アジア第19期研修生報告書(日本語版) これが私の進む道 カォクン・タンティピシックン フリーランスの手話通訳として活躍中。ボランティアでタイろう協会の事務局長も務めている。 タイ出身 30歳 聴覚障がい 研修希望内容 1.交渉方法 2.情報アクセシビリティ 3.日本人の思考や行動様式 はじめに 私の名前はカォクン・タンティピシックンです。友人は、私をニックネームの、「ルー」と呼びます。私は生まれたときから両耳が聞こえませんでした。しかし健聴者の世界で育ったので、家族や健聴者の友人たちとは読話および残存聴力を利用して会話することができました。このため、後にろうのコミュニティに参加するようになるまでは、自分の周りの世界について考えることがありませんでした。ろうのコミュニティに参加して初めて、社会には、存在すべきでない不平等が厳然としてあり、もっと社会が発展していかなければならないことが分かりました。時間はあっという間に過ぎていきました。私の世界もだんだん広がり、自分のやりたいことも明確になってきて、さまざまな人がもっと暮らしやすくなるように貢献したいとはっきり思うようになりました。勉強は止めませんでした。もっと知識を身につけなければ物事を始め、実現させることができない。そう考えたため、日本では三つのことを学びたいと思うに至りました。後に日本で学んだことをタイに応用したいからです。この三つとは以下のとおりです。 1. 交渉のスキル 2. 情報へのアクセシビリティ 3. 日本の人たちの考え方、行動パターン 日本語と日本手話の勉強 日本では3ヵ月、日本語と日本手話を教わりましたが、素晴らしい体験であったのは無論のこと、日々の生活に大変役立ちました。日本語も日本手話も、日本で物事を学び、知識にアクセスしたいと思ったら避けて通れません。あるとき周囲を見回して、目に入った漢字の意味が分かったこと、そして旅先で新しい言葉が分かったときなどは本当に嬉しかったです。日本手話と日本語の勉強なしには、知識にアクセスするどころか大した知識も得られなかったと思います。日本手話および日本語の先生方に感謝の気持ちでいっぱいです。本当に有難いです。 ホームステイ ホームステイのプログラムでは、北海道で二軒のご家族のところにホームステイさせていただき大変素晴らしい時を過ごしました。ご家族はとても優しく親切でした。手話を使ってたくさんコミュニケーションしました。ホームステイを通じて、日本の手話は地域によって違いがあることを知りました。日本に来てすぐの3ヵ月で学んだ手話とは違いがありました。新しい手話は大変興味深く、習うのがおもしろかったです。北海道では実にさまざまな体験をしました。とくに思い出深いのは、温泉に行って雪を見たことです。ホームステイのご家族に感謝したいと思います。毎日を楽しく過ごさせていただき、お正月も一生忘れ得ない、温かい思い出となりました。 スキー研修 スキーは日本に来て初めて習いました。最初はとても体が痛かったです。あとになって、先生たちが、スキーしている最中の姿勢を正すように教えてくださいました。そうした基礎知識を身につけたあとは、だんだんにスキーがうまくなり、滑らかに滑れるようになってきました。研修で学んだスキルを身につけるにしても、そのほかのどのようなことにも、知識が重要です。良い先生からしっかりした基礎知識を学ぶことも、スキル習得にとても重要です。 個別研修 交渉能力: 今回の研修の目的の一つは、政府との交渉能力について学ぶことでした。研修の中では、実際に政府との交渉経験があるろうのリーダーやアカデミックな知識のあるろうの人々に話を聞くことができました。皆さんに共通していたのは、ゆるぎない信念、勇気、情報、そしていろいろな人を巻き込んで物事を進めていく力でした。 情報へのアクセシビリティ: 日本では、リアルタイムで手話通訳や字幕がついているテレビ番組が放送されています。また、手話ニュースもあり、大変興味深かったです。個人的にも、ニュースが分かりましたし、日本語を勉強する良い機会になりました。 日本では手話通訳者のさまざまな分野への派遣が認められています。