない野生のコウモリを触らせてくれたり、山道や洞窟にも余計な心配をすることなくどんどん入らせてくれたり。週末観光で訪れた別の国立公園でも、スタッフさんたちは全く渋る様子もなく、ジャングルの上最高250mの高さを飛翔する巨大ターザンロープを私にやらせてくれました。日本で前に同じような施設を訪れ、危険だからと入場を断られた経験があっただけに、これはうれしい驚きでした。  そんな人々の温かさは、しかし、週に1度は水が出なくなった水道や、水圧が弱いので紙を流せないトイレや、はたまた2時間待たなければやって来ないバスなど、この国のインフラの未発達さとは対照的に思われました。いや、インフラが未発達だからこそ、人々のポジティブさや、不便さをものともしない心の余裕が際立つようでもありました。もちろん、途上国と先進国の二元論で語ることはできないですし、コスタリカの中でも条件の違う場所をその後幾つも知ることになるのですが、それでもこのとき抱いた、「インフラやテクノロジーの発達と人の精神レベルはイコールではない。むしろ反比例しているかもしれない…?」という思いは、その後の私の大きなテーマとなり、今回の研修へと繋がりました。 すべてが新しい 〜障害者自立支援 センターモルフォ〜  今回研修を行うにあたって、私は「障がい者が能動的に自然を楽しんだり学んだりできるヒント」を、コスタリカの環境政策や人々の考え方から見つけたいと思っていました。  自分が前述のボランティアをしたり、盲学校の友人たちと話したりする中で、視覚障がい者の中にも自然が好きで専門的に学びたいと思っている人がたくさんいること、けれど実際のフィールドでは目を使った作業が多く、どうしても見える人の指示や判断に頼ってしまいがちなことを実感したからです。でも考えてみれば、動物たちの中には視覚以外で世界を捉えているものもたくさんいるわけで、なにも同じ方法で作業することにこだわる必要はない。いろいろな体を持った人たちが共に自然に触れることは、単にアクセシビリティを高めて平等な社会を実現するというだけでなく、自然の見方に多様性を与え、お互いが見ている世界の違いに想像をめぐらせるというとても楽しく意義深い時間を生み出すことではないかと思いました。  そんなわけで実際に自然の中で作業しながら、コスタリカの環境に対する取り組みを学びたいと思っていた私は、紆余曲折の末に、障害者自立支援センター「モルフォ」と、UNDP(国連開発計画)コスタリカオフィスにインターン生として受け入れていただけることが決まったときは、正直「本当にここで私の興味のあることが学べるんだろうか?」と半信半疑でした。しかし、とにかく初めて長期間コスタリカに滞在できることが飛び上がるほどうれしく、与えられた環境でありとあらゆるものを吸収しようと決心したのを覚えています。結果的にはこの2ヵ所での研修が、私により広い視野とたくさんの人々との出会いをもたらしてくれることになりました。  モルフォは、兵庫県西宮にある障害者自立支援センターメインストリーム協会とJICAの協力で設立され、障がい者、特に車椅子を利用する人たちが自立して暮らせるよう、介助者研修、他の障害者団体に向けた講演、一般向けキャンペーンなど、全国規模で活動しています。彼らの働きかけによって、オフィスのあるサン・イシドロの街ではすべてのバスにきちんと機能する車いす用スロープが付き、2016年には障害者自立支援法が制定されました。車いすを利用するスタッフは、自分たちでモルフォの介助サービスを受けながら働いています。私もこの介助サービスをお願いして、毎朝2時間語学学校でスペイン語を勉強し、その後モルフォのオフィスで過ごす生活が始まりました。  この最初の2ヵ月は、とにかく新しい経験と発見の連続でした。それまでの私は、そもそも障害者自立運動についても詳しくは知りませんでしたし、車椅子を利用している人たちと身近に接するのも初めてでした。今思うとそんな必要はなかったのですが、初めて話すとき、顔の高さを合わせたくて床にひざをついてしまったのを覚えています。彼らの働いているところを日々見学させてもらい、様々な活動に同行させてもらう中で、彼らがみな自分の仕事に誇りを持ち、地域の人々を巻き込んでいく姿がとても印象的でした。たとえばモルフォの代表が障がいを持つ子供の家族を対象にした講演会に呼んでもらったときは、「人権とは何か」というような難しいテーマを力強く語っている姿に感銘を受けました。一方、街中でのキャンペーンに参加させてもらったときには、道にテーブルを出して、通りかかった人たちがコーヒーを飲みながらおしゃべりしていけるようなスタイルをとっていて、「大切な理念を広めるのに、こんなに明るくて気楽なやり方もあるんだ」と目を開かれる思いでした。森の中にあるオフィスには笑い声が絶えず、職場全体が1つの大きな家族のようでした。  また最初の2ヵ月をモルフォで過ごせたことは、コスタリカの生活に慣れるためにも欠かせないプロセスでした。介助者サービスをお願いしていたおかげで、全く土地感のない場所でも買い物や銀行にスムーズに行けましたし、休日には彼女たちがハイキングやボーイスカウトに誘ってくれたりもしました。オフィスの行き帰りのおしゃべりは、コスタリカで生きていくために必要な情報を得たり、現地の人たちの考え方を垣間見たりする貴重なチャンスでした。ホームステイしていた家のホストファミリーと合わせて、もしこの時期に地元の人たちの中にこのようにどっぷりと入り込み、彼らの助けを借りることができなかったら、スペイン語もほとんど話せない私があんなにも充実した日々を過ごすことはできなかったと思います。 国を動かす立場にある人々と共に 〜UNDP インターン〜  コスタリカ滞在3ヵ月目で、モルフォでの研修がいったん終了し、首都サンホセに引っ越して、UNDP(国連開発計画)コスタリカオフィスでのインターンを開始しました。仕事内容や住居など、直前までほとんど情報がなかったため、すべて出たとこ勝負といった感じでした。向こうも私が来てから仕事内容を決めてくれようとしていた節があり、結局前半3ヵ月は、UNDPのホームページやプロモーションビデオのアクセシビリティを高めるための助言などを行っていました。  しかしこの時期は、それまでとの環境の違いに戸惑ってばかりでした。やはり国連という現場は忙しく、皆毎日走り回っていて、隣の机の人とさえゆっくり親交を深める余裕がないこと。単純に私の語学力では太刀打ちできない仕事がたくさんあること。ホームステイからシェアハウスの生活に変わり、週末などハウスメートがそれぞれ家族と過ごすときはどうしても家で1人になってしまうこと。仕事をするためにオフィスに行くも行かないも完全に私に任されていて、自由な半面どうしても歓迎してもらっていると感じられなかったこと。しかしこれらは皆環境の問題で、人々自身は皆本当に明るく親切なことがわかっているだけに、どうしたらよいのかわからずにいました。  しかし今振り返ると、全研修期間中で、いわばこの無名の時間がいちばん大事だったのではないかと感じます。1人で過ごす時間が増えた分、自分がなぜコスタリカに来たかったのか、残された期間で何がしたいのかを、再確認できました。UVERや長距離バスを使って1人で移動することを覚え、行動範囲が国中に広がりました。友達を作りたくて、フェイスブックで見つけたイベントに片っ端から参加していたおかげで、帰国した今でも連絡を取り合うような友人もできました。だから今では、この時期のことを「種まき期」と呼んでいます。植物が芽を出すためには、あらゆる自然条件がうまく重なる必要があって、それは人間にはコントロールできない。でも植物がうまく育つために、土を耕し種をまき続けることはできる。その過程は地味で疲れることもあるけれど、その後の成功に不可欠な土台作りです。同じように、私がその後に心から興味を惹かれる物と出会い、普通の観光客にはまずできないようなディープで貴重な体験をたくさんすることができたのは、このときいろいろなことを立ちどまって考えられたおかげです。  