ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業  第44期(2026年度)研修派遣生報告書「自立へのはばたき」 感謝を忘れず仲間たちと障害者運動を引っ張っていく 個人研修生 八木 郷太さん 茨城県 肢体不自由 研修期間 2025年2月18日〜12月10日 研修国 アメリカ(カリフォルニア・ワシントンD.C.) コスタリカ 研修目的 障害者運動における権利の理解と主張〜権利意識の必要性を伝えるための具体的な手法を学ぶ〜 研修内容 障害者団体への訪問、インタビューを通して、世界をリードしてきたアメリカの障害者運動の理念や活動を学ぶ。また、イベントやカンファレンスに参加し、現在の障害者運動の状況と今後に向けたの戦略について理解を深める。 1.出発前の準備と交渉 ●重度訪問介護の海外における長期利用についての国との交渉  今回の研修を通して最も辛かったのは準備期間だった。中でも最も大変だったのが、10ヵ月間の研修期間中に日本の公的ヘルパーサービスである重度訪問介護を利用するための行政との交渉だ。私は普段24時間ヘルパーによる介助を受けて一人暮らしをしている。もちろんアメリカでもヘルパーの介助は必須だ。しかし、この制度を10ヵ月間の海外滞在中に利用するというのは前例がなかった。そのため自治体では検討がなされた。結果、国の見解により制度利用は承認されなかった。  しかし、24時間の介助が必要な私にとって、約2,000万円にもなるアメリカでの介助費用が自己負担になるということは研修断念を意味した。ここで諦めるわけにはいかなかった。障害者の全国団体に協力を仰ぎ、厚労省との交渉を続けた。そして3ヵ月に及ぶ交渉の結果、ついに利用承認を勝ち取った。全国で初となる決定となった。  その後、今回の決定を一度きりの特例とせず、これから海外に行く障害者もちゃんと制度を利用できるようにするために、当時の塩崎厚生労働大臣政務官と面会し要望書を提出した。その結果、厚労省は全国の自治体へ今回の事例に関するQ&Aを発出した。  最初の交渉で利用が認められなかったときは落ち込んだが、「自分が前例になることで他の障害者に希望を与えられる」と信じ、自分を奮い立たせた。結果的にたくさんの方々が私を助けてくれた。勇気を持って一歩踏み出せば、たくさんの人が助けてくれる、そして社会を変えていけるという確信を得ることができた。 2.研修期間中のアメリカ情勢 ●メディケイド削減予算 “One Big Beautiful Bill Act”は、アメリカの障害者の人権を奪い取った。  この予算案により、各州が連邦政府から受け取る補助金が大幅に削減され、州が提供する医療・福祉サービスにおいて予算縮小や条件の厳格化が発生する。具体的には、障害者がヘルパーを利用する時間が制限されたり、条件厳格化によりヘルパー利用ができなくなる可能性がある。つまり、これまでできていた地域生活を続けることが困難になる。  これまで50年以上にわたる障害者運動によって築き上げてきた「障害者が地域で生活する権利」が、いとも簡単に政治によって覆された。この衝撃はあまりにも大きい。なぜなら、この惨事は日本でも起きる可能性があるからだ。  「政治は数十年に及ぶ運動の歴史と勝ち取った人権をひっくり返す力を持っている。障害者が運動しなければ、障害者の人権は守られない。」この事実を仲間の痛みとともに胸に刻んだ。アメリカ研修における最大の学びであり、今後の活動における教訓となった。 ●移民取り締まり強化  トランプ大統領によって犯罪歴のある移民の一斉摘発と強制送還が実施されたが、犯罪歴がない移民の拘束や、ロサンゼルス・シカゴにおける州兵派遣といった強硬的な手段による拘束は、移民だけでなく多くの市民の反発を招いた。  研修地のカリフォルニア州は移民が多い州のひとつだ。街でもよくラテン系の人を見たし、スペイン語を耳にした。研修先のCIL(自立生活センター)にも移民の親を持つスタッフがいた。移民はどこかに隠れている犯罪者ではなく、親しい隣人だった。そのため、ICE(移民取り締まり機関)の不当な拘束から移民を守るべく、CIL内でもICE訪問時の対応方法などが会議で話し合われる場面もあった。  この移民取り締まりも、障害者の地域生活に大きな影響を与える。なぜなら、アメリカのヘルパーは移民が多いからだ。移民排除政策の威圧効果により、外出を恐れ仕事を拒否するヘルパーや母国へ帰国するヘルパーなど出ており、ヘルパー数が減少している。これにより必要な介助を受けられない障害者が発生している。 3.研修期間での取り組み ●Center for Independent Living  世界で最初のCIL(自立生活センター)が私の研修機関だった。CILがカリフォルニア州バークレーに設立されたのは1972年。当時としては非常に画期的な組織だった。保護の対象であり、サービスの受け手でしかなかった障害者が自ら団体を運営しサービスを提供するという組織運営は、その後日本を含む世界中の障害者運動のモデルとなった。日本には現在100ヵ所を超えるCILがある。私が普段活動しているCILいろはもそのうちの一つだ。  アメリカのCILの大きな特徴は、アドボカシー重視の活動内容だ。日本のCILが自立生活の支援という障害者の生活にフォーカスしているのに対して、アメリカのCILはあらゆる分野(教育・雇用・住宅)における権利擁護にフォーカスした活動が行われている。  この違いの背景には、市民権運動から続くボトムアップの人権運動という歴史を持つアメリカのCILと、第二次大戦後の福祉的措置として制度が拡充してきたトップダウンと障害者運動という面を併せ持つ日本のCILという、それぞれの歴史的な違いが影響している。  日本のCILによる自立支援と制度改善の働きかけは、世界最高水準の公的ヘルパー制度を作り上げたが、アメリカのような強烈な権利擁護とあらゆる分野を網羅するサービス提供は今後日本のCILにも求められる。 ●UC Berkeley  CILの研修生として、UC Berkeleyの「障害と環境デザインのためのコミュニティプランニングと公共政策」というクラスに参加した。このクラスでは、誰もがアクセスしやすい社会を実現するために必要なデザインや政策の視点を学んだ。  最も大きな学びだったのが、「DisCo Policy Framework」。インクルーシブな都市開発を評価・分析する5つの柱からなる。(1.法的整備、2.行政と予算の支援、3.