たとえば、結婚式や大学の行事などの個人的なイベントにも手話通訳を呼ぶことができるのです。 手話通訳の養成や試験は故郷のタイにも導入できます。日本の研修では、どのように手話通訳者が養成されるのかがより良く理解できるようになりました。また、視覚や触覚によって注意を促す仕組みはとても便利です。たとえば、赤ちゃんが家で泣いていたとします。保護者は、持っているデバイスが振動すれば、緊急事態であることがわかります。ろうを始めとする聴覚障がい者に向いたサービスです。タイにこういうサービスはありません。タイにも導入して、どれだけ便利であるかをいろんな人に知らせたいです。 筑波技術大学での講義は大変印象深いものでした。生まれて初めて、手話だけを使って講義をするろうの先生を目の当たりにしました。講義は大変素晴らしく、視覚によるコミュニケーション(手話)でしっかり指導しておられました。 暮らし: 日本では、高齢者支援や聴覚障がい者、ろう者の就労支援のちゃんとした環境が整っています。高齢者の人や支援する施設で働く人たちと話をするチャンスがありましたが、この情報を友人たちにも伝え、自国でどのように活かしていけるのか考えて、次の一歩を踏み出したいと思います。 日本にはろうの子どもたちのためのデイケアサービスがあります。必要なサービスですし、働いている親の助けになります。親が仕事に行っている間、子どもたちは手話を勉強できるので良いサービスです。 明晴学園には感銘を受けました。この学校では手話をベースに、手話と口話を両方使っています。子どもたちはとてもおしゃべり好きで、活発で、堂々と自分たちの意見を言っていました。将来、この子たちはきっと自分の感情や理屈をきちんと表現できるだろうなと思いました。 タイへの帰国 ろう者や聴覚障がい者の世界に足を踏み入れた瞬間に、私は進みたいと思う方向がはっきりしました。最初から、これが自分の進むべき道だとはっきり分かりました。それから、当時の抱負を絶対に忘れないようにしようと胸に誓いました。日本では、さまざまな経験をする機会を与えていただき、さまざまなことを学んだほか、日本とタイという二つの国を比較することができました。日本とタイでは、抱える問題や解決方法も違うかもしれません。しかし、日本で学んだ見識を応用して、タイで活かしたいと思います。身につけた経験、研修の成果、学んだことを武器に、現在タイが抱える問題を解決し、バリアフリー社会を実現させたいと思います。このような学びや知識、体験のおかげでいろいろなアイディアも浮かぶようになりました。最後になりましたが、チームワークなしでは、何事も前に進めることができません。このため、以下のような手順を踏みたいと思っています。 まず、日本で得た経験やアイディアを友人たちおよび所属機関に伝え、将来の事業の方向について考えたいと思います。 次にこの事業を実施し、ろうを始めとする聴覚障がい者の暮らしの支援をしたいと思います。ろう者ほか聴覚障がい者に向けた情報やコミュニケーションにアクセスできるセンターを設立し、日々の生活のサポートをしたいと思います。 三番目に、手話および国際手話の啓発活動をし、ろう者を支援したいと思います。 日本での体験がどれだけ自分にとって価値あるものになったかは言葉では到底言い表せません。自分自身についても前よりよく分かるようになり、心ある人たちと、意味のあるつながりを持つことができました。お互いを支え合いながら、一人ひとりの素質と才能をもって、世界をより良い場所にしていきたいと思います。 謝辞 ダスキン愛の輪基金、ダスキンファミリー、日本障害者リハビリテーション協会の皆さんに私を支援し、励まして下さったこと、また、日本の文化に関する知識を含め、さまざまな知識を身につけられるようにして下さったことを心から感謝します。また最後に先生方、数々の友人、そして日本の皆さんに感謝の言葉を表したいと思います。皆さんが温かく迎えてくださったおかげで、日本での研修中ずっと、幸せいっぱいの気持ちで過ごすことができましたことを、お礼申し上げます。 