UNDPのインターン後半には、街中で行われる様々なイベントに参加し、それをブログの形で発信する仕事をもらい、生意気なようですがようやくやりがいを感じられるようになりました。いちばん印象に残っているのは、サンホセ中心部で行われたゴミ拾いです。美しい観光地とはうらはらに、道路のそばの草むらにはペットボトルや瓶、タッパーなどのゴミが散乱していて、都市部の生活が抱える問題を垣間見た思いがしました。このとき私がゴミ拾いをした様子は、後日コスタリカのニュースで放映されました。 エコアクセシブル ツーリズムとの出会い  半年間のUNDPインターンを終えた後は、再びモルフォにお世話になりましたが、その少し前から私はエコアクセシブルツーリズムという分野に強く惹かれていました。コスタリカにはビーチからジャングルに至るまで様々な自然環境を生かした観光地があり、観光は国の主要な産業となっていますが、そこにアクセシブルの要素を加えようとする動きが高まっています。私が初めて実際にそれを目にしたのは、コスタリカに来て1ヵ月ほどの頃に、モルフォのメンバーと共にある国立公園を訪れたときでした。公園の看板には、点字と普通文字、英語とスペイン語で解説が表記されており、そのわきにはその公園で見られる動植物の触れる模型が置かれていました。ハイキングコースは車椅子でも通れるよう平らに舗装されており、車椅子用トイレも完備されていました。日本でそのようなものを見かけた記憶があまりなかったので、私はすっかり感動してしまいました。  その後しばらくして、Programa Osa Sensorialという活動と出会いました。これは、コスタリカの中でも特に生物多様性が豊かであると言われているパナマ国境近くのオサ半島で、誰もが自然に触れられる環境づくりをするプログラムです。誰もが、自分の持っている感覚を最大限に使って自然に触れることは、ある種のセラピーであり、環境教育的な意味も大いに持っています。また、地元の人たちを活動に巻き込んだり、地元の資材を使ってアクセシビリティのための工事をしたりすることで、コミュニティ開発にも貢献できます。まだまだ奥が深く、とてもここにまとめきれないのですが、自分が当初から興味を持っていることに直結するとぴんときました。帰国後の今では卒論のテーマにこのトピックを選び、現在進行形で掘り下げているところです。 終わりに 〜今思うこと〜  大学卒業後の具体的な進路は未定ですが、何にせよ「人も自分もハッピーでいられるようなこと」がしたいです。コスタリカでの10ヵ月の生活を通じて、「環境問題って人の問題なんだな」と実感したからです。人間以外の生き物たちは、これまでと変わらずに生きているのに、今これだけ環境の危機が訪れているのは、人間の暮らし方が破壊的だからであり、それは人の心に何かが起きている証だと思うのです。人が幸せでなければ、環境なんてかまっていられません。逆に環境を豊かにしようとする過程は、人に幸せをもたらすと思います。  コスタリカはときに理想郷のように語られたりもしますが、そこに暮らす人々はもちろん、日々いろいろな困難に向き合っています。それでも、たとえば環境という1つの視点から見ても、自然を愛し環境を意識して行動している人の割合は、日本に比べて圧倒的に多いと思います。私が出会った人々は、ほぼ100パーセント何かしらのペットを飼っていますし、庭でフルーツを育てていたり、農場付きの小さな別荘を持っていたりする人も少なくありません。プラスチックごみを減らしたり、森や川、海を清掃しようとする活動も、日本に比べて敷居が低いように感じます。そしてそれらは、家族や自分の住む地域とのきずなに依拠するものだと私は考えています。小さい子供やお年寄り、様々な世代の違うひとびとと暮らしをともにすること。そして、自分が笑っていようが泣いていようが無条件に受け入れられているという安心感が、自分に自信を持つことと、自分とは違う尺度で生きている者や言葉を持たない者をケアしていく心の余裕に繋がるのです。環境問題に限らず、今世界が抱える様々な問題は、1人ひとりがそのような幸せと心の余裕を持てるだけで半分は解決するのではないか。そのために自分にできることを、クリエイティブな視点で探していきます。 個人研修生 上田 大貴 さん 愛知県 聴覚障がい 研修期間:2018年8月19日〜2019年5月13日 研修国:アメリカ合衆国 研修機関:ギャローデット大学(Gallaudet University)、諸州の聾学校 研修テーマ:日本のろう学校における早期英語教育について 研修目的:聴覚障がい児が英語に関心を持てる学習方法を考え、異文化交流を通じて他国のろう文化を学ぶ。 タイトル 聴覚障がい児に英語の楽しさと可能性を 研修応募のきっかけ     現在日本では学習指導要項が見直され、2020年度からの教育改革として、小学校英語教育の早期化や必修化に向け準備が進められています。また、一方的に教える授業ではなく子ども達が主体的に参加する「アクティブラーニング教育」も広がっています。それに伴い、現状英語が苦手な聴覚障がい児が多い中で、子ども達が英語の授業を意欲的に取り組めるようになるには、どのような指導や学習方法が適しているのか。英語教育に興味がある私は、同じ障がいを持つ自分ならではの視点から分かることがあるのではないかと考えていました。そんな中、ろう社会で活躍されている先輩が、ダスキンの海外研修派遣事業の経験者ということを知り、たまたま話を聞く機会にも恵まれ、これらを研修テーマに掲げ挑戦してみようと思ったのが応募のきっかけです。 研修先決定からビザ申請と住まいについて  私が研修先をアメリカ合衆国のギャローデット大学(Gallaudet University)にこだわったのには理由があります。それは、この大学が全米一の規模を誇る「聴覚障がい者のための大学」だったからです。アメリカのろう者、難聴者、聴者のみならず、世界各国から留学生が集まるので、様々な人種、宗教、文化、価値観に触れ合うことができ、それぞれがどういった教育背景で学んできたかを知るにはもってこいの環境なのです。大学内も手話でのやり取りになります。またこの大学の近くには、手話の通じるスターバックスもあります。ここはオーナーが障がい者就労の支援と理解を高めるためにオープンしたカフェで、店の人はみな手話を使えます。手話が分からない人にはタブレットや筆談ボードで対応してくれます。受け取りはレジで伝えた名前がカウンター上に表示される仕組みになっていて、聞こえを気にすることなくオーダーができる環境は大変居心地が良く、学生達にも人気でした。  ギャローデット大学に研修先を決めた後、正式に入学許可をもらうため、研修先大学の先生とメールでやり取りをしながら手続きを進めました。希望渡航日まであまり日にちがないので急ぎましたが、大学の授業や課題もある中、並行して必要書類を揃える作業はなかなか大変でした。提出したものの、研修先からの連絡にタイムラグがあったのでハラハラしていましたが、無事入学許可をいただき、J1ビザの申請書類が手元に届いた時は非常に安堵しました。一方、J-1ビザのついたパスポートは、領事館での面接後3日で自宅に届き、その早さに驚きました。そのおかげで渡米まで心に少し余裕ができて嬉しかったのですが、やはり手続きは早いに越したことはないと思いました。また、入学許可申請からビザの発行まで、これら手続きが自分でやれたことで、自信を持ってアメリカに渡ることができました。  滞在先の住まいは、高校の三年間寄宿舎生活で慣れていたのと、一日でも早くアメリカ手話(America Sign Language=ASL)を覚えることを考えて、大学敷地内の寮を選択しました。結果大正解で、毎日出される大量の課題に時間を費やすことができたのと、学内の食堂や寮で多くの友人達と会話し手話の向上にも繋がりました。しかし冬休み中は寮が閉鎖されるため、外に住まいを探さなければなりません。友人達にも部屋に空きがないか声を掛けていたら、シェアハウスにちょうど一か月だけ空きが出ると聞いたので、お願いして無事確保することができました。 