調整と実行能力、4.都市における障害者などへの態度、5.当事者の声)インクルーシブな都市開発には5つの柱のすべてが必要になるとDr. Victorは語った。  UC Berkeleyでの思い出はもう一つある。それはキャンパス内が非常にダイバーシティだったということだ。そこは、あらゆる国籍・人種が混在する場所だった。日本では車椅子ユーザーは周りの人からよく見られる。しかし、アメリカで私が受けた視線は日本のそれとは明らかに違った。言葉で言い表すのは難しいが、異なったものを見る目ではない、とても友好的なものだった。そしてUC Berkeleyのキャンパス内では、それをより強く感じた。むしろ見られている感覚自体が薄かった。あの時に感じた、「いろんな人がいる中の一人」という、当たり前なのに不思議な感覚は忘れがたい。 ●NCILカンファレンス(ワシントンD.C.)  全米のCILが集まるNCILカンファレンスでは、多くのつながりと経験を得た。  このカンファレンスの数週間前に、前述したメディケイド削減を含む予算案が可決されたことにより、会場から国会議事堂までの抗議マーチのボルテージは最高潮まで高まっていた。「私達の家は施設じゃない!メディケイドを守れ!」と声を上げる隊列の長さは数キロにも及んだ。まさに、鬼気迫る当事者たちの声に胸が熱くなった。私も一緒に声を上げ続けた。  そしてカンファレンス3日目に、私は80分間のワークショップを担当した。これがアメリカ研修最大のチャレンジだった。3ヵ月前から資料を作成して練習を重ねた。緊張を跳ね除けてワークショップをやり切った後、多くの方が話しかけに来てくれたのがとてもうれしかった。大変なチャレンジだったが、それを乗り越えたことで大きな成長とたくさんの人とのつながりを得ることができた。挑戦と努力によって得られるものは、いつだって人生にとってかけがえのない経験だなと、やってよかったなと心からそう思った。 ●セントロ・モルフォ(コスタリカ)  自立生活運動は時代を超えて世界へと広がっていた。  約15年前にコスタリカに中南米初のCILが設立された。そして、このCIL設立を支援したのは日本のJICA(国際協力機構)と日本のCILだ。コスタリカでのCIL設立の経緯や、このCILから中南米全体へと広がる自立生活運動について学ぶべく、私はJICAコスタリカ事務所とセントロ・モルフォ(CILモルフォ)を訪ねた。  コスタリカの障害者達は日本のCILで障害者運動の歴史や理念を学んだ。そしてその理念をもとに仲間を集めてCILを設立した。設立後、彼らの働きかけによりコスタリカは着実に変わっている。最も大きな変革は、国に公的ヘルパー制度が新設されたことだ。これにより、これまで家族やボランティアにしか頼れなかった障害者が、公費でヘルパーを利用できるようになったのだ。国内のCILは3ヵ所に増え、活動の勢いは加速している。  そして、この自立生活運動は中南米全体へと広がりを見せている。中南米全体の障害者運動を繋ぐネットワークも組織され、コスタリカのCILをモデルにした新たなセンター立ち上げの動きが出始めている。  障害者の運動や制度が確立した日本で活動を始めた私が知らない、「運動が始まり、その炎が一気に大きく広がっていく」、そういった運動初期の勢いと、センターに漂う運動を楽しんでいる雰囲気を味わえたことは、運動家としての私の知見を大きく広げてくれる素晴らしい経験だった。 4.制度と生活面での学び ●ADAの効果とバージョンアップ の必要性  やっぱりADAはすごかった。しかし、完璧ではなかった。  アメリカで生活し様々な場所を訪れるたびに、ADA(障害を持つアメリカ人法)の効果を感じることができた。車椅子が理由で入れない建物はほぼなかった。日本では経験できない、「行きたいところに行く、入りたい店に入る」という、至極当たり前の営みができたことは私にとっては大きな喜びだった。  しかも、ただ行けるだけでなく、多くのスタジアムや劇場、映画館の車椅子席が日本のそれよりもはるかに利用しやすかった。建物だけでなく、ヨセミテ国立公園においては現地までの交通機関や公園内を走るシャトルバスもしっかりとバリアフリーになっていたのだ。これらの感動は必ず日本のバリアフリー施策に活かしていきたい。具体的には、現在私が所属する自治体のバリフリー協議会でこの経験をシェアし、市のバリアフリー施策に少しでも反映させていこうと考えている。  しかしADAも完璧ではなかった。「構造上改修が難しい場合は適用外」というルールがADAにはあるのだ。おそらくこれに該当するためにバリアフリー整備が不十分な建物が2つあった。サンフランシスコのジャズバーでは生演奏を聴けるとのことだったが、演奏するステージは地下でエレベーターはなかった。地下から聴こえてくるジャズに悔しさとリアルを感じながら、1階部分のバーで飲んだ。アメリカに来てから車椅子でも何でもできる!と感じていたため、大きなギャップを感じた。同時に法律や制度はできて終わりではなく、時代とともにアップグレードしていく必要がある。 ●現地ヘルパー雇用で痛感した 信頼とQOL  信頼できるヘルパーがいて初めて、研修の質は上がる。  現地でのヘルパー雇用はとても大変だった。CILのスタッフに相談したり、メーリングリストに求人を出して応募が来たのは1件だった。その女性はグアテマラ出身の方で、英語はほとんど話せなかった。そのため翻訳アプリを使いながらスペイン語で介助内容を説明した。言葉の壁は想像以上で、簡単な介助をお願いするだけでも時間と労力がかかった。  信頼できるヘルパーがいてこそ、私の生活が安定し、研修が充実したものになると改めて痛感した。今回の重度訪問介護の交渉により、信頼できるヘルパーを海外に連れていけるようになったのは費用面のみならず、この意味でも大きい。せっかく海外研修に行って、毎日着替えやトイレに1時間、食事やシャワーに2時間もかけていては、忍耐力はつくが学びは小さい。  しかし、もちろん現地ヘルパーを雇ってよかったこともある。それは現地のリアルを知れたことだ。彼女は移民だった。20歳の時にグアテマラからメキシコを縦断して、泳いで、砂漠を歩き続けて国境を超えたのだと教えてくれた。目の前にいる女性が、そんな壮絶な経験を乗り越えてアメリカに渡り、いま移民取り締まりに怯えて生きているという事実は、私の考え方や国際ニュースの見方を大きく変えた。 ●失って気づいた社会保障の重要性  私は月に1回、尿カテーテルを交換する。