アジア第18期研修生報告書(日本語版) ろう者が共生できる社会を目指して クリストファー・アモモンポン フィリピン出身 30歳 難聴 研修希望内容 1.持続可能な団体運営 2.ろう教育 3.ろう者に対するコミュニケーション支援 4.日本のろう者の生活 はじめに フィリピンは大小7,107の島々からなる群島国家です。私が生まれたラプラプ市はセブ島にある都市で、美しいビーチが自慢の観光地です。また、国民的英雄である、ラプラプの生誕地でもあります。 私は生まれつき難聴者で、5人兄弟のうち、姉と妹がろう者です。両親はろう者のよき理解者であり、権利擁護者でもあります。自営業を営む父は、2名のろう者を雇用しています。母はボランティアの手話通訳者です。両親の影響で、私は障がいのある人に対するボランティアに興味を持つようになりました。それが、ろう者をサポートしたいという情熱に変わるのに、そう時間はかかりませんでした。 難聴者である私は、普段は補聴器を装用しています。ろう学校ではなく、地元の学校に通っていたので、コミュニケーションの問題を常に抱えていました。26歳でろう者の活動に関わり始め、手話を覚え、ろう文化も身に付けました。言葉が通じるということは何と素晴らしいことでしょう!ろう者と一緒に過ごすのは本当に楽しかったです。しかし、ろう者の生活が非常に大変であることも分かってきました。手話通訳者制度もなく、就労の機会もない。そして多くの差別が存在するというのです。私の家族はろう者と聴者の共同体ですが、楽しく幸せに暮らしています。社会もきっと、ろう者と聴者が共生できるはずです。私はその懸け橋になりたいと願うようになりました。 ラプラプ市政府は、インクルーシブ社会の実現を目標に掲げており、社会福祉事業の一環として障がい者への支援を行っています。しかし、当事者団体がなかったろう者への支援は他の障がいのある人々に比して、立ち遅れていました。そこで、2013年に15人の有志が集まり、ラプラプ市聴覚障害者協会を設立しました。私たちは「協会員とコミュニティとの連携を強化する」というビジョンを掲げて活動を始めました。しかし、設立したばかりの団体ゆえに、コミュニケーションのバリアをどう取り除くのか、社会への啓発をどう進めるのかなど、多くの課題に直面しました。それらの課題に対処するために必要な知識や経験を身につけるため、私はこの研修への参加を決意しました。私たちのコミュニティに暮らすろう者のニーズを反映し、私は4つの目標を持って来日しました。 1.持続可能な団体運営 2.ろう教育 3.ろう者に対するコミュニケーション支援 4.日本のろう者の生活 日本語と日本手話の勉強 最初の3ヵ月間、私は日本語と日本手話を学びました。ひらがなやカタカナの学習は楽しかったし、簡単でしたが、授業が進むにつれて、多くの漢字や文型が提示され、難しくなりました。しかし、先生方の努力と励ましのおかげで、諦めずに勉強を続けることができ、ウィークリーレポートを日本語で書けるまでになりました。日本語は、日本人とよい関係を築く上で大いに役立ちました。ろう者の先生から手話を学ぶというのは初めての体験だったので、手話クラスも大変興味深かったです。 ホームステイ 年末年始に三重県の窪崎さんの家でホームステイをしました。お母さんは私と同じ難聴者で、手話でたくさんお話しをしました。初詣や初日の出、そしておせち料理など、日本のお正月の文化を堪能しました。温泉や忍者の里にも連れて行っていただきました。 私を家族の一員のように迎えてくれた窪崎さん一家にお礼を申し上げます。ありがとうございました。 個別研修 1)持続可能な団体運営 団体運営について、旭川ろうあ協会、札幌聴覚障害者協会、兵庫県聴覚障害者協会の3つの団体で学びました。この3つの団体に共通するのは、素晴らしい組織構造を持っていることです。ろう者と聴者が共に活動していることも印象的でした。また、行政やコミュニティ、ステークホルダーとの協働が見られたのも特徴でした。特に、興味深かったのは、行政との連携です。例えば、事業所設立時に支援を得たり、手話通訳養成・派遣業務を委託されたり、日中作業所の運営においても連携が見られました。フィリピンでも行政との連携を実現させたいです。 2)ろう者へのコミュニケーション保障 国立障害者リハビリテーションセンター手話通訳学科と全国手話研修センターで手話通訳者の養成と派遣について学びました。学んだ知識は、ラプラプ市の手話指導クラスや手話通訳者養成コースに応用できます。また、札幌聴覚障害者協会では、映像の編集と字幕や手話ワイプの付与について学びました。加えて、インタビューの企画と実施についても学んだので、ろう者への情報保障に配慮したインタビュー映像の作成方法が分かりました。 3)日本のろう教育 私は、旭川ろう学校、北海道高等ろう学校、筑波技術大学を見学する機会を得ました。感銘を受けたのは、教師の多くが、手話が堪能であったことです。ろう学生は、手話という言語を介して、教師から完全な情報を得ることができます。完全な情報を得られることは、深い学びに繋がります。教育は、将来的には就労に繋がります。ろう学生にとって、手話による指導が教育の場で保障されることは大変重要であると再認識しました。 4)日本のろう者の現状 フィリピンでは、意欲があるにも関わらず、就労できないろう者がたくさんいます。「Social Cafe Sign with Me」は、ろう者が起業・運営しているカフェです。私は調理補助や接客を学びました。日本での接客はフィリピンよりも丁寧さや礼儀正しさが求められるので、最初は戸惑いましたが、徐々に慣れ、お客さんと接するのが楽しくなりました。店内の公用語は手話ですが、写真付きのメニューを指差せば、手話ができない人も注文ができます。私も将来、ろう者・聴者に関わらず、楽しく食事ができるカフェを起業・運営し、ろう者を雇用したいと考えました。 トット文化館では、ろう重複の人たちと一緒に、軽作業を体験しました。お話しをしながら、皆さんと作業を行うのは楽しかったです。 高齢ろう者を対象とした2つの老人ホームに訪問し、見学だけでなく、介助についても学ぶことができました。また、入居者の皆さんとの交流の機会が持てたのが、とてもよかったです。日本のろう者が昔はどんな生活をしていたのか、たくさん話してくださいました。社会の中で差別されることが多く、大変な生活を強いられていたそうですが、それが少しずつ良くなっていったのはろう協会のおかげだと教えていただきました。皆さんのお話しを伺い、感動しました。 帰国後の目標 帰国後、やりたいことはたくさんありますが、まずは私が日本で学んだ4つの目標に関する知識や経験をラプラプ市聴覚障害者協会のスタッフに話します。情報をしっかり伝えることで、共に活動できるようになるからです。 将来的には、他の障がい者団体、行政、聴者の団体と連携を取り、ラプラプ市をインクルーシブな社会にしたいです。ラプラプ市でインクルーシブな社会が実現したら、それで私たちの使命が終わるわけではありません。私たちの知見を他の島に伝え、インクルーシブ社会を広げなければなりません。それぞれの島のろう者の団体が強く、持続性の高いものになれば、上部団体であるフィリピンろう協会を我々の力で支えることができるようになります。上部団体の活動をより活発化させることで、ひいてはフィリピン全体の障がい者福祉の向上につなげていきたいです。 最後に 10ヵ月間、いろいろな方にご支援いただきました。心から感謝しています。 ダスキンファミリー、ダスキン愛の輪基金、日本障害者リハビリテーション協会、日本語・手話の先生、ワークショップや講義の先生、ホストファミリー、そして、私と出会ってくださった全ての皆さんに感謝します。ありがとうございました。 