研修先での学び  私は、ギャローデット大学のISSP(国際特別学生プログラム)の個人研修生として入学し、アメリカ手話言語学やろう文化(Deaf Studies)など、自分が関心を持つ授業を選択し受講しました。日本では一部自治体が「手話言語条例」を制定していますが、国として「手話は言語」だと正式な認知はされていません。アメリカでは手話(ASL)は言語として認められており、英語とは文法も異なる一つの言語だと教わりました。授業で「第一言語は何?」と聞かれ、「日本語です」と答えたろう者は私だけでした。もちろん聞こえの程度は様々なので全ての人がそうとは限りませんが、アメリカのろう者の第一言語は手話で、第二言語が英語だということはしっかり浸透していました。ここにきて、日本の英語は第二言語ですが、手話を使う子どもにとって英語は「第三言語」になることに気が付きました。英語が苦手になるのも分かる気がします。「では君は今、第四言語としてASLを学んでいるんだね」と先生に言われた後、私は言語とは何かを深く考えさせられました。  研修生活がスタートしてすぐは、周りの手話の早さに圧倒され、ついていくのに精一杯な上、多くの課題と格闘する毎日でした。それと同時にアメリカのろう教育環境を実際にこの目で見るため、大学を通じて諸州の聾学校に見学のアポイントが取れるようお願いしましたが、院生ではないので許可が下りません。しかし諦めきれず、バイリンガル教育(ASLと英語)に力を入れているろう学校を絞りこみ直接メールで依頼をした結果、数校から見学許可をいただくことができました。またろう教育カンファレンスにも参加し、教員や大学院で専門的に学ぶ方々の話を聴講する機会もありました。 アメリカ手話の習得と生活について  ギャローデット大学内のコミュニケーションはほぼアメリカ手話です。先にも述べましたが、英語とは言語が違うので、渡航前は時間の隙間を見つけながら、YouTubeや本などで日常会話程度の手話を使えるようにしました。ネイティブな手話の講義は読み取りに苦労しましたが、友人との会話では、あまり文法を気にしないようにして伝えることに重点を置き、分からない手話があればすぐその場で質問して、ひたすら手を動かしていました。間違いに寛大で、とりあえずやってみようという学内の雰囲気もあり、毎日ASLのシャワーを浴びながら少しずつ覚えていき、気が付くと上達していました。外出先の聴者とのコミュニケーションは、BIGというアプリを使い、スマホに文字が大きく映し出された画面を相手に見せて会話をしました。スマホのアプリは生活の中でもよく利用し、国内線や高速バスの手配など大活躍でした。学外研修ではAirbnb民泊アプリを使いました。早朝や深夜の移動は危険なので、Uberの配車サービスシステムが役に立ちました。どのアプリもコミュニケーションの負担が軽減されるため、聴覚障がい者にとって実に助かるサービスです。急な手配は、学内にあるSVRS(ろう者と聴者の間に手話通訳が入るテレビ電話システム)を利用しました。  ワシントンD.C.では週末になるとあちこちでイベントが開かれています。大学内でもイベントが盛んでいつもとても賑やかです。多国籍の学生が多いため、各国の歴史や文化をアピールする催しもあり、私もアジアの文化を紹介するイベントで、法被を着て日本の文化を紹介しました。異文化交流は、相手の文化や歴史を学ぶこと以外に、自分の国を見つめ直すきっかけにもなりました。また、自身の経験不足や見識の狭さを感じることもあり、大変有意義な時間だったと思います。  アメリカ生活で常々感じていたのは、イベントでも講義でも手話通訳や音声通訳の情報保障がなされていることです。聴覚障がいだけでなく盲ろう者のための通訳もよく目にしました。博物館や美術館でも、絵本の通訳付き読み聞かせや、手話によるガイドサービスがあり、障がい者も聴者と同じ情報量を獲得できるのはとても嬉しいことだと思いました。研修国では補聴器をしていても日本のように視線が気になることがなく、開放的な空気が心地良かったです。日本でも2018年10月に障害者差別解消法が施行されましたが、合理的配慮はまだ十分ではなく、支援を求めやすく提供しやすい環境を整える必要があると感じています。 アメリカのろう教育  アメリカに滞在している間、ワシントンD.C.(2校)、マサチューセッツ州、カリフォルニア州、メリーランド州にあるろう学校を訪問させていただきました。カリフォルニア州のろう学校では、廊下の壁に全米で活躍しているろう者の写真が貼られていて、子ども達が自分の未来を思い描くことができるようにしているのだと聞きました。日本のろう学校との違いは聴覚障がいを持っている教員が多いことです。流暢な手話を使い授業を進めていました。目の前に同じ障がいの大人がいることは、モデルとして大きな意味があると言われ、ろう教育に携わりたいと思っている私にとって励みとなりました。  アメリカでも英語の読み書きが苦手な児童は多く、手話と英語指導のバランスが偏らないよう、教員が連携して授業を進めていました。また子どもの実態をよく把握して、個人の能力や障がいの程度に応じた指導を行っていました。  IT技術の発達に伴い、iPadや電子黒板などICT機器を活かした取り組みは、日本よりかなり進んでいます。教員が用意した画像や動画には字幕がついていて、それを見ながら説明を付け加えていました。空き時間には、子ども達が夢中になって学習用ゲームソフトに取り組んでいる姿も見られます。ある学校では、授業中に先生が子どもと教材を撮影していたので、気になって聞いてみると、子どもと一緒に編集作業をして、次の授業のプレゼンテーションに使うそうです。IT技術の助けを借りながら自分で考え、人前で話す経験を繰り返すことで、その場や物事に慣れ、自己表現力が磨かれていくのだと思いました。  また、言語の習得に絵本を使う学校もたくさんありました。カラフルで分かりやすい文の絵本は、イラストと単語を結び付けてイメージさせることに役立ちます。アメリカのろう学校では、先生は手話で絵本を読みながら、単語の意味を一つひとつ丁寧に説明していました。  子どもの読み書きの能力を向上させるには、飽きさせず楽しい授業になるよういつも考えているとおっしゃったことが印象に残りました。   ギャローデット大学には、「VL2 Storybook Apps」というeブックアプリを開発しているチームがあります。聴覚障がい児が読むことに関心を持つために、動くイラスト、英文、ASLの動画を同時に見れるように工夫がされています。手話ができない親でも、子どもと楽しく学べる動く本です。聴覚障がい児にとって、本を読むことに力を注いでいるのは、アメリカも日本も同じだということが分かりました。 研修先で感じたこと  異文化交流を通して、多様な国の文化、宗教、教育背景を身近に感じることができました。国家間にある複雑な感情を持つ人もいれば、自国のろう教育に見切りをつけアメリカに来た人もいて様々です。ただ、お互いを理解し尊重しようとする姿勢は異文化交流においてとても大切な事だと気付きました。物事を一つの側面からではなく、多面的に見ることで、本質が見えてくることがあるかもしれません。私はこの研修でできた仲間との繋がりをこれからも大事にしていきたいです。  また、私の不慣れなアメリカ手話がろうコミュニティで通じた時、初めて英語が伝わって嬉しかった小学生の頃を思い出しました。この研修で、言語とは何かを考える機会がありましたが、つたない私のアメリカ手話でも意思疎通ができることの方が大切で、自分にとって言語は「目的のための手段」だと感じました。「授業の内容を理解したい」、「友人と話せるようになりたい」という目的があったので、手話を自然に学ぶことができたように思います。日本語力の定着など、日本に早期英語教育が導入されることには様々な意見がありますが、子どもが楽しく、自信を無くさないまま中学の英語の授業に繋げられるのが理想的だと思います。アメリカ各地で学んだ中にたくさんのヒントがありました。それを活かしながらこれからも目標に向かって挑戦したいと思います。 最後に  この研修を振り返ると、自分にとって全てが初めてのことばかりでしたが、多くの方々の支えにより無事に終えることができました。