日本では医師にやってもらうが、「アメリカで病院にかかるのは大変だから、自分でやるのが現実的だ」と、アメリカの友人からアドバイスを受けていた。渡米前にヘルパーと通院を繰り返し、医師からカテーテル交換の仕方を習い道具をそろえて渡米した。  しかし、アメリカでの二度目のカテーテル交換がうまくいかず、緊急での処置が必要になり仕方なく救急車を呼んだ。大事には至らなかったが、救急車代50万円と、その後カテーテル交換のたびに病院に行くことになり、毎月5万円ほどかかった。私は民間保険に加入していたが、既往症には対応していなかった。既往症に対応した保険があることを知らなかったのだ。毎月高額な医療費を払うたびに、公的医療保険が充実している日本のすばらしさを痛感した。昨今、社会保障の予算縮小がよく話題に上がるが、人が病気を我慢しなくていい、自分の命と財布を天秤にかけなくていいということは、本当にすばらしいことであることを私は声を大にして言いたい。 5.今後に向けて ●私の人権は政治に奪われる  あの時、あの予算案通過を現地で見届けた障害者として、「障害者の地域生活が未来永劫約束されたものではない」ということを日本の仲間に伝えていく。「これは、私たちが声を上げ続けなければ、簡単に奪われてしまうものなのだ」と。これが、今後の私の一つの大きな役割だと考えている。  事実をシェアし、危機感を共有し、戦略的に今後の活動に邁進したい。 ●研修の記録は助けられた記憶  準備段階から研修期間まで全ての瞬間に、私を助けてくれた人が必ずいた。  みんなのおかげでやり遂げられた。  今回のアメリカ研修は、この言葉に尽きる。  私がやるべきことは一つ。  感謝を忘れずに、真摯に、仲間たちと障害者運動を引っ張っていく。 6.最後に  この研修に関わってくださったすべての方々に、心から感謝しています。  みなさまの助けがなければ、この研修を成し遂げることはできませんでした。  みなさま、本当にありがとうございました。 エグモントホイスコーレンで学んだこと 個人研修生 齊藤 美羽 さん 東京都 肢体不自由 研修期間 2024年8月6日〜2025年6月20日 研修国 デンマーク 研修機関 エグモントホイスコーレン 研修テーマ 福祉先進国においての障がい者に対する制度や障がい者に対する捉え方について学ぶ 研修目的 ・共同生活を通じて、デンマークにおける障がいの捉え方を学ぶ ・支援する人とされる側の関係性はどのように構築されるのかデンマーク独自の制度を活用して学ぶ  私は、2024年8月6日から2025年6月20日までデンマークにあるエグモントホイスコーレンに留学した。この学校は、全寮制で障がい者と健常者が共に協力しながら共同生活を送り、障がいのある生徒は健常の学生をアシスタントとして雇い、必要な介助を受けられる点が最大の特徴である。全校生徒は約340人程度でそのうちの4割が障がいを持った生徒だ。障がい種別としては、7割が車椅子を使用している肢体不自由で残りの3割がコミュニケーションが可能な軽度の知的障がいを持っている。彼らは、学校の生活において健常の学生から介助を受ける仕組みとなっている。障がいを持つ生徒たちは、自分に合ったヘルパーを見つけるために雇用者となって自ら面接を行う。この面接に通らなければ、入学することができない。ヘルパーとして採用されるには、これまでの経験や人柄が重視される。採用された学生は自身の学生生活を送りながら、同時に介助者としての責任も果たさなければならない。  エグモントには、「自己決定」「尊厳」「連帯」という3つの理念がある。これらに基づいて、言葉以外でアクティビティや日頃の授業での対話を通じて学生に感じてもらえるかを考えるのが教員の役割であるそうだ。例えば、尊厳とは何か?について黒板を使って話をするのではなく、先生がまいた種で3つの理念を基に生徒たちが良い雰囲気を作って花を咲かせるために支えるのが教員の仕事だと聞いた。確かに、授業でも生徒が主導となって進めていく場面が多い印象だった。先生は側で見守り何かあったときにアドバイスをする程度だった。そこにはエグモントならではの考えや目的があると知った。  次に私がどのような思いで介助者との関係性を築いたか、苦労した点について書きたい。私には、前期後期共に日本人留学生がヘルパーとして日常生活を手伝ってくれた。介助者と対等で良い関係性を築くためにはどうしたらよいのか日々葛藤した。  私は今まで日本でヘルパーを雇った経験がなく、他人に助けてもらいながら生活を送るのはエグモントが初めてだった。ヘルパーは私ができないことを何でも手伝ってくれる存在だと思い込んでいた。初日のオリエンテーションのときに障がいをもつ生徒が集められ、先生に真剣な顔で「自立しよう!」と言われたことが今でも鮮明に覚えている。自立と聞くと、人に頼らずに一人で生活をするイメージがあったため人に手伝いを求めることを禁止されているような気持ちになり、当時の私にはとても厳しく感じた。その日からヘルパーをどう活用していくか勉強の日々が始まった。最初の頃は自分は何ができないのか、どういった介助が必要なのかも分からなかった。主なヘルプ内容としては、食事がビュッフェ形式のため朝昼晩のお皿の配膳と部屋の掃除をお願いした。最初は順調だったのだが、中盤になり、私のヘルプについて話し合いをした際、ヘルパーに「何をどうやって手伝ったらよいのか分からない」と辛辣な意見をもらった。私としては、どんなヘルプが必要かはヘルパーの方から察してほしかった。悔しい思いをしていると、先生が「ヘルパーが何も言わないのは優しさであり、厳しさなんだよ。」と教えてくれた。その言葉をきっかけにお願いしたいことは自分から言おうと意識したが、中々勇気が出なかった。その理由として普段友達である仲間がシフトの日は介助者になるため、どこまで介助者としてお願いしたらよいのか分からなかった。特に前期は私と同世代の人がヘルパーだったこともあり、線引きが曖昧で、介助者か友達かの線引きに悩むことが多かった。特に外出をするときだ。外出時には介助者の分まで障がい者が負担しなければならない。全額出すという明確な決まりはないが、交通費に加え、食費まで障がい者が負担することになれば、仕事としての側面が強くなってしまい、友達として純粋に関われなくなるのではないかという懸念もある。旅行等で金額が大きくなるほど悩ましく、お金以上に気持ちが失われていくような感覚があった。留学中、「割り切る」という言葉を何度も耳にした。