聴者、難聴者、ろう者の3つの世界をつなぐ役割に! イーシャン・リー 台湾出身 27歳 難聴 研修希望内容 1.ろう者の権利と平等 2.聴覚に障がいのある人の就労 3.聴覚障がい以外の障がいのある人たちとの 4.コミュニケーション方法と共に活動する方策 はじめに 台湾出身のイーシャンです。私は台湾の新北市に暮らしています。生まれた時は聴者でしたが、8歳の時に大病を患い、失聴しました。補聴器を試してみましたが、その効果がみられなかったので、装用しませんでした。そのため、8歳から18歳までの10年間、私はろう者として、全く聞こえない世界で生活していました。私はろう学校ではなく、地域の学校で教育を受けました。授業中、先生の声が聞きとれなかったので、教科書を読んで独学を行いました。クラスメートとのコミュニケーションも取れず、辛い思いをしました。 私は聞こえを補うための方法を自分で調べはじめ、人工内耳という技術を知りました。そして、18歳で高校を卒業し、人工内耳の施術を受けることを決めました。人工内耳を装用したことで、少し聞こえるようになり、そこから難聴者としての生活が始まりました。 大学卒業後、ろう協会のメンバーになり、手話を学び始めました。そして、28歳でダスキン18期生に選ばれ、日本の手話を学びました。 私の日本での研修の目的は3つありました。 1.ろう者の権利と平等 2.聴覚に障がいのある人の就労 3.聴覚障がい以外の障がいのある人たちとのコミュニケーション方法と共に活動する方策 この3つの目標を達成するために、様々なところで研修しました。 個別研修 主な個別研修先は、鹿児島と神戸でした。 「デフNet.かごしま」には、ろう者のスタッフや利用者がたくさんいて、コミュ---------------ニケーションの手段は手話でした。色々なことを学びましたが、作業所「ぶどうの木」と日本手話の指導クラスが印象に残りました。 「ぶどうの木」では、利用者であるろう者が、それぞれの特技を活かして様々な手工芸品を作っていました。私が気にいったのは、紙バンドを使ったバスケット作りです。バスケット作りの担当者は黙々と作品を制作していたので、私はその様子を見て、真似をし、分からないところは質問するという方法で、作り方や技術を覚えていきました。そして、3日間学んだころには、バスケットの基本構造が理解できました。ある日、「ぶどうの木」で働くスタッフが雑誌を持ってきて、そこに掲載されていたバスケットと同じものを作ってほしいと頼まれました。設計図もなく、実物も見ることができない状態から、1枚の写真だけを頼りに、自分でデザインを考えました。試行錯誤の末、同じような作品を完成させることができました。私にとっては難しい挑戦でしたが、スタッフは大変喜んでくれましたし、よい経験になりました。 「デフNet.かごしま」には2つの手話クラスがありました。1つは日本手話の基本会話を学ぶクラスです。日本手話を使ってろう者と交流できることを目標に、受講生は手話を学んでいます。もう一つは、手話通訳者を目指す人のためのクラスです。こちらのクラスでは、手話通訳者に必要な高度な技術を身に付けるための訓練も行われています。私はそれぞれの受講生が目的を達成するために、どのように指導するのかを考えながら見学しました。その結果、指導法の違いを知ることもできましたし、私自身の日本手話技術の向上にも繋がったと思います。 神戸では「自立生活センターリングリング」で研修しました。リングリングには、難聴者のスタッフがいました。彼女は、他のスタッフと手話や筆談を使ってコミュニケーションを図っていました。リングリングでも手話教室が実施されていますが、受講生はセンターのスタッフです。これは、センター内のコミュニケーション促進を目的としたクラスだからです。センターには、障がいのあるスタッフもいれば、障がいのないスタッフもいます。手にまひがあって、手話が表わせない場合、他のスタッフが代わりに手話を表出していました。 センターには難聴以外の障がいのある人がたくさんいました。手話が堪能な人ばかりではないし、私も日本語を話したり聞いたりするのは上手くできません。そのような条件下で、どうやってコミュニケーションを成立させるかというチャレンジは、楽しくもあり、実践的でした。また、その会話を通して、難聴以外の障がいのある人がどのような課題を抱え、活動をしているかを知ることもできました。 リングリングでの最高の経験は、ピアカウンセリング(以下、ピアカン)です。約1ヵ月半という長期研修の中で、3月に3日間、5月に4日間、合計7日間の集中的なピアカン講座に参加することができました。ピアカンは、自分の感情を伝え、仲間と話し合いを重ねる中で、自分を顧みることができるようになるプログラムです。仲間との交流を繰り返し、互いに高め合い、成長するという素晴らしい経験をしました。 ユニークな経験 研修プログラムの中に、ホームステイとスキー研修が組み込まれているのは、世界のどこを探しても、このダスキン研修以外にはないでしょう。これら2つのプログラムにより、日本での学びがより深まったように感じます。 年末年始のホームステイでは、香川と宇都宮に行きました。香川ではうどん作りを体験させていただき、宇都宮では着物を着せていただきました。実際に、日本人のご家庭に滞在しながら日本の文化に触れることができたのは貴重な体験でした。 スキー研修は決して忘れられないものです。スキー研修最終日の夜に、研修生とダスキン愛の輪基金、そして、日本障害者リハビリテーション協会のスタッフと一緒にお酒を飲みながら交流会をしました。私は英語が苦手なので、他の研修生とのコミュニケーションが難しく、あまり話をすることがありませんでした。しかし、この夜、リラックスした雰囲気の中で、スキーという共通体験を持ちよって、皆さんと色々な話をしました。この日を境に、研修生との間に感じていた壁がなくなり、今では、18期生のみんなは一番の仲間だと感じています。そんなふうに思えるようになったことで、私のコミュニケーションに対する考え方、ひいては私の人生観が大きく変わりました。 気付いたこと 私は聴者として生まれ、8歳でろう者となり、18歳で難聴者になりました。聴者である私は、8歳の時に死んでしまいました。聴者だった私に戻ることはもうできないのです。今の私にはろう者と難聴者の2つの世界があります。普段の私はろう者です。全く聞こえない世界に住んでいます。そして、聴者とコミュニケーションをとる時は、相手の声を聞きたいので、難聴者になります。私はろう者と一緒にいる時、自分の思いを何でも話せることに気付きました。そこには差別がなく、等身大の私でいられるからです。聴者と一緒にいる時は、知らず知らずのうちに相手に合わせてしまう私がいます。しかし、そんな苦しい気持ちを隠してしまうため、聴者からは「あなたは強い」「あなたは大丈夫」とよく言われます。本当は、努力して相手に合わせていることに気付いてはもらえません。私は聴者と一緒にいる時に、心から楽しいと感じていなかったことに気付きました。では、聴者、難聴者、そしてろう者は分かりあえないのでしょうか。 私は、3つの世界をつなぐことができると信じています。3つの世界になくてはならないものは4つあると思います。手話、言葉、目、心です。特に大切にしたいのは、やはり「心」です。相手と通じ合いたい、相手と学び合いたいという思いは、私たちの心から出てくるものです。 台湾に帰ってやりたいこと 帰国後の目標は4つあります。 まずは、情報保障に関する活動です。手話通訳者の養成、難聴者に役立つ福祉機器の紹介などに関わりたいです。また、ろう者と聴者が共に楽しめるイベントを企画し、聞こえない、あるいは聞こえにくい人に対する理解促進を進めたいです。 