ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業  第39・40・42・43期(2025年度)研修派遣生報告書「自立へのはばたき」 第39期 個人研修生 茨城県 癘{友里さん 精神障がい 研修期間 @2020年2月14日?3月18日 A2024年2月17日?2025年1月12日 研修国 @アメリカ・マサチューセッツ州・ボストン Aニュージーランド・オークランド市 研修機関 @Harvard University, Harvard Medical School, the Department of Global Health and Social Medicine, Mental Health for All Lab AChanging Minds 研修テーマ 精神障がい福祉の国際基準や最新事例を知り、精神疾患等の経験のある人々にとって 「インクルーシブな社会のあり方」についての考察リーダーシップ等の向上 研修目的 @ハーバード大学での研修の目的 精神疾患の予防策について研究するとともに、精神障がい福祉の国際基準や最新事例を知ることで、精神障がいに関する「インクルーシブな社会のあり方」の達成に必要なことを学ぶ。 A研修先におけるテーマの実践 ニュージーランド国内の様々なメンタルヘルスケアの最新の実践事例、研究成果の情報を調べる業務を補佐することで、精神障がい福祉の世界基準を学ぶとともに、フィールドワークを通して支援現場の課題や解決策についても学ぶ。 2箇所での研修を通じて、精神障がい当事者として、地域レベルから国際社会まで異なる規模、異なるコミュニティにおけるメンタルヘルス向上の最新事例を学ぶ。帰国後は、日本国内にてその学びを活かし、具体的な活動を実行することを目指す。 時間は有限でもチャンスは無限 当事者経験のつらなりが、誰かの未来を幸せにする インクルーシブな社会の土壌:当事者の物語を語る・聴くを循環させる  メンタルヘルスの文脈における「インクルーシブな社会」とはどのような社会なのか。2か国での研修を終えた今、その社会を実現するのに欠かせないこととして、私は「当事者の物語の共有と傾聴の循環」があると考えています。社会全体として、メンタルヘルスの向上のために医療や福祉制度の整備、関連する研究や政策の改善など、支援の仕組みのハード面に取り組むことは言わずもがな重要です。一方で、もっと手前の段階として、誰もが自らの困難の経験やその中で歩んだ道のりを語ることができること、他の誰かがそれを傾聴できること、そして、その先にまた新しい道すじを見出し、異なる背景を持つ人々が共に未来を創っていけるような文化を作っていくことが、これからの私たち一人ひとりにとって重要になっていくのではないかと感じています。特に、今回の研修全体を通してのキーワードでもある、「Lived-Experience/当事者の経験や知識」は、その人の人生史や価値観から派生するものであり、その中で語られる内容としての「物語」は、本人とその周りの人々だけでなく、社会全体にとっても大切にされるべきものであることをより多くの人に知ってもらいたいと思っています。  私にとって、この個人研修は応募から数えれば5年強の時間をかけた挑戦であり、同時に、自分の人生の中でも苦しく、悔しい日がこれまでになく多かった期間でもありました。2020年2月にアメリカでの研修を開始したものの、新型コロナウイルスの世界的な大流行によりすぐに緊急帰国、再渡航の長期見合わせと多大な影響を受けました。また、2024年2月にニュージーランドへの渡航を実現したものの、生活上のトラブルが続き、研修をやり遂げられるか危ぶまれた時もありました。簡単な道のりではなかった一方で、この経験があったからこそ、限られた時間の中でかけがえのない学びを得ることができ、今後の重要な指針となる目標を見いだすことにもつながりました。本当にたくさんの人に助けられ、無事に研修を終えることができ、感謝するばかりです。  私がダスキン障害者リーダー海外派遣事業に応募した理由は、大きく2点あります。  1点目は、双極性障がいの当事者として、自らの経験を何かの役に立てることができないか、その方法や機会を模索していたタイミングだったことです。  私は20代の初めに発症したものの、自主的に精神科に通院することを長期間躊躇い、また、正しい診断にたどり着くのにも何年もかかってしまったことで、学生生活や後のキャリア形成にも多大な影響を受けました。当時のことを思い返すと今でも辛い気持ちになると同時に、精神疾患を周囲にどう思われるか不安に思っていた自分自身への偏見や、どう対応すべきかなどの知識が十分でなかったことなどが原因であり、早期に支援に関する適切な情報を知っていれば避けられた苦労だったとも思っています。  病気との付き合いが長くなるにつれ、自分のこれまでの経験やその中で得た知識を、何かの役に立てられないかと考えるようになりました。例えば、昔の私が必要としていた、適切な情報や支援を得られる場所や機会などを、より多くの人が知るようアクセスできるようになれば、個人レベルでも社会レベルでもメンタルヘルスに関係するいろいろな問題が解決しやすくなると考えました。こうした課題に向き合うためには、私自身の当事者性を活かした学びや実践が不可欠だと考え、この事業に応募しました。  2点目は、渡航先や研修内容を自分で計画できることです。  自らの経験を活かすと言っても、まずはメンタルヘルスをめぐって今どのような研究や実践がなされているのか、何が不足しているのかを知る必要がありました。その際、日本だけでなく海外の動向についても学びたいと強く思ったことが、応募に踏み切る上で重要でした。日本国内では行き詰まっている問題があったとしても、海外の先進事例やそれを可能にしている多様な視点を知ることができれば、これまでにないアプローチができるかもしれないと考えたからです。また、この派遣事業では、渡航先や現地での活動などを総合的に自分で計画できるという点が、私にとっては大事な条件でした。様々な国を対象に、自分の課題意識に合致する機関について調べたり、そこで何ができるかを探究した経験は、研修を終えた今でも重要な価値があります。 Time is limited but opportunity is unlimited ? 時間は有限でもチャンスは無限  2020年2月から、アメリカでハーバード大学メディカルスクールのMental Health for All Labにポストグラデュエートリサーチフェローとして参加しました。私が参加したのは、グローバルメンタルヘルスの権威であるVikram Patel教授が率いる研究チームで、様々な国や精神疾患を対象に、世界中の誰もが適切なケアを公正なコストで受けられるようにするための効果的な手法を研究・実践しています。例えば、インドで実施しているプロジェクトでは、一般的に医療費が高額で、また、専門医がとても少ないために、特に地方では人々が十分な支援を得られないという課題に対し、経済的余裕がない地域でのメンタルヘルスケアを充実するために、地域の中での人材育成や支援システムの構築などを行っています。私が研修のためこの研究チームに参加する間は、幅広く国際基準で先進的な事例や、特に若者にとっての精神疾患の予防について研究することを目指していました。  しかし、入国後すぐにアメリカでも新型コロナウイルスの流行が拡大し、わずか1ヶ月で緊急帰国することになってしまいました。帰国後はPatel教授らによるグローバルメンタルヘルスの講座をオンラインで受講する傍ら、現地で知り合った友人と一緒にオンラインでの勉強会を企画しました。勉強会には多い時で8か国から40名が集まり、参加者が自国のメンタルヘルスに関する問題を共有したり、文化的な違いや共通点などを議論することができ、とても有意義な機会となりました。滞在期間こそとても短かったものの、その中で人とのつながりや、学ぶ機会を拡げるために挑戦することができました。 Thank you for sharing your story. - あなたの大切な物語を共有してくれてありがとう  特に勉強会を実施する中で、私にとってとても重要な英語のひと言との出会いがありました。それは、“Thank you for sharing your story.” 「あなたの大切な物語を話してくれてありがとう」という一文です。当事者としての自分の人生史や生きづらさを丸ごと受け入れてもらっていると実感したと同時に、それまで日本語で自分の精神疾患について語る時は無意識に「患者」や「治療」など医療の文脈に偏って話していた自分がいたことに気づいた瞬間でもありました。  そして、ボストンでの大切な思い出は、ホームステイ先での時間です。大家のアンさん、アンドレアさん、そして、同時期に滞在していた他の同居人達とは、毎日の晩御飯では一緒に食卓を囲み、その日の出来事を話したり、時には世界情勢について話し合ったりと、それぞれが違う国の出身だからこそ盛り上がる会話があったことも良い経験になりました。 Community support can grow faster than medical support. - Kevin Harper, CEO, Chief Enabler of Changing Minds (コミュニティへの支援は医療による支援よりも早く人々にひろげることができる ケヴィン・ハーパー Changing Minds 代表)   当初の計画を練り直し、2024年2月からニュージーランドのChanging Mindsでの研修を開始しました。Changing Mindsは、メンタルヘルスに関する「Lived-Experience=当事者経験」に重きをおいて、ニュージーランド国内で活動している非営利団体です。その特徴として、スタッフ全員が過去に何らかの精神疾患や依存症の経験があり、自らの体験や問題意識のもとに集い、地域コミュニティや国全体のメンタルヘルスケアの向上のため、様々なプロジェクトを展開していることが挙げられます。また、当事者目線で当事者のためのより良い支援のあり方を実現することをミッションとしていますが、それは医療や福祉などの直接的・専門的な支援ではなく、支援のあり方や社会システムそのものをより良くしていくために、当事者コミュニティの声を政策につなげるアドボカシーを高めることに重きを置いています。  Changing Mindsの代表的なプロジェクトの一つとして、「R?kau Roroa」(ラカウロロア)があります。 このプロジェクトでは、メンタルヘルスに関係するLived-Experienceがある人を対象に、ストーリーテリングの重要性や手法を学ぶためのトレーニングワークショップを各地で実施しています。「R?kau Roroa」とは、ニュージーランドの先住民であるマオリの言葉で「背の高い樹」という意味で、 樹木が互いに根を張り枝を伸ばし、森を豊かにしていくように、参加者たちが誰かと支え合いながら成長し、そして、それぞれのコミュニティでリーダーシップをとることで、やがては社会全体に広がっていくようにという願いが込められています。  私も1度だけ、2日間開催のワークショップにスタッフを兼ねて参加しましたが、15人ほどいた参加者の全員がLived-Experienceがあると言っても、その背景にある個人的/社会的背景や、これからどのような活動をしたいかについてはとても多様でした。しかし、多様であっても、その場にいる全員が、自分の過去もしくは現在の経験に向き合うことは辛いけど、それでもこういう自分だからこそ誰かの役に立ちたいという強い想いは共通していました。  Changing Mindsとしては、引き続きコミュニティと共に支援システムを作っていく(for/with/to the community)と同時に、今後は、ギャンブル依存の経験者や、聴覚障がい者を対象とした支援を充実していきたいと考えているとのことです。 Everyone has own unique recovery journey. - 誰もにそれぞれ唯一無二の「回復の旅路」がある。  Lived-Experienceについて話す時、同時に語られるものとして“Recovery Journey”という表現をよく耳にしました。直訳すると「回復の旅路」となります。この表現も、私の視野を広げてくれた重要なフレーズです。私たちが精神疾患や依存症になった時、一般的に提供されうる画一的な「治療」をすることは、必ずしも最終的な解決ではないことが腑に落ちたからです。メンタルヘルスの問題は、誰もが・人生のいつかのタイミングで・それぞれの形で経験しうるもので、適切な対処や必要な支援は十人十色です。そんな時、誰かのLived-ExperienceやRecovery Journeyを知ることができれば、回復まで少し近道ができたり、あるいは、より自分にあった道を見つけられるかもしれません。私たちが、それぞれの旅路から得た経験や知識、想いを共有することで、その道すじは社会に無限に広がり、助けを必要としている次の誰かを支えることにつながります。 生きづらさが見えづらいなら、「見る」より「聴く」ことから始める  メンタルヘルスの問題の難しいところは、その生きづらさが見た目にはわかりづらく、かつ、まだまだタブー視されがちであることです。困難が見えづらいことと、それを見ないようにすることは大きく違います。この違いを認識した上で問題を捉えることがメンタルヘルスケアの第一歩だと感じています。そして、その第一歩を踏み出すきっかけは、「見る」ことではなく、「聴く」ことにあるとも思っています。  私がこれまで助けられたように、誰かと交わした何気ないひと言で、当事者もその周りにいる人も、「大丈夫ではないけれどそれは悪いことではない」と思えたり、「自分ひとりで立ち向かわなくても良いんだ」と少しでも視野が広がることは多いと思います。そして、それは世界中の誰もに共通することだと実感できたことも、この研修だからこそ得られた学びであり、かけがえのない財産です。 Everyone has stories to tell. - 誰にでも語るべき物語がある。  研修を終えた今、これまでの学びを通じてこれから挑戦したいことがあります。それは、「誰もが誰かの未来を応援することができる」ことを、より多くの人が実感し、実践できる機会や場を創ることです。従来通りの医療や福祉サービスに加えて、人々の多種多様な「物語」や人々が歩んだ「旅路」に触れられることが、メンタルヘルスケアの新しい選択肢として発展することを目指したいと考えています。このように、多種多様な「物語」のつらなりが、私たちの希望と未来を育てるような取り組みの先に、社会全体の支援の仕組みのアップデートにつながることを期待しています。 最後に  新型コロナウイルス拡大による緊急帰国やニュージーランドでの生活基盤の問題など、研修内容そのものとは異なる問題にも悩まされ、行動を制限されました。それでも、この状況で挑戦したことや得られた学びは、今後の人生のためには必須だと思うことも事実です。そして、自分だけではなく、これから同じような挑戦をしようとしてる誰かに役立ててもらえる可能性があれば、積極的に共有したいです。  機会を下さった受け入れ機関の先生方やスタッフの方々、現地で出会った友人たち、そして長期間に渡りいつも支えてくださった愛の輪事務局の方々、家族、友人と、誰かひとりでも欠けていたら途中で諦めたり、挫折したまま終わっていたかもしれません。本当にありがとうございました。 第40期 個人研修生 茨木県 福島愛未さん 聴覚障がい 研修期間 2022年9月3日〜2023年7月16日 研修国 デンマーク、アメリカ、ノルウェー、アイルランド、イタリア、ベルギー、オランダ、フランス 研修機関 @Frontrunners(オランダ) AGallaudet University、Mozzeria、Streeetcar82(アメリカ) BDoveskirke、Dovefilm(デンマーク) CDovekirken(ノルウェー) DDeaf village Ireland(アイルランド) ESenza (イタリア) FKIDS(ベルギー) GInternational Visual Theater(フランス) H世界ろう青年キャンプ、世界ろう者会議(韓国) 研修テーマ ろう者の視点による映像制作技術の研修、北欧のデフスペース デザインの視察 研修目的 聴者とは異なるろう者特有の行動様式を生かしたデフスペース デザインの啓発活動に必要な情報発信技術を学ぶために、デンマークにあるフロントランナーズでメディアを学びます。研修先でろう者に関する情報を発信する技術を学びつつ、北欧及びEU諸国のデフスペース デザインを記録し、聞こえる人々、特に建築関係者に見ていただける映像を制作します。 