ろう女性が輝く社会へ ソロンゴ・バトバヤール 仕事は母が代表を務めている団体でオーダーメイドの洋服を仕立てている。また、日本人が設立した団体でろうの子供たちへちぎり絵などの楽しい活動を行っている。 モンゴル出身 27歳 聴覚障がい 研修希望内容 1.ろう児のアイデンティティ構築 2.日本がどのように発展を遂げたかを知る 3.日本語・日本手話の習得 私の生い立ち 2歳のときに部屋で遊んでいたら、本棚が倒れてきて下敷きになりました。驚いた両親は私を病院に連れて行きましたが、その治療に使った薬剤の影響で私の耳は聞こえなくなりました。8歳のときにろう学校に入学し、そこで手話を習い始めました。しかし、先生は口話という子どもたちに先生の口の形を読み取らせる手法を用いており、手話ではあまり教えてくれませんでした。耳が聞こえないので、口の形を見るだけでは、十分に学ぶことはできませんでした。けれども、友達や両親とは手話で話をするようになりました。 次にモンゴル科学技術大学(Mongolian University of Science and Technology)に入りました。ろう者は私だけで、周りは聞こえる人ばかりだったので、コミュニケーションで大変苦労しました。先生は声を使って講義をするだけで、私ができる情報収集は友達が取っているノートを横から見せてもらうことだけでした。このような状況で  勉強をし、5年かけて卒業しましたが、他の友達のように技術を身につけることができませんでした。そこで、短期集中講座に数回通うことで洋裁の技術を習得し、やっと仕立て屋を開業できるようになりました。仕立て屋工房は母と一緒に営んでいて、私は洋服の仕立てを担当し、それを母が販売しています。また、車いすユーザーの女性に簡単な手作業を頼んでいます。 研修の目的 私が日本で学びたかったことは3つありました。 1.ろう児のアイデンティティの構築 2.日本がどのように発展を遂げたか 3.日本語と日本手話の習得 日本でのさまざまな研修 まず、日本語と日本手話を3ヵ月間ならいました。手話も最初はなかなか覚えられませんでした。ろう者の友達との会話を通して、だんだん手話が身についてくると、楽しくなりました。正直なところ、日本語の習得はとても難しかったです。漢字もまったく分かりませんでしたが、毎週、レポートを書かなければならないので、一生懸命勉強しました。今は、漢字は面白いなと思います。 ろう児が通う明晴学園にも見学に行きました。そこの子どもたちは手話が堪能で驚きました。聞こえるお母さんたちも手話をきちんと覚えて、子どもたちと手話だけで話をしていました。学校での指導は口話ではなく、すべて手話を使って教えていました。とてもすばらしい学校だと思いましたし、モンゴルにも同じようなろう学校を建てたいです。 日本ASL協会では、プレゼンテーションの方法を学びました。モンゴルではプレゼンテーションの経験は一度もありませんでしたから、一生懸命勉強しました。そのおかげで、鹿児島でプレゼンテーションを依頼されたときは、上手に話すことができました。質問もたくさんありましたし、たくさんの人に集まってもらってうれしかったです。 年末年始のホームステイは長野に行きました。ご両親がろう者で、お嬢さんは耳が聞こえました。お嬢さんには、私が作ったモンゴル衣装を着てもらったのですが、大変よろこんでくれました。私も着物を着せていただいて、一緒に写真を撮りました。お正月の文化もいろいろと教えていただきました。初詣では、おみくじを引きました。仕事運がよいと書かれていたので、うれしかったです。 1月に新潟でスキー研修をしました。モンゴルでもスキーをしたことがありますが、モンゴルのスキー場は斜面がなだらかです。日本のゲレンデは起伏に富んでおり、滑れないと思いました。しかし、スキーの先生のおかげで滑れるようになりましたし、ほかの研修生も上手でした。他の研修生の笑顔を見ていたら、私もうれしくなりました。スキーの先生方、ありがとうございました。 デフNet.かごしまでの研修 私が一番長く研修した場所は、デフNet.かごしまです。代表はろう者の女性である澤田さんです。