得た知識と経験を元に、次は自分が誰かの支えになれるよう貢献していきたいと思います。  私に素晴らしい機会を与えて下さったダスキン愛の輪事業関係者の皆様、アドバイスやサポートをして下さった方々、遠くから応援してくれた友人や家族に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。 個人研修生 大橋 ノア 愛喜恵 さん 大阪府 肢体不自由:発達障がい 研修期間:2018年8月19日〜2019年7月29日 研修国:アメリカ 研修機関:イリノイ州シカゴ大学、アクセスリビングのユースチーム 研修テーマ:障がい種別を越えたユースのメンターシップ、自立のプログラムについて学ぶ 研修目的:アメリカの大学で障がい者における人権や法律を学び、その考えの元、実際に行なわれている障がい種別の違う高校生から26歳までの自立プログラム、メンターシップ、ワークショップを獲得し、日本に持ち帰る タイトル 障がい者運動の視点を広げることで知った、「全ての人が生きづらさを感じない社会作り」 はじめに  私は、日本で言われる「重度障がい者」であり、胃瘻や呼吸器を使って、大阪で一人暮らしをしてきました。しかしながら、その地域で生きる上の自立生活にたどり着くまで、小さなころから、「他の生徒と共に学ぶ」、インクルーシブ教育を受けるために、常に幼少期から闘い、また、大人になり、障がいが重くなると、地域で住むことができず、「長期入院」や「長期入居施設」に入所し、常に「隔離」という抑圧を受けた生活を送ってきました。同時に、今、大阪の自立生活センターのスタッフとして障がい者運動を行ない、障がい者が地域生活を送れるように権利擁護活動を行なってきましたが、その中で、私のアイディンティティ―である、発達障がい、身体障がい、視覚障がい、そして、外国人ルーツ、また、性的マイノリティーなど様々なアイディンティティ―が逆に日本では生きづらいけれど、それをどのようにして障がい者運動や社会をより生きやすい社会づくりに変えるか…と出口が見えず、苦しい思いをしていました。また、日本の障がい者運動の中でも、若手障がい者がいるはずなのに、なかなか運動につながってくれない、家で家族の元、引きこもっている状態をどう打破できるのかと自分なりに分析し考えた結果、教育が分離教育になっているのに根本的問題があるのではないかという結論になりました。そこで、もっと法律的にも、支援的にも、統合教育をしているアメリカで若手応援のプログラムを行なっている自立生活センターで実際にどうしているのか現場で学びたいと思っていた時にダスキン愛の輪基金のプログラムに出会いました。 出発までの準備  研修国は私の国籍もある国(母がアメリカ人)ということもあり、ビザの心配はありませんでした。また、研修先であるアクセスリビングは私が働いている自立生活夢宙センターの姉妹センターとして友好関係もあり、受け入れはスムーズでした。そして、障害学を学ぶイリノイ州シカゴ大学も奨学金付きで編入合格したということもあり、最初は全てうまくいくという自信がありました。しかしながら、医療的ケアが必要、そして、介助者が常に必要な重度障がい者という状態。簡単に制度が使えると思っていたものの、アメリカに住所がないと使えない、一緒に最初ついて行ってくれる介助者を日本でいちから見つけなければならない、呼吸器の購入もしくはレンタルする莫大な費用の壁など、実際渡米しようとしたところ、考えを超えるさまざまな壁があり、渡米の3か月前くらいから急遽クラウドファウンディングをしたり、介助者を見つけトレーニングしたり、アメリカの介助制度を自分で調べたりとバタバタしながらも、なんとか、介助者も行ける状態になり、医療などの部分もなんとかいけるようになり、研修の受け入れから、生活部分までとりあえず安心していける状態まで整えて渡米することになりました。住居も制度や大学への通学、交通の部分を考慮し、寮のバリアフリー部屋を手配しました。 研修先で見た教育現場  私が見た大学は、障がいの有無に関わらず、全ての生きづらさを感じた人が合理的配慮は受けられるのはもちろん、基本的に、合理的配慮以前に、全ての人が大学に入るという考え方の元、物理的なバリアフリーはもちろん、書類や授業で使う資料などは各教授がバリアフリーにできる範囲ですることや、授業自体も教授達が工夫して、バリアフリーな空間づくりをすることが義務づけられていました。なぜそういうことができるのかと疑問に思い、調べたところ、ADA法(Americans with Disabilities Act,障害を持つアメリカ人法)により、アメリカの全ての大学には障害学生支援センターが置かれることが義務付けられており、そこで、各教授へのバリアフリーな授業づくりのトレーニングはもちろん、ベースライン以上のニーズが必要な合理的配慮の支援を義務づけられているということでした。その結果、アメリカの大学の障がい者の割合というのは全体の生徒の5〜10%が最低限いるとのことでした。その生徒一人ひとりのニーズに合わせて、この障害学生支援センターが必要な合理的配慮を当事者学生と話し合いながら決めていきます。例えば、私の場合、寮はADA法に基づいた一定の基準の車椅子ユーザーが使えるような部屋で、介助者が寮の鍵を持てるように住宅の合理的配慮、大学内の交通機関は、事前に予約すれば、大学から車椅子が簡単に乗れる無料の送迎サービス、そして、大学の勉強においては、課題や試験の時間やフォーマット、スクリーンリーダーの提供、空間の合理的配慮など、さまざまな配慮をしてもらいました。それらの合理的配慮のおかげで、何不自由なく、他の生徒と共に楽しく、時には大変と感じつつも平等に学ぶ機会をもらいました。他にも、障がい種別によっては手話通訳者の手配、そして、要約筆記などの手配も受けられます。また、私が渡米前から知りたかった義務教育内での統合教育に関しては、アメリカは高校までは義務教育。大学だけではなく、幼少期の頃から、どのように統合教育をなしとげているのかも研修先の1つであるアクセスリビングのユースチームの一員として、実際に高校へ行き、視察、高校生のメンターとして直接働かせていただきました。実際の高校へ行くと、日本の教育とアメリカの教育の違いに驚きました。大阪市内の小学校では、ほどんどの学校にエレベーターが付き、少しずつ統合教育に流れが動いてはいるものの、ほとんどの障がい児の親御さんは、幼稚園の年中生くらいになった頃から教育委員会などに自分の子供が通常学校へ通えるように働きかけないと時既に遅しで「対応が難しい」などの理由で特別支援学校を進められるケースがほとんどです。しかし、アメリカでは法的拘束力のあるIEDA法(Individual Education Act,全アメリカ障害児教育法)があり、 障がいの有無に関わらず、全ての生徒が「無償でなおかつ個々に適切な公的教育」を与えなければなりません。障がいのある生徒は3歳より、IEP(Individual Education Plan,個別教育プラン)を年に一度、本人(年齢によりけりですが)、両親、教師、学校内での介助者、ソーシャルワーカー、リハビリ師などみんなが関わり作っていきます。日本のように「対応が難しい」という理由が一切通用せず、「みんなが共に学ぶために、そして、本人が障がいのない生徒と限りなく同じ学習環境を作るためにどんなサポートが必要か」を徹底的にみんなで考え、作り上げていくという実態でした。そのため、障がいの有無に関わらず、基本的にみんな一緒に学んでいて、もはやだれが障がい者なのか言われなければ分からないくらいでした。ちなみに、その高校の義務教育の間は学校内でリハビリなども受けられ、その費用は全て、学区が持つため「無償」のサービスとなります。 実際の研修  私は、1つの公立高校に焦点を絞り、毎週、その高校の3年生の中で、そのIEPを受けている計20名を3人のチームで「義務教育からの展開支援」に当たりました。これは、義務教育を終えた次のステップとして、本人が望んでいることの支援を行なうものです。