次に、手話研修センターを設立することです。台湾では手話の研究が進んでいません。台湾手話の辞書も作りたいです。 3つ目は、中途失聴者への支援です。私自身の経験から、台湾では中途失聴者に対する支援が大変少ないと感じています。一方、先天的に聴覚に障がいのある人には様々な支援があります。失聴の時期に関わりなく、受けられるサービスを平等にしたいです。 最後に、聴覚に障がいのある人のための自立生活センターを設立したいです。このセンターで情報提供などを積極的に行い、聴覚障がいのある人のための基幹センターにしたいです。 お礼 研修期間中、さまざまなところでお世話になりました。ダスキン愛の輪基金の皆さん、研修先の皆さん、日本障害者リハビリテーション協会の皆さん、多大なご支援をいただき、ありがとうございました。 障がい者のための活動に献身的に関わっていきたい ラムダス・シンハレ インド出身 23歳 全盲 研修希望内容 1.障がい者の社会へのインクルーシブ 2.日本の障がい者に関する課題とその対策 3.日本の視覚障がい者に対する福祉施策 4.障がいのある人の自立生活 はじめに ダスキン研修は障がい者を対象にしたものです。障がい者、なかでも視覚障がい者の生活と尊厳を改善するにはどのように貢献したら一番効果的か考えていた私は、本研修を大変貴重な機会と思い、ぜひ参加したいと思いました。参加が叶えば、リーダーシップ能力を高め、障がい者の権利を守ることにもっと貢献できるだろうと考えました。 日本語クラス 日本に来るまで、私は日本語を習うチャンスがなく、一言も話せませんでした。日本語は世界で一番難しい言葉の一つとされています。第三言語として日本語を勉強することになりましたが、簡単には行きませんでした。最初は日本人と話をして意思疎通するのが大変でしたが、段々に私の日本語も上達しました。また、日本語の点字も教わりました。日本語の点字は論理的なだけでなく、初心者の私でもとても覚えやすかったです。自国語のヒンズー語や英語の点字のサインや文字はすでに全部知っていました。点字は6つの点で表されます。この6つで63文字が表現できます。6つの点と63文字で、世界のどんな言語でも読み書きできるようになっています。当たり前といえば当たり前ですが、日本語の点字を勉強していると、ヒンズー語、英語、日本語の点字で共通の表現もありました。このおかげで段々と日本語の点字にも慣れるようになりました。先生方の素晴らしい教授法にも大変感心しました。 個別研修で学んだこと 集中的な日本語の授業のあと、私たち研修生は皆ばらばらになって、自分が学びたいと思う分野の研修に行きました。個別研修はプログラムの中でも重要なパートで、自分たちが頑張りたいと思う分野の勉強ができます。私はさまざまな公的機関、リハセンター、特別支援学校、インクルーシブ教育校、大学や図書館の学生支援センター、中央政府や地方政府の機関、NGO、NPOなど、日本全国で日本の障がい者の現状改善を目指して活動している組織を訪ねました。また、日本の公的機関の機能や運営について知りたいと思っていたのですが、それも学べるような機会を作っていただきました。最初、私のおぼつかない日本語では、意思疎通や知識を吸収するのが難しかったのですが、段々にこなせるようになってきました。それでは私が障がい者についてたくさんのことを学ぶことになった場所のいくつかについてご紹介したいと思います。 日本ライトハウス(大阪) 日本ライトハウスでは1ヵ月くらい研修を受け、さまざまな活動について教わり、日本文化や、障がいに対する日本のアプローチ、社会の見方、日本で実践されていることのほか、どのように障がい者が日本社会にメインストリーム化しているかについて学びました。また、私は個人的に、日本の法律や法規制によって、視覚障がい者を特に対象に運営されている施設や団体を訪ねたいと思っていました。日本ライトハウスは1922年に設立され、日本ではずっと視覚障がい者の生活改善のために活動してきたパイオニア的存在です。情報へのアクセシビリティ、視覚障がい者のリハビリ、自立生活のための研修や介助サービス、特殊ニーズのある人のための教育やインクルーシブ教育、職業訓練所の提供、電子・点字図書館、点字情報技術センターなどさまざまなサービスを展開しています。私はこうした活動に可能な限り積極的に参加し、各サービスの内容についての知識と実践を学びました。 日本ライトハウスでは、福祉政策とその施行について、知識と実践を学びました。上記のサービスのほかに、障がい者運動、ボランティアシステムや障がい者の就労、レジャー、レクリエーションなどについての説明もありました。大阪と京都ではリハビリセンターや大学の学生支援センターを訪ねました。また、専門家に会い、こうした取り組みについてとても健全で実りあるディスカッションに加わることができました。また、こうした取り組みが違う県ではどのように行なわれているのかも理解しようと努めました。日本には47の都道府県がありそれぞれ違う社会福祉政策があってそれぞれ違う形で実施されています。 自立生活 インドは世界で七番目に大きく、もっとも経済成長の速い国です。人口は世界第二位で、そのほとんどが若者です。2011年の全国調査では、インド全土の障がい者は2,700万人とされていましたが、他の民間組織の調査ではもっと多く、おそらく4,000万人ほどに達し、そのほとんどが地方や村、発展の遅れた地域に居住しているとのことです。こうした障がい者のほとんどは非常に貧しく、良い教育も受けられずにいます。高等教育まで進学する障がい者は大変少ないのですが、1995年障害者権利法、また最近施行された障害者権利法により、障がい者の教育は義務化されました。したがって障がい者も政府・民間の仕事に就いて、社会的な地位を築き受容されてきてはいます。しかし障がいはまだ目を向けられることの少ない分野で、障がい者はインドの中でも最貧困層の人が多いとされています。このような状況なので自立生活が実現するにはまだまだ遠い道のりです。 日本には現在120以上もの自立生活センター(CIL) があります。私は日本の自立生活をしっかり体験し、学びたいと強く思っていました。自立生活の大事なコンセプトは、障がい者自身が強くなり、自分についての決断や選択が自分でできるようになること、そして自分が下した決断について責任を負うことを覚悟することです。しかし、世界では、途上国の多くで、障がい者は年をとっても家族と暮らすべきだという考えが一般的です。さらに障がい者は日々の生活でいろいろな差別に直面します。未だに社会には障がいやそれにまつわる事柄に対してさまざまな迷信や、否定的な考えが蔓延しています。一般的に途上国に国民年金はありません。バリアフリーのインフラも、ヘルパーシステムも、介助サービスもありません。それでも、私はインドの障がい者は近いうち、自立生活をできるものと信じています。日本ではいくつかの自立生活センターを訪ねました。どの自立生活センターも目的は共通でしたが、活動はセンターによって違っていました。インドでも自分たちで自立生活センターを作り、障がい者のニーズに合わせるようにすればよいのだと気が付いて、希望が湧いてきました。 ピアカウンセリング 日本に来る前、カウンセリング(以下、ピアカン)については一切耳にしたことがなく、ピアカンに至ってはまったく初耳でした。ピアカンについて知ったのはヒューマンケア協会、および自立生活センターSTEPえどがわでのことです。 ピアカンは、知的障がい、重度障がいといったように、その人の障がいごとに組み立てられていました。ピアカンは障がい者のエンパワメントにとって大変重要だと思いました。ピアカンの目的は主に、自信を取り戻すこと、人間関係を作り直すこと、社会を変えること、の3つです。