全ての人に知ってほしい デフスペース デザイン 研修応募の動機   大学1年生の時に大学の米国研修に参加し、ろう者のための総合大学、ギャロデット大学を訪れました。  その際にDeafSpace Design(デフスペース デザイン)の特別講義を聴講し、私が学びたいものはこれだ!と感じたのです。それまで大学で学んだバリアフリーやユニバーサルデザインでは、ろう者のための建築的な工夫といえば、音声情報を補う方法を提案されることが多く、疑問に思っていました。なぜなら、ろう者は聞こえないことよりも視覚や触覚といった感覚や手話という視覚言語を大切にしているからです。  デフスペース デザインはろう者の感覚や行動様式を活かした建築デザインです。当時、日本ではまだこのような概念が普及されていませんでした。そのため大学を卒業後、ギャロデット大学に留学しデフスペース デザインを学びました。またギャロデット大学では積極的にデフスペース デザインを取り入れるプロジェクトが進められており、そのためのオフィスがありました。実際に、どのようにしてデフスペース デザインが取り入れられているのかその過程を学ぶために、オフィスでインターンシップも行いました。帰国後、日本でデフスペース デザインについて研究する傍ら、普及活動を行っていました。しかし、特に建築や設計に関わる聞こえる人達に理解してもらいにくい課題がありました。ろう者のためだけに特別なデザインは不要だと言われたのです。その原因として、ろう者と聴者の行動様式の違いや実際のろう者の生活、ろう文化についてイメージしづらかったのではないかと考えました。  そこで、ろう者の視覚言語である手話でろう者の実態をインタビューしつつ、デフスペース デザインを映像化することで、視覚情報から聴者にも理解促進を促せるのではないかと考えました。また、米国や日本以外、特に北欧及びヨーロッパ諸国のデフスペース デザインの事例を日本のろう者にも紹介したいと考えていました。そこで、デンマークにあるFrontrunners(フロントランナーズ)と呼ばれる場所で、デフスペース デザインの啓発方法を学び、その知識を活かして北欧及びヨーロッパ諸国のデフスペース デザインを撮影したいと考え、研修に応募しました。 研修先とビザ、学生寮について  デンマークにあるフロントランナーズは世界各国からろう者が集まり、ろう者学、組織学、メディア学を基にろうのリーダーシップについて学びます。ここでは、ろう者の視点で動画を撮影・編集する方法や啓発方法を学ぶだけでなく、世界各国から学生が集うため、様々な国のデフスペース デザインについて知ることができるのではないかと考え、フロントランナーズを研修先に決めました。しかし、新型コロナウイルス感染症の流行により研修が延期になってしまいました。その間は大学院を修了し、建築会社でろう者を対象とする事業の立ち上げに関わるなど、デフスペース デザインに関連する活動を続けていました。2年後、ようやく渡航の許可をいただくことができ、フロントランナーズの面接を経て、18期生として入学することが決まりました。  デンマークに留学するためには、ビザではなく居住許可書と呼ばれる手続きが必要になります。学校で手続きをしていただきましたが、学校のプログラムの中にインターンシップがあったため、一度大使館から手続きができないという連絡がありました。その際、学校から無償のインターンシップであるという説明をしていただき許可をもらうことができました。  フロントランナーズでは定員5名の小さな家のようなタイプの寮に入りました。当初、ルームメイトは学校側が決めたメンバーでした。日本、韓国、イタリア、デンマークと様々な国籍で且つ年齢も22歳〜30歳と幅広く、多様なバックグラウンドを持つ人が集まっていたため、多くの衝突がありました。印象に残っている文化的衝突があります。毎朝、韓国出身のルームメイトが洗面所を使用した後は床が水浸しになっていました。そこでイタリア人出身のルームメイトが洗面所が水浸しになった時は次に使う人のためにモップで拭いて欲しいとお願いしたところ、なぜモップで拭く必要があるのかとちょっとした言い合いになってしまいました。当時は、使用後はモップで拭くということで落ち着いたのですが後に、世界ろう者会議で韓国のホテルやレストランを利用した際に韓国では洗面所がいつも水浸しになるのが普通で、足が濡れないよう洗面所用のスリッパがあることに気づきました。このように、国が違えば文化も異なり、人によって「普通」・「常識」が変わるのだと改めて気づきました。 国際手話   手話は日本手話・アメリカ手話、デンマーク手話といったように国によって異なります。そのため、国際交流など他の国のろう者同士で会話をする際は、「国際手話」と呼ばれる手話を用いてコミュニケーションを行います。国際手話は決まった文法や表現がなく、交流する場や交流する人によって、各国の手話やジェスチャーの影響を受けるため流動的に変化します。しかし、現状はアメリカ手話の表現が多く取り入れられていると言われています。  フロントランナーズでは、世界中から様々な国のろう者が集まるため学校内でのコミュニケーション手段は国際手話を用いていました。私が通っていた期間は、在学生23名中、ヨーロッパ18名、アジア3名、アメリカ2名であったため、ヨーロッパの手話の影響を受けていました。特に、ヨーロッパ18名中8名がイタリア人であったため、イタリア手話の影響が大きかったです。  デンマークに研修に行く前は、日本ASL協会が提供している「動画で学ぼう!国際手話」という動画やYoutubeの国際手話ニュースなどから国際手話を学んでいました。また以前、アメリカに留学した経験があることからアメリカ手話ができます。国際手話とアメリカ手話が似ているため、話の流れを掴むことはできると考えていました。しかし、実際に渡航してみると18期生はヨーロッパの手話が影響された国際手話でコミュニケーションが行われていました。そのため、日本国内で見た国際手話の動画とは異なる表現が多く見られました。毎日、常に先生や同期にこの表現の意味は何かと聞き吸収していくことで、渡航してから2週間ほどで問題なく国際手話の読み取りができるようになっていきました。  しかし、国際手話を習得した後も研修期間中はその曖昧さに悩んでいました。その悩みは、ヨーロッパ圏内ではアメリカ手話をできるだけ使わないようにするという考えが普及しているところから来ていました。留学当初は、国際手話での表現がわからないため、アメリカ手話の単語や英語を指文字で表現することがあり、ヨーロッパの同期から反感を買ってしまいました。国際手話を習得するにつれ、アメリカ手話の単語を使用する割合は減っていきましたが、それでもうっかりアメリカ手話の単語を使うことがあり、その度に批判されることがありました。気を遣いながら話すため、100%自分の伝えたいことを伝えることができず、葛藤する時期がありました。また、ヨーロッパの同期が使う国際手話にはアメリカ手話の単語もあるのです。そのため、このアメリカ手話を使うことは許されるがこの単語はダメだというような曖昧な線引きがよりモヤモヤを増強させていました。誰がこの判断を行うのか、ヨーロッパのろう者の考えが正しいのか、日本や韓国の手話は学生が1人なので自然に取り入れることができないなど自分の考えを伝え、同期と議論を積み重ねることでもモヤモヤを減らしていくことができました。  またヨーロッパは、EUDY(European Union of the Deaf Youth)やWFDYS(World Federation of the Deaf Youth Section)などの活動や、手話、ろう者に関する国際的なイベントが定期的に開催され、地理的にも他の国に訪れやすく、国際手話を使う機会が多いのです。一方で、日本は島国であるため他の国のろう者と交流する機会があまりありません。国際手話による交流は、様々な国のろう者に関する現状や取り組み、情勢を知ることができる貴重な機会です。日本でも2025年に東京でデフリンピックが開催されるため、多くの国からろう者が集まることが予想できます。この機会を活かして、デフリンピック開催時に何か貢献できたらと考えています。 研修を通して  フロントランナーズではメディア学を専攻し、撮影・編集及び啓発方法について学びました。しかし、方法を学ぶだけではデフスペース デザインをどのようにコンテンツとして形に残すのかアイデアが浮かびませんでした。そこでインターンシップでは、デフスペース デザインを考案したギャロデット大学に訪れ、以前米国留学時にお世話になったインターンシップ先のオフィスでインタビュー及び撮影を行いました。他にも大学付近にあるろう者が経営するStreetcar82と呼ばれる醸造所やMozzeriaと呼ばれるピザ専門のレストランでもインタビューと撮影を行い、動画の撮り方や編集の方法など自分のスタイルを確立することができました。  フロントランナーズを修了した後、デンマーク・ノルウェー・アイルランド・イタリア・ベルギー・フランスのろう者が運営する建物でも、デフスペース デザインの取材を行いました。これらの取材を通して、国は異なってもろう者の行動様式は共通しているということに気づきました。全ての撮影場所で、手話というろう者の言語が尊重され、視覚・触覚・嗅覚などろう者の感覚を活かしたデザインが見ることができたのです。その一方で、各場所特有のデフスペース デザインも見ることができました。   またフロントランナーズの授業では教わることよりも与えられたテーマについて議論することが多く、人前に立って自分の考えを伝えることが日常的にありました。さらに自分の興味ある分野あるいは得意な分野についてプレゼンテーションし、フィードバックをもらうという授業もあり、それらを通してデフスペース デザインについて国際手話でプレゼンする自信をつけることができました。また以前は、デフスペース デザインに関心があるろう者は建築やデザイン関係者のみだと思い込んでいました。しかし、新型コロナウイルス感染症に感染し同じく感染した友人と1週間隔離生活をした際にデフスペース デザインの研究をしていると伝えたところ、面白い!みんなも興味を持つはずだから、プレゼンしてほしいと言われました。本当にみんなが興味を持ってくれるのか半信半疑で授業でプレゼンをしてみると「家を改修しようと思っていたから参考になった」「自分の国にはこんなデフスペース デザインがある」「フロントランナーズで使ってる教室にもデフスペース デザインがあるよね」など同期から関心を持ってもらうことができ、非常に驚きました。このことから、建築やデザインを専門にしている人々だけでなく、一般のろう者にもデフスペース デザインを知ってもらうことは非常に有意義なことだと気づいたのです。多くのろう者が日常生活で、何か使いにくいと直感的に自分自身でろう者に合うよう空間を改善していることがわかっています。これまで直感的に感じていたことをデフスペース デザインという概念で言語化することで、より明確になり論理的に聴者に伝えやすくなるのだと感じました。  この経験から、日本だけでなく世界中のろう者にもデフスペース デザインを知ってもらいたいと考え、今年7月に開催された世界ろう青年キャンプの講師に応募し、韓国のチェジュ島で42カ国130人ほどのろう者にデフスペース デザインについて講演する機会をいただきました。またこの際、ギャロデット大学を含む米国・北欧・EU諸国のデフスペース デザインのインタビュー及び撮影した動画を使用することで、非常にわかりやすいという声をいただくことができました。この経験から、今後は日本だけでなく世界各国のろう者が新しいデフスペース デザインを作りたい、今使っている場所にデフスペース デザインを取り入れたいという時にすぐに参考にすることができるようなサイトの作成を考えています。 最後に  新型コロナウイルス感染症の流行により当初の計画とは異なることで戸惑いもありましたが、親身になって相談に乗ってくださったダスキン愛の輪事務局の皆様をはじめ、多大な助言をくださったアドバイザーの小林洋子先生、いつも味方になって支え応援してくれた家族、研修先のフロントランナーズの先生方や同期に心からお礼申し上げます。日本国内だけでなく世界中のろう者がより快適に過ごすことができるよう、ろう者の生活やろう文化に寄り添った建築の在り方について啓発し続けたいと思います。 第40期 個人研修生 群馬県 木沙祐里さん 肢体不自由 研修期間 2023年1月3日〜12月21日 研修国 デンマーク 研修機関 エグモント・ホイスコーレン 研修テーマ デンマークにおける障がいの捉え方と障がい者の自立について学ぶ 研修目的 デンマークの健常者・障がい者・社会の3つの視点から、障がいはどのように捉えられているのかを知る。また、エグモント・ホイスコーレンの存在意義、教育方針、障がい学生の支援体制を知る中で、デンマークにおける障がい者の自立と親亡き後の生活について学ぶ。 障がい者である前に 1人の人として はじめに  私は10歳の時に筋ジストロフィーと診断され、現在は電動車いすを使って生活しています。中学校時代、生活上の困難さはありましたが、見た目ではわからない障がいでした。自分は健常者と障がい者のどちらに属しているかで悩み、障がいを周囲の人に伝えることに抵抗を感じていました。高校生の頃から介助や車いすが必要になり、同級生と比べて支援が必要な自分に劣等感を感じるようになりました。私と同じような進行性疾患を持った人はどのように障がいと向き合い、どんな生活を送っているのか。卒業後の進路を考える中で、本やインターネットを通して調べるようになりました。そんなある日、神経難病を持つ1人の女性のブログと出会いました。様々な記事を読み進めていく中で、彼女が障がいを持ちながらもデンマークにあるエグモント・ホイスコーレン(以下、エグモント)に留学していたことを知りました。エグモントは障がい者と健常者が共に学び、生活する学校と書かれていて、この世界にそんな学校が存在するのかと衝撃を受けたのを今でも覚えています。私もいつかエグモントを自分の目で見て、体験したい。そう思ったのが私の研修先、エグモント・ホイスコーレンとの出会いです。 渡航までの準備  数年に1度、エグモントの現役教員やヘルプティーチャー(補助教員)が来日し、エグモントを体験できる機会を作ってくれています。2019年、大阪でエグモント夏の講習会が開催されることを知り、大学生だった私はこのイベントに一緒に参加してくれる学生を募って参加しました。介助が必要になってから初めての親同伴無の遠出と宿泊で、これが自立への第一歩でした。参加時は、まだ研修派遣生でなかったため、合格通知が届いたら研修受入を許可してほしい旨を先生にお伝えしました。それから半年後、研修派遣生に選んでいただき、夢だったエグモントへの道が開かれました。しかし、新型コロナウイルス感染症の拡大により、渡航が2年半延期になり、2023年1月に出発することになりました。 エグモント・ホイスコーレン(Egmont Hojskolen)とは  エグモントは、デンマーク第2の都市であるオーフスから車で40分のホウという小さな町にあります。18歳から入学できるフォルケフォイスコーレの1つで、エグモントは障がいのある生徒と障がいのない生徒が一緒に寄宿生活を送りながら学ぶのが特徴です。春セメスターと秋セメスターにわかれており、入試やテストはなく、スポーツや芸術、料理や哲学等、幅広い授業を選択できます。生徒の平均年齢は20代前後で、障がいのある生徒は数年在籍する人が多いです。医療や福祉に携わったことのある生徒は少なく、エグモントに来るまで障がい者と関わったことのない生徒が多いです。全校生徒約200名の内、健常者が6割、障がい者が4割で、障がいのある生徒の半数は介助が必要です。障がいのある生徒は自分のヘルパーとなる生徒を面接して選ぶ関係にあるため、ボスと呼ばれます。ヘルパーとなる生徒は授業時間外の介助を行い、労働時間は給料がもらえます。給料は障がいを持つ生徒が住む自治体が負担します。ヘルパーとは雇用関係にありますが、ヘルパーの枠を超えた、友人であることがエグモントの特徴です。授業中の介助はヘルプティーチャー、夜間の介助はHHAという部門の職員が行います。障がい種別は脳性麻痺や筋ジストロフィー、自閉症や発達障がい、精神疾患など多岐に渡ります。中には人工呼吸器や胃ろう、痰吸引といった医療的ケアが必要な生徒もいますが、そのようなケアも研修を受けた生徒が行います。また、デンマークでは異性介助が特別なことではなく、男子生徒が女子生徒をヘルパーとして雇い、女子生徒が男子生徒をヘルパーとして雇うことも少なくありません。  ヘルパーの他、ハード面とソフト面で障がいのある生徒を支えています。