例えば、大学を希望している生徒には共に大学へ一緒に行って、どの大学に行きたいのか決めたり、大学の障害学生支援センターに一緒に行き、どのような支援をその大学ではしてもらえるのか聞いて不安をなくしたり、貧困家庭の場合は学費免除のための申請を共にしたり、寮に住みたいという生徒には自立生活プログラムを組んだり…と幅広く、義務教育を終え、大学なり、就職なり、親元を離れるなど、大人の最初の一歩を歩む生徒により添い、自信をつけさせるプログラムです。私自身もアメリカの法律を完璧に知り尽してないまま現場での実践していくなかで感じたのは、ネイティブアメリカン障がい者問題、貧困問題、移民問題、人種問題、性的アイディンティティ―問題など日本で障がい者運動を行なっているだけではなかなか直面しない複合的な問題が、実は、1人の人間の人生において複雑に重なり合って「障がい者問題」になり、生活に様々なバリアを作っているということでした。これは、今まで、日本で障がい者運動をしていると単なる「長時間介助保障がある=自立生活ができる」という私の固定概念を根本から覆して、物事を幅広くみることができるきっかけになりました。そのため、アメリカイリノイ州シカゴ大学の障害学部で最初は必要な障がいに関する問題だけを学べばいいと思っていましたが、急遽、現場に応用できるように、貧困や移民問題からアメリカの歴史、そして、ジェンダーのクラスを取り、自分自身の中でしっかり状況を理解できるように必死に学習面を通して、法律や問題の根本などを知って、その学んだことを元にアクセスリビングのユースチームの一員として高校で実際に対応をさせていただきました。そして、障がい者問題を解決していくということは、広い視野で見た時に社会問題を解決していくことになるということ。そのため、日頃から、自立生活センターが積極的に、地元の移民や難民の団体、LGBTQs団体、人種問題に取り組んでいる団体、ネイティブアメリカン団体、そして、貧困問題に取り組んでいる団体などと連携し、地域全体の社会をよりよくしていくことが結果として、障がい種別や人種間、経済状況の違う障がい者が誰一人取り残されることなく自立生活していける環境・社会づくりという理解でアメリカの自立生活センターは動いているのが現実でした。その方針のアクセスリビングのユースチームの所で働いてみて、感じたのは、逆に障がい者団体が一見すると障がい者問題と関係ないような他団体と連携し、リードを取ることによって、地域から信頼され、応援される障がい者団体になるということや、障がい者の長時間問題に関しても、他団体が共に声を上げて運動してくれるアライ(当事者の不安や迷い、問題に寄り添う人達)の関係ができているということでした。 最後に  この研修を通して感じたことは大きく3つあります。1つは、統合教育の大切さです。特に義務教育の間に統合教育で育った社会は自然に多様性や個々を受け入れる社会の土壌が出来上がっていたので、結果として、どんな人も生きやすい社会になっていました。2つ目は、今までの自分自身の障がい者問題や障がい者運動は凄く幅狭いものだったということです。障がい者と言っても、100人いれば、皆それぞれ違う人間です。それを例えば介助保障制度のみを訴えることで解決するのには限界があります。若手障がい者、貧困で障がいを持った人、シングルマザーで障がい児を持った人、LGBTQsで障がいを持った人、外国籍で障がいを持った人、重複障がいで情報保障が絶対的に欠かせない人…。キリがないくらい人それぞれ1人の障がい者の中に色々なアイディンティティ―があるのを前提としたうえで、誰もが取り残されない障がい者運動をしていくには、他団体やナナメの関係や連携は不可欠です。その関係や連携を通して運動を展開していった先に、今困っている若い障がい者も障がい者運動に関わってくれたり、統合教育ができないといった問題も解決に向かっていくのではないのか?と新たな視点での運動展開の野望とその結果、社会にどんな化学反応が生まれるのか、今から楽しみで仕方ありません。とはいえ、最後に感じることは、義務教育間の統合教育にせよ、義務教育直後の移行期間、そして、義務教育後の大学教育、また仕事に関して、「障がいの有無に関わらず、共に学び、共に働く環境」のためには、拘束力のある法律が絶対的に必要ということです。  この1年間、様々なことを体感し、様々な経験を通し、また学業の面で学習することで、今まで訪れるだけでは分からなかったアメリカの障がい者の上記のような実情を知り、日本の障がい者運動の展開のヒントを得ることができたのも、ダスキン愛の輪基金や受け入れてご指導してくださった皆様、特にアクセスリビングのユースチームの皆様と、様々な形で応援、サポートしてくださった方々、会員の皆様あってのことであり、心から御礼申し上げます。  この1年間で得たことの恩返しとして、今後は統合教育のために、拘束力のある法律の実現と自立生活センターが障がい者運動を超え、他団体と連携し、社会全体をよりよくしていける最前線を進んでいけるように日々邁進していきたいと思っています。 個人研修生 大城 亮 さん 沖縄県 肢体不自由 研修期間:2019年1月28日〜2020年1月27日 研修国:大韓民国 研修機関:ソウル障害者自立生活センター 研修テーマ:韓国の地域社会で自立生活を望む当事者への自立支援、ピアカウンセリング・ILPが与える効果を学ぶ。 研修目的:CILと当事者、その家族との関係を間近で見ながら、 その中でILPやピアカウンセリングが提供される時にはどのような効果を与えるのかを学び、新しい視点の自立支援開拓を模索する。 タイトル 自分を見つめるきっかけは海外にあった はじめに  初めまして、大城亮と言います。私は生まれつき手足の関節に障がいがあり、先天性多発性関節拘縮症という診断を受けました。入浴やトイレなど、日常生活に介助を必要とします。元々国際的な分野に関心が強く、大学で英語を専攻した後、地元沖縄で語学力を生かした仕事に就きたいと考えていました。しかし、語学以外での「やりたい事」がないことに気づき、就職活動は容易くは行きません。どの分野で、どのように語学を生かしたいのか分からない時期が卒業後は続きました。そんな時、友人の結婚式で韓国ソウルへの招待を受け、これまでどんよりとした日常に光が差すようなひと時を過ごします。それがきっかけで、沖縄から飛び出して新しい事にチャレンジしたいという強い思いが込み上げるようになりました。  私が韓国で学びたいとしたのは、「ピア・カウンセリングやILP(自立生活プログラム)が当事者に与える効果」でした。実は、自立生活運動に関心がなかった私ですが、研修を通して自分の障がいを見つめ直すようになり、徐々に考えが変わっていきます。研修内容と共に、私の考えの変化を本研修報告で記していきます。 韓国ソウル  大韓民国の首都であるソウルにある、「ソウル障がい者自立生活センター」(以下ソウルセンター)を拠点に2019年1月から2020年1月の1年間、ピア・カウンセリングやILPを通した当事者の活動を学びました。本事業の元アジア研修生であるパク・チャノさんが代表を務め、素晴らしいリーダーシップで地域の障がい当事者の自立をサポートしています。2019年7月末まで日本で研修を受けられていたので、私が韓国に渡航した2019年1月末から半年は、ソウルセンターの職員の方に研修を担当して頂きました。家族から自立したいけど、どうしたらいいか分からない・一人では説得が難しいといった当事者に提供されるプログラムを通じて、自立生活の実現に向かって本人がどう変化していくのかを感じられると考えた私は、ピア・カウンセリングについて学べる機会を多く持ちたいと相談をしていました。ソウルセンターでは職員の一日の活動を自由に見学出来る環境を頂き、外部から講師を招き、ソウルセンターの当事者職員を対象とした「ピア・カウンセラー内部研修」や、他CILが主催するピア・カウンセリング基礎集中講座に参加するなど、「ピア・カウンセリング」について集中的に学ぶ機会が多かったです。内部研修では職員同士で1週間辛かった事・嬉しかった事を聞き、話した内容をお互いどれだけ覚えているかといったアクティビティを通して、「人の話に耳を傾ける事」について理解を深めました。  