私は澤田さんの団体のお話を聞いたときからずっと研修に行きたいと思っていました。デフNet.かごしまには5つの事業がありますが、そのうち3つについてご紹介します。 1.ぶどうの木 ここは、ろう者とろう重複者が一緒に働く場所で、手芸や洋裁を行っている作業所です。知的にも障がいがあるろう重複者には、障がい特性に合わせて作業を提供していました。特性に合った仕事をしてもらうことが、効果的であることが分かりました。私も手芸作業に参加しました。そのときにすばらしいアイディアを教わりました。洋裁をしていると、端切れが出てきます。もったいないなと思いながらも、いつも捨てていました。ぶどうの木では、端切れを集めて、かわいい動物のマスコットを作っていました。こういった小物は、ちょっとしたプレゼントとして喜ばれますし、捨てていたものから収益を生むこともできるのがすばらしいです。 2.薩摩わっふる ここでも、ろう者とろう重複者が一緒に働いており、ワッフルの製造・販売を行っていました。私もワッフル作りを経験してみましたが、とても難しかったです。ろう重複障がいのある人たちのほうがずっと早く、上手に作業ができました。とても美味しいワッフルなので、皆さんにもぜひ食べてみてほしいです。 3.デフキッズ ろうの子どもたちは、昼間は学校に通っています。放課後になると、スタッフか親が学校まで子どもたちを迎えに行き、デフキッズに集まります。デフキッズは子どもたちの単なる遊び場ではなく、宿題をする子どももいて、スタッフがそのサポートをしたりもします。デフキッズに通う子どもたちの両親も手話ができます。ですから、親は子どもと何でも話せます。また、スタッフは手話が堪能なのはもちろんですが、専門知識を持っており、どのように子どもたちを指導したらいいかよく分かっていました。 デフキッズでの研修で気づいたことは、心が通じ合うためにはコミュニケーションがもっとも大切だということです。ろうの子どもの場合、コミュニケーション方法は手話が望ましいです。次は知識です。私もモンゴルに帰ったら、多くのろう者に日本での学びを伝えたいと思いました。 モンゴルでやりたい活動 1.ろう者の女性のための洋裁教室 来日したときは、ろう児のアイデンティティを確立したいと考えていましたが、日本で研修をする中で、まずはろうの女性の支援をしたいと思うようになりました。私の友人にモンゴルのろう女性のリーダーがいますので、彼女に協力を仰いで一緒に洋裁教室を立ち上げたいです。彼女はろう女性協会の運営に携わっていて、私は日本でいろいろなことを学びました。私一人だけではできないことなので、お互いに助け合ってプロジェクトを進めたいです。 2.ろう者の自立 モンゴルでは親と一緒に暮らしていて、自立できないろう者がたくさんいます。就労支援をして、ろう者も自分で給料をもらって自立した生活ができるようにしたいです。 3.ろう児とその親への手話指導 ろうの子どもと親は手話で話さなければ、心を通いあわせることができません。手話指導を通して、ろう児とその親のコミュニケーションを支援したいと思っています。 最後に 私たちはいろいろなところに研修に行き、たくさんの知識と情報を得ることができました。私たちは9月の来日時と比べると大きく成長しました。これも、ダスキンの皆さんのおかげです。お世話になったすべての皆さんに感謝しています。ありがとうございました。 明るい未来を目指して 〜エンパワーされた障がい者〜 ラクシミ・ネパール 英語・ネパール語のフリーランス通訳者。 アクセスプラネット(視覚障がい者団体)や女性協会でメンバーとして活動中。 ネパール出身 25歳 視覚障がい 研修希望内容 1.教育分野のアクセシビリティ 2.情報アクセシビリティやテクノロジーが障がいのある人の生活にどのように活用されているかを知る 3.ファンドレイジングスキル 1.はじめに 私が日本で学びたかったことは、主に3つありました。 @アクセシビリティ A教育支援 B視覚障がい者の雇用 これらの目的を達成して、ネパールの障がい者の明るい未来を作りたかったので、私はネパールから日本へ来ました。 2.