介助を仕事として割り切るという意味で使われることが多かった。日本人が完全に仕事として割り切れない理由は、ビザの関係で労働ができず半分ボランティアという形でお礼程度の金額しか渡すことができないという点である。親切心では限界があることや報酬が発生してお金が得られることに意味や喜びを感じる介助者も気持ちは理解できるのだが、私は今まで自分の介助を仕事で割り切れた経験がないため違和感があった。ヘルプはちゃんとした報酬がないと成り立たないのだろうかという葛藤を感じていた。だが、時には障がい者側が介助者の分も支払って割り切りながらヘルプしてもらうことがお互いに気持ちよく過ごすために必要だと学んだ。  2期目は自立することを目標に、今までヘルプをお願いしていた食事の配膳を自分でやってみることにした。一人ではできないと思っていたが、車椅子を片手で操作し、もう片方の手でお皿を持てば、スムーズに取ることができた。自分でできるようになった喜びはもちろんだが、ヘルプがないことで介助者と食堂で待ち合わせる時間を気にしなくてよい点はとても楽になったと感じた。今までは約束の時間があったため、必ずその時間帯に食堂に行かなくてはならなかったが、一人でやると決めてからは自分の好きなタイミングにご飯を取りにいけて自由が広がったように思う。これをきっかけに私は自分でできることは率先して自分で行うようになった。なぜなら、人に頼むよりも自分でやったほうが相手を待つことも相手の機嫌を伺うこともなく精神的に楽だからだ。介助者がいる生活は便利だと思いがちだが、お互いに気を遣わなければならない場面が多く疲れるというのが本音だ。だからこそ、障がいがあっても自立して自分でできることを一つでも増やしていくのが大切なのだと後になって最初の頃に先生に言われた自立の意味を実感した。  エグモントで過ごした中で私が思う自立は、自分でできることは自分で行い、できないことは人に手伝ってもらうことと考えた。自立に興味を持った私はデンマーク人にも質問をした。デンマーク人が考える自立とは、「自分がすべきことやしたいことを自分で決めて実行すること」だと教えてくれた。自分で決めたことに責任をもてるかどうかが大事だそうだ。自分に置き換えて考えると、やりたいことを実行することはできるが、責任が伴うと周りの大人に頼ってしまうだろうと思った。これからは自分の行動に責任を持つことを忘れずにいたいと思う。  次にインクルーシブについて学んだことについて書きたい。エグモントではfallesskab(フェレスケープ)「一体感」を大事にしている。みんなの思いや自分も参加している感を感じてもらうためにみんなで授業を盛り上げていこうという気持ちが大切で一人ひとりが持っている力を発揮し、何かをやり遂げることでみんなの喜びやエネルギーに変わる。数多くの授業を受けた中で、私が特にfallesskabを実感した出来事は、アウトドアの授業でノルウェーへ山登りに行ったときだ。私は登山用の車椅子に乗り、前後2人ずつ計4人のデンマーク人に引っ張ってもらった。車椅子では通れないような傾斜が激しい道ではデンマーク人が交代で私を背負ってくれた。学生達で協力して最後まで登り切ろうとしている姿に私は一体感を感じた。私は人に手伝ってもらう立場だったので登山中、みんなのために何かできているのかと不安に思っていたことがある。休憩時間に先生が不安げの私の元に来て「あなたが楽しそうにしていたら、周りにも伝染して周りの人も幸せになるんだよ。」と声を掛けてもらったのを今でも忘れない。周りの助けが必要だからこそチームの為になって私の存在がみんなに勇気や影響を与えられているのかもしれないと思った。山登りの直後の先生が「みんなが同じ気持ちで目標をもってチャレンジをすることで2+2は5になるように大きなエネルギーとなる。」というお話があった。目には見えないが、同じ目的で何かを成し遂げた経験が成長に繋がっていくのだと学んだ。  次にデンマークの福祉制度について学んだことを書きたい。パーソナルアシスタント制度というものがある。この制度は重度身体障がい者を対象としたデンマーク独自のヘルパー制度で1980年から開始した。最大の特長は、障がい者が雇用主となりアシスタントは従業員となる点である。そのため、この制度を利用できる人はヘルパーの仕事をきちんと管理できる人のみで、雇用主としての役割を果たすことが困難な重度の知的障がい者などは対象外となってしまう。自分に合ったヘルパーを選び、自分に必要な時間だけ活用できるのが利点だ。エグモントではこの制度を真似ている。雇用者としてヘルパーを雇う中で大変だったのはシフトの管理だ。ヘルパーの予定を考慮しつつ、毎月の予定を作成するのは頭を使った。また、人を雇うということには責任が生じることも学んだ。  私は、実際にこの制度を利用しているエグモントの卒業生の自宅に伺った。彼女は先天性の脳の難病で発語が困難だ。そのため、腕に入れた文字盤のタトゥーを使って指を指しながらコミュニケーションを取っている。5人のヘルパーが交代で勤務し、自立生活を送っていた。彼女にこの制度の利点を聞くと、「自由」という言葉が返ってきた。施設等に入ると束縛されたような気分になり、自分のやりたいことができなくなってしまうがこの制度を使えば、地域で自分の好きなように生活が送れるようになると生き生きとした表情だったのが印象に残っている。  普段、支援を受ける立場にある障がい者が雇用主となれる点は斬新な考え方だと思った。日本では障がい者=養護する存在という認識が強いあまり、自ら人を雇うという発想にすら及ばないのではと思った。時には先入観を持たずに考えてみることも大事だと感じた。  最後に、私がエグモントに留学する前と後で変わったことについて書きたい。  日本では車椅子に乗っているだけで障がい者というレッテルを貼られているように感じがちだったが、エグモントでは自分と同じような車椅子に乗った生徒がたくさんいて彼らは自信に満ち溢れた表情で過ごしていた。先生も障がいのある生徒を特別な存在として扱うのではなく、一人の個人として対等に接し、その人自身の可能性を信じてくれていた。障がいのある生徒を挑戦する力を持つ一人の人間として見る姿勢こそがエグモントにおける障がいの捉え方であると感じた。先生からの言葉で一番心に残っているのは「やってみてできなかったことが失敗ではなくて、何もしないことが最大の失敗」という言葉だ。これを聞いて最初から恐れるのではなく、やってみよう!という挑戦心をもつことが大事だと知り、水泳や山登りなど怖いと思っていたことにも積極的に参加した。