ピアカンの間は、自分が心地よく感じることに気持ちをフォーカスするように教えられます。たとえば、愛し愛されたい、私はとてもクリエイティブだ、知的だ、喜びで溢れている、強い、パワフルだ、といった思いに気持ちをフォーカスします。 ピアカンの先生からは、自立生活センターの社会的モデルについて教えていただきました。医療モデルでは、専門家が障がい者に頑張ってリハビリに励み、健常者のようになれるように頑張れと言います。しかしこれはたやすいことではありませんから、障がい者は徐々に自信を失います。 ピアカンでは、こうした医療モデルは介入しません。自分たちの体験を語り合うことでお互いの気持ちを理解し、お互いにサポートし合うのです。社会的モデルへの最初のステップともいえます。 手話 私が知る限り、インドにはほとんど手話通訳者がいません。このため聴覚障がい者にとっていろいろと難しい状況であるだけでなく、さまざまな障がいを持った人たちが集まって一緒に活動するのはほとんど不可能になっています。このため私は今回の研修で手話の基本を勉強したいと思いました。そうすれば障がいやそれに関係することももっと理解できるようになると思うからです。そしていろいろな障がいの人の集まるフォーラムを作り、活動を企画したり、みんなで活動できる共通のプラットフォームを作ったりできたら、なお良いでしょう。 インクルーシブな社会 バリアフリーな社会やインクルーシブな社会の議論は複雑です。今我々は科学技術の21世紀に暮らしています。20世紀末には、障がい者も障がいのない人と同等の権利を持って社会に参画できるべきだという考えが認められるようになり、障がい者に光を当てたさまざまな国際活動や取り組みが行なわれました。またさまざまな国が国内法を施行したことで同等の権利や機会、社会参加についての話し合いが始まりました。バリアフリー環境やインクルーシブな社会もテーマのひとつでした。 現在は未だ、ほとんどの国がバリアフリーやインクルーシブな社会とは程遠いところにありますが、誰も完全にバリアフリーな環境を目にしたことのない中では、すべての人にとってのバリアフリーとはどういうものかを想像するのはなかなか難しいことです。こういうものではないか、ああいうものではないかと議論してもそれは誰か他の人が考えたイメージをなぞっているに過ぎません。そういう枠を超え、もっと素晴らしいものを作っていこうとイメージを膨らませていかなければいけないと思います。 確かに今、バリアフリーの交通網や建物、インフラ、公共の場所、障がい者運動といったものを私たちは目にしており、そういうものが現在の水準ではアクセシブルとされていますが、これからもずっと同じという保証はありません。変わらないものはないのです。日本ではほとんどの場所が障がい者にとって大変アクセシブルになっており、障がい者はバリアフリーの交通網を使ってどこへでも行くことができます。アクセシブルな道路や手すり、凹凸で視覚障がい者にわかるようになっている路面、カーブ、車止め、自動ドア、列車や駅のアナウンス、電車に乗るときの介助サービスなどいろいろなものがあります。ほとんどの場所はガイドラインに沿ってアクセシブルに整えられています。 しかし、日本のようにこれだけ障がい者のアクセシビリティが進んだ国であっても、よく見ればまだインクルーシブというには遠い状況です。障がい者が排除されていたり隔離されたりしている例はたくさんあります。とくに就労面で障がい者の置かれている状況は障がいのない人と同じ待遇とは言い難いでしょう。官民を問わず主要な団体で障がいのない人と同じように働いている障がい者はとても少ないのが見てとれます。たとえば、視覚障がい者は未だに、鍼灸やマッサージなど、従来視覚障がい者が携わってきた仕事に就いています。雇用側は視覚障がい者を雇いたがらないのです。日本の法律では障がいごとに何人ずつ、どのように雇用すべきかのガイドラインや規則がないのです。 将来の目標 インドでは、障がいに対する社会意識の高まりがあります。しかし、本当に社会がインクルーシブになり関心を持つようになるにはまだまだ問題が山積みです。このことは、自分自身、身を持って体験しました。何もかも遅れている地方で子供時代を過ごし、教育を受けることで、立場を変えることができ、社会の主流で仕事を見つけ、名の知られている銀行でマネージャーの仕事に就くことができました。学生の頃は、障がい者の権利や尊厳を守りインクルーシブな社会を作るための抜本的な法的枠組みがないなど、社会の無知によって障がい者にはいろいろな限界があるのを感じていました。 この研修で学んだことはすべて、障がい者の世界の中だけでなく、一般社会の中で障がい者の尊厳と権利をさらに効果的に訴えていく力になるでしょう。私はこれまでも、障がい者、それも視覚障がい者による、あるいは視覚障がい者のための、権利擁護とサービス団体に積極的に関わってきました。これからも今まで以上の熱意をもって、これらの団体を通じて障がい者のための活動に献身的に関わっていきたいと思います。また、障がい分野においてインドと日本とのより緊密な交流も促進していきたいです。 感謝のメッセージ 私たちのニーズを常に考えてくださり、私の日本での学びを有意義なものにしてくださったダスキン愛の輪基金、日本障害者リハビリテーション協会、そして関連団体の皆さまに、心からの感謝の言葉を捧げたいと思います。本プログラムの中で、さまざまなことを学べただけでなく、日本文化や、障がいや日本の主流社会に障がい者が参画していけるようにするための日本のアプローチや社会の見方、さまざまな取り組みなどを理解することができました。 日本の皆さんは大変親切で、自分の仕事や責任について非常に真剣で、時間厳守で、他人に配慮し、頑張り、そして平和的で優しいです。日本で得た知識と経験によって自信がつき、エネルギーが湧き、もっと障害者運動に頑張っていこうという気持ちになりました。ダスキン研修では、いろいろな障害やそれを取り巻く事柄について知ることができました。日本で過ごした10か月は忘れられないものになりました。ダスキンの皆さまのおかげで、真実の世界を見ることができました。 最後になりましたが、この研修を間接的に成功に導いてくださった皆様にも、厚く御礼申し上げます。 地平線の向こうへ私の未来の道筋をつけた、かけがえのない経験 サンカ・ハシンタ スリランカ出身 30歳 弱視 研修希望内容 1.教育施設の管理運営 2.インクルーシブ教育 3.障がいのある人の自立生活スキル 4.プロジェクトプロポーザル 5.ピアカウンセリング スリランカと日本は大昔から非常に親密な関係を築いてきました。スリランカの人たちの多くが、日本人をとても正直で、職業能力の高い国民として見ています。このため、来日前から、私も日本に対してよい印象を抱いていました。 私の視力が落ちたのは、早くも16歳の頃です。当時は高校生でしたが、目が悪いためにいろいろと難しい問題に直面しました。しかし、勇気と力を振り絞り、問題に立ち向かって、スリランカの最高学府とされるコロンボ大学への入学が叶いました。今では、障がいのある生徒もない生徒も通学する中学校で英語教師として働いています。自分自身の経験から、子供たちの教育の支援をしなければならないと常に感じながら勤務しており、いつか教育分野でのリーダーになりたいと考えています。 そうこうしている間にダスキンリーダーシップ研修について知り、昨年、日本に第18期の研修生の一人として来日が叶いました。 日本語クラス 研修生全員にとっての第一のそして最大の難関は、日本語の勉強です。素晴らしい先生方の支援を得て、日本語クラスが始まりました。3ヵ月という短い間に日本語がスキルアップできると聞いて、全員驚きました。日本語の先生方に心から御礼申し上げます。 