韓国の障がい者運動は当事者同士の繋がりが大変強く、各地域で開かれるデモ集会にはどれだけ遠くても韓国全土から当事者が集まることがしばしばあります。70〜80年代の日本でも繰り広げられた様な、障がい当事者の生活保障拡大を求める物や、介助者派遣制度の改善を求めて主要な道路を占拠するデモ集会を韓国で実際に参加する事が出来ました。警察の機動隊が盾を持って並んでいたり、進路妨害だとクラクションを鳴らす車と車いすユーザーが口論になったりと、物々しい雰囲気だなと感じもしました。しかし、「私たちの制度なのに、私たちの声を聴かずに政府は制度を作っている」と力強く訴える光景から、当事者主体という障がい者運動の理念はどの国でも同じなのだという事を学びました。 研修受入交渉とビザ申請  研修計画をゼロから自分の手で作り上げるのは、頭を抱えつつも楽しい段階でもあります。もやもやとした現地での研修生活を具体的に組み立てて、ああでもないこうでもないと悩む過程は、これから始まる研修生活の基盤を作る最も重要な物です。そして自分がこの研修で何を学びたいか、なぜその場所で学びたいのかは希望する研修先への強い交渉材料となります。私は本研修に応募した時点でソウルセンターを希望していましたが、なぜソウルセンターで学びたいのかという部分で具体的に整理できず、研修受入れは難しいとの返事を受け取っていました。自分の学びたい内容と、受け入れ先が教授出来る事をどれほど近付ける事が出来るのかをメールでやり取りしながら考え、引き続き交渉を進めていました。研修派遣決定から半年経った頃、日々の多忙な業務の中研修受入を決定して下さり、研修に向けた準備は一気に加速しました。介助者の派遣や住居の確保など、実際にソウルセンターを訪問して研修計画について調整したり、車いすでも出入り可能な物件をご紹介頂きました。韓国への長期滞在はワーキングホリデービザを利用しました。一般研修ビザで申請するとなると大学などの教育機関以外はビザ発行権限がなく、NPO法人への所属では難しいとの回答を韓国領事館から受け取りました。1年という期間で在留許可をもらうには、アルバイトも可能で語学学校などへの入学が可能なワーキングホリデービザ以外にないと分かり、愛の輪事務局とソウルセンターに相談してビザを取得しました。希望先の国によっては、米国の交流ビザの様に中期〜長期の研修に向いたビザが設けられている事があるので、派遣が決定したらどのビザで渡航できるのか、必要な書類は何なのか把握しておく事を強く勧めます。出発日と帰国日の搭乗予約票が必要な場合がほとんどですので、研修計画を共に進める愛の輪事務局との連係プレイです。 自分に合った環境  研修計画の次に重要となる家探しは簡単ではありませんでした。出来るだけセンターに近く、エレベーターが設置されている物件を探していましたが、月の家賃が約10万円台の物件が多く中々決めることが難しかったのを覚えています。加えて、韓国の場合は入居契約時に保証金を支払わなければいけないのですが、一般的なアパートでも約500万円からという、一人ではとても支払えない金額です。ソウルセンターの自立生活体験室のあるアパートを紹介してもらい、空く予定の部屋を新たな体験室としてセンターが確保し、月々の家賃や光熱費を私が支払う形で入居出来る様サポートして下さいました。次に介助者派遣についてです。これまで家族と暮らしていたので介助者を使いながらの一人暮らしをイメージ出来ませんでした。介助者がいないと出来ない部分(着替え、入浴など)と一人でもなんとか出来る部分(簡単な料理、外出)をすべて洗い出し、一日の流れを考えながら介助の時間も設定していきました。一人暮らしをする上で最も不安だったのが、就寝中にトイレに行きたくなる事でした。小さい方なら一人でも出来るので、自力で起き上がれるよう電動ベッドの手配を業者にお願いし、介助者のいない夜間を出来るだけ安心して過ごせる様にしました。研修計画の段階から入念にシミュレーションをし、介助の時間を設定して一人暮らしが出来たことは大きな自信に繋がりました。「誰かが常にいないと生活できない」という不安が崩れるきっかけとなり、障がいを持ちながらの一人暮らしに対する考えが柔軟になったと感じています。自分に合った環境をこうして整える事が出来たのも、惜しみなくご支援頂いた研修先と、私の生活をサポートして下さった介助者がいるからです。 自己選択の難しさ  冒頭で記したように、私は生活に介助を必要とします。私の体の一部となる介助者との関係づくりは簡単ではない部分もあるのだと気づかされました。例えば、本人が「細かい所はこうしてほしいな」と思っていても口に出さなければ介助者は分からないので、気を使って口に出すのを我慢してはフラストレーションが徐々にたまるばかりです。一度小さな不満が出来ると、その介助者の魅力はどんどん見えなくなっていきます。そうするとその当事者と介助者の関係はぎこちなくなり、やがてコンビ解消。「介助の仕事やめよう」と介助者の担い手が減る恐れも出てくるのです。また、研修中に様々な地域の当事者の方々と出会ってきましたが、その中には介助者が「ああしようこうしよう」と本人を引っ張っていく様子も見られました。本人が望んでいる事に対して「こうすればいいじゃない」と過度に意見を押し付けてしまうと、その時点で当事者は委縮してしまう恐れがあります。それが自己選択の機会を減らしてしまうのではないかと考えるきっかけになりました。 自分の障がいと向き合う  研修を進めながら徐々に分かっていったのは、私が自身の障がいを受け入れられていない事でした。これはパク・チャノ代表の「りょうは障がいを持っている自分を好き?」という質問に、イェスと答えられなかった事で初めて実感しました。無意識に障がいがコンプレックスになり、「障がいを持っていても健常者の様に」と無理をしていたのではないかと思い返すようになったのです。加えて、私はこの研修を糧に「自立生活センターだけではない、自立支援の体勢構築を模索する」という考えを持っていたのですが、なぜ自立生活センターではないのかと思い返した時、「障がい者が集うイメージが強いから」との答えに至りました。ここでその「障がいに対するコンプレックス」がにじみ出て、自立生活センターの様に障がい当事者が集う環境を避けていたのだと実感しました。これまでそのように自分の姿と向き合うことなく、他の才能を発揮させようとする事で「自分は一人の人間として社会で活躍できる」と闇雲に社会へ旅立とうとしていました。例えその方法で成功したとしても、結局「自身の障がい」の部分でもやもやする日々を送っていた事でしょう。この気づきは、他センター主催のピアカン基礎集中講座に参加した時のことを思い出させました。ピア・カウンセリングでは、お互いの悩みや不安な気持ちを打ち明ける事から始まる「セッション」からプログラムは始まります。ある当事者とセッションをした際、相手が自身のストーリーを話していると過去に私も経験したことがどんどん出てくるケースがありました。親から受けた言葉や育った環境の影響、自信のない自分を奮い立たせるのは自分自身であることなど。お互い違う国で生い立ちも違うのに障がいを持っている者同士で共有できる出来事があり、「そうだよね」と心から共感できる事に新鮮さを感じていました。ピア・カウンセリングの基本は相手の声に耳を傾ける事とされていますが、相手の過去を読み解きながら自分自身を見つめる作業であるのだと学びました。そして同じ経験をした者同士だから分かり合える物、お互いに導き出せる物があると確信したプログラムでした。 自分の悩みは皆の悩み  本研修で得た最も大きな物は、自身の障がいを受け入れるきっかけでした。障がいを持っているから目標まで回り道するのではなく、そのまま直進できる手段と踏み出す勇気を共に得ていく。その過程が「一般的」となるよう社会を変えていく事が障がい者運動の根本ではないかと私なりに考えています。自分の出す勇気が、他の誰かの一歩にもなりうるという意識をソウルセンターでの研修を通じて学び、ピア・カウンセリングやILPなど、当事者同士の繋がりの中でじわじわ広がっていくと実感しました。