エグモントでの様々な活動を通して人と関わる尊さを学び、人と関わることが好きになった。少し疲れているときでも仲間と喋ると自然と笑顔になっていた。今までは、自分の殻に閉じこもっていただけで心のどこかで人との繋がりを求めていたのかもしれないと感じた。これからも自分がやりたいと思ったことには率先してチャレンジしていこうと思う。エグモントに留学をして日本ではできない体験をして友達ができ、いつまでもここに居たいと思うような居場所ができたこと、誇りに思う。  障がいがあっても自分らしく楽しく生活していけるようにエグモントでの経験を日本の共生社会実現に活かしていきたい。 自分自身の行動で変わること・築けるもの 個人研修生 宮本 悠衣さん 神奈川県 視覚障がい 研修期間 2025年1月3日〜12月20日 研修国 デンマーク 研修機関 Egmont Hojskolen 研修テーマ 視覚障害のある人が社会参加するために必要な「支援体制」のあり方を学ぶ 研修目的 障害のある人が多様な経験や学びを得るためにはどのような支援体制や環境構築が必要なのか、また障害のある当事者が主体的に関わり、あらゆる場面で社会参加するためには、どのように関わり合うことが重要なのかについて学ぶ はじめに  2025年1月から12月までの約1年間、デンマークにあるエグモントホイスコーレンで過ごし、多くの貴重な経験や学び、素晴らしい出会い、初めて味わう感情、言葉では言い表せないほどの色々なことがありました。以下からは、私自身が特に印象に残ったこと、そこから感じたことや学んだことを順に記させていただきます。 自分の障害について 改めて向き合うきっかけに  第1に、自分自身の障害に対する向き合いについてです。今回は、学校生活を送るにあたって日常生活の面で必要なヘルプは同時期に留学している日本人にヘルパーとして入ってもらうことになりました。これまでは日本で公共の福祉サービスを利用したことがなかったので、シフトを作成し、その日の担当の人に自分の必要なサポート内容を言葉できちんと伝え、サポートをしてもらうということ自体が初めての経験となりました。そのような初めての経験のなかでは、自分に必要なサポートは何かを考えて言葉にすることの難しさを感じたことや、友達や仲間としての関わりとの境界の曖昧さに葛藤したこと、話し合いをすることにものすごいエネルギーが必要になって逃げ出したいと思ったこと、シフトを決めるにあたって人によって考えが違うからこそ複数人を一つの組織としてまとめることに難しい面があったことなど、エグモントに来たからこそ経験した様々な感情や出来事がありました。正直なところ、このようなことは想像以上のものでした。もしも自分が弱視ではなかったら、目が見づらいという障害がなかったらと、何度も葛藤を感じました。それは、中学生ぶりだったかもしれません。しかし、私はこれまでも多くの人と出会い、今につながる道を歩んできたからこそ、誰に何と言われようと、自分らしく、自分が築きたい関係性や環境を構築していきたいと考えました。そこで私は、日本人とはヘルプをする立場と受ける立場という関係だけを築きたいとは思わなかったため、自分でできることは自分でやってできない部分だけを手伝ってもらうようにすること、シフトを考える際やその時々の状況に応じて一人ひとりのことを可能な範囲で考えたり意見を汲み取ったりしながら互いに無理のないように心がけること、私自身も友達として仲間としての関係を意識して関わるようにしました。特に、自分にとって必要なサポートは何かを明確にし、それを伝え、その必要な部分を手伝ってもらうようにすること、もしも相手から「このようなサポートは必要か、どこまでサポートすべきか」といったような問いがあった際には、きちんと話し合い考えること、そのような関係性を日ごろから築くことが重要だと気づきました。その結果、自分が築きたかった関係性をつくることができたのではないかと思っています。それは、ヘルプをする・受ける立場でもあり、一緒に留学している仲間でもあり、たわいもない話をしたり助け合ったりする友達でもあり、エグモントで出会ったからこその関係性になったと思っています。この経験から、この先も障害に対して葛藤することはあったとしても、自分が周囲の人とどのように関わりたいのか、そのためには私自身がどう行動する必要があるのかを考え、実戦につなげていきたいと考えました。今回は日本人ともそのような関わりができたからこそ、より充実した1年間になったと感じています。今後も次の道に進み、新たな場所で新たな人と時間をともにする時、今回の学びを活かしていきたいです。また、今回改めて他の人と関わり、意見を交わして何かを決めたり考えたりすることは大変だと感じる場面が多くありました。しかし、それを乗り越えたからこそ築かれるものも多くあると気づきました。自分の気持ちを相手に言葉で伝えることは決して簡単なことではありません。だからこそ、私自身は可能な限り言葉にして相手へ伝えられるように努力し、それとともに相手が言葉として伝えてきたことをまずは受けとめて、それをどのようにすり合わせていくことができるのかを考えながら話し合い、何かをともにする仲間ときちんと向き合っていきたいと思いました。 価値観や考え方の広がり  第2に、デンマークの現地の友人と話すなかで印象に残ったギャップイヤーについてです。デンマークに来て初めて触れたギャップイヤーという文化に感銘を受けました。ギャップイヤーに関して話していたとき、ある友人は「学校を卒業して一度疲れるでしょう?」というようなことを言っていたことが印象的でした。確かに、一定の期間、学校などで頑張ったら、次を頑張るためにも一度休むことは大事になると感じています。セメスターの終わりに近づいてきたころ、この学校が終わったら何をするのかと尋ねたところ、旅行すると答えた友人もいました。高校を卒業したら、日本の場合は多くの人が大学などへ進学し、卒業と同時に仕事を始める人がほとんどで、少しでも違った道を選んだり、タイミングがずれたりしたら、少数派の立場となる傾向にあると思います。一方でデンマークは、高校を卒業したらギャップイヤーを取る人、進学する人、働く人など、より多くの選択肢があるように感じました。特にギャップイヤーは日本にはあまりない考え方で、きちんと休むことが大切にされていること、たとえ学校や職場に所属していなかったとしてもネガティブな印象だけが持たれないこと、旅行して見聞を広げることが大事な時間として捉えられていること、このように新たな考え方や価値観に触れることができました。