個別研修プログラム 研修の中で一番長く、また主幹を成すのが、個別研修です。研修生一人ひとりの個人的な関心事、また将来の目標に合わせて、筋道だったプログラムが組まれます。私のメインテーマは、日本語の教育システムを学ぶこと、また、視覚障がい者を対象にしたインクルーシブ教育を含む教育を学ぶことでした。研修中は、障がい者を取り巻く状況改善にむけて活動している日本全国のさまざまな公的機関、リハビリテーションセンター、特別支援学校、インクルーシブ教育を行なっている学校、大学や図書館の学生支援センター、NGO、NPOを見て回りました。 日本では、障がいのさまざまな面についての理論的な知識と、実践的な経験を得ることができ、大変大きな経験となりました。私は障がい者のための教育、DAISY、点字図書館、スポーツ、またバリアフリー環境を主なテーマとして勉強しました。 1. 教育 まず、日本初の視覚障がい者のための学校である京都府立盲学校、そして、史上初めて日本語の点字を開発した筑波大学附属視覚特別支援学校を訪れました。 日本の教育システムに特徴的なことの一つとして、物理的な環境や資料が非常によく整備されていることが挙げられると思います。また、学生がある就学レベルからより高度なステージに移る場合に、時間のギャップがなく、まったく待たないで済むことが挙げられます。たとえば、3月に高校を卒業した学生は、すぐ同年4月に大学に入学して勉強を始められるのです。3つ目の特徴は、学科のカリキュラムのほかに、学生が課外活動に熱心に取り組むことです。 残念ながら、日本の特別支援学級には学生がそう多くいません。私の見学時には教室に一人か二人しか学生がいない場合もありました。そうなると、当然、仲間との交流や課外活動にも影響が出ます。しかし、先生の教え方が大変優れているために、学生は先生と活発に交流していました。また、化学、理科、数学、地理の授業参観もしましたが、化学では実験の授業に参加できたのが大変楽しかったです。先生や教育分野の専門家たちが、視覚障がいのある学生が使いやすい教材や学習ツール、テキストを設計する豊かな創造性に大変驚かされました。 このように、日本の教育システムに関しては非常に貴重な経験を積むことができました。私自身も新しく独創的なアイディアを考案し、スリランカの学生や教師、教育者、社会に応用できるであろうという確固たる信念を得ました。 2. DAISYと点字図書館 情報アクセスの擁護・推進のために、日本ではいろいろな責任機関がさまざまな活動を展開しています。私はATDOでDAISY図書の作成についてのテクニカルな研修に参加しました。DAISY図書は視覚障がい者にとって有益であるだけでなく、印刷媒体に関して何らかの困難を抱えている多くの人にも役立っています。 また、点字図書館もいくつか見学し、リソースや施設、その管理がどのようになっているのかを学びました。スリランカに応用するとすれば、以下の2つのサービスが有益であろうと思いました。 1) 図書の貸し出し 視覚障がいのあるユーザーが図書を借りたい場合は、点字図書館に電話します。そうすると、点字図書やオーディオ図書が無料で郵送されます。 2) 読み上げサービス(対面サービス) 読み上げサービスはボランティアによって行なわれます。読み上げサービスをしてもらいたい場合は図書館に連絡します。これによって、視覚障がい者は読みたい本が読めますし、ボランティアも本を読み上げることによって新しい知識を得ることができます。サービスユーザーにとっても提供者にとってもウィン・ウィンの関係というわけです。 この2つのサービスをぜひスリランカに紹介し実践したいと思います。 3. スポーツ スポーツを体験したことにより、障がいの問題について違う角度から見るということを考えるようになりました。日本に来て間もないうちに、二人乗りの自転車に乗ってみました。インクルーシブなスポーツで、障がい者も健常者も一緒に参加します。乗ってみると大変楽しく、そのあとも何度もこのことを思い出しました。ちょっとした努力や、新しいことをやってみることで、どのくらい大きい結果が得られるかということを理解する良い経験でした。教育、交通システム、就職などについても同じことがいえます。環境をバリアフリーにして、障がい者にも同様に皆同じ権利を与えることができるのです。スポーツはインクルーシブな社会を作るために、障がい者と健常者を結ぶ橋のような役割を果たせるのではないでしょうか。ランニング、水泳、スキー、卓球、バレーボールなどを体験してみましたが、スリランカにもできるだけ早く導入したいと思います。 4. バリアフリー環境 外国人としては、障がいのある人たちも含め、日本の人たちに、これだけの驚異的なバリアフリー環境を日本で作り上げたことに敬礼したい気持ちです。建物や交通機関、モノのほとんどが、障がい者が利用できるようになっており、バリアフリーです。今では日本はすべての建築物やモノにユニバーサルデザインを採りいれようとしています。バリアフリー環境を作り出すための日本の障がい者運動は何十年も前に始まりました。今も続いており、日々その活動が高まっています。私もスリランカで尽力し、スリランカにバリアフリー環境を作り上げたいと思います。 前述したように、日本では障がい関連の活動を幅広く体験しました。日本の障がい分野には前向きの要素がたくさんあり、毎日状況が改善されています。しかし、日本社会にはまだインクルーシブであるとは言えない部分もあります。まだまだ道のりが長いと思われるところもあるからです。とくに、就労、教育はまだ特殊な環境にあります。また、日本には、他の国の経験していない、日本独自の問題もあります。最大の社会問題は高齢化そして若者の人口の減少で、日本社会のありとあらゆる面に影響を及ぼしています。障がい者の生活にも直接この問題が影響を及ぼしているのが見てとれます。 もうひとつ、特筆すべきことは、日本の医療が大変発展していることです。この結果、重度の障がいをもって生まれた赤ちゃんでも生き延びることができます。過去には、こうした子供があまり長く生きられない時代もありました。しかし今は集中治療のおかげで、生き延びることができるのです。いっぽうで、日本では障がい者や、重度の重複障がいのある子供も含めて、だんだん人が長生きになってきています。日本は現在このような課題に直面しています。 ホームステイと日本文化体験 日本独自の文化に触れる機会はたくさんありました。新年のお休みは、2つのご家族と共に過ごし大変楽しいひと時を過ごしました。両家とも私を温かく迎え大事にしてくださり、滞在中私のことを守ってくださいました。家族の一員としていただいたこの絆は一生涯続くことでしょう。熊本の安田さんのお宅では、新年を共に祝いました。熊本や、ほかの地域で温泉を訪れたことは特に、忘れられない思い出です。 京都でも、竹下さんのお宅で大変楽しいひと時を過ごしました。美しい着物を着せていただきました。また、京都の素晴らしいお寺や神社を訪問し、鉄道博物館にも行きました。素晴らしい、新幹線第一号を目にできたことは大変幸運でした。 両家では、大変おいしい和食もご馳走になりました。また、実のある議論もたくさんして、自分の考え方の枠も広がりました。安田さんと竹下さんには、本当に親切にしていただいたことを心から御礼申し上げます。 私の夢 私の夢は、スリランカにインクルーシブな社会を作り、障がい者も健常者も同等の権利を持って生活できる社会を作ることです。この夢を実現するため、以下のことをしたいと思っています。 日本に来るまで、私はスリランカで視覚障がい者の兵士たちを対象にコンピュータ研修を行なっていました。 今後は他の兵士たちも対象に、このプログラムを続けて次の段階に進めていきたいと考えています。