日本語 日本へ来る前、私は日本語がぜんぜんわかりませんでした。どうやって日本語と日本語の点字を勉強すればいいのか、私はとても心配しました。最初は日本語と日本語の点字を学ぶのは大変でしたけど、先生たちは親切に教えてくれましたから、日本語で話せるようになりました。日本語の点字が分かるようになったのでうれしいです。私は日本語を使って、ネパールと日本の友情を深めたいです。 3.集団研修 3ヵ月の日本語の勉強が終わったら、集団研修が始まりました。集団研修では、日本の福祉、日本の教育支援、雇用の支援、リーダシップ、国連障害者権利条約、情報アクセシビリティについて学びました。私は日本の障がい者福祉支援は自然にできたものはないと思いました。たくさんのパイオニアの努力が今の状況を作ったと思います。日本の障がい者運動から学んだことを使ってネパールの状況を変えたいです。 4.個別研修 集団研修が終わったら個別研修が始まりました。 1)ホームページの作りかた 個別研修の最初はホームページの作りかたを学びました。学んだことを使って、私の団体「アクセスプラネット(accessplanet)」のホームページを作りました。ネパールに帰ってから、そのホームページを始めます。 2)DAISY(アクセシブルな情報システム) 今年の2月に私は支援技術開発機構(ATDO)で2週間デイジーを学びました。オーディオデイジー、テキストデイジーとマルチメディアデイジーの作り方を学びました。私はネパールに帰ってからもデイジーの本を作りたいですから、この研修はとても印象的でした。 3)教育 ダスキン研修での私の目的のひとつは、視覚障がい者の教育について学ぶことでした。私は1週間、京都のNPO法人ゆにで日本の障がい学生のサポートについて学びました。そこで私は京都精華大学と立命館大学へ行って、障がい学生支援室の見学をしました。ネパールの大学で障がい学生支援室はありません。私は筑波技術大学が作った聴覚障がい者の教育のための遠隔パソコンノートテイクのアプリも勉強しました。そのアプリを使うと、聴覚障がい者はインクルーシブに教育を受けることができますから、そのアプリはとっても便利だと思います。 大阪にある日本ライトハウスの3週間の研修でも、私は視覚障がい者の教育のサポートについて学びました。点訳のために使ういろいろな機械と技術について学びました。日本ライトハウスで点訳とデイジーの本を作るためにたくさんのボランティアさんのサポートを見て、私はすごいと思いました。ひとりの視覚障がい者の学生が勉強している豊中市立の中学校の見学を通して、インクルーシブ教育のためのサポートも学びました。 5月には筑波技術大学で研修をして、そこのバリアフリーをみたり、視覚障がい者の教育のサポートについて知識をもらったりしました。 そのあと、1週間の研修で筑波大学視覚特別支援学校へ行って、視覚障がいのある子どもにわかりやすく勉強を教える方法をならいました。私は視覚障がいのある子どもの教育をよくするために使ういろいろな道具と技術を見ました。化学、音楽、美術、英語、鍼とマッサージのクラスを見学して、効果的な教育方法について学びました。 4)雇用 ダスキン研修での私のほかの目的は、日本の視覚障がい者の雇用についてならうことでした。高齢・障害・求職者雇用支援機構障害者職業総合支援センターの研究者の指田先生から視覚障がい者の雇用のについて細かく丁寧に教えてもらいました。 京都のNPO法人ゆにの研修で私は公立の学校で英語を教えている視覚障がい者の先生と会いました。視覚障がいのある先生が、公立の学校で教えるとき、どんな支援があるか、学生にとってどんないい効果があるかについて話しました。 日本ライトハウスの研修で、大きな会社のヘルスキーパー、市役所や工場の事務など、視覚障がいのある人の職域について知ることができました。 それから、浜松のウイズとか北九州のあいずで視覚障がいのある人ができるいろいろな仕事についてならいました。仕事を簡単にするために視覚障がい者が使ういろいろな道具を見ました。 5.その他の学び 1)アクセシビリティ 日本のアクセシビリティはとても便利です。