私はギャップイヤーという文化に触れたことで、人生において休む時間は重要だと改めて気づきました。この1年間は私にとって、日常から離れ、多くの経験をして新たな文化や価値にたくさん触れることができ、自分自身がリフレッシュしながら成長することのできた、ある意味ギャップイヤーのような人生において大切な時間だったように感じています。だからこそ帰国した今、また次に向かってエネルギーを蓄えることができ、進もうと前を向くことができていると思います。また、デンマークでは、一人ひとりが選択して進む道についてより受け入れられているように感じました。日本においても、一人ひとりの選択や考えがより尊重されるような価値観が広がり、個々人が自分で道を切り開けるような環境になっていったらと考えました。私自身も自分が後悔のないように道を選び、その道で精一杯楽しみ、努力していきたいと思っています。もしも周りの人が進路などで迷っているとき、その人にとってより良い選択ができるような関わり、それから言葉をかけられるようにしていきたいと考えました。それから、友人たちと話すなかで、夢を持つことの素晴らしさについても改めて気づかせてもらいました。一人になったとき、自分の夢について考えてみると、たくさん見つけることができました。自分自身もこの1年を通して叶えたいと思ったら自分で行動することによって叶えられることがたくさんあったので、これからも夢を描きながらその達成に向けて行動し、他の人の夢を心から応援できるようになりたいと思いました。 自分自身はその場においてどのような関わりを築きたいのか  第3に、この1年間のなかで1番の思い出となったアウトドアのノルウェー旅についてです。私は最初、アウトドアは第一希望の授業ではありませんでした。また、アウトドアの経験もなく、何もかもが初めてで、無縁な世界でした。1月から始まった授業で、チームに別れてその日の活動が始まったとき、最初は何と周りの人へ声をかけたら良いのか、何をすれば良いのかを聞き続けて良いのか、周りの人の迷惑になっていないかなど、たくさん迷い葛藤していました。そのため、時によってはチームの一員としてあまり貢献できなかったと反省した日もありました。しかし、勇気を持って周りの人に何かできることはないかと尋ねてみると、嫌な顔をする人は一人もいなく、丁寧に説明してくれたり、一緒にやってくれたりしました。そのとき、自分から関わることの必要性に気づきました。そうして、いよいよ5月になり、ノルウェーへ行くことになりました。最初は何も想像できないからこそ不安な気持ちでいっぱいでした。また、道は想像以上にアップダウンが激しく、岩もたくさんあり、険しい道のりでした。しかし、仲間たちは道の説明の仕方や誘導の仕方を一生懸命に試行錯誤しながら一緒に歩いてくれたとともに、常に前向きな言葉をたくさんかけてくれました。だからこそ、私は楽しみながら歩き続けることができました。それと同時に周りの仲間たちの言葉や行動が原動力となって、私自身も楽しむことを忘れず、どんなときでも明るく関わって、周りの仲間と少しでも良い時間をともにできるようにと自然と心がけるようになっていました。それから、素敵なチームメイトとの出会いもありました。チームメイト6人で食事を作ったり、テントで一緒に寝たりしました。チームメイトたちは、必要なサポートを自然な形でしてくれたとともに、常に私が輪の中にいられるような雰囲気づくりをしてくれました。だからこそ私自身も、それまでの授業での経験を踏まえて、自分にできることは可能な限り聞いて、食材を切るなどの作業は積極的にするとともに、とにかく楽しむことを大切にしました。ある日のこと、チームメイトたちが最初はデンマーク語で話していたものの「色々な人の名前が出てくるな…」と思いながら聞いていたところ「今、私たちはあなたと同じチームになることができて本当にラッキーだという話をしている」というようなことを英語で伝えてくれました。そのとき、今までに感じたことのない言葉では言い表すことのできない気持ちで心がいっぱいになりました。初めてのことばかりな授業で不安だったノルウェーの旅、自分の人生最大の挑戦になると思っていたノルウェーの旅は、人生最高の思い出になりました。私はこの時間が終わってほしくない、ずっと続いたらいいのにと思っていました。旅を終えたとき、自分はなんて幸せ者なのだろうとずっと思っていました。学校に帰って来たときに、このようなこれまでに味わったことのない幸せな気持ちで溢れているとは、全く想像もしていなかったことでした。このノルウェー旅の経験を通して、やはり自分が周りの人とどのように関わりたいのか、どのような関係をつくりたいのか、それをもとに行動すること、それによって皆で築き上げられるものがあって、それは決して一人では成し遂げられないかけがえのないものになると改めて実感しました。だからこそ、自分から行動して関わることはとても重要だと学びました。また、自分自身は先のことを想像してあれこれと不安に思ったり行動できずにためらってしまったりすることが多くあります。ただ、今回の経験を通して、想像通りになることのほうが少ないということ、最初から決めつけないで自分で行動することによって想像を超えて変えられることがあると気づくことができました。この経験は、1年間を振り返るなかでも、人生において忘れることのできない一生の思い出になりました。仲間たちには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 研修を通して学び・考えたこと−今後に向けて−  以上のように、この1年間を通して、特に印象に残ったことを中心に記述させていただきました。私の研修テーマは「視覚障害のある人が社会参加するために必要な支援体制のあり方を学ぶ」でした。当初はアメリカの視覚障害関係の専門機関での研修を計画していたため、本来のテーマに沿った学びがどれほどできたのか、振り返る時間はより多く必要となりました。現時点での私の学びから考えたことは、自分自身が考え行動し、周りの人と関係を築いていくことが不可欠であるということです。確かに、障害のある人が社会参加するうえでは必要なサポートがあって、その支援を受けながら生活する権利もあり、支援にアクセスしやすい社会の体制づくりも必要になります。しかし、個々人が生活する環境は、その人自身もともにつくっていく必要があると改めて感じました。