また、視覚障がいの子供たちのための、質のよい教育の実現を考えたいです。具体的には、地理、数学、理科の学習資料の作成を計画しています。また、障がい者向けスポーツの機会を増やしたいです。インクルーシブなスポーツの導入を考えています。また、DAISY図書を作成し、アクセシブルな情報を増やしたいです。そして、スリランカの図書館に、図書の貸し出しおよび対面の読み上げサービスを導入したいと考えています。また、積極的に障がい者運動にも参加し、バリアフリー環境を作り上げていきたいと思います。最後に、大学の講師になることを目標として、自分自身の高等教育も続けていきたいと思っています。 最後になりましたが、私の日本での滞在を楽しい、実りあるものとしてくださった、ダスキン愛の輪基金、日本障害者リハビリテーション協会、戸山サンライズの皆さん、日本語の先生方、水泳やスキー研修の先生方、そして私を温かく迎えてくださったそれぞれの研修先の皆さま、ボランティアの皆さま、すべての日本の友人に、心からの温かい感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。本当にありがとうございました。 大切なのはどう自分を磨いていけるか ラシュナ・シャミン・カメイ バングラデシュ出身 28歳 肢体不自由(脳性まひ) 研修希望内容 1.障がい者のエンパワメント 2.障がい者のリーダーシップを向上させる方策 3.女性障がい者の活動 研修の冒頭 研修の冒頭から、私たち研修生は3ヵ月、日本語を勉強することになっていました。大変な勉強でしたが、先生方が日本語に慣れるように手伝ってくださいました。毎日難しい課題がたくさん与えられましたが、先生方はずっと、私たちのことを思いやり、愛情をもって接してくださいました。私たちと意思を通わせようと頑張ってくださるので、先生方が大好きになりました。クラスでは、誰かが発音を間違うこともあり、みんなで大笑いしました。 日本語の勉強は大変良い思い出になりました。また、週1回の水泳のレッスンと合わせて、私たちの日本語スキルも段々に上がりました。 東京での個別研修 私は個別研修で、東京にある車いす工房「さいとう工房」に行きました。さいとう工房では、車いすにもさまざまなタイプがあることを知りました。自分の障がいの状況に合わせて、もっとも適切な車いすを選べるのです。日本は他の国に比べてずっとアクセシブルです。車いすのデザインも多種多様です。 一ヵ月して、自立生活センター・東大和に行きました。ここでは、海老原さんに会い、自立生活センターのことについて教えていただき、会議に出席したり、イベントに参加したりしました。海老原さんからは、重度障がいについて教わりました。海老原さんは 社会をインクルーシブに変えることを目指して重度障がい者の仲間と頑張って活動している、素晴らしいリーダーです。 海老原さんの夢は、日本の子供すべてにインクルーシブな教育の機会を提供することです。海老原さんにとって一日を何とか終えるだけでもどれだけ大変かを目のあたりにした私は、大変励まされました。海老原さんは重度障がい者の人たちとその家族を支援しようと、非常にエネルギッシュに走り回っていました。 自立生活センター・東大和のあとは、金澤真実先生にお会いし、バングラデシュの女性障がい者について話し合いました。話の内容は、アクセシビリティ、女性の障がい、知的障がい、人権、さまざまな障がい、国際的な対話まで多岐にわたりました。 スキー研修 日本では研修の一つひとつに大事な意味がありました。たとえば、スキー研修の目的は、単に二日間遊ぶことではありませんでした。スキーによって、私たち研修生は、障がいがあっても、いろいろ大変ではあるけれど、障がいのない者と全く同じようにアドベンチャーを楽しめることを知りました。もちろん、みんな来ている国が違うのでそれぞれにスキーをすると難しい場面がありました。毎日、他の研修生の体の状態が大丈夫だろうかと心配でなりませんでした。私たち研修生の誰一人として、アドベンチャーができるなどとこれまで考えた人間はいませんでした。ましてやスキーとなれば問題外です。 日本に来るまでは、スキーができるなどと思ったこともありませんでした。私の障がいは脳性まひです。下半身が大変弱く力が入りません。下半身はバランスを取ることもほとんどできず、握力もあまりありません。したがって、身体と手のバランスを取るのは大変でした。しかし、アドベンチャーを体験したいと思ったので、やってみました。車いすスキーをすることがなんと素晴らしかったことか!天にも昇る心地でした。 ホームステイ 2017年、新年のお祝いの時期、私たち研修生はそれぞれ日本のご家族とのホームステイに出かけました。私は一週間、山田さんのお宅にお世話になりました。素晴らしい新年でした。毎日、きれいな場所を見にいったり、おいしい和食を味わったり、素敵な服を着せていただいたりと、ご家族の皆さんやそのお友達と出かけました。皆さん大変親切にしてくださいました。一緒に楽しいときを過ごし、一緒に新年をお祝いしました。 自立生活 私は以前から、自立生活をしたいと強く望んでいました。大学のとき、それから働き始めてからは、一人で首都のダッカで暮らしていましたが、日本に来てからは、一人暮らしと自立生活は定義が違うことが分かりました。その概念を学んでからは、大変なことがあっても強い意志をもって頑張ろうという気になりました。このほか、自分で自らの人生に関して決断をすること、家族や他の人たちについても責任を負うこと、経済的にも自立を目指すこと、また、したいと願うことはする権利があることを知ること、なども重要な自立生活の概念であることを教わりました。 しかし、途上国の多くでは、いまだに障がい者は年をとっても家族と一緒に暮らすべきだという世間の思い込みがあります。根拠はありません。一般的に、途上国には、障がい者のための政府の施設も、バリアフリーのインフラも、介助のシステムもありません。グループホームなどの施設や、就労施設もありません。しかしこうしたことにも関わらず、私は将来、バングラデシュの障がい者も自立して生活できるようになるだろうという確信を持つようになりました。 日本では自立生活センター・ナビ、自立生活夢宙センター、自立生活センター・東大和、AJU自立の家などいくつかの自立生活センターを訪ねました。どのセンターも、障がい者が障がいのない人と同じ権利を持ち、自立生活を送り、幸せに、たくさんの友達と、したい生活をすることを共通の目的としていました。しかし、活動内容はそれぞれセンターによって違っていました。私が学んだ一番のモットーは、人生というものは、誰にとっても旅であり、楽な道ではないけれど、大事なことは、あきらめずに進むことだということでした。自立生活を経験し、周りに友人がいて自立生活をすることがどんなに素晴らしいか知ったことで、希望が湧き、幸せな気持ちになりました。バングラデシュでも、自立生活を促進し、障がい者の人たちのニーズに合った環境を整えていくことができると感じています。 バリアフリー環境 途上国で最大の課題は、バリアフリー社会作りです。バングラデシュにはまったくバリアフリー環境がなく、障がい者にとって社会参画の最大の壁となっています。バングラデシュでまったくバリアフリーな環境は目にしたことがありませんが、日本に来てみたところ、初日から10ヵ月の研修の間ずっと、日本がどれだけバリアフリーかを知って、自分でも実際に見て、大変驚きました。毎日いろいろな場所に出かけてそういう場所がバリアフリーかチェックして歩いたのですが、驚いたことにどこもバリアフリーでした!しかしこの経験で私はよく分からなくなりました。私たちの国は一体なにが違っているのか?