点字ブロックと音の出る信号を使って私はひとりでどこでも行くことができます。公共の場所はアクセシブルですから、私はひとりでいろいろなことができます。ネパールにはありませんが、触って認識できるものをたくさん見ました。 2)クロスディスアビリティ もうひとつ日本で学んだことはクロスディスアビリティです。研修生の中で二人は視覚障がい者、二人は聴覚障がい者で、もう一人は車いすを使っています。みんなでどうやって生活をすればいいか、どうやってコミュニケーションをすればいいかと最初は心配しましたが、その方法をみんなで作りました。 3)レクリエーションアクセシビリティ お正月のとき、私は京都の竹下さんの家でホームステイをしました。最初は日本人の家で1週間何をしようかと不安でした。でも1週間のホームステイは楽しかったです。ホームステイで私は日本の文化と日本の生活をならいました。お正月のおいしい食べものもたくさん食べました。京都のきれいなところにも行きましたが、竹下さんはいつもいろいろな物を触らせてくれたり、説明してくれたりしたのでよくわかりました。視覚障がい者はどうすれば観光を楽しめるかもならいました。ホームステイは本当に楽しかったです。 今年の1月、新潟へスキーに行きました。最初は怖かったですけど、だんだんスキーができるようになりました。スキーは私にとって本当にアクセシブルでした。 研修を通して、日本と日本のライフスタイルを楽しみました。たくさんショッピングもしました。サウンドテーブルテニスもやりました。このスポーツをネパールでも広めたいです。大阪で二人乗りのタンデム自転車に乗ったり、浜松でウイズのメンバーと花見を楽しんだりしました。浜松では初めてロープウェーに乗りましたし、太平洋も見に行きました。北九州で人力車に乗りました。海の中のトンネルにも行きました。おみくじもしました。おもしろかったです。 5月にディズニーランドに行きました。そこには、触地図や乗り物の小さな模型がありましたから、ここがどんな場所でどんなアトラクションがあるのかがよく分かりました。ただ遊ぶだけじゃなく、どうすれば視覚障がい者もアトラクションを楽しめるかを学ぶことができました。 6.私の将来の計画 私はネパールの障がい者の明るい未来を作りたくて日本に来ました。それを実現するためには、教育と収入を良くすることが大切だと研修を通してわかりました。ですから、ネパールに帰ったら、私は教育と雇用について活動をしたいと思っています。 ネパールでは今まで障がい学生支援室がある大学がたった1つもありません。ですから、障がい学生支援室を政府と一緒に立ち上げたいです。 それから、私の国には視覚障がい者の国立図書館もありません。点字の本を作るのはお金がかかりすぎます。そしてネパールは山が多いですから、点字の本を移動させるのは大変です。ですから私はデイジーの国立図書館を作りたいです。 ネパールで視覚障がい者と障がいのない人が一緒に勉強する学校は79あります。それらの学校でコンピューター教育を始めたいです。 聴覚障がいのある学生のために、遠隔パソコンノートテイクの情報も教えたいです。この技術があったら、聴覚障がい者は大学で勉強するのがやさしくなります。今も聴覚障がい者は大学に行くことはできますが、サポートが全然ありませんから、勉強するのは大変です。 ネパールの障がい者は、仕事を探すのが難しいです。私は障がい者のために仕事を探すセンターを作りたいです。そのセンターでは障がい者が技術を身につけることができます。それから障がいのある人を雇用するように会社を啓発します。 7.まとめ ダスキン研修は私にとってすばらしい学びの経験でした。日本で過ごした貴重な時間を私はけっして忘れません。日本の障がい者運動から学んだことを使えば、ネパールの状況もよくすることができると思います。 サポートしてくれたみなさま、ありがとうございました。日本語の先生、ホームステイの家族、個別研修で訪問した団体のみなさま、集団研修の先生、ボランティアさんに感謝しています。これからも、ネパールの障がい者の状況をよくするために協力してくれたらとてもうれしいです。 