決して、受け身の立場だけになるのではなく、その場における最大限の関わりや行動、自分がその場においてどのような存在でありたいのかを考えてその場にいること、そうすることで、障害の有無などの立場の違いに関係なく、対等かつより良い関係性や環境を構築することにつながると考えました。私自身は、この約1年間の学びをもとに、障害があることを理由にして受け身だけの立場になるのではなく、自分自身で考えて自ら行動して周囲の人と関わり、より良い関係性や環境をともに築くことのできるよう、努めていきたいです。それから、この1年間慣れない環境で初めての経験をするなかで、たくさんの人たちの優しさに出会うことができました。これからは、その人たちに直接返すことがどれだけできるかは分かりませんが、自分がもらって原動力になった前向きな言葉や心に響いた行動、たくさんのあたたかさや愛を今度は誰かにもっと届けられるような人になりたいと思いました。このように今、自分自身の心にある気持ちや学びが刻まれたのは、たくさんの人と出会い、色々な場所に行って、実際に経験し、学び、吸収して、心で感じ、考え、あらゆる感情や時間を味わうことができたからです。 おわりに  今回このような貴重な1年間という期間、多くの経験や学びを得ることができたのは、これまで多大なるご支援ご協力いただいたダスキン愛の輪基金の関係者の皆様、アドバイザーの先生、研修先で出会った仲間や先生、多くの方々の支えがあったからです。留学先が決まるまでに長い時間がかかり、想像以上の苦難もありましたが、私は最終的にエグモントで2025年を過ごせて本当に良かったと心から思っています。心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。 学びを地域社会や障害コミュニティに届けたい ミドルグループ研修生 精神障害当事者会ポルケ 山田 悠平さん 東京都 精神障がい 相良 真央さん 宮崎県 精神障がい 研修期間 2024年6月30日〜7月10日 研修国 イタリア 研修機関 FISH、アレーナ・デル・ソーレ劇場、クラブハウス(ITACA)、ボローニャ近代美術館、精神保健局、市民保護局、ドーミオ精神保健センター(CSM Domio)、社会的協同組合(Querciambiente)、アソシエーション(Luna e l'altra Una Casa Tutta per Noi) 研修テーマ 精神科病院の脱施設化、精神科医療の一般医療の統合、精神障がい者の政治参加についてのフィールドワーク実施 研修目的 障害者権利条約の実施についての取り組みを学ぶ  私たちのグループは、精神障害のある人で構成される障害者団体「一般社団法人精神障害当事者会ポルケ」の理事会推薦を受け、当初は当事者3名によるグループ研修として計画申請を行いました。あいにく当事者メンバーのうち1名が直前に病欠となり、研修の実施は山田悠平・相良真央の当事者2名を中心に、介助者・通訳者等を含む計8名で渡航しました。  今回の研修では、障害者権利条約の実施に関するイタリアでの取り組みを学び、国内での実施に向けた具体的な取り組みや課題について、改めて学びを深めることを目的としました。訪問先の選定にあたっては、コーディネーター等から助言をいただきながら検討を重ねました。特に、研修テーマにも掲げた脱施設化に関わる第19条「自立した生活及び地域社会への包容」は、条約実施において欠かすことのできない重要な論点の一つとして主要な着目点としました。障害者権利条約が発効した2008年から遡ること30年前の1978年、イタリアでは脱施設化に踏み出した世界初の精神科病院廃絶法とも言われる「180号法(イタリア精神保健法/通称:バザーリア法)」が制定されました。  この法律の成立によって、精神障害のある人の暮らしや地域社会はどのような変化を迎えたのか。さらに、なぜ1970年代にこのような先進的な法律が成立しえたのか。私たちは、こうした点にとりわけ大きな関心を寄せてきました。以下、ローマ、ボローニャ、トリエステの3都市での研修から得た学びの一部をレポートします。 ローマ 訪問先:FISH  私たちの研修は、イタリアの首都ローマから始まりました。最初の訪問先は、イタリアにおける障害者権利条約のパラレルレポート提出を行った連合組織であるイタリア障害者フォーラム(FID)の中核を担う2つの構成団体の1つであるFISHです。この組織は、発達障害や知的障害を含む、比較的歴史の新しい全国約40団体で構成される障害者団体です。  近年の法制度面での取り組みとして、イタリアでは障害者政策を所管する省庁として「障害省」を設け、3ヵ年計画で障害者権利条約の実施状況をモニターする仕組みが、施策の推進に大きく寄与したとのことでした。こうした仕組みを活用しながら粘り強いアドボカシーを続けている点が印象的でした。また、イタリアは本年G7議長国ですが、今回初めてG7で障害をテーマにした閣僚級会合が10月に開催予定であることも伺いました。 ボローニャ 訪問先:アレーナ・デル・ソーレ劇場  第2の訪問都市ボローニャは、1088年創立とされる西欧最古の大学・ボローニャ大学を擁し、ローマとはまた異なる趣のある、古都の名にふさわしい温かみのある街並みが特徴的です。来日公演の実績もある演劇集団アルテ・エ・サルーテの拠点であるアレーナ・デル・ソーレ劇場にて、精神科医のイヴォンヌ・ドネガーニさんらと懇談の機会を得ました。  ボローニャは、イタリア全土の中でも革新的な施策が推進されている地域で、精神保健分野も同様に先進的な取り組みが進んでいるとのことです。この地域では、収容を前提とした精神科病院の廃止が1990年代半ばに国内でも早期に完了したと伺いました。  脱施設化というと、入院していた人を一斉に退院させるイメージを持たれがちです。しかし、バザーリア法に基づくイタリアの取り組みの大きな特徴は、新規入院を止めたことにあります。そのうえで、従来は入院で対処していた人たちを支えるための地域支援の担い手づくりと、すでに入院している人たちの退院に向けた地域移行が展開されました。  イヴォンヌ・ドネガーニさんは、まさにこの両輪の取り組みを医師として担ってきた第一人者の一人です。医師としてのキャリアの初期から精神科医として従事し、病院中心主義・治療主義からの脱却に向けて、支援職への教育や意識改革をどのように進めたのかを伺いました。イヴォンヌさんは、多職種による研修を幾度となく重ねたことを強調されていました。  