ハード面については、部屋の天井走行リフトや電動ベッド、車いすでも利用可能なプールやジム、海水浴場等があります。ソフト面については、学校の理念である連帯と尊厳、自律を基本とし、どんな状況においても互いに協力して助け合い、障がいの有無関係なく個人として尊重され、自己選択と自己決定、自己責任を重んじる価値観が学校全体に浸透しています。 STU(青年期教育制度)の機関を担うエグモント  デンマークでは「すべての若者が教育を受けて、労働に参画する」ことを目指し、2007年からSTU(Sarligt tilrettelagt ungdomsuddannelse)が始まりました。16歳から25歳までの障がいや病気により十分な教育を受けられなかった人を対象に、社会生活に必要な知識や技術、社会性や対人スキルを身に付けるための教育を最長3年間受けることができます。余暇活動支援センターや作業所、エグモントのような国民高等学校等、様々な施設に設置されています。STUの生徒は指定科目を受講する他、実習することが定められています。 エグモントとBPA(パーソナルアシスタント制度) -自立生活を目指す重度障がい者の自立訓練の場として -  BPA(Borgerstyret Personlig Assistance)は、デンマークの筋ジストロフィー協会会長であったエーバルト・クロー氏を先頭に当事者らがオーフス市と交渉をし、1970年代後半から80年代にかけて、生活支援法の第48条第4項に規定されました。重度の障がい者が自立生活を送るための制度で、ヘルパーの募集や面接、採用、採用後の勤務時間の決定や勤怠管理等を障がい者本人が行います。但し、常時介助が必要な重度な障がい者であること、雇用主として人事管理ができること、就学や就労、ボランティア活動といった社会的活動を行っていることが条件です。エグモントでBPAに似た制度を取り入れることで、地域での生活を円滑に進める目的があります。また、デンマークでは成人年齢が18歳で、成人すると、親元から離れて生活するための支援を受けられます。BPAのアシスタントに親を含むこともでき、親であっても給料を得ることができます。  デンマークの筋ジストロフィー協会員で、パーソナルアシスタント制度を利用して生活している2人の方から話を伺う機会がありました。Aさんは1日14時間、Bさんは1日16時間の支援を受けています。Bさんは数年前まで1日20時間の支援を受けていましたが、その後の審査で支援時間を4時間減らされてしまいました。生活に支障がでているため、自治体と交渉をしているとのお話を聞きました。完璧な制度はない中で、当事者がどれだけ困り感を発信できるかがこれからの社会を変えていくのだと思いました。 エグモントが抱える課題  エグモントでは同世代の人に介助をしてもらい、放課後は趣味に没頭したり、散歩に出掛けたり、友人とお茶を片手に語り合ったりします。週末には、パーティーが開かれたり、ヘルパーの運転で買い物に出掛けたりします。エグモントには日々の生活を充実させる物的・人的資源が豊富にある一方、卒業後に地域で生活を始めるとパターン化した生活に幸せを感じられず、また一般社会に溶け込められずにエグモントに戻ってくる生徒がいます。エグモントに10年以上在籍している生徒もいて、学校ではなく施設化している一面もあります。人も環境も自分自身も変わっていく人生の中で、どのように自己実現できる環境を見つけて充実した日々を送るかは、障がいの有無や国を問わず、誰もが直面する課題なのかもしれません。 対話の重要性 -ヘルパーとの関わりから-  エグモントでは修学旅行があり、秋コースはデンマーク国内、春コースは海外へ行きます。私は春コースの3月下旬、2人のヘルパーと南アフリカ共和国に行きました。ヘルパーは私の手となり、足となってくれますが、エグモントでは「ボス」と「ヘルパー」というお金で割り切った関係性ではありません。私ができないことを補い続ける黒子のような存在でもなく、私との関係性の延長線上に介助があります。共に時間を過ごす大切な仲間です。エグモントに入学して3ヵ月目の私は、その関係性をどう築いていくか確立できていないまま修学旅行に行きました。そのため、私の介助を巡り、険悪な雰囲気になった時がありました。最も記憶に残っているのは、ヘルパーの言ってほしいタイミングで私が「ありがとう」と言わなかったことです。日頃から感謝の気持ちを言葉にするようにしていましたが、お互いのタイミングの違いが原因で「介助をしたくない」と言われてしまいました。そのヘルパーは思ったことをその場で伝える一方、私は相手に言われたことを一度受け止め、その時の相手の心理状態と状況を踏まえて思ったことを伝える性格です。「ありがとうの気持ちはいつも持っているし、言葉にするようにしているよ」と伝えましたが、相手の勢いに押され、残りの旅での関係性を考えるとそれ以上自分の気持ちを伝えられませんでした。しかし、すれ違いであっても、相手がどんなに怒りを表したとしても、その場で感情や思ったことを伝えるべきだったと思います。対話こそ、違いや思っていることを知れるチャンスであり、信頼関係を築く第一歩だからです。  障がいを持つようになってから、行きたい場所ではなく、私でも行ける場所で行き先を決めるようになりました。旅行に行きたくても、友人が私を抱えることができなくなり、諦めることもありました。とはいえ、私の介助ができるか否かで友人の選択はしたくありません。今回は障がいがなくても中々行くことのできないアフリカへ、かけがえのない友人と一緒に行くことができました。私の葛藤や大変さの全てを他人がわからないように、介助をしたことのない私はヘルパーのことを全て理解できません。優しさや善意だけでは成り立たないほど、介助は楽で簡単なものではないです。それでもエグモントでの日々は、自分が障がい者ということを忘れるくらい、一人の人として対等に接してくれました。時に感情や価値観がぶつかり合うこともありましたが、お互いが納得いくまで対話を続け、相手を知ること。その過程に障がいは存在せず、「人」との関わりの中にありました。  障がいのある日本人留学生の場合、障がいのない日本人留学生がヘルパーに選ばれます。私は各セメスターに3人のヘルパーがついていました。帰国した今でも頻繁に連絡を取り合い、遠くに住んでいても一緒に出掛けたりする関係性です。この繋がりは日本人留学生のみならず、デンマーク人のボスとヘルパーの関係においても同様です。如何なる時も共に過ごした仲間は、お金には変えられない一生の宝物です。出会うことがなかっただろう人と人とを繋ぐエグモントは、人生をより楽しく、豊かにしてくれています。 障がい者である前に1人の人として  デンマークに渡航する前、私も障がい当事者でありながら、初めて他の障がいを持つ人と出会った時、「彼や彼女は一体どんな障がいを持っているのだろう?」、「あの人は〇〇障がいを持っているから、〇〇だろう」といったように、勝手に枠にはめようとしたり、レッテルを貼ろうとしたりしていました。時には、マイナスな側面ばかりに気を取られて、不安や恐れを感じることもありました。これらの感情は、障がい者と健常者という枠組みの中で、障がい者は健常者より劣っているという私の障がい者観が相手の見方に影響していたのだと思います。障がいはその人の一部であって、その人全てを語るものではないと思っていながら、障がいとは関係のない自分自身の弱さや自信の無さにおいて、「障がい」という言葉を使って言い訳していた自分がいたことにも気が付きました。目の前にいる人がどんな人なのかは関わってみないとわかりません。深い関わりを持ったからこそ、見えてくる面もあります。今まで会ったことも、話したこともない人を自分軸で評価するのではなく、まずその人へのリスペクトを忘れず、1人の人としてどんな人なのかに関心を持つ大切さを1年間の研修を通して学びました。 おわりに  本研修を終えるまで私を支えてくださった、ダスキン愛の輪基金の皆様、エグモント・ホイスコーレンの先生方、ヘルパーやデンマークで出会った方々、そして海外に送り出してくれた両親に感謝しています。振り返れば、ロストバゲージから始まったデンマーク生活。異国の地での通院や体調不良による一時帰国、飛行機の欠航や車いすの故障等、ハプニングの連続でした。どんな時も1人ではなく、助けてくれる人、寄り添ってくれる人がいました。そこに国籍や言語、文化の違いはありませんでした。デンマークはノーマライゼーション発祥の地であり、福祉最先進国と言われています。福祉の理念や制度は私たちの生活を支える枠組みでありますが、それをもとに社会を作っていくのは「人」です。違いを認め合い、お互いを尊重する。言葉にするのは簡単であっても、人間の利己主義的な面が邪魔をして忘れてしまう時があります。そんな人間の弱さを認めながら、1人ひとりが心に留めることで、日本においても「善き人生」、「幸せな社会」を作っていけるのではないかと思います。 第40期 個人研修生 東京都 小貫怜央さん 肢体不自由 研修期間 2022年6月?10月 研修国 アメリカ 研修機関 Lincoln-way Special Recreation Association 研修テーマ アメリカにおける車椅子スポーツとソフトボール指導体制について 研修目的 車椅子スポーツの先進国であり、ソフトボール発祥の地でもあるアメリカで車椅子スポーツとソフトボールの両方を学び、複数の観点から車椅子ソフトボールを捉え、日本での車椅子ソフトボールの指導体制強化に繋げる。 頂上には登った、山を大きくしなければいけない  この5ヶ月間で大きな2つの軸となったのは、「LWSRAでのインターンシップ」と「LWSRAの車椅子ソフトボールチーム、車いすバスケットボールチームでの活動」になります。この2つが全くの別ものというわけではないですが、分けてご説明していきます。 インターン業務  まずLWSRAではインターンという形でスタッフとして働きました。前半は車いすバスケットボールアメリカ代表としてパラリンピック2連覇を達成した、Jake Williamsの元で働きました。業務の内容はさまざまでしたので、一つずつご紹介したいと思います。 障がい者向け トレーニングサポート  一番大きな業務としてはLWSRAが行う運動プログラムの実施やそのサポートです。LWSRAでは地域の障がい者が参加できるトレーニングプログラムやチームスポーツのプログラムを開催しています。その中でも車いすバスケットボールのジュニアチームの練習と身体障がい者向けのリハビリを兼ねたトレーニングをJakeが請け負っていました。ジュニアの車いすバスケに関しては後述します。身体障がい者向けのトレーニングは毎週火曜の夕方に行われていました。障がいによりトレーニングの種類が違ったり、肩を痛めている選手もいたりするので、それらを考慮しつつ、みんなが一緒にできるトレーニングを実施していきました。1ヶ月経った頃から、Jakeがトレーニング内容決めを自分に任せてくれたので、自分なりにさまざまな筋肉を使いながら、かつ単調にならないトレーニングメニューを考案し提供しました。LWSRAの持つ体育館は、トレーニング機材がそれなりにあり、ダンベル・チューブ・トレーニングバー・ロープなどを使い、飽きないメニュー作りを意識しました。業務の空き時間には、自分も体育館でトレーニングできるので、自分の作ったメニューを提供する前に試し、効率の良いメニューを模索しました。 障がい児向けデイサービス  LWSRAでは、発達障がいや精神障がいの子ども向けにデイサービスを行なっています。6月から8月はアメリカの夏休み期間でもあり、その間はサマーキャンプとして日中もさまざまなアクティビティが行われていました。普段はLWSRAのオフィスの建物や体育館でデイサービスを行なっているのですが、サマーキャンプ中はバスで外に出かけることも多いです。その中で自分は写真が少し得意なので、外でのアクティビティの様子を撮影するよう頼まれました。10数名の子どもたちと、それを引率する10名弱のアルバイトの学生たちでバスに乗って、遊びに出かけます。たくさんの花で彩られた公園にピクニックに行ったり、近所の高校のプールで遊んだりと、毎日様々なアクティビティがありました。自分の業務は写真撮影だけで、一人ひとりの子供たちのことはアルバイトの学生たちの方が詳しいので、あまり子供たちと深く接することはなかったのですが、さまざまな障がいの子どもたちがのびのびとしているように見えました。 オフィスワーク  LWSRAのオフィスワークも一部任されました。撮った写真は撮影するだけではなく、何かしら表に出す形にする必要があります。 SNS広報用に加工したり、プログラムの参加者を募るためにポスターにします。画像加工も勉強中ではあったので、外に出るものを作らせてもらえたことでさらに成長することができました。 パラリンピアンJake Williamsとジュニア車いすバスケットボールチームのサポート  Jakeは普段から車椅子で生活しているため、業務として助けが必要な面が多々あります。主に練習やプログラムで使う用具の持ち運びです。前述のトレーニング機材などが保管されている倉庫も、車椅子で入るスペースはありますが、用具の持ち運びは困難です。また倉庫には20台近くの競技用車椅子が保管されており、これらは壁に2段のフックで吊るされています。これを降ろすのは立って歩ける自分でも大変でした。さらにジュニアの車いすバスケチームの練習は体育館の都合で、車で20分ほど行った体育館を利用することもあるので、その際にはボールや工具箱などを持っていく必要がありました。普段から車椅子の人たちと接するので、その大変さはそれなりに理解しているつもりですが、車椅子に乗った特定の個人と長い時間を共にすると、その大変さを改めて理解するきっかけになると感じました。 車椅子ソフトボールワールドシリーズ運営  LWSRAは今年、車椅子ソフトボールワールドシリーズのホストとなり大会運営を行いました。自分は選手として出場しますが、同時に運営もする立場となりました。この大会の何から何までLWSRAで行うことになり、また今大会が過去最大規模なこともあり、非常に業務量は多いです。自分はその中でも主に広報・会場設営・日本代表チームのアテンドを行いました。広報活動としては、ポスターを作成し地域のスポーツ施設などに掲示させてもらい、SNSでも大会当日に向けて広報を積極的に行いました。大会直前の1週間は、会場のレイアウトを考案し、テントなどの配置を決め、フィールドのラインを引き、前日にようやく全フィールドが完成しました。日本代表は大会3日前に現地に到着し、LWSRAのバスで空港やホテル、会場間を移動しました。自分も大会期間中は会場設営の少しの時間を除いてチームと時間を過ごしました。この結果については後述しますが、大会自体は何事もなく行われ、過去最大規模となったこの大会は成功に終わりました。  LWSRAが団体として様々な事業を行なっていることもあり、自分としても様々な業務を体験できる良い機会となりました。当然1人が様々な業務を担当する体制は大変さもありますが、その分の達成感があります。 アスリート活動  車椅子ソフトボール・バスケットボールの選手としても様々な活動を行いました。LWSRAでは障がい者アスリートの支援も行なっており、補助金などを活用して金銭面でもアスリートをサポートしています。アメリカではシーズンごとにやるスポーツを明確に区切っており、ソフトボールのシーズンは5-8月、9月以降はバスケットボールやフットボールのシーズンとなります。 車椅子ソフトボール  ソフトボールのシーズンは、5月ごろから始まりワールドシリーズという大きな大会で終わります。その間は各地で練習や練習試合が行われます。LWSRAのチームとしては、ミシガン、シカゴ、ミネアポリスの大会に参加し、それとは別でカンザスとオマハの大会にも参加させてもらいました。  自分は昨年のワールドシリーズに日本代表が参加できないということで、LWSRAのチームに入れさせてもらって出場したという経緯があります。数人主力がいない状態でしたが、3位という好成績を残しました。LWSRAとしては地元開催の今回はそれ以上の成績を残したいという思いがあるようでした。自分は今回日本代表のメンバーとしてワールドシリーズに参加するのでLWSRAとは敵になります。日本よりレベルの高い選手たちを相手に自分がどれだけやれるのかを模索する期間でした。  これまで3度ワールドシリーズでプレーした感覚として、今の自分が十分に通用することはわかっていました。ですので、その中でもどれだけ自分が試合を支配できるのか、という点が重要になってきます。日本の車椅子ソフトボールは守備を重点的に考えますが、アメリカでは打撃が中心です。