そして研修の後半に差し掛かるころ、ぽっとある考えが浮かびました。「共に悩み、共に乗り越える」、この考えが芽生えた時、私の中にある堅い殻が一枚割れた気がしました。障がいを持っていても幸せになれる方法は必ず存在し、何重にも重なる殻が割れる度、ありのままの自分で人生を謳歌できると信じています。 さいごに  本研修を無事に終えるまで、ダスキン愛の輪事務局の皆様をはじめ、アドバイザーとしてサポートして下さった長瀬先生、そして大変多忙な中惜しみなく研修を一緒に進行して下さったソウル障害者自立生活センターの皆様、韓国で出来た友人達に心から感謝申し上げます。障がいを持っていても幸せに暮らせる社会づくりに貢献し、皆様に恩返しできるよう精進して参ります。 ミドルグループ研修 グループ名 英国Football文化視察団 岩田 朋之さん 丸山 哲生さん 大平 英一郎さん 角谷 佳祐さん 北関東・茨城県 視覚障がい 研修期間:2018 年9 月13 日(木)〜25 日(火) 研修国:イギリス(イングランド) 研修先:@ロンドン(Tottenham Hotspur Foundation、The Royal National College for the Blind など) Aマンチェスター(Manchester United Foundation、Manchester City Foundation など) Bバートン(イングランドサッカー協会) 研修テーマ:ロービジョンフットサルを通じて、日本の弱視の子供たちの可能性を開花させる タイトル 可能性を信じ、1人ひとりとしっかり接する  私たち英国フットボール文化視察団は、「日本の弱視の子どもたちが自分の可能性を信じ、footballを楽しめる環境を広げていくこと」を研修ビジョンに掲げ、3つの調査の視点をもって、今回の研修に臨みました。 <調査の視点> @スポーツ参加の実態やスポーツ環境、スポーツ文化などを知ること A弱視選手に対する指導方針・指導方法について知ること B英国におけるFootball への関わり方について知ること @スポーツ参加の実態やスポーツ環境、スポーツ文化などを知ること  環境については、【観戦環境】と【競技環境】の2つの視点から捉え、以下のような取り組みを行ってきました。 ・スポーツ参加の実態について Partially Sighted Football One Day 大会に参加する地域の弱視選手へのインタビュー、クラブチーム主催のスポーツセッション参加 ・観戦環境について スタジアムツアーや観戦(Wembley、St Mary’s Studium、Etihad Stadium)の障がい者シートの調査 ・競技環境について 大会やトレーニングマッチ環境、代表トレーニング環境の調査 Partially Sighted Football One Day 大会では、参加する4チームから各2名程度、弱視選手からインタビューを実施しました。また、マンチェスターシティー、マンチェスターユナイテッド主催のスポーツセッションに参加し、地域クラブが地域住民のスポーツ機会を提供していく仕組みについて知ることができました。スタジアムツアー/観戦からは、生活の一部として根付くfootball 文化や、障がい者に対する観戦への配慮内容の充実について知り、競技環境については、football 専用の施設があることで、余計なラインなどがなく、シンプルで私たちにとっても見やすい環境でプレーをすることができました。 A弱視選手に対する指導方針・指導方法について知ること  地域クラブの指導者ならびにPartially Sighted Football代表チームスタッフへのインタビューを実施しました。 また、障がいのある子どもたちの指導を担っているクラブチームコーチからも、指導方針・指導方法について意見をいただくことができました。 B英国におけるFootballへの関わり方について知ること  FAや地域クラブが管理する、football種目や障がい者サッカーの普及、育成プログラムといった取り組みや歴史についてインタビューを実施しました。ここから、Football への多様な関わり方について考える選択肢を増やすことができました。  以下は、視察団のメンバーそれぞれの出会いと気づき、今後への想いについてエピソードを交え、報告致します。 <角谷 佳祐>  主に、今回の研修では「ロービジョンフットサルを通じて、日本の弱視の子供たちの可能性を開花させる。」と言うテーマをもとにイギリスに行き学んできました。行く前、確かにイギリスは日本に比べフットボールの文化もあり、システムも進んでおり、ナショナルチームに関しては漠然と「すごい。」と言う印象を持っていました。そのためたくさんのことを学べると思っていました。しかし、その想像は遥かに外れました。実際はイギリスにおけるフットボール文化の深さ、システムの高度さやナショナルチームに関わらないフットボーラーとしての立ち振る舞いやプレーに対しての姿勢、それを取り巻く指導者やスタッフの存在といった、あらゆることが僕の想像の域を超えており戸惑いが隠せない研修となりました。そこで、今回は僕の今後の活動において子供たちに伝えていきたい2つのエピソードを紹介したいと思います。  1つ目は、アランさんとの出会いです。彼とは弱視チームのワンデイ大会に参加した際、出会いました。彼は日本チームの助っ人キーパーと言う立場でした。そして彼は僕ら同様弱視のプレーヤーでした。日本では「キーパー=晴眼者」であり、弱視選手では「危ない」や「できない」というのが常識です。確かに僕もそうとしか思っていませんでした。しかし、彼はキーパーとして体を張り、身を投げ出してボールを止めていました。それでも、遠い距離からのシュートは見えないので緩いシュートでも入ってしまう状況でした。しかし、彼はプレーを緩めることなく必死でセービングを続け、ハーフタイムでは僕らにポジティブな声掛けをしてくれるなどフットボールに対する熱い姿勢を見せてくれました。また彼はキーパーが好きで昔からやっているとも言っていました。そこから僕は、やれないと思っていたことでも実際に必死でやっている姿を見て「可能性」と言う言葉を彼のプレーから感じることができました。  2つ目はアダムコーチとダン選手との関係です。彼らとはヘレフォードにある視覚障がい者を対象とした学校(RNC)で出会いました。彼らは「コーチ→選手」と言った関係ではなく「コーチ⇔選手」といった相互関係があり何度もコミュニケーションを取りながらお互いを理解して行くことで、今では友達のような関係と言っていました。その他の、イギリスで出会った指導者もアダムコーチ同様、「1人ひとりとしっかり接する」ことが大切と言っていました。今後は、研修で学んだ「可能性」・「1人ひとりにしっかり接する」と言うことを大切にし、弱視の子供たちに伝えられるようなプレーヤーで居続けていきます。 <大平 英一郎>  “ロービジョンフットサルを通じて、日本の弱視の子供たちの可能性を開花させる”をテーマにイングランド代表とのセッションやスタジアムの見学、障がい者スポーツにかかわる方へのインタビューなどを通し英国football文化について学びました。  football文化の違いについては試合観戦やインタビュー等様々な場面で感じることができました。英国においてfootballは人々の生活の一部であるように見えました。観戦したいずれの試合にも子供からお年寄りまで性別関係なく多くのサポーターが地元のチームを応援していました。開始直前からやっと席が埋まり始め、応援グッズなどは身につける人はまばらで、それぞれが好きなように応援し、終われば早々に帰宅する。当たり前のように足を運び、帰宅して行く姿を見て日本とは違うfootball文化があることを感じました。サポーターや現地の方に話を聞くと、祖父母の代やもっと前の代から地元のチームを応援し続けているためfootballが好きで、地元チームを応援することに理由はないとお話しいただきました。  