職種間に存在する権力勾配をいかに可視化し、緩和するか。そのために、研修を「チーム」として行うことに大きな価値を置いている、というお話が印象に残りました。医師としての役割だけでは脱施設化を推し進めるのは難しく、地域支援の在り方を含めた大きな変化が必要であることも強調されていました。  そして、この変革を支えたのは「新規に精神科病院での入院を受け入れない」という社会の大きな決断であったことを、お話を通じて深く理解できました。脱施設化の第一歩として、精神科病院を前提としない社会をデザインする意義を学ぶ機会となりました。さらに、地域で暮らす当事者の姿が、かつて病棟で働いていた医療関係者の支えにもなったことが、お話から伺えました。「症状を見る視点」から「その人を見る視点」への変化、継続した関わりのなかでチームで支えることの意義も教えていただきました。地域生活を支えたのは精神保健センターの機能であり、当事者がアクセスしやすいよう環境に配慮し、生活圏で通いやすいように複数箇所に設けられたそうです。精神科医、心理士、看護師、エデュケーター(イタリアの専門職。ケースワーカーに近い資格者)によるサポートが展開されているとのことでした。 トリエステ 訪問先:精神保健局  バザーリア法成立の舞台となったトリエステが、3ヵ所目の訪問都市となりました。バロック調の街並みはオーストリアの影響が色濃く表れる港町です。滞在期間中はストライキの影響で、訪問先の変更を余儀なくされる場面もありました。  私たちが最初に訪れた精神保健局のある丘のエリアは、改革の地の中心であり、かつて大規模な精神科病院があった場所でもあります。現在は、カフェや大学の教育施設なども併設され、開放的で緑豊かな散策空間となっていました。園路の各所にはバラが植えられ、過去の暗い歴史からの脱却を象徴する意味も込められているとのことでした。精神保健局のスタッフの皆さん、利用者の皆さんと懇談の機会をいただきました。  コミュニティや人とのつながりの大切さを、温かな関係性のなかで実感されていることに、当事者として共感することばかりでした。イタリアの実践や培われてきた文化から学ぶことの多さを改めて感じました。私たち精神障害のある人の多くは、精神的に困難な状況にあるとき、社会的孤立による困難が重なり、つらい経験を重ねてきました。イタリアの当事者の皆さんの経験談からは、生活をさまざまな次元で支える社会資源や制度があることで、自分らしさを取り戻していく様子が伝わり、はつらつとした表情が印象的でした。 訪問先:市民保護局  今回の渡航先の多くは障害分野や精神保健関連の関係団体への訪問が中心でしたが、防災分野の行政機関にも訪問することができました。当該施設は災害対策を24時間体制でモニタリングする行政施設です。今回の研修で、イタリアの防災の在り方について伺えたことは大変貴重な経験となりました。  特に、発災後から復興に至るまでの避難生活における孤立対策については、障害の有無を超えた学びに富む示唆を多くいただきました。例えば、避難所のテントごとの通路に、日常のコミュニティを想起させる通りの名称を付ける取り組みはとても印象的でした。  また、防災に役立つ情報が、市民にとって使いやすい形で公開されている点も重要だと感じました。自分の住む地区の避難先情報が、Googleマップや写真付きで分かりやすく提示され、更新作業に市民ボランティアが関わることも推奨されているとのことでした。こうした市民参画は意識向上の点でも大切だと感じました。  このような市民ボランティアの取り組みは、日本との違いを感じた点でもあります。「自分たちの地域を自分たちでつくる」という市民自治的な動きを、日本では今後どのように育めるのか。都市化が進んだ地域で地域コミュニティへの所属意識が脆弱になりがちな現状も踏まえ、課題意識を強く持ちました。  精神障害のある人が災害時にも包摂される地域・避難所の在り方についても、具体的なヒントを得ました。例えば、世帯ごとのテントによりプライバシーが守られること、地域ごとの避難によって孤立が防止されること、平時から地域住民が防災に関わる機会が多いことなどです。団体では、防災に関する調査活動や啓発活動を行ってきました。今後の実践に大いに参考にしたいと思います。 訪問先:ドーミオ精神保健センター(CSM Domio)  トリエステ州の4つの自治体ブロックの1つであるドーミオは、もともと工業地帯で土地が安価だったことから、移民など新住民の流入が多いエリアの1つとされています。イタリアの現在の地域精神保健福祉体制と、具体的な支援提供の実際についても知ることができました。特に、ボローニャでも伺ったチーム支援体制について、より深く学ぶ機会となりました。  日本では「チーム医療」と言っても、どうしても医師を頂点とするヒエラルキーを想起しがちです。しかし、ここでは初回インテークの担当者が中心となり、伴走支援の過程で必要な職種が加わる体制で支援が行われている点が印象的でした。その際、多職種でミーティングを重ねながら、利用者の状態やニーズに応じて機能している様子がうかがえました。  当事者が医療や福祉のサポートを活用しながら地域生活を送るうえで、心理的安全性の確保は重要な要素です。支援者間のフラットな関係づくりは支援の内実に関わることであり、脱施設化を支える地域支援づくりにも欠かせないポイントとして理解を深めました。 まとめ  以上のように、イタリアでの研修を通じて、障害者権利条約の実施における大きなテーマである脱施設化と、インクルーシブな社会づくりに求められる考え方や実践を深く学ぶ機会となりました。  また、障害コミュニティの外にいる人々とも連携しながら地域づくりを進めていくこと、都市化のなかで希薄になりがちな地域のつながりを新たなスタイルで育むことが、私たちの今後の活動において重要な視点になると感じました。今後の活動を通じて、今回の学びを地域社会や障害コミュニティに届けていきたいと思います。  末筆ながら、国際情勢が不安定ななか、ダスキン愛の輪基金の皆様および支援者の皆様のご厚意により、無事に研修を実施することができました。重ねて心より感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 公益財団法人ダスキン愛の輪基金 〒564-0063 大阪府吹田市江坂町3-26-13 TEL.06(6821)5270 FAX.06(6821)5271 https://www.ainowa.jp