どちらが良いという評価はできないですが、どちらでも戦える状態を作る必要があります。守備でも攻撃でも自分は常に中心選手であることが求められるので、アメリカの打撃の考え方は非常に勉強になりました。技術がとても高いわけではないですが、その積極性やパワーは見習っていくべきだと感じました。逆に守備ではアメリカが劣っている面も多く感じられるので、そこに合わせるではなく自分のやるべきことを高水準でやっていく努力をしました。まだ競技として未熟な面も多いので、より多くのことを検討していく必要があります。アメリカでも日本同様、レクリエーションとしての意味合いが強いように思えるので、自分がレベルの高いプレーで引っ張って、この競技を盛り上げていければという思いもありました。  車椅子ソフトボールの大きな成果発表の場はワールドシリーズです。全米から20チームが参加し、日本代表も来米します。自分は日本代表チームの一員として、全米のチームとアメリカ代表と対戦しました。今年の日本代表は過去最高のメンバーが揃い、今年勝てなければ当面無理だろうという顔ぶれでした。そんなプレッシャーもありつつ、結果としては国際ディビジョンとチャンピオンシップディビジョンの2冠を達成することができました。個人としてはMVPを受賞し、選手として最高の栄誉を得ることができました。 車いすバスケットボール  車椅子ソフトボールのシーズンは、8月のワールドシリーズで終了します。そこからは車いすバスケットボールやフットボールなどの冬の種目が主に行われます。LWSRAの車いすバスケチームは年齢により分かれています。小学生、中高生、大人の3チームになります。ただ上のカテゴリの試合で人数が足りない場合は下からメンバーを借りる場合もあります。毎週木曜日にジュニアチームの練習が行われており、前半は小学生、その後中高生の練習という風に分かれています。大人チームの練習は頻繁に行われていませんでした。  自分は大人のチームの一員として、いくつかのイベントに参加しました。はじめは、ウエストイリノイ大学というところでのエキシビジョンゲームです。ウエストイリノイ大学の学生向けに車いすバスケの体験や、イリノイ大学の障がい者アスリートのトークセッションが開催されたこのイベントで、エキシビジョンゲームを行いました。試合はLWSRA対イリノイ大学車いすバスケチームのメンバーです。イリノイ大学は車いすバスケの強豪チームで、その内女子メンバーとローポインター(障がいが重めのクラス)の選手が参加しました。イベントに参加してくれた多くの方の前で試合をすることができ、白熱したとても良い試合になりました。  大人チームの活動としては、ミシガン州デトロイト近郊で行われた大会にも参加しました。ここはアメリカとカナダの国境付近で、カナダから2チーム、アメリカ国内から3チームが参加する大会でした。この地域で初めて行われる大会のようで、運営にとても力が入っており盛り上がった大会でした。大会は2日間行われ、初日の夜には参加者全員のパーティが行われました。そこで自分は日本のお土産としてハイチュウを他のチームの方に配りコミュニケーションを取りました。2日間の試合でチーム自体は3位だったのですが、パーティで色んな方と話したり、プレーの面でも評価していただいて、スポーツマンシップ賞という賞をいただくことができました。日本でもこれくらいのものすごく大規模ではないが、身内だけでもない規模の大会がたくさん行われてほしいと感じました。  ジュニアのバスケチームの大会にも帯同しました。アイオワで行われたジュニアの車いすバスケ大会です。日本には車いすバスケのジュニアチームというのはわずかしか存在しません。しかしこの大会には、5チームが参加しました。それぞれ大会会場から車で6、7時間の距離からの参加で、広さとしては東日本からチームが集まったような感覚でしょうか。まずそれだけのチームがあることが自分にとっての一つの驚きでした。大会は基本中高生の年代チームで行い、小学生のメンバーもその一員として参加しました。小学生だけでチームを組めるところは多くないので、別途小学生だけを集めて、2チームに分かれて行う試合も開催されました。中高生だけの試合では大人と同じ高さのリングで試合を行いますが、小学生の試合ではリングを下げ、シュートが入りやすいようにして行われていました。スポーツとしての発展を考える上で、ジュニア世代のプレー機会は当然非常に重要です。車いすバスケ、車椅子ソフト共に日本で解決していかなければいけない課題だと非常に感じました。 所感  パラアイスホッケー大会の視察、車椅子フットボールの大会への参加など、参加したイベントはまだまだあるのですが、ここでこの5ヶ月を通しての所感を述べさせていただきます。この5ヶ月間で自分が大きく感じたのは、この国の車椅子スポーツに対しての考え方が日本とは根本的に違うということです。障がい者スポーツをする日本人の多くは、当然ですが様々な費用を自己負担して競技をしています。健常者の方が趣味でするスポーツと比較して考えれば当然のことかもしれません。ただ障がい者スポーツを始めるには、特に日本で、様々な障壁があります。それを初めから取り払う、障がい者がスポーツに参加しやすい環境が、LWSRAにはありました。日本でも同じように障がい者スポーツを始めたければ、お金を払うことで可能かもしれません。ただその行為もハンディキャップによる障壁になっていると感じます。「健常者はスポーツをした方が良いが、障がい者はスポーツをしなければならない」、私の好きな言葉です。日本でより多くの方にスポーツをする機会を届けたい、そう強く感じました。 展望  帰国後の展望としては、障がいを持った人たちがよりスポーツにアクセスできるような活動を行っていきたいと考えています。LWSRAにあったような、行けばすぐスポーツができる施設を作れるわけではありません。ただこの現状を多くの人に知ってもらうこと、そして今私が関わっているスポーツのコミュニティにおいては、みんなが参加しやすい環境を整えることが、その第一歩です。車椅子ソフトボールではチームの監督でもあるので、上手くなることと楽しむことの両立を考えていくチーム作りを進めています。車いすバスケットボールや車椅子ハンドボールでは、ジュニア世代と一緒にプレーすることもあるので、何か上手くなるためのヒントを得てもらうために一緒に考える時間を設けていきます。そのコミュニケーションの一つひとつが、みんながスポーツに参加しやすい雰囲気作りにつながると信じています。  長期的な目線で言えば何かしらの形で、子供も大人も障がいの有無に関わらず、スポーツができるような環境作りに直接携わりたいと考えているので、直近としてはそのために自分の力をつけていくというところが課題になるかと考えています。視野を広く持つことと、より専門性を持つことの両方にチャレンジしていく必要がありそうです。  自分は今年車椅子ソフトボールで頂点を取りました。ただまだそれ自体に価値はないと思っています。このスポーツをより大きいものにしていく、よりたくさんの人と楽しめるスポーツにしていくことで、その価値がより高まると信じています。 第40期 個人研修生 東京都 笠柳大輔さん 肢体不自由 研修期間 2023年5月6日?2024年4月15日 研修国 アメリカ、カナダ 研修機関 CDR,国連の障害者権利条約の締結国会議参加、 NCIL Disability Right California First Annual GALA、MIUSA、AFPICON,ARCH 研修テーマ 障がい者運動におけるファンドレイジング 研修目的 アメリカの障がい者団体の財政規模は、日本の数倍から数十倍ある。どのように活動資金を獲得しているのか、@民間の障がい者団体 A公的権利擁護機関 B障がい者の自立生活センターの3つのカテゴリーの団体において、財政状況、流れ、ファンドレイジングの取り組みを学び、日本の障がい者運動の発展に活かす。 その後カナダで開催されるファンドレイジング大会AFPICON2024 に参加し、世界の最先端のファンドレイジングの手法について学ぶ。 挑戦と発見の日々:アメリカの障がい者運動とファンドレイジング ファンドレイジングを学びにアメリカへ  私は2023年5月から2024年4月まで“障がい者運動におけるファンドレイジング”という研修テーマでアメリカに約11ヵ月、その後カナダで開催されたファンドレイジング大会に参加する為1週間程度滞在、トロントへ行ってきました。  ファンドレイジングというのは資金を獲得する事という意味です。アメリカのNPO団体では必ずと言っていいほどファンドレイザーと呼ばれる人たちが働いていて、その団体のファンドレイジングを担っています。私はDPI日本会議という障がい者の政策提言と権利活動を中心に行う団体で働いています。しかし、私たちの団体は公的な資金もなく、日本ではこうした活動に対する寄付や企業支援というのはなかなか集まらずずっと財政状況が悪いままでした。  アメリカでは障がい者団体はファンドレイジングが上手と言われていて、どういう風に企業にアプローチしているのか?財政状況はどうなのか?活動資金を獲得するためにどんな取り組みをしているのか?そんな疑問がずっと頭の中にありました。 コロナで出発が無期限延期、でも最高の準備を  私がアメリカの障がい者団体のファンドレイジングを学びたいと思い、ダスキン研修に合格したのは2018年の時で、2019年夏に渡米予定でしたがコロナで世界中がパンデミックになってしまい、私の渡米は無期限の延長状態となりました。コロナで延期になっている最中、物価はどんどん高くなり、円安も進み、本当にアメリカに行けるのかと不安に思っていました。でもこれは準備に時間を当てる絶好の機会だと思い直し、特に英語の勉強については力を入れていました。英語は研修の成果に直結すると友人からアドバイスをもらっていたので、毎月何時間話しても定額のオンライン英会話を始めました。とにかく毎日出来る限り英語を話そうと思い、外を歩いている時、買い物をする時、家でご飯を食べている時、家事をしている時など、全て英会話に費やして、毎月100時間、それを1000時間達成するまで10ヵ月間続けました。アメリカに行く頃には英語のレベルも随分上げることが出来、この行けなかった期間をとても有意義に使うことができたと思います。 家は築100 年を超えるマンション  私はなるべく多くのファンドレイジングの事例を日本に持ち帰りたかったので、ニューヨークのロチェスターにあるCDR (Center for Disability Rights) と言う自立生活センターを拠点にしながら、アメリカ各地の障がい者団体の財政状況、ファンドレイジングに関する取り組みを調査しました。CDR代表のBruceは以前日本にも来たことがあり、すでに日本と友好的な関係があり、私を快く研修生として受け入れてくださいました。  住む家についても探してくれました。私は自分の障がいについて理解をしてもらおうと、あらかじめ自分の日常生活を録画したビデオデータを送りました。自宅からオフィスまではバスで通っていたのですが、そのバス停にも行きやすい家を探してくれて、とても助かりました。家は築100年を超えるマンションで(見た目は綺麗)、冬は寒くなるとネズミが家の中に入ってきて滞在中に3匹捕まえました。日本では家でネズミが出たことがなかったので、さすがアメリカだなぁと、そういったトラブルも楽しんでいました。私はロチェスターに約11ヵ月滞在をし、近くに滝や自然豊かな場所が多くあり、田舎育ちの私はニューヨークと聞くと、とても都会で自分には合わないかなと思っていたので、毎回出張から帰ってくると自然を感じてほっとしたのを覚えています。 私の研修について  アメリカのNPO法人で501(C)(3)認定をされた法人は、タックスレポートという収支報告書を毎年提出することを義務付けられています。そこには、その年度の売り上げと費用と収益などが掲載されておりその団体の収支の金額が分かります。  501(C)(3)認定された団体へ寄付をすると税控除が受けられるという点において、日本でいうと認定NPO法人に近いと思いますが、日本では認定NPO法人はまだ1,220件(2021年)ですが、アメリカでは501(C)(3)認定をされた法人が約148万件(2022年)あります。私は当初、こんなに数が違うのは何かの間違いなのではないかととても驚きました。アメリカは寄付文化が根付いていると言われていますが、寄付をしたときに税控除が受けられる団体の数が日本と比べて、とても多いのです。  また寄付金控除の範囲についても日本とは違いました。私は日本の認定NPO法人に勤めていますが、イベントの参加費や懇親会費については、その費用に対する寄付金控除は受けることができません。しかし、私がインタビューを行った団体では、参加費や懇親会に関する費用は、NPOの活動への支援にあたる費用として考えられ、基本的に寄付金控除を受けられると聞き、大変驚きました。私はなぜ懇親会の費用が寄付金控除として認められるのかと言う質問をしたところ、「参加者が懇親会に来て、何をどれぐらい食べたのかわからないでしょ?それをいちいち国が監視はしていないし、もし何も食べなかったら、それは全額寄付と言うことになるから、全額給付金控除になるんだよ」と言われました。私は寄付に対する日米政府のあまりの考え方の違いに固まってしまいました。日本政府は寄付金控除をいかに管理して制限するかという方向で考えられていると私は感じるのですが、アメリカでは寄付を促進するために、なるべく管理せず控除の範囲も広くしNPOが活動資金を得やすいようにしているのだと、根本の政府の考え方の違いにとても驚きました。  また今回大きく分けて3つのカテゴリーで障がい者団体の財務状況、ファンドレイジングの取り組みに関する調査を行いました。1つ目が障がい者の自立生活をサポートする自立生活センター、2つ目が公的資金で運営されている障がい者の権利擁護センター、3 つ目が民間の障がい者の権利擁護団体で、計20団体調査しました。私はアメリカ滞在期間中に、こうした団体を調査するため、ボストン、カリフォルニア(サクラメント、サンフランシスコ、ロサンゼルス)、ニューヨークの首都のアルバニー、ワシントンD.C.に行かせていただきました。それ以外の地域で行けなかった団体についてはオンラインでインタビューを行いました。  初めて団体を訪れて、初対面の方にいきなり英語でどんどんインタビューをしていくと言うのは、英語が得意ではない自分にとってはとても勇気がいることでしたが、私はいつも自分に「恐れず、ひるまず、行け」と言い聞かせていました。その結果、多くの団体の財政状況、ファンドレイジングに関する活動について知る事が出来ただけではなくて、アメリカの多くの団体のリーダーたちとつながりを作ることが出来、かけがえのない財産となりました。  またアメリカのロビー活動にも参加をさせていただきました。私が滞在したCDRのメンバーたちは、ADAPT と言う障がい者の草の根の団体と一緒に、障がい者が施設ではなく地域で暮らすことが促進される法律の制定を目指していました。そこは国会議員へのロビー活動の為に、議員会館近くにマンションを借りていて、そこでみんなで一緒に過ごしたのですが、私はベッドが足りなくてソファーの上で寝たり、議員に対するロビー活動が終わった後、みんなでスーパーで材料を買ってきて、一緒に料理してご飯を食べたり、まるで学生生活の時のような合宿で2週間ほど滞在をして、とても面白かったです。  あと思い出に残っているのは、カリフォルニアのDisability Rights Californiaという全米ナンバーワンの公的権利擁団体とも呼ばれている団体に訪問したときのことです。本当は9 月から半年間はこの団体で研修を受ける予定だったのですが、この地域はインフレで家賃が大きく値上がりしており、家賃が支払えずここでの研修を断念していました。それでもどうしてもここのセンターに行くことが諦めきれず、私は渡米して生活が落ち着いた後、もう一度ここの代表のアンディに連絡をし数日間受け入れてもらえないかと再度連絡をし、4日間受け入れてもらえることになりました。DRC滞在中、約20名ほどの従業員の方にインタビューをさせて頂き、財政部門のマネージャーが日本人の方で、一番知りたいお金の流れを日本語で聞くことが出来、とてもよく理解することが出来ました。またエグゼクティブディレクターのアンディとのミーティングも大変思い出深いものになりました。アンディはもともとワシントンD.C.の AAPDという障がい者団体でまたファンドレイザーとして多くのお金を獲得し事業を大きくしたリーダーです。私はそんなアンディがどういう人物で、ファンドレイジングの事についてどういう事を考えて活動をしてきたのか、色々なことを聞いてみたかったのです。彼は私を彼の部屋に呼んでくれて、ワシントンD.C.