家を一歩出たところから、バリアが山ほどあるのです。肢体障がいがあったら、思いのままに外に出るなどということは想像だにできません。そして、アクセシビリティがこのようにないということは、障がい者の自己成長が妨げられたり、遅くなることに直結しています。私たちの将来のゴールはバリアフリー社会です。 障がいのある子どもの デイサービス 日本では、障がい児の施設を訪ね、かわいい子どもたちに会いました。この施設では、障がいのある子どものデイサービスや、さまざまな子どもの障がい、そうした子どもの直面する問題、先生のアプローチや、どうやって子どもたちの脳機能の発達を支援するかなどについて教わりました。子どもが興味を持てるのは何なのか、子どもが遊びたくなるにはどうしたらいいのかについても学びました。バングラデシュには、自閉症の子ども、知的障がいや重度障がいの子どもがたくさんいます。しかし障がい児のための施設は数えるほどです。経験豊かな先生もいませんし、介助システムや自立生活システムもありません。この施設での経験は大変多くの学びの機会となりました。 私自身に起きた変化 自信 日本に来る前の私はあまり自信がありませんでした。いつも、障がいがあるのだから、他の人よりも頑張って働き、強い女性として認められなければならないと思っていました。そこで、とにかくがむしゃらに働いていたのですが、日本に来たことで、違う自分というものがあり、その違う自分が、人を幸せにしたり、人をやる気にさせたりできるのだということに気づかされました。 私が発見したのは、障がいは、より多くの困難に立ち向かう意志の力の源泉にもなっているということでした。今では障がいを誇りに思います。なぜなら、障がいがあっても、バングラデシュの能力のある女性の一人となることができたからです。私には、社会や差別に対して闘う機会が与えられたのですから、誰よりもラッキーガールなのです。大切なのは活動によってどう自分を磨いていけるか、です。能力は心の持ち方から来るものだからです。家族とバングラデシュのために貢献していきたいと思います。 世界中で差別は大きな問題です。しかしこの研修では、援助を申し出てくれる人や専門家の助けを常に期待するのではなく、差別でいっぱいの社会を変えていくこと、そして自分の手で、理想の社会を作る努力をしていくことを学びました。 嬉しい気持ちと、優しい心 日本ではたくさん友人ができ、いつも大変幸せな気分で、笑顔で過ごすことができました。誰も私をとがめたり、意地悪したり、失礼な態度をとったりしませんでした。友人のおかげで私は幸せな気分でいられ、私も友人たちをそういう気持ちにさせようと努めました。私の仕事は薬剤師ですが、薬を使わないで病気を治す方法を一つ知っています。よく笑い、幸せでいれば、心臓を守ることができ、精神的なストレスも減らせるのです。障がいは仕方のないことです。病気によって進行してしまう障がいもありますし、安定的に推移する障がいもあります。ほとんどの障がいは治りませんが、障がいがあっても、ハッピーかつ笑顔でいることは可能です。バングラデシュに戻ったら、みんなで立ち上がりたいと思います。 私の目標 毎年、ダスキン研修プログラムにはたくさんの人が応募します。私はプログラムに選ばれた幸運な一人でした。しかしそれは、バングラデシュの女の子や女性たちをエンパワーする責任を負ったということも意味します。彼女たちは教育の機会に恵まれず、非衛生的な環境で不健康な生活を強いられ、経済的な支援も家族のサポートもなく、多大な暴力に直面しながら、障がいがあるために、あるいは単に女性であるがために(!) 声を上げられずにいます。彼女たちも皆、外の世界に出ていって、不屈の勇気を身につけたいと思っているのです。 私はバングラデシュの女性障がい者たちをエンパワーしたい。過酷な環境で暮らしている障がい児をサポートしたい。そして全ての人のインクルーシブ教育に向けて活動したいと思っています。障がい者に対するすべての差別、偏見、レッテル貼りは、無知から来ている、つまり、社会を変えたいと思えば教育は欠かせません。子ども時代から同じ教育を受けていれば、社会の偏見は消えてなくなるでしょう。 バングラデシュは途上国で、アクセシビリティがありません。これは障がい者が危険にさらされる理由の一つでもあります。今後、官民問わずさまざまなセクターと交渉してアクセシビリティを進めたいと思います。バングラデシュには障がい者法や障がい者のための福祉サービスはあるのですが、肝心要の法律や福祉サービスがちゃんと実施されていないので、これらの実施に向けて活動していきたいと思います。 私の夢 この研修に参加できたのは大変素晴らしいことでした。日本を訪れることは私の夢でした。私はバングラデシュの女性として、高等教育に進むなどしっかり学歴を築くことができましたが、その道のりは本当に大変でした。子供のころから、相当な痛みに耐えて頑張らなければなりませんでしたが、止まることもできませんでした。当時は、自分は女だから口答えする権利はないだろうと思って、人に何を言われても言い返すことさえしませんでした。バングラデシュではこのように物事が楽ではありません。インクルーシブなどまったくありません。外に出れば、誰も人と同じように扱ってくれないので、外に行くのが恥ずかしかったものです。いつも差別を感じたので、家にいるほうが安心でした。 自分の気持ちを人に言えなかった当時は一瞬一瞬が戦いでした。私の夢は、女性たちをエンパワーし、インクルーシブな教育が構築され、バングラデシュがインクルーシブな社会になることです。バングラデシュの現状から考えて、この夢の実現は楽なものではないでしょうが、持てる力を全て注いで頑張りたいと思います。止まることは、ありません。 感謝の言葉 この10ヵ月は本当にめくるめく夢のような、素晴らしい体験でした。私を研修に参加するに足る研修生であると認め、研修の機会を与えてくださった皆さんに深く感謝します。 このような素晴らしく温かいプログラムを準備してくださったダスキン愛の輪基金の多大なご尽力に心から感謝します。ダスキンがこの研修プログラムを長年続けておられると聞いて大変驚きました。このプログラムのおかげで、たくさんの若者がリーダーとなって、それぞれの国で頑張って活動しています。 また、日本障害者リハビリテーション協会、戸山サンライズ、リーダーの皆さん、各団体の皆さん、先生方、私の友人たちにも感謝の気持ちを捧げたいと思います。優しく気長に接してくださり、本当にありがとうございました。 ダスキン研修生としての初めての日本 ケサブ・タパ ネパール出身 26歳 肢体不自由(脊髄損傷) 研修希望内容 1.障がい者運動の歴史 2.交通アクセシビリティ 3.コンピュータ(ウェブデザイン、PPT) 4.企画書・レポートの書き方 5.脊髄損傷者のリハビリテーション 2016年9月11日、私は第18期ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の研修生として、関西国際空港に降り立ちました。ダスキン愛の輪基金および日本障害者リハビリテーション協会(JSRPD)のスタッフの皆さんとお会いすることになる、すばらしい瞬間でした。引き続き、他の国からの、他の研修生に会い、これもすばらしい瞬間でした。当初、日本ではありとあらゆることに驚かされました。ネパールとは環境が大違いなのです。たとえば、建物、広い道路、交通。行きかう人々もみんな急いで見えました。 日本語の授業 日本に来る前、私が知っていた日本語といえばちょっとした挨拶だけでした。ですから、日本語や日本語の文字の勉強は実に楽しみにしていました。平仮名も分かるようになりましたし、自分の名前もカタカナで書けるようになりました。