日本障害者リハビリテーション協会(JSRPD)のスタッフは私たちをいつも見守ってくれました。ありがとうございました。私といい友だちになってくれた研修生のみなさんにもお礼を言いたいです。私は研修生のみなさんとJSRPDと一緒に活動をしたら、アジア太平洋地域の障がい者の状況が良くなると信じています。 最後になりましたが、この研修を可能にしてくださった、ダスキン愛の輪基金のみなさんとダスキンファミリーのみなさんに心から感謝しています。 どうもありがとうございました。 New Hope〜新しい希望〜 クリシェール・クナル・シャーマ ボランティアでフィジー盲人協会の西部地域代表やフィジー国内で障がい分野を越えた連携を行っている。また、フィジー障がい者連盟の理事を務めている。 フィジー出身 27歳 視覚障がい 研修希望内容 1.団体をけん引していくためのリーダーシップスキル 2.視覚障がいのある人のための福祉機器、自立・歩行訓練 3.プレゼンテーション、コミュニケーションスキル はじめに 私はこの研修で障がい者の運動に役に立つことをたくさん学ぶことができました。フィジーでは障がい者のアクセシビリティがよくないです。最近、フィジー政府は障害者権利条約に批准しました。この研修は、私がフィジーへ帰ってから何をしなければならないか教えてくれました。 日本語の研修 日本へ来てすぐ、ここでコミュニケーションを取るために日本語をならいました。日本語の研修は、特に外に出て買い物をしたり、人に会ったりしたときに役に立ちました。日本語を勉強したので友だちを作ることもできました。そして、新しい言葉を勉強するチャンスをもらったことは、とてもうれしかったです。 グループ研修 12月に私たちはグループ研修をしました。グループ研修ではいろいろな障がい者団体へ行きました。そして障がい者の運動や障がい者の課題と支援について学びました。障がいのない人と同じように社会に参加することや自立して生活するなかで起こる問題を少なくすることを学びました。 5月のグループ研修では、プレゼンテーションの方法や企画書の書き方もならいました。これらの技術は、フィジーに帰ってから使いたいと思います。 個別研修 グループ研修のあとで個別研修が始まりました。最初に、パソコン研修でウェブデザインをならったり、支援技術開発機構(ATDO)でアクセシブルな情報システム(DAISY)を学んだりしました。これらの研修はとても役に立ちました。 そのあとで私は京都へ行きました。NPO法人ゆにで障がいのある学生の支援について勉強しました。いろいろな大学へ行って、障がい学生支援センターについてならいました。音声認識ソフトについても学びました。そのソフトは、聴覚障がい者が勉強するとき役に立ちます。また、初めてサウンドテーブルテニスも経験しました。 次に3週間、大阪の日本ライトハウスへ行きました。そこで私は視覚障がい者の支援を学びました。大阪にある視覚障がい者のいろいろな施設へ行きました。1番感動したことはDAISYの映画です。音声ガイドで説明がありましたから、映画の内容がよくわかりました。 それから初めてタンデムバイクに乗ったり、ボウリングをしたりしました。新しいスポーツをすることはとても楽しかったです。 そのあと浜松のWITHで研修しました。そこで視覚障がい者の作品を見ました。おもしろかったのは、使い終わった点字の紙を再利用して、はがきを作ることです。私は自分の白杖も作りました。WITHのメンバーと一緒に花見をしました。初めてうなぎを食べてとてもおいしかったです。 次は滋賀県視覚障がい者福祉協会へ行きました。そこでも新しいスポーツを経験する機会をもらいました。私は野球を初めて経験しました。ゴールボールもしました。ダンスをしたり、忍者にも会いました。私はビールが好きですから、ビール工場にも連れて行ってくれました。見学が終わったあと、ビールを試飲することもできました。このような工場はフィジーにないと思います。滋賀の人たちはとてもおもしろい人たちでした。 最後の研修は神奈川県の光友会でした。光