での話や、企業からのスポンサーシップ獲得についていつも意識していることを教えてくれました。それは「企業はその団体にお金を出すのではなくて、あなた自身に出すのだよ。そして彼らと敵対するのではなくて友達になりなさい」という言葉でした。私は活動資金を獲得するという所ばかりに視点が行き、私自身の在り方や友達のような関係を作るという事は考えていなかったので、その言葉は目から鱗でした。その後も思い出の写真とともに私にいろいろなことを話してくれました。この時間は、私にとって一生の思い出になりました。 Youtubeで現地の様子をショート動画で配信  私は渡米前からたくさんの方にご支援と応援していただきました。そんな応援してくれている方に、帰国後の研修報告だけではなくて、現地の様子もリアルタイムで伝えたいと思い、Youtube チャンネルを作り、約40本のショート動画を投稿しました。目が見えない人、耳が聞こえない人も見られるように、字幕とナレーションも付けるようにしました。ここには書けない事がたくさんあり、こちらにアップしていますので、ご興味ある方は是非ご覧ください(URLはこちらhttps://www.youtube.com/@Dai-Channel-tj8ed) 歴史的な円安、毎日お弁当で乗り切る  私が渡米した時は1ドル134円程度だったのですが、アメリカ滞在中もずっとドルは上がり続け、帰国するときは150円を超えていました。その間、毎日お昼はお弁当を作って持っていっていました。幸いアジアンマーケットがあり、CDRの人たちにそこまで車で連れて行ってもらって、醤油、酒、みりん、砂糖が手に入りました。私は安い鶏肉を買って、照り焼きチキンをよく作っていました。アメリカの友人も照り焼きチキンが好きで、たまに作って持っていってあげたら、とても喜んでいました。アメリカではもやしがとても高いのに驚きました。日本では数十円で買えるものが、アメリカのスーパーだと1袋500円程度ともやしが高級品でした。日本に帰ってきてからもやしがとても美味しく感じるようになりました(笑)  またアメリカでも英語の勉強は毎日続けていました。やはり現地の英語は段違いに早く使われる単語も難しく、まだまだわからないところもわかったため、毎日わからなかったことをメモに取り、家に帰ってから調べて、またオリジナルの単語帳も作り、英語のニュースをチェックして寝るというのが毎日の日課になっていました。 最後に  アメリカでの研修は私の価値観を大きく広げてくれました。毎日オフィスに通うバスの中では、黒人、白人、アジア系の人、たくさんの人種の方が乗ってきて、日本とはまるで違う光景に毎日ダイバーシティーを感じていました。またアメリカの社会もすごくダイナミックで、障がい者の置かれている環境についていうと職場に介助者を連れて行けたり、家族を介助者として雇う事が認められていたりなど日本よりかなり進んでいる点もあれば、一方で格差がどんどん広がりホームレスの人たちが街にはたくさんいて、私も通勤の途中は何人もホームレスの人たちを見ていました。良い所と悪い所の振り幅が日本よりもかなり大きいと感じました、  日本に帰ってきてから、よくアメリカでの生活を思い出し、また日本で見える光景や自分自身の物事に対する考え方が渡米前とはまるで違う事に気づき、知らない間に、こんなに自分の中に積み重なってきたものは大きかったのだと実感する毎日です。これから日本でアメリカで学んだことを活かすだけではなく、今後世界と日本をつなげる架け橋となり、私がしてもらったように人と人をつなげることでそういったサポートもしていきたいと思います。今回ご支援頂いたダスキン愛の輪基金事務局の皆様、出発前、滞在中たくさん助けて下さった皆様に改めて御礼申し上げます。 第40期 ミドルグループ研修生 メインストリームインクルーシブ部 兵庫県 鍛治克哉さん 兵庫県 真名野枝里子さん 兵庫県 数矢雄さん 肢体不自由 研修期間 2024年2月12日〜2月24日 研修国 イタリア 研修機関 イタリア障害克服協会(FISH) 公立ABBADO(アバト) Aemocon協会 研修テーマ インクルーシブ教育の実現 研修目的 健常者と障害者を分け隔てることのないイタリアで、学校教育における合理的配慮の実践方法やサポート体制を学ぶ。イタリア障害克服協会(FISH)などの関係機関を訪ねインタビューを行い、その実情と構築方法等を探る。 最初の分離は一生分離の始まり〜人生を一本の幹に〜 ※私たちの文章では「障がい」の「がい」を漢字にしています。これは私たちが「障害」は社会の側にあると考え、そのことを伝えるため、敢えてひらがなではなく漢字で表記しています。  私たちは兵庫県西宮市の自立生活センター メインストリーム協会にある「インクルーシブ教育部」のメンバーです。西宮市は、障害児教育の環境としては分離教育が当たり前。その状況を少しでも打開していくために、「最初の分離は、一生の分離の始まり」をモットーに、西宮市のインクルーシブ教育と共生社会の実現に向け活動をしています。その活動を推し進めるため、私たちは健常者と障害者を分ける仕組みがないイタリアの教育環境を学びたいと考えました。イタリアの行政支援制度はどのような過程でできあがったのか?障害者や市民はどのように感じているのか?イタリアの学校で学んだ子どもはどのように社会で暮らしているのか? など、現地関係機関を視察し多くの人と会って話を聞くことで、その答えを導き出したいと思いました。 イタリアの障害者団体を訪問 2/14〜2/15 ローマ  FISH障害克服協会、FIDイタリア障害フォーラム、ヨーロッパ障害フォーラム、社会協同組合連盟などの障害者団体を訪れ、イタリアの政策的な事柄や障害児に関する歴史的偏移などを、障害当事者から聞くことができました。CILナポリ代表の障害当事者ジャンピエール・グリッフォさんからは政策面について。FISHの全盲の弁護士(84歳)の方には、イタリアのインクルーシブ教育の歩みや自立生活の状況、介助システムについてお話を頂きました。途中ローマ市内のバリアフリーチェックをしました。さらに自立生活協会の方からイタリアの自立生活の状況や介助システムを学びました。 共に学ぶ教育の現場にて 2/16〜2/17 ローマ  PISTELLI小学校や同じ学校群にあるVACCARI特別学校を視察。教員と子どもたちの間に流れるゆったりとした時間を感じました。複数担任制という背景もあるでしょうが、日本の多くの小学校より共に学ぶ意識が根付いているからだと思いました。驚いたことに支援学校で学ぶ生徒も時期が来れば普通学校へ戻るということを聞き、衝撃を受けました。ただ、イタリアといえども保護者は個別教育を望んでいて、事実40数名が支援学校への転籍を希望していました。これは現地を訪問したからこそわかる生の声だと実感しました。  現役高校生のリカルド君と母親のサラさんから、インクルーシブ教育の環境でどのような支援を受け、学生生活を過ごしているかを聞きました。彼は重度の脳性マヒで、胃ろうもしていますが、ずっと地域の学校に通っています。発語は困難ですが表情や視線や声で自分の気持ちを示してくれます。高校卒業後の人生について質問をしたところ「いろんなことに興味があるので、やることが決まっている作業所や入所施設よりも自分のやりたいことができる生活がしたい」と意思を明示してくれたのが印象的でした。 幼児期から支える環境と体制 2/19〜2/23 ボローニャ  国立幼稚園と地域保健所を視察。昨年から幼稚園と保育所が一緒に過ごすプロジェクトがスタートしており、障害のある園児2名、自閉症の園児3名が在籍していました。子どもたちの自主性に重きをおき、“自分がすることは自分が決める”こととし、障害に関係なく一緒の空間で遊んでいたのが印象的でした。また支援員のサポートもあり安心して生活できる環境にあると思いました。保健所では医療と福祉が一体となり、本人のニーズに合わせ必要なサポートを包括的に提供していました。窓口が別々な日本とは違い、保健所が社会福祉サービスなど様々な分野を一括してサポートするイタリアの体制は、市民に対して手厚い保障がなされているように感じました。  インクルーシブ教育で学び大人になった障害当事者3名にもお会いし、子どもの頃のことや教育課程、現在のお仕事の様子などをお聞きました。現在ジャーナリストとして活躍しているヴァレンティーナ、同じく権利活動家のクラウディアにインタビューした際、特に印象的だったのが、日本では当たり前の分離教育過程について「イタリアではあり得ないことだよ」とおっしゃったこと。改めて私たちが育ってきた環境は障害者権利条約からみて間違っているものだと感じ、これからの日本での活動に自信がつきました。さらにダウン症の弟さんがいる方から自立生活のためのサポート体制のこと、市のダイバーシティマネジャーとして働く車椅子ユーザーの方から差別解消の相談窓口や、障害者セクシャリティのお話を伺いました。たくさんの方のお話を通して、いろいろ課題はありながらもイタリアの社会の共通認識として「分けない」という意識が明確化されていること。研修期間中どんな場面においてもそれをはっきりと感じることができました。 イタリアの教育と自立生活の現状 真名野 枝里子  イタリアは人権意識が高く、障害のあるなしに関係なく、先生が一人ひとりの状況を見て本人の要望に応じて対応しています。その点が日本との大きな違いだと感じました。学校を訪問した際に関係者が「子どもたちが何を望んでいるのかを理解することが大事。一人ひとり違うということをしっかり捉えるために、先生たちも新しいことを吸収し常に学ばなくてはいけない」と話してくれたことがとても印象に残っています。  イタリアの学校は、事務員、支援員が多く配置されており、先生の負担が軽減されていることで、余裕のある教育が行われています。またインクルーシブ担当のコーディネーターが各学校に在籍していることで、イタリアでの教育が常に包括的に実践できている様子を目の当たりにしました。本人の特性に合わせて国から椅子や机等、授業に必要な道具が支給され、地域の支援も手厚いなど、国全体でインクルージョンされていることがインクルーシブ教育が進んでいる要因だと考えます。また教育制度が整っている一方で、学校卒業後の制度は日本よりも遅れている現状があります。介助を受ける際、当事者本人が雇用主となって国からの補助金で介助者に給与を支払いますが、障害の重さによって補助金の額が変わるシステムのため、問題も多くあります。所得によっては介助サービスを受けられないため自腹で雇用しなければならず、すべての人が介助サービスを利用することができません。その点、日本の介助システムはとても素晴らしいと感じました。日本の充実した介助制度もイタリアの進んだインクルーシブ教育も、当事者が声をあげ続け国に訴えた結果が今につながっています。当事者運動が大きな影響を与えるということを改めて学ぶ機会となりました。 分離教育を受けてきた障害当事者からみたイタリア 数矢 雄  小学校の支援学級などで分けられて育ってきた経験から、インクルーシブ教育の活動を始めました。今回イタリアに行くことで自分が置かれていた教育環境とどのように違うのかを自身の目で確かめたいと思っていました。僕が一番印象的だったのは、イタリアの教育環境で育った大人のお話を聞いたことでした。特に心に残っているのは、バーチャルCOOPで働く重度の脳性マヒ当事者が自分たちの仕事(ホームページ作成業務や、地域に向けて発行している新聞作成など)を持ち、働くことで生き生きと自分の人生を謳歌している姿でした。働く障害者は、もちろんインクルーシブな教育を受けており、当たり前に結婚をしている方もいて、障害の有無に関係なく人生を楽しんでいるように見えました。加えて、その方々に僕の育ってきた教育環境の話をすると「イタリアでは考えられない」や「人権がないがしろにされている」などと言われ、自分が受けてきた分離教育は間違ったシステムであるという思いが確信に変わりました。  僕は今まで無意識のうちにあきらめたり、極度に失敗を恐れてしまい行動に移せないことが多かったのですが、研修が進むにつれ子どもの時に学べなかった人権意識が実感でき(自立生活センターで働いて人権というものは身についていましたが、より全体的なイメージがつかめた?感じ)、これまでのことが馬鹿馬鹿しく思えてきました。この感覚を忘れずに、日本に帰っても自立生活や日々の活動に役立てていきたいと思っています。 分けないという種をまき続ける 鍛治 克哉  私はイタリアと同じように、1970年代から障害があってもなくても分けられることなく共に生き共に学ぶシステムが確立されていた大阪府豊中市で生まれ育ちました。今の職場のある兵庫県西宮市にやって来た当初、働く仲間の当事者たちから「私は〇〇学級で学んだ」という話を聞くうちに、自分が学んできた環境はある種特殊だったんだと気付かされました。自立生活運動を行う中で、障害当事者と介助者の関係がうまくいかない多くの場面に遭遇し、私自身も障害当事者スタッフとして様々な問題に直面しました。そんな折、2016年に神奈川県で「やまゆり事件」が起きました。容疑者が「障害者には生産性がない。生きている価値がない」と供述したことに対し、ネットの書き込みなどには「これぞ真実の主張」といったコメントがあふれていました。TVニュースのコメンテーターなどは容疑者を断罪していたものの、なぜこのような事件が起きたのかについてコメントできた人は誰一人いませんでした。  私は考えました。もし容疑者が私と同じように、分けられずに育っていたらどうだろう。障害者に対する差別や偏見、間違った先入観は、小さい頃から分けられている環境が生み出しているのではないか?教育の仕組みにアプローチしなければ、世の中の障害者差別がなくならないんじゃないか?そんな思いを胸に活動を続けていた頃、イタリアでは養護学校の解体や入居施設解体の動きが起きていることを知りました。私は「フルインクルーシブ教育で育ったイタリアの障害当事者は、大人になりどんな地域生活を送っているのだろう。そこを知ることができれば、日本での自立生活運動のさらなる発展につながるのではないか」と考え、賛同する仲間を集め研修に応募しました。  研修を終えて思うのは、やはりイタリアは日本と違い人権意識がとても高いということ。研修アドバイザーの尾上さんが、以前私に次のように話してくれたことがありました。「日本の障害者運動の問題点の一つは、人権意識や権利意識の低さだ。障害当事者が、自立生活センターに出会わないかぎり人権意識や権利意識に気づきにくい環境に置かれていることが問題だ」イタリアでの研修が進む中で、この言葉が点と線でつながりました。例えば、教員一人ひとりが障害当事者を含む生徒たちの自主性や自己主張に基づく授業づくりを実践していること。また、街や施設のバリアフリーは日本ほど整っていないものの、障害当事者に向けられる周囲の眼差しは実に自然でフラットだったこと。  1970年代から共に生きる教育を実践している大阪府豊中市で育った私が、偶然にも同じ1970年代からフルインクル―シブ教育に舵を切ったイタリアに訪問させていただくことができ、非常に感慨深いものがありました。残念ながら、今の日本におけるインクルーシブ教育の環境に地域格差があることは否めません。私の活動拠点である兵庫県西宮市も基本分離教育が主流です。もっと言うなら、良かれと思って分けてしまっている。しかし、分けられたことにより大人になってから地域生活を送る上で困っている障害当事者がたくさんいるのが事実です。その点イタリアは、障害があっても無くても共に学ぶことが権利として保障されていますから、改めてその違いが大きいことを実感しました。  最後に、イタリアでフルインクルーシブ教育が制度化される前の1940年代から、共に生きる教育を実践してこられた視覚障害当事者の弁護士のティーノさんのお言葉を紹介します。「権利を手に入れる運動というのはまとまりやすく、熱量がある。しかし、権利を手に入れた後の運動は、いろいろな考え方が生まれるなどしてまとまりにくくなったり、あらゆる面で人と人との結びつきが弱くなったり、現状が当たり前になって困りごとが見えにくくなったりして、運動などに繋がりにくくなる」。これは、今の日本の現状にも当てはまると思います。今後私たちは、イタリアで学ばせていただいた社会の中の共通認識として「分けないという意識」をしっかり持ち、「最初の分離は、一生の分離の始まり」をスローガンに仲間とつながりあいながら、日本の障害者運動の中にその種を日々撒いていきたいと思っています。 