最初分かる文字といえば平仮名だけで、単語は全然わかりませんでした。最初の数日、日本語の音調はとても変に感じ、発音も、覚えるのも大変でしたが、3ヵ月ほど経って、簡単な日本語で会話したり簡単な文章を書いたりはできるようになりました。先生方の教え方には感嘆しました。丁寧に教えていただき、自分でも頑張った結果、日本語がだんだん上手になりました。みんな発音が違うし先生方の教え方がおもしろく、飽きるということがなかったので、大変楽しい授業でした。日本人の友達も少しでき、前の研修生とも連絡を密にとって、彼らを相手に日本語で会話の練習をさせてもらいました。日本語能力試験のN5レベルに短期間で合格できたことを知った時は、本当に嬉しかったです。 水泳とスキー研修 私が障がい者になったのは2011年のことです。T6とT7のレベルの脊髄損傷です。事故に遭う前はときどき水泳もしていましたが、障がい者になって以降は日本に来るまで泳いでいませんでした。水泳の最初の2日は嫌というほど水を飲んでしまい、身体障がいがあるとこれほど水泳も違うのかという印象でしたが、数日練習したあと泳ぎができるようになってきて、研修の終わるころには自分で泳げるようになりました。 スキー研修では新潟に行きました。それまでスキーはテレビでしか見たことがありませんでした。2日間スキーをする素晴らしい経験ができて大変嬉しかったです。私の場合、雪は目新しくはありませんでしたが、スキーがこれほど楽しいものだとは思ってもみませんでした。言葉では到底その楽しさを伝えきれません。何度も転びましたが、こんなアドベンチャースポーツを経験できとても嬉しい気持ちでした。 個別研修 個別研修では最初につくば自立生活センターほにゃらを訪問し1週間研修しました。日本の自立生活センターを訪れたのは初めてでした。研修の間、自立生活センターの活動について、また、日本の障がい者の生活について少し学びました。私の日本語はまだあまりうまくありませんでしたが、スタッフの皆さん、とくに斉藤さん、川島さん、生井さんが熱心にサポートしてくださいました。Google翻訳を使うなど技術があったおかげで、言葉の壁はあまり大きな問題になりませんでした。ほにゃらでの研修は素晴らしかったです。たくさん新しいことを覚えられるのが楽しかったです。次にまた1週間の研修として、ヒューマンケア協会を訪れ、自立生活センターのコンセプトや障がい者のための自立生活センターの運動や活動について学びました。日本に来る前は、自立生活センターについてあまり知らなかったので、すべてが重要な知識でした。私の考え方自体も変化し始め、自分の将来についてよりよく考えるようになりました。 DPI日本会議でも非常に実りある大事な経験をしました。国連障害者権利条約や、さまざまな国際障害者機関のつながりなどについて知りました。また、重複障がいのある人たちが日本では大変苦労して権利を勝ち取ったことを知り、日本のバリアフリープロジェクトについての映像を鑑賞する機会もありました。 神奈川県総合リハビリテーションセンターと日本せきずい基金では、日本の脊髄損傷者のリハビリプロセス、生活、損傷後のセルフケアについて学びたいと思っていました。日本のリハビリプロセスはネパールとそう変わりませんでしたが、機器の量が違い、日本のほうがずっと充実していました。日本せきずい基金は脊髄損傷の治療のための研究に大変な投資をしています。 さらに、電動車いすの工房であるさいとう工房でも素晴らしい研修をしました。車いすのメンテナンスのほかに、ハビブさんと斉藤さんから、日本では必要な人に車いすを提供する福祉サービスがあるのだと知りました。また、さくら車いすプロジェクトについても少し学ぶことができました。 大阪には2ヵ月半行きました。最初の3週間は自立支援センター「ぱあとなぁ」に滞在し、さまざまな障がいについて、また、自立生活センターの活動についてさらに詳しく学びました。スタッフも利用者の皆さんも大変親切でした。いろいろなミーティングのほか、車いすバスケ、卓球、ボウリングなどスポーツも経験しました。また、神戸、奈良、京都ではおいしいものをたくたん食べ、素晴らしい景観を楽しみました。また、障がい者がどのように自立生活を送っているのか知るため、友人の家にも泊めてもらいました。地村さん、そして「ぱあとなぁ」のスタッフや会員の皆さんにはこのような素晴らしい機会を与えていただいて感謝しています。「ぱあとなぁ」での3週間の後はメインストリーム協会での4日間でした。このように短い間に、素晴らしい友人たち、そして私のメンターになってくださった廉田さん、平田さんから本当にたくさんのことを学びました。メインストリームでは、古木さんのお宅で素晴らしい3日間を過ごしました。古木さんは私を大変励ましてくださいました。アクセシブルな環境づくりのための廉田さんの苦労も大変なものでした。また、志ネットワークの、アジアの自立生活センター支援活動についても知りました。その後はムーブメントで3週間過ごしました。素晴らしい人たちと、車いす工房のほか、障がいのある学生のための特別支援学校、障がい者のスポーツセンター、自立生活夢宙センターほか多くの施設を訪ね、あっという間の3週間でした。たくさんの知識を得て自信もつきました。ムーブメントの利用者、スタッフの皆さんに御礼申し上げます。渕上さんにも温かくもてなしていただき、ありがとうございました。 将来の目標 日本で、大切なサービス、福祉システム、障がい者のための法律、人権、そのほか多くのことを学びました。10か月の研修でたくさんの障がい者リーダーに会い、日本の1965年頃の状況がどのようなものだったかのお話を聞きました。私の国ではアクセシビリティが大きな問題ですので、物理的なインフラ、教育、さまざまな障がいの人がアクセスできるような道路のゾーン分けなどについて政府や政府機関と交渉することが私の目標です。また、障がい者の教育、就労、福祉システム、重度障がい者の介助サービス、自立生活のコンセプトについても活動したいと思います。 まとめ グループ研修も個人研修も大変よい経験でした。個人研修は短いときもありました。いろいろな障がいの人に会い、真の勇気ある人たちや障がい者運動のリーダーの話を聞くことで、エネルギーが湧きました。自分は障害があるからいろいろなことができないのだとずっと思っていたのが実は間違いだったということに気付いたのです。障がい者になったのは自分が悪いからではなかったのです。重度の障がいのあるリーダーの人たちの話で、障がいそれ自体が問題なのではなく、社会のせいで問題にされてしまっているのだということ、そして社会の考え自体を変えなければいけないのだということが分かりました。また、専門家に何でも任せるのではなく、自分から、健常者と同じコミュニティに、同じ権利のもとで、尊厳をもって同じように参画できるのだということを理解できるようになりました。自分の人生について決断をし、生活のための良い環境を作っていくことは実は自分の仕事なのだということに気付いたのです。個人研修で一番良かったことは、日本でたくさんの友人ができたことです。友人は何より大切です。母国に帰ったら、日本で得た知識と経験を活かしたいと思っています。 ありがとうございます。 最後になりましたが、この恵まれた国際研修プログラムでの滞在中私を助けサポートしてくださった皆さんに心からの感謝を捧げたいと思います。ダスキン愛の輪基金は私たちに重要なことを学べる素晴らしい機会を与えてくださいました。また、JSRPDと戸山サンライズのスタッフの皆さん、ありがとうございました。那須さん、光岡さん、地村さん、渕上さん、中西さん、廉田さん、ハビブさんに敬意を表します。また、直接、あるいは間接的に私を日本で支えてくださった皆さん、本当にありがとうございました。