マンチェスターの学校では授業の一環として地元のプロクラブチームのスタッフを指導者として招き障がい児にfootballを教えていました。子供だけでなく親にとっても大いに価値のある時間に思えました。その他老若男女誰でもfootballを楽しめるwalking footballプログラムなど、クラブによって違いはあるもののどのような人でも生涯footballや運動を楽しめるセッションや観戦環境が整えられていました。イングランドのチームが地域から応援し続けられる理由のひとつを視察できたと思います。  私たちには今のところ同じことは出来ませんが、地域に積極的に出て行くことや自分たちにできるプログラムを提供していくことで地域から支持され、障がい児者にとって魅力的で目標となるクラブ作りはできると研修を通して思えるようになりました。また、「子供たちの可能性を開花させる」という目標に対する取り組みのヒントも本研修で得ることができました。footballにチャレンジして得られる自信などの他にfootballは人との繋がりや社会性など、社会で生きて行くためのスキルまで得ることができることを学べました。footballを通じて子供たちの可能性を様々な視点から伸ばせていけるようにしていきたいと思います。  終わりに本研修を通して貴重な体験・経験の機会を与えてくださったダスキン愛の輪基金およびダスキン関係者に改めて感謝いたします。本当にありがとうございました。 <丸山 哲生>  イングランドへの研修は一言で言うなら「道」を知る旅となりました。私達がこのえ難い目を凝らし、どうにかこうにか踏み出す一歩一歩は、彼等が過去に歩んだ道の上に確かにあり、迷い悩む私達をそれでいいのだと励ましてくれました。そして彼らの残す足跡は道標となり、私達にまた新たな一歩を踏み出す勇気を与えてくれたのです。  彼等が私達に残してくれた道標はフットボールの名の下に全ては一つであると言うことでした。それはFAとクラブチーム、地域社会とそこに暮らす全ての人々が何らかの形で繋がっており、フットボールを通して価値観を共有し、社会をより豊かなものへ発展させていると言うことです。  彼等の足跡を幾つか追ってみますと、例えばFAが全てのフットボールを一括して管理し、星の数ほどある競技(メインストリーム、U〜、ディスアビリティ全般等)のコーチライセンスを発行することで、より多くの若者が障がいの有無や種類を問わずフットボールを学び、楽しく生きられる環境があり、或いはプロや代表など上を目指せる土壌が整えられ、それは各地域のプロクラブチームの行う障がい者サッカーの普及、育成プログラムを行う上で、とても活かされていました。  例えば各プロクラブチームは、地域のボランティアと協力しながら青少年の健全化(犯罪防止)や職の無い人々の社会復帰、問題を抱える子供達のカウンセリングや学業支援等に取り組み地域社会の発展に努めていました。例えば中途で視覚障がい者になった一人の若者は、失ってしまったものに悩み苦しみながらも、ボランティアとして地域社会に貢献することで、今ではクラブチームの設立した財団の中で、地域の救い手として働きながら、PSF(日本のLVF)イングランド代表として活躍しています。全てが繋がり一つの道となっているのです。  残念ながら日本では未だその殆どがバラバラで、FA(サッカー協会)とJBFA(ブラインドサッカー協会)が分かれ、JBFA とその他障がい者サッカー協会(デフやCP、ソーシャル等etc)が分かれ、同じロービジョンでも指導者と選手がお互いに悩み苦しみ理解しあえず、地域社会と私達競技者は認知されずに離れてしまっています。帰国した私達がすべきことは、このバラバラな方向を向く足跡を一つにし、たしかな道を己の力で切り拓いていくことだと思います。そして、その道を進んでいくことで、いつか交わる道の上、イングランドの選手達と再び出会うことが出来るのだと信じています。 <岩田 朋之>  12日間の研修や研修に至るまでの準備を通して、3つのことを学びました。1つは、「リーダーとして判断する力」、2つめは、「英国と日本のFootball 文化の違い」、3つめは、「アダプテッドの視点」です。まず、「リーダーとしての判断する力」について述べます。研修や準備の過程でリーダーとして最適解を見出し、判断する場面が多くありました。グループのメンバーやイアン監督やダスキン愛の輪基金の方々、英国の研修先の方々とコミュニケーションをとりながら、研修目的に合致して目的達成を最大化するために判断することの大切さを学びました。その時に、心がけていたことはアドバイザーである福田さんから直接アドバイスを頂いた言葉です。「ビジョンとミッションをしっかりと固めることが大切である」「研修にあたり何か迷ったらビジョンやミッションに立ち返ること」でした。私がリーダーとして決断する時アドバイザーである福田さんの言葉を大切にリーダーとして判断を重ねてきました。  次に、「英国と日本のFootball文化の違い」について述べます。文化の違いは、イアン監督との研修に向けての準備の段階からありました。それは、ロービジョンフットサルとFAが連携を取れる状況であり、日本のロービジョンフットサル選手団が、研修で学びたいということに理解を示して、オープンに受け入れるという姿勢、そして日本代表という経験があることに対してもフェアにリスペクトするという態度です。日本では、まだまだそこまでの連携を取るには障害が多く残されていますが、日本でも英国のようなオープンでフェアな関係性を構築することや障がい者をフェアにリスペクトすることで障がい者自身が自覚を持ち、自立した姿勢や態度を形成できるような関係性を築くことが準備の段階や英国で出会った人たちに、「Partially sighted footballer」「Japan National team」と自己紹介し、研修目的を伝えると、真摯に対応して多くのことを伝えてくれました。 そして、3つめは「アダプテッドの視点」について述べます。これは、マンチェスターシティで障がい者や障がいのある子どもたちへのフットボールプログラムを統括しているPaul氏からのインタビューで、これまでの考えが点と点が線になりました。彼は、マンチェスターにおいて、障がい者に向けたプログラムをする上で重要なこと「Adapted,Adaptation」であるとインタビューの中で頻出していました。インタビューののちに「Adapted」の重要性について彼に問うと、「プランやプログラムも大切だが、それぞれの障がいや特徴に合わせることが重要である、すなわちAdapted,Adaptationということだ」と伝えてくれました。  私自身、視覚障がい者となり、変えられないものより変えられるものに対して工夫することを心がけてきました。ロービジョンフットサルにおいても、今後弱視の子どもたちと接するときも1人ひとりのニーズを理解して、アダプテッドすることが弱視の子どもたちの可能性の花を開かせるために必要だと学びました。また、「アダプテッドの視点」は、今回の研修のように、海外の人たちや国際機関と計画を調整する上でも重要であると学びました。それは、英国とは時間軸も異なり、文化や価値観が違うからこそ、計画を綿密に練り、その上で英国の人々や機関と修正や変更すること、軸を持った上で臨機応変に対応することが今後の障がい者リーダーとして自立していく上で心がけていこうと考えました。  終わりに、本研修にあたりご支援いただいたダスキングループ、イアン監督をはじめ英国で出会い、私たちの研修をサポートしてくれた方々、研修を応援してくれた家族や友人、職場、大学の方々に深く感謝いたします。謝辞を伝えるとともに私たち4人はダスキン障がい者リーダーとして今後も胸を張って研修で学んだものを社会に還元していきます。感謝申し上げます。障がいを持っていても幸せに暮らせる社会づくりに貢献し、皆様に恩返しできるよう精進して参ります。 公益財団法人ダスキン愛の輪基金 〒564-0063 大阪府吹田市江坂町3-26-13 TEL.06(6821)5270 FAX.06(6821)5271 https://www.ainowa.jp