第42期 個人研修生 東京都 鈴木海人さん 視覚障がい 研修期間 2023年1月29日〜8月31日 研修国 アメリカ 研修機関 @El Camino College AAudio Description Training Retreats 研修テーマ 映画文化の先端をいくアメリカにおける、映画学習並びにエンターテイメント全体のバリアフリー化と視覚障碍者用音声ガイドの普及に関する調査 研修目的 映画と演劇についてコミュニティカレッジで授業を受けながら、視覚障碍者用音声ガイドに着目して、劇場や博物館でのフィールドワークと、製作者育成のためのワークショップへの参加を通じて、日本との比較をおこないながら音声ガイド分野が発展するために必要なことを学び考えた。 アメリカにおける視覚障碍者用音声ガイドについて  私は、2023年1月29日から8月14日までアメリカ合衆国カリフォルニア州のトーランス地区に滞在し、その後は8月15日から8月23日までワシントンD.C.で、8月23日から8月30日まではニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区にて、約7か月間の研修をおこなった。  私は先天性の弱視であり、映画鑑賞を趣味にしていることから、画面上の視覚情報を音声で説明する音声ガイドに強い興味があった。なぜならより多くの情報を得て映画に没頭できるからだ。また日本で音声ガイド制作を行っている会社で25本程の映画でモニターとして制作に参加した経験から、日本の音声ガイド制作のコストや人材不足などを知り、日本でのバリアフリー上映を増やしたいと思うようになった。そこで、バリアフリー上映の設備が整っていると言われているアメリカに渡り、映画だけでなくさまざまなエンターテイメントの音声ガイドを主としたアクセシビリティーサービスを学び調査したいと思い、本プログラムに応募した経緯があった。  第42期研修生に合格した後は、映画の学部を持つ大学と映画音声ガイドを制作している会社の両面でアメリカでの研修先を探した。当初考えていた大学や会社には受け入れを断られてしまったが、2022年の秋終わりにEl Camino Collegeをインターネット経由で見つけ、このカレッジを研修受け入れ先として決定した。その後の手続きは、カレッジの入学手続きをするとI-20が発行され、それを元にアメリカ大使館へF1-ビザの申請をおこなう流れであった。ビザは同年内に取得ができた。現地の住まいについては、カレッジから紹介されたホームステイのエージェントに私の障がい特性や希望する通学方法を伝えたところ、徒歩で8分ほどの距離で受け入れ先が見つかった。しかしそれは出国1か月前のことで、直前まで本当に研修が始められるのかと不安があった。  トーランスに移動してからは、まず住まい周辺の歩行訓練をおこなった。ホームステイ先からカレッジや、レストランとスーパーマーケット、またフィールドワークとして訪問が予想された映画館までの道順やバスの乗り方を確認した。最初の2週間ほどは信号機の渡り方に苦戦した。日本よりも車道の幅が広く、渡るタイミングを音で判断できるようになるまでに時間がかかったのだ。また当初は研修中の移動は障碍者向けの相乗り送迎サービスを利用予定で、渡米前に登録も済ませていたのだが、移動時間が想像以上に長く車酔いを起こしてしまうため、最終的には可能な限りは歩くようにし、それ以上はバスと最短時間で移動が可能なUBERを利用していた。そのため、想定以上に実費での交通費が増えることになってしまった。  El Camino Collegeでの研修は、春学期に映画史とインディペンデントシネマの授業を週に4回受け、夏学期には映画技術論と演劇論の講義を週に6回程度受講していた。授業に関しては、隣の席のノートテイカーから板書や配布資料の読み上げや書き取りのサポートを受けていた。また授業内の配布物はカレッジ内に設けられたスペシャルリソースセンターに依頼をすると、数日でテキストや点字ファイルに変換されたものを受け取ることができた。さらにOtterという、講義内容を録音して文字起こししたものをテキストに変換できるサービスを、カレッジのアカウントを用いて無料で利用することもできた。課題提出は全てアプリケーション上で行われた。テストはオンライン形式であったことで、私は自らのスマートフォンでボイスオーバーを使って問題なく受験でき、試験時間は毎回2倍与えられた。そのため、受講するだけの十分な環境が整えられていた。  しかし、最も大きな問題になったのは英語でのコミュニケーションだった。渡米前には対面での1対1の英会話授業や、対面の1対多で行う英会話教室、オンライン英会話、2022年の8月には1か月間の集中的な英語塾に通うなどをしていた。しかし、いざ授業となるとその内容を理解できることの方が少なかったように思う。予備知識がある分野だったからこそ大きな間違えはなかったが、小さな聞き間違えや勘違いは日常茶飯事だった。カレッジ内で英語の勉強をしたり、留学生の友人たちと会話をする中で日常的な会話には少しずつ慣れていったが、授業となるとそうはいかなかった。さらに驚かされたことは、簡単な単語であっても私が言っていることが相手になかなか伝わらないということだった。普段から英語を教える立場にある人や、私のように英語を新しい言語として使っている学生には通じても、英語を母国語としている現地の人や、母国でも第2言語として英語を使ってきた人たちにはなかなか理解してもらえないことが2、3か月目までは続いた。発音だけでなく、文の区切り方や自信がなさそうな話し方が影響していたのだろうと今ではそのように考えている。結果的には、依頼や注文、買い物、移動などでは簡単な単語を組み合わせるだけでストレスなくやり取りができることが自然と身に付き、実践するようになっていた。そして英語で会話する際には、日本語でのコミュニケーションのように相手の様子をうかがいながら丁寧な言葉遣いを気にして話すのではなく、欲しいものを直接伝えた方が互いに楽しく意思疎通ができるのだと分かった。  El Camino College外での研修としては、Audio Description Training Retreatsという音声ガイド制作者が集まる団体が開催している、音声ガイド製作者育成を目的としたオンラインセミナーに参加した。これは研修先を探している時に受け入れを断られた会社から紹介されたものだ。カリキュラムとしては、合計15時間の中で音声ガイドの歴史やガイドをする際の注意点など基礎から勉強して、実際に映像に合わせてガイドを作り原稿を読むという内容だった。私は点字の資料などのサポートを受けたが、このセミナー自体が健常の製作希望者を対象としていたことで、実践部分での参加はできなかった。しかし、そのような講義が開催されていること自体が新鮮で、さらに参加者はアメリカ国外の人ばかりで、改めてアメリカがバリアフリー上映の先を行っていることと、教育側になっていることを直接見ることができた。さらに、セミナー外でアメリカの音声ガイド事情について質問できたことは良い機会だった。特にこの会で印象に残っていることは、講師の方が言っていた「最高のガイドは、聞き手がガイドの存在を忘れて映画に没頭できるものだ」というものだ。まさしく私が音声ガイドに興味を持ったきっかけとリンクしたこの言葉は、今後もバリアフリー上映に携わる中で私の中で核であり続けるだろうと考えている。  その他の研修活動としては、映画館や美術館・博物館に出向いて提供されている音声ガイドやサービスを体験するフィールドワークをおこなっていた。基本的に大手のシネマコンプレックスで上映されている全ての映画は音声ガイドと字幕ガイドに対応しており、劇場で無料で貸し出しているデバイスを通して耳元や手元で音声ガイドや字幕ガイドを利用できた。しかし、デバイスをそもそも設置していない劇場に関してはガイドを利用する手段がなく、事前に調べておく必要がある。さらに、いざガイドを利用しようとしてもデバイスのメンテナンスが行き届いていないために、上映直前にそのことが判明して観賞を断念することが度々あった。さらに、音声ガイドのデバイスを依頼しても、難聴者向けの音声増幅機器を渡されることも非常に多く、映画館が管理している割にはスタッフのガイドへの認識が足りていないとも感じた。ただしガイドのクオリティーはどの作品でも一定で、上記の参加したセミナーからもわかったのだが、日本以上にガイド制作のガイドラインが明確になっていることが品質の安定につながっていた。ただしガイドが付いている作品数はアメリカが圧倒的に多いが、ガイドの提供方法は日本が用いているようにスマートフォンのアプリケーションと連動して利用できる方が使いやすいように思った。  美術館や博物館では、ガイドと呼ばれていても展示物の歴史や特徴について解説するものと、障碍者向けの視覚情報を音声で案内するものや音声を文字によって表示させるものという、訪問者全体を対象としたものと障碍者向けの特別なものがあることがわかった。その中でも障碍者向けのガイドは、多くの場合一部の作品のガイドをウェブ上で公開しているのみで、詳細な説明が欲しい場合には予約を取ってスタッフを手配してもらわなければならなかった。音声ガイドと言っても、時間が決まっている映画や演劇と、時間がある限り説明ができる美術館や博物館では大きく異なることがわかった。  日常生活では、カレッジの友人と食事やビーチに出かけることが多かった。頻繁に遊んでいた友人はイスラム教徒で、食事の制限やラマダーンで絶食していたりと、これまで身近ではなかった文化に触れることができた。また、ホストファミリーはインドネシア系の方で、一緒に教会に行った際には多くのインドネシア系の人々と交流をして伝統的な食事を食べていた。様々な国の人とかかわる中で、特に若年層とはルーツに関係なく日本のアニメや漫画が共通言語になっており、私もアニメ好きということから友人が増えていった。さらに、日本からの留学生や、アメリカに移住した日本人、アメリカで生まれ育った日系人とも知り合う機会が多く、日本人との交流でも異文化のように感じられて、海外で日本人と話すことが懐かしい以上に新鮮で興味深かった。よく留学中には日本人と話さないと言っている意見を聞くが、非常にもったいないことであると思う。  カリフォルニアを離れてからの研修については、ワシントンD.C.ではスミソニアン博物館と美術館で、マンハッタンではブロードウェイのミュージカルと美術館に訪問して、それぞれトーランスでおこなったフィールドワークと同様の調査を実施した。以前の反省を生かし、博物館に訪問の予約をして個人的なガイドツアーを準備していただいたり、ウェブ上で参照できるガイドがトーランスの美術館や博物館とどのように異なるかを比較した。特に新しい学びになったのは、2種類の方法で提供されているブロードウェイの音声ガイドだった。基本的に劇場がガイドを聞く機械を設置している。私が確認できた2つの劇場ではまったく同じ物を使用しており、作品の音に同期して舞台上の様子に合わせたガイドが流れるようになっていた。映画と異なり演劇は生のパフォーマンスであるため、セリフとガイドのナレーションが重なることはしばしばあったが、ずれや急な停止はなかった。また、GalaProというアプリでは10本の演目に対して、音声ガイド・字幕ガイド・日本語を含む他言語翻訳の音声を聞くことができた。さらに、地域をシカゴやロンドンに変更することによって、それらの地域の演目のガイドや翻訳を利用できるようである。スマートフォンのアプリケーションと劇場の設備の両方でガイドを使用できる環境は、理想的であると感じた。  この研修を通じて今後の活動としては、映画のバリアフリー上映会を開催したい希望がある。現在研修前に知り合ったプロデューサーの方と連絡を取り、あるドキュメンタリー監督の映画作品で、これまでにバリアフリー上映を行ったことのない過去の作品に音声ガイドや字幕ガイドを自主製作して付け、私が通っている日本大学芸術学部で上映できないかという話し合いを進めている。加えてその活動の中で、ガイドの作成などを学生が参加できるワークショップを開き、バリアフリー映画に対する認識を広めたい考えも持っている。また、他国ではアメリカで制作された音声ガイドの脚本を多言語に翻訳して利用しているということを聞き、洋画のバリアフリー上映がほとんどおこなわれていない日本にこのシステムを持ち込むことができないかと考えている。  研修以前は、アメリカのバリアフリー上映のみが進んでいると考えていたが、実際には日本から発信できることも多いと感じた。日本国内だけでなく、バリアフリー上映全体が今後まだ発展できると考えている。そのためにも、バリアフリー上映の学習や個人的調査は今後も続けていきたい。 第42期 個人研修生 東京都 奥村泰人さん 聴覚障がい 研修期間 2023年3月30日〜2024年3月29日 研修国 フランス 研修機関 Ecole de Theatre Universelle 研修テーマ 海外の事例を実体験交え学び、日本のエンターテインメントにろう者が活躍できる場を広げたい 研修目的 海外のエンターテインメントの実態を把握し、日本より先進性がある点を探り、その背景を実体験も交え学ぶ。必要な知識を習得し日本に持ち帰り、どのように展開できるか仕組みを考える材料とする。 日本のエンターテインメントに手話があたり前に!先駆者を目指して 日本のろう者のエンターテインメントの現状  日本では最近、舞台やテレビ、ドラマ、映画で『ろう者』『手話』を取り入れた作品が増え、注目されつつあります。また社会福祉法人トット基金 育成×手話×芸術プロジェクト 「デフアクターズ・コース」ろう者・難聴者の俳優養成講座が2022年より開講され、ろう者・難聴者の俳優のための芸能事務所の設立など、活躍の場が少しずつ増えています。一方で課題は、ろう者役を聴者が演じることや、ろう者・難聴者の俳優が演技を学ぶ場が少ないなど、それは一般的に、手話が言語として理解されていないことが影響しています。 研修応募のきっかけ  「ろう者・聴者が関係なく楽しんでもらえる場や作品を提供したい」という夢を、幼い頃から持ち続けています。ろう者にとって手話が母語であり、日本語が第2言語であることは一般的に知られていません。そのため手話やろう文化を社会で認知するためには、聴者に「手話」や「ろう者」の存在を知ってもらうきっかけを作ること、そして「手話」の必要性を理解してもらい生活環境に取り入れてもらうことも大切だと思い、舞台やテレビ、YouTube、様々なジャンルで活動してきました。ですが、新型コロナウイルス感染拡大をきっかけにし、いままでの活動を自ら振り返り、実力不足を感じ、このままでよいのかという焦りが生まれました。そこで演劇関係や仕事仲間などに相談をし、その中で「海外留学」というアドバイスをいただき、その瞬間ずっとモヤモヤとした暗雲から、やっと小さな希望の光が差し込み、自分の新たに目指す道がどんどん切り拓かれていきました。海外留学で新たな自分を見出すことができるかもしれない、ろう者がさらに活躍するためのヒントを探求したいと強く思いました。そんな時「ダスキン愛の輪基金」の存在を知り、全日本ろう学生懇談会の先輩後輩で、今回の事業に参加経験者で現在様々なジャンルで活躍している方がいたので、相談する機会をいただきました。先輩たちからのアドバイスからも自分の成長と日本のろう者・難聴者の俳優が活躍できる場を広げるため海外留学したい。という思いが高まり応募しました。 フランスを選んだ理由  IVT(International Visual Theatre パリを中心に活動する国際視覚劇団 フランスろう者で構成する劇団)やFestival Clin d’Oeil(クランドゥイユ、2年に1度に開催されるフランスろう者芸術祭)など、ろう者の芸能活動が盛んな国としてフランスは有名です。そのような環境にて、手話で演劇を学ぶ学校があると演劇関係者から聞き、歴史的にも芸術の伝統を有するフランスには、日本の課題を解決するためのヒントがたくさん隠れているのではないかと思い選択しました。 出発前の準備  一番苦労したのはビザ取得でした。理想はETU(Ecole de Theatre Universelle)より学生ビザを取得する形でしたが、最近、大学との連携から外れ独立運営し、システムがまだ固まってないため、学生ビザ取得ができませんでした。他の手段として、ワーキングホリデービザがありました。ですが、コロナ禍でフランス大使館より発行停止となり、再開目途がたたず、大使館へ連絡を試みるものの困難な状況で、自分ではどうにもならない状態が続きました。2022年10月になっても発行再開の見込みがなく、今回の契約では2023年1月末まで出発できない場合は辞退になるため、残り3カ月だけビザなしで研修するパターンも考える必要があり、焦りや不安、葛藤など様々な感情が交錯しました。  そんな折、2023年11月、何気なくフランス大使館のサイトを見たところ、発行再開の告知があり思わず驚いたものの、すぐ実行委員やアドバイザー、ETUの方に連絡し、ビザ取得を急速に進めることとなりました。ところがビザ申請には予約が必要で、すぐ埋まってしまい、申請するのに時間がかかり、結果的に2023年1月末まで出発できない事が判明しました。実行委員やアドバイザーに、コロナ禍の影響による今までの状況を説明し、期限延長の相談をさせていただき、3月末までに延長いただきました。そのあとすぐに入学希望のETUの方に今回の件の相談をし、本来は11月開始の10月に修了、途中入学も形としてあるが今回は難しいため、次年度(2023年11月)から入学して欲しいと言われました。実行委員やアドバイザーに状況説明及び相談しましたが、さらに延長するのは厳しいとなり、フランスに到着してから学校が始まるまでの約半年間の研修内容を再度見直し、0から計画書を作り直す必要がありました。そのためビザ申請と平行し、4月から10月の研修内容も様々な方に相談しながら急ピッチで進めていました。なんとかビザを取得でき、出発直前まで実行委員やアドバイザーに研修内容や計画書を確認いただき、ようやく承認が下り、即出発という、まるでジェットコースターのような日々でした。毎日ハラハラドキドキしたものの、今思えば人生としてなかなか無い経験ができたと思っています。 フランス到着〜学校が始まるまで  学校が始まるまでの約半年間はパリを中心に過ごしました。日本で出発前にフランスで約3年間過ごした経験がある、日本のろう者の方に相談し、パリ在住のろう者の俳優を繋いでいただき、パリの研修先や宿泊先を相談させていただきました。研修先としては、地元ろう者協会主催の演劇ワークショップへの参加、IVT主催企画『子ども向けの演劇ワークショップ』ボランティアの参加、Art'Sign主催企画『サワードランド』の準備や、当日ボランティア参加でした。宿泊先は、ろう者の俳優の方に相談、結果ホームスティをし、約1週間ごとに住まいを変えることになりました。理由はフランスのろう者が活躍できる背景を知る機会を得るため、俳優だけではなく、表現者、脚本家、手話ガイドなど幅広く交流する必要があると考えました。またETUの使用言語はLSF(フランス手話)なので言語習得もしたいと思い、様々な方のLSFの読み取りに慣れ、習得する環境を整えていきました。  歴史的に移民社会が形成されており、人種や言語、文化、宗教なども違い、様々な人々がいるため、『ろう者』の存在や『手話』という言語に対しての抵抗感がないので受け入れも早く、そのためろう者が活躍する環境が日本より整っていました。一番驚いたのは大人だけではなく、子どもが手話で演技を学ぶ機会が多いこと。地元ろう者協会主催の演劇ワークショップは、毎週水曜日に開催され、IVT主催企画『子ども向けの演劇ワークショップ』は学校が連休の時は5日間、どの日も朝から夕方まで。内容は演劇だけではなく、メイクや照明、セット、広報なども全てろう者が指導しています。また学校の学びの場として、定期的に演劇レッスンがあり、講師は現役で活躍しているろう者の俳優。ワークショップ受講の最後のプログラムは、地元の人や関係者など集め、プロが使用する舞台で演技を披露することが、推奨されている。このようにエンターテインメントの現場で、日本と異なりろう者が活躍する基盤が整い、幼い頃から現役のろう者の俳優から演劇を直接学べる、本当に素晴らしく羨ましいと思いました。ろう者の子どもにとって、活躍する現役のろう者のロールモデルがいることで「ろう者が演劇で活躍できる!俳優になりたい!」という夢を持つことができる。ろう者の活躍の場は俳優だけではなく、表現者、メイク、照明、脚本、映像制作、翻訳、ろう児への教材作り、美術館や博物館での手話案内ガイド、ディズニーランドを代表するアミューズメント施設などの演者など幅広く存在するのが、パリで過ごし一番印象に残ったことです。  フランスだけではなく、他国へ渡りろう者の活動の視察も行いました。ポーランド・ワルシャワにて開催された「DCL(ろう者チャンピオンズリーグ)」というヨーロッパのろう者サッカークラブ選手権大会視察、韓国・済州島にて開催された「WFD(世界ろう者会議)」視察、イタリア・トリノのろう学校では、インターンをさせていただきました。WFD(世界ろう者会議)は、4年に1度世界中からろう者や手話関係者が集まり、様々な国のろう者や手話関係者による発表や団体ブースの設置、交流など様々なプログラムが開催されます。今回の参加者は2,000名ほど、参加国は約100カ国と言われ、大規模な国際的な大会です。演劇や芸術だけではなく、スポーツや教育、政治、経済、社会など幅広く今の世界のろう者や手話の状況を知る機会となり、今までなかったので、とても刺激になり良い機会でした。 学校での学び  ETU入学のため、ずっと過ごしていたパリから「バラ色の町」、「ろう者の町」と呼ばれているトゥールーズへ引っ越しました。ETUとは、演劇を専門的に手話で1年間程度学べる学校のこと。実技だけではなく、大学のように座学や演劇鑑賞、インターンなどの校外学習もあります。私は第4期生として入学し、当初驚いたことは自分も含めて外国人が多いクラスという点でした。今までのクラスは、スペイン人やスイス人、イギリス人、ロシア人がいたそうですが、基本的にフランス人が多いようでした。私のクラスはフランス2人、イタリア3人、スペイン1人、ウクライナ1人、カナダ1人、日本1人で合わせて9人という多国籍色が豊かでした。演劇を学ぶETUの使用言語はLSFなので、クラスメイト同士のコミュニケーション手段は基本的にLSFでやり取り。またクラスメイトの中にLGBTQ当事者やヴィーガン、ベジタリアンもいるので、毎回講義を受けるたびに、演劇だけではなく、一つの言葉に対しての見方や価値観など違いをたくさん発見でき、今までの常識を覆す日々を過ごしました。  11月から3月まで受けた実技テーマは「演技テクニック」「LSF表現」「映像演技」「感情の出し方」「身体テクニック」「翻訳」、座学テーマは「演劇文化」「歴史」「作品の分析」でした。講師のほとんどは、現役で活躍しているろう者の俳優。聴者の講師でもLSFで進行します。基本的に月曜日から水曜日、朝から夕方まで講義で、宿題も試験もあるため、講義中にメモを取ったり、休み時間や家でも学んだ内容を確認や、クラスメイトと試験対策の勉強会を設けたり、他の曜日でも演劇鑑賞やインターンもあり、充実した日々を過ごせました。  そこで印象に残ったことは二つあります。  一つ目は、ある講義中にクラスメイトがみんなの前で演じているときに講師から「私が見たいのは、あなたの手話ではなく、あなたの演技が見たい」というアドバイスでした。これは聴者の俳優でも同じことが言え、言語(セリフ)を伝えるのではなく、観客に見せたい演技とは何か、基本的なことであるものの、奥が深く舞台人として大切だと思いました。  二つ目は、ETUの創立に関わった講師から「様々な意見があるかもしれないが、私としては、ろう社会の貢献やろう運動のため、演劇を選ぶのはやめてほしい。シンプルに演じるのが楽しくて好きで、演劇とは何かを学んでほしい。そのために聴者と同じように、当たり前のように、ろう者でも演劇を学べる場を作りたいと思った」という話を聞き、ここで学ぶことに喜びを感じました。言語が違うだけで、演劇を学びたい気持ちは聴者の俳優と変わらない。聴者は自分が純粋に演じることが好きで、俳優になりたい人が多く、自分の言語のために俳優になりたい人は稀だと思った。本来の自分の気持ちを尊重できる場があると感じたのと同時に、色々と考えさせられる機会となりました。 最後に  「演劇は一生勉強」はほとんどの講師がおしゃってました。本当にそうだと痛感しています。演じ方は自由で、多様で、正解もなく、いくら勉強しても知らないことが多く、本当に奥が深い。でもだからこそいつも思うのは、「演劇ってやっぱり楽しい」。パリや他の国で出会った仲間たち、ETU第4期生のクラスメイトたちと出会えて本当に良かったと心から思っています。今回の研修が終わった後も、またフランスに戻り、また勉強を続けます。そして日本に帰国したら、身に着けた知識や経験をろう者・難聴者の俳優が活躍できる場が広がるように、活かします。コロナ禍の中でも最後までサポートしてくださった実行委員やアドバイザー、空港までお見送りに来てくださった演劇関係や仕事仲間、友達、遠くから応援してくださった仲間たち、家族など、ここまで関わっていただいた皆様に、心から感謝申し上げます。  幼いころから持ち続けている「ろう者・聴者が関係なく楽しんでもらえる場や作品を提供したい」という夢を信じ実現するため、奥村泰人という俳優を磨いていきます。 第43期 ミドルグループ研修生 がんば聾映画プロダクション 東京都 今井ミカさん 東京都 今井彰人さん 東京都 牧原依里さん 東京都 増田菜央(レオ)さん 聴覚障がい(ろう者) 研修期間 2024年1月10日〜1月18日 研修国 アメリカ 研修機関 ギャローデット大学 ハリウッド パラマウント・ピクチャーズ・スタジオ ワーナー・ブラザース・スタジオツアー アカデミー映画博物館 研修テーマ ろう者・難聴者の映画業界への参入方法とそのマーケティングを学ぶ 研修目的 ろう当事者が活躍する基盤を作ってきた映画関係者・団体等を取材し情報収集(実演家・映画専門手話通訳者の育成と運営、手話通訳など情報保障にかかる費用の調達方法、映画業界とのネットワークの構築方法などのリサーチ) ろう当事者が映画業界で活躍していくための方法をアメリカに求めて  日本では、手話やろう者・難聴者を扱ったドラマ・映画が多く制作され、社会へ影響を与えています。以前より手話やろう文化への理解は広がっているものの、聴者がろう者・難聴者を演じる風潮はまだ根強くあります。当事者が起用される機会は増えていますが、制作の現場における手話通訳の必要性や経済面の負担、企画段階からろう者を交え進めることの重要性が理解されていません。他にも、ろう者が演技を学ぶ機会がほとんどない、ろう者俳優の存在が知られていない、制作者の理解や知識不足といった問題が起こっています。  ろう当事者の監督と俳優の4名からなる私たち「がんば聾映画プロダクション」は、ろう者の映画制作や俳優などの活動を通して当事者の映画業界への参入に関する課題を解決するため、そのヒントを得るべく米国での研修を決意。「映画の街」のロサンゼルス、ブロードウェイの街ニューヨーク、ろう者が演劇を学べる場所として知られる、ワシントンD.C.ギャローデット大学の3カ所を回り、15名の業界関係者へのインタビューを行い、実情を学びました。   情報保障の義務を有するアメリカ  アメリカにはADA法制度(雇用、市民利用施設、公共移動交通、州及び自治体サービス、電話通信における障がい者の機会均等を保障する法律)があります。この国では通訳を依頼するのにADA法が適用されるため、演技を学んだり仕事をする際にかかる通訳費は基本的には国が負担してくれます。そこが日本と大きく異なる点で、日本ではろう当事者が通訳者の用意、その費用も負担するのが一般的です。居住地域によっては通訳が無償で使えたり、企業や大学が用意してくれるケースがあるものの、一年間の通訳利用時間の上限が決められていたり、演技関連の学校に通うことが個人の趣味として判断され、通訳者を派遣してもらえないなどの様々な問題もあります。日本でも法律として認められるために必要なのは選挙に関心を持つこと、ろう者を理解してくれる人を増やすこと、メディアの力を使うことだと改めて感じました。 視察で感じたエンターテイメントの力  パラマウント・ピクチャーズとワーナーマイカル・シネマズ、アカデミー映画博物館を訪問。ADA法に基づき用意された手話通訳者と、こちらが連れていった日本手話通訳者の2名による、英語⇔アメリカ手話⇔日本手話の体制で見学ツアーが進められました。実際に映画撮影を行っている様子を目にして、日本では考えられないスケールにびっくり。また有名な映画で使われたワンシーンが実際の場所を見ると全く異なっており、工夫次第でここまで変わることに興奮を覚えました。アカデミー映画博物館では、これまでのアカデミー受賞者の功績を称え、館内のスクリーンでは歴史を変えた受賞者たちのスピーチが流れていました。2025年は助演男優賞を受賞したろう者俳優トロイ・コッツァー氏のスピーチが映し出されます。このようなアーカイブを共有することが、多様なロールモデルを発信する場となり、当事者がより活躍でき、ろう者と聴者の互いへの理解や尊重につながっていくことを実感しました。 ろう者俳優の必要性を高めるために 今井 彰人(俳優)  インタビューを行った役者や芸能・芸術の仕事に関わる人達は、とても強いプロ意識を持っています。その一つの表れが仕事の役割分担です。専門知識を持つ手話通訳、手話の表現を確認する手話監修、台本を手話で翻訳する手話翻訳、演技指導者のように、役割をきちんと分け平等に遂行することで、チームワークの強みが生まれ撮影もスムーズに行われると感じました。またろう者俳優たちは演技の技術や知識以外に、手話言語をきちんと理解しています。日本手話も、日本語とは異なる文法を持つ言語です。手指以外の動き(口の形や眉の動き、視線など)が文法的役割を果たしているため、手話言語を理解していないと手話の表現の仕方が弱く感じます。日本にも『デフアクターズ・コース』という、ろう者・難聴者の俳優を育てることを目的に、聴者とろう者の講師が共同して取り組む俳優育成プログラムがあります。しかし、演技の基礎を学ぶだけで手話言語の知識を学ぶコースはありません。やはり手話言語の知識を身につけた上で演技も身につける、といった両面が必要であると痛感しました。  ろう者俳優の必要性を高めるために私ができることは何か。それは演技をすること、技術や知識を十分身につけること。多くのワークショップに参加し、身につけた表現方法をろう者俳優に伝えてロールモデルを増やすこと。さらに映画を作るための企画を提供し、ろう者俳優が出演できる機会を増やすこと。障がい者向けの事務所で働く一人の女性がインタビューでこう語ってくれました。「いつかこの事務所がなくなることが夢。健常者と障がい者の壁がなくなり、それが当たり前の生活になってほしい」まさに同感。ろう者が当たり前に暮らせる時が来ることを祈り、一つひとつ取り組んでいこうと思いました。 常に行動する、チャンスを逃さない 牧原 依里(映画作家・業界関係者)  今回の取材を通して意外だったのは、ろう者と聴者、それぞれアメリカのろう演劇に対する評価が異なることでした。デフウエストシアターの芸術監督DJ KursやワシントンD.C.のVOCA(Visionaries of the Creative Arts)に関わっているろう者たちは、「ようやく今からスタート。でも劇的に変わったとは言えない。まだやるべきことはある」と現在のろう演劇に対して楽観的ではないと異口同音に唱えます。その反対に同施設の代表取締役やエージェント等のCODA(聞こえない・聞こえにくい親をもつ聴者の子どものこと)や聴者は、昔と比べて激変したと言います。これについて数字データで見ると、おそらく後者が事実でしょう。現にデフウエストシアターの収入は今年1億円、来年以降は10倍の10億円を見込んでいます。ではこの視点の違いはどこからくるのか?本当の意味でろうコミュニティが映画・テレビ業界で活躍しているとは言えないからかもしれません。デフウエストシアターといえばミュージカルのイメージが強いですが、DJによると、60作品のうち4作品がミュージカルなのだそうです。その事実を聞き複雑な気持ちになりました。それがアメリカろう者の観客が本当に望んでいる芸術なのかどうか分からないからです。彼らが「ようやく私たちが望んだ世界へ」と言えるのは、もしかしたらろう者制作者がマジョリティの世界に本格的に参入し、ろう者監督が演出してからなのかもしれません。  取材したろう者の多くから「Don’t wait(待ってはいけない)、Take action!(行動しろ)」と言われたことがずっと心にあります。常に行動する、チャンスを逃さない。待っていては何も起こらない。当たり前の事実に心が揺さぶられ、とても目(耳)が痛かった。この研修で感じた現実と気づき、課題を日本に持ち帰り、行動に移すことを強く決意しました。    ろう者が聴者の世界に飛び込むことで 増田 菜央(レオ)(俳優)  ろう者俳優の活躍する環境整備は、日本に限らず国際的なテーマです。  米国では、日本同様に手話通訳者の不足や映画業界の課題が認識されていて、徐々に改善が進んでいました。  今回の研修を通じ、手話監修の定義や演技への理解について、日本に限らず、ろう者同士で対話する機会の重要性を再認識しました。  対話した15名はいずれも、明確なろう者としてのアイデンティティを持ち、ろうコミュニティに属しながら聴者と協働する意義を理解しており、共通した価値観が見受けられました。  インタビューをさせていただいた方から他の関係者を紹介いただき人脈も広がり、研修内容も一層深まりました。  また、現在の環境があるのは、エンターテインメント業界で活躍してきた先人たちの尽力があったからこそであり、その道のりの大きさを実感しました。  ろう者と聴者は言語や文化的背景が異なるため、聴者がろう者を指導することには限界があります。だからこそ、ろう者同士が演技を学び合える場や、目標となるロールモデルと出会える機会の創出が重要です。  同時に、ろう者の映画制作者や演技講師の育成や増加も求められます。  加えて、ろう者同士のみならず、聴者を含めた対話と情報共有の場が、業界参入への大きな鍵となると感じています。  協働のためには、ろう者、聴者互いへの理解と関心が不可欠です。異なる文化や言語を持つ者同士が、人間として対等に協力し、創造していくことが求められます。  映画は娯楽であると同時に、社会的意義を持つ表現手段です。「ろう者自身が聴者の世界に飛び込み、表現していくことが何より重要である」と強く信じ、今後の活動に活かしていきます。 学んできたことをドキュメンタリー映画に 今井 ミカ(映画制作・業界関係者)  今回の研修で特に印象に残ったことが2つあります。1つ目は、現在ディズニープラスで配信され人気を呼んでいる連続ドラマの手話監修者のお話。作品の脚本は聴者だけでなく、ろう者との協働で制作されたと聞いた時、胸が熱くなるほどの感動を覚えました。初期の段階からろう者が協働することによって、ろう者の視点で描いたリアリティーが生まれます。マジョリティとマイノリティが対等な立場で制作に携わっているという点は、日本との大きな違いを感じましたが、アメリカは慣れているからと羨んでいるだけでは日本の現状を何も変えられません。アカデミー賞の審査基準変更も同様で、アメリカはなぜここまでマイノリティとの協働を進めて行こうとするのか。その根底にあるものを探ることが、日本の業界の変化にも繋がるのではないかと思います。  2つ目は、ロスを拠点とするろう者劇団の挑戦です。「ろう者の文化を大事にしながら、聴者と芸術作品を通してつなげたい」という思いを実現すべく、手話を芸術レベルへと昇華させて舞台に溶け込ませ、音楽と融合させた高度なミュージカル作品を完成させていました。すべての人が感動を共有できるこの作品と出会い、常々「素晴らしいろう者の文化を届け、楽しんでいただける作品を作りたい」と願う私自身が大いに刺激を受けました。  マジョリティの業界にいかにしてマイノリティが参入していくか、その課題のヒントを探る10日間の研修は、一つひとつが素晴らしい経験となり、私はまるで冒険したかのような高揚感を味わいました。取材を通して知ることのできたアメリカの現状や携わる人々の思いを、日本の映画、テレビ、舞台劇などの分野で活躍している方々に伝えられればと考え、今回の研修についてのドキュメンタリー映画を制作する予定でいます。ご覧いただいた方に、変化の芽を感じ取っていただけたらと願っています。 第43期 ジュニアリーダー育成グループ研修(視覚障害者ユースプログラム) 東京都 小松愛陽さん 大阪府 酒井響希さん 熊本県 田中桃華さん 三重県 吉川司さん 視覚障がい 研修期間 2023年8月2日〜8月12日 研修国 アメリカ 研修機関 OHIO AMISH COUNTRY オハイオ州立盲学校 オハイオステイトフェア 国立アメリカ・インディアン博物館 国立航空宇宙博物館 議会図書館障害者サービス部門 日本大使館訪問 NFB(全米盲人連合) NIB(全米盲人雇用事業) トーマス・ジェファーソンビルディング(議会図書館 タッチツアー) 研修テーマ @日常生活・情報・文化・教育・就労等における障がい者のアクセシビリティについて A障がい者の自立に向けた努力や取り組み B障がい者リーダーの活動状況や想い C異文化体験 D自立への意識・コミュニケーション力・他人への思いやり・リーダーシップ等の向上 スタッフ 佐藤 紀子 鈴木 隆将 清和 嘉子 千葉 寿夫 宮ア 晶子 アドバイザー 青松 利明(実行委員) (敬称略) 海外研修で培った知識を最大限に生かしたい はじめに  2023年8月2日から12日まで、アメリカ合衆国において視覚障がいのある高校生を対象に11日間の研修プログラムを実施しました。  研修の前半は、オハイオ州立盲学校の元教諭のスー・アーター氏がコーディネートをしてくださり、州立盲学校訪問、アーミッシュ(文明を利用せず生活している人々)の村やオハイオステイトフェア(産業祭り)の見学等のプログラムを実施しました。また、盲学校のOB・OG教諭数名が移動の際の車のドライバー、ホームステイファミリーとして協力をしてくださいました。  後半は大都会のワシントンD.C.に滞在しながら、視覚障がい当事者やその関係者との交流、博物館等のアクセシビリティの体験、視覚障がい者の当事者団体やサービス提供団体への訪問、在米国日本大使館での懇談等、多岐に渡る研修をおこないました。 小松 愛陽  この研修は何もかもが新鮮で刺激的で驚きの連続でした。  特に印象的だったのは、たくさんの視覚障がい者からそれぞれの人生について伺ったことです。実は、私は物心つく前から憧れ続けた夢を、視覚障がいがあることで諦めていました。そこで、アメリカでは、私のように障がいがあって夢を叶えられなかった人はどのような人生を送っているのか、とても気になっていました。今回お会いした方は、回り道をしながらもやりたい分野にアタックしていたり、目標の実現のために裁判を起こしたりと、大変な努力をしてそれぞれの夢に近づいていました。私はこの経験から、将来教員になったら、子どもたちが障がいを理由に夢を諦めなくていいように、どうすれば夢に近づけるか、そのために必要なことは何か、一緒に考えて、その子の努力が実るように導きたいと思います。  また、障がい児教育について学ぶ中で深く感じたことは、アメリカは日本よりずっと障がい児が学ぶ環境が整い、機会に溢れているということです。オハイオ盲学校で見た物は、自然豊かで広い敷地や大量の触察模型、一人でも練習できる60m走のロープ等、どれも日本に取り入れたい物ばかりでした。また、議会図書館の障がい者サービスには多数の教材があり、習い事も断られることはないと聞き、日本もそのように障がい者も学ぶ機会を均等に得られれば、もっと個々の才能を伸ばし職業の幅を広げられると考えました。  この研修での数えきれないほどの貴重な経験を通して何倍も成長した私で、沢山の「喜びの種まき」ができるよう頑張っていきます。  最後に、研修を企画・運営し、このような貴重な経験をさせてくださった青松先生、ダスキンの皆様、スタッフの皆様に厚く御礼申し上げます。大変お世話になりました。誠にありがとうございました。また、研修を共に過ごした仲間たちへ、うまくいかないことも多々ありましたが、お互い助け合って良い研修にできてうれしかったです。本当にありがとうございました。 酒井 響希  僕は、この研修を通して、主に二つの点において自分の大きな成長を感じることができました。  一つは、英語でのコミュニケーションへの苦手意識がなくなったということです。僕の中で、英語で話さなければならないというのは本当に不安でした。相手に伝えたいことを正しく伝えられなかったり、逆に相手の言ったことが理解できなかったりすれば、相手に不快な思いをさせるのではないかと思っていたからです。しかし、ホームステイを行ったことで、誰かと話すときに一番大切なのは、正しい文法を使うことではなく、自分の思いを聞き手に伝えようとする姿勢なんだと気づくことができました。この自分なりのコミュニケーション方法を見つけられてからは、相手の言ったことが100パーセントは理解できずとも、何となく会話ができるようになりました。それは本当にうれしいことでした。これが、今回の研修の中で僕がもっとも成長を感じたポイントだと思っています。  二つ目は、「自分の意見や主張はもっとはっきりと言おう」と思えるようになったことです。  今までの僕は、クラスでのディスカッションや他の学校の生徒と意見交換をする際に、どうしても周りの雰囲気に合わせてしまい、自分の意見をあいまいなものにすることが多かったです。それは改善すべき点であることもわかっていましたが、具体的な改善方法がなかなかつかめないでいました。しかし、今回の研修でお話を聞いた盲学校の全盲の校長先生や視覚障がいを抱えながら仕事をこなす方々は、全員が誰にも負けない強い信念をもっておられました。僕はその姿にとても感銘を受けました。そして自分の意見をしっかりと伝えることがいかに大切なのかに気づかされました。これからはどんなときも自分のやりたいと思ったこと、変えたいと思ったことはその強い気持ちを諦めずに伝えていこうと思います。  今回の研修を振り返り、僕は大きく成長し、自分を変えられたと思っています。この研修を実行するまでに至ったすべての方へ、僕は感謝の気持ちでいっぱいです。この先の未来を担っていく一員として、この海外研修で培った知識を最大限に生かし全力で努力していこうと思います。本当にありがとうございました。 田中 桃華  私はこの研修でさまざまなことを学ぶことができました。その中でも自分に大きな影響を与えたことが二つあります。  一つ目は、アメリカの視覚障がい者の方々が胸を張り、堂々と自分の意見を述べていたことです。私は人とコミュニケーションをとることがとても苦手でした。その理由は、目が見えないので相手の表情を見ることができず、今相手がどんな気持ちでいるのかがわからないため、自分の意見を述べることを躊躇してしまうからです。また、相手にわかりやすく自分の考えをまとめて発表できず、人前で話すのもとても苦手です。しかし、アメリカで会った視覚障がい者の方々は躊躇することもなく、自信に満ちあふれた声で堂々と私たちに語りかけていました。その様子を見て、私もこの方々のように堂々と自信をもって自分の意見を相手に発信していかなければいけないと思いました。これからは躊躇する気持ちを捨てて、自信をもって自分の考えを発信していきたいと思いました。  二つ目は、障がいのある人たちに対する接し方が、アメリカ人と日本人ではまったく違ったことです。ダラスからコロンバスまで行く飛行機で、私たちはばらばらの席に座らなければなりませんでした。そのとき、私の両側にまったく知らない背の高い男性が座っていました。私は、最初この人たちに何か怖いことをされたらどうしようと恐怖を感じていました。また、何かあった時、目が見えないという自分の状況を英語で伝えられる自信がなく、どうすればいいんだと不安に押しつぶされそうな気持ちになっていました。少しでも不安を消そうと白杖を目立つところに置き、約3時間のフライトを終えました。飛行機を降りるとき、隣の男性が私の体を優しく支え、移動を手伝ってくださいました。日本では知らない人から助けてもらうことがあまりなかったので、アメリカで人の優しさを感じることができ、涙が出そうになりました。アメリカには点字ブロックなど私たち視覚障がい者が歩きやすくなるような工夫があまりされていないのですが、困っている人を助けようという意識があり、心のバリアフリーが発達しているなと感じました。日本では道路や施設などでユニバーサルデザインが施されていますが、困っている人に手をさしのべようとする人は少ないと思っています。お互いに助け合おうとする気持ちは、ユニバーサルデザインや福祉制度などよりもとても大切なものだと感じました。  私はこの研修で、日本では経験できないようなことをたくさん経験し、たくさんの感動を得ることができました。この経験で学んだことを、多くの人たちに発信していきたいと思います。このようなすばらしい機会を設けてくださり本当にありがとうございました。 吉川 司  僕は今回の研修で三つのことを学びました。  一つ目は、研修の目的にもしていた文化の違いです。まず、食事の量の多さに驚きました。また話には聞いていましたが、ホームステイをした家には地下室があり、入ってみると、たくさんの食料を保存するための大きな冷蔵庫がありました。さらに、駅の構造、点字ブロックの敷設がほとんどないこと等、アメリカでの当たり前が日本とは違う場合も多くあると思いました。国によっていろいろなことが違うことを実体験できたことはとても参考になりました。そして、日本に比べて人々がオープンで、気軽に、積極的に声をかけてくれることにも驚きました。  二つ目は、英語に対する考え方の変化です。研修前、今の英語力で言いたいことを伝えたり、会話ができるのかなととても不安でした。しかし、いざ現地の人と何日か会話をしていると、英語に対する考え方が今までにないほど大きく変化しました。初めは会話をすることはおろか、言いたいことをどの文法を使えば良いか考えているだけで、何も言えずに終わってしまいました。しかしその考え方は大きく違い、とにかく声を出して言いたいことを、わかる範囲の単語で話せば伝わるのです。僕はそれに気づけたとき、英語への関心や楽しみがさらに高まりました。  三つ目は、全米雇用事業の訪問等を通じて、たとえ視覚障がいがあったとしても、しっかりと必要なスキルを磨き、自分なりの目標をもって努力すれば、難しいと思われる仕事にも就くことができる可能性があるということです。アメリカでお会いした視覚障がいのある当事者のみなさんが口をそろえてそのようなことを言っていたのがとても印象的でした。  最後に、僕の研修の目的は達成できたと思います。またそれ以上の学びを得ることもできました。今回の研修で経験したことは、これからの日常生活はもちろん、大学での勉強や将来の仕事に活かしていきたいと思います。この研修に参加したことが、本当に自分の人生の転換点にもなりました。研修のために寄付をしてくださった方、研修に同行してくださったスタッフの皆様、一緒に研修をした仲間たち、ありがとうございました。 おわりに  研修全体のアドバイザーとして、全員が大きな病気や怪我も無く、無事に帰国できたことに安堵しております。また、ハードスケジュールにも関わらず、全員がすべてのプログラムに参加することができ、充実した時間を過ごせたことをうれしく思います。研修が進むにつれ、研修生の声が大きくなり、発言が増え、ますます積極的になっていったことにはスタッフ全員が驚きました。  ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業の実行委員として、このようなジュニア研修を企画・実施することは、私の希望でもあり夢でした。それは私自身が高校時代に1年間アメリカに留学し、異文化の中で生活・学習をすることで、その後の生き方を左右するような大きな刺激を受けたからです。  今回は、これまで3度実施したイギリスではなく、初めてアメリカでの研修を企画したこともあり、滞りなく研修をすすめられるか不安な気持ちもありましたが、できる限りの準備をして出発しました。  オハイオ州・コロンバスでは、留学時代にお世話になった先生方や友人が様々な形で協力してくださり、とても心強く思いました。また、私が高校時代に留学したオハイオ州立盲学校では、当時の後輩が校長になっており、研修生に向けて貴重な話をしてくれたり、キャンパスを案内してくれたりしました。ワシントンD.C.では、国会図書館の障がい者サービス部門に長年勤務していた友人のおかげで、充実した見学や訪問ができました。  各研修生のまとめを読むと、彼らが様々なことを学び、大きなインパクトを受けたことが伝わってきます。高校生という若い世代の視覚障がい者が直接異文化にふれ、アメリカの視覚障がい当事者と交流し、先進的なアクセシビリティを体験し、障がい当事者からの社会・政府への働きかけについて知り、視覚障がいのある人のための最新のサービスを学ぶという経験は、彼らの将来にとって意義のあることだと思います。これらの経験を通じて、かけがえのない財産を得ることができたに違いありません。  最後に、この場をお借りして、公益財団法人ダスキン愛の輪基金、スタッフの皆様、研修生を応援し送り出してくださった保護者や各学校の先生方、アメリカでのコーディネートをしてくださったスー・アーター氏や様々なコンタクト先の情報を提供してくださった ジュディ・ディクソン氏をはじめ多くの方々、その他支援してくださったすべての皆様にお礼申し上げます。これまでの多くの方々とのつながりや皆様の協力がなければこの研修は実現しなかったと思います。改めて人と人とのつながりの大切さを実感しました。 アドバイザー 青松利明 公益財団法人ダスキン愛の輪基金 〒564-0063 大阪府吹田市江坂町3-26-13 TEL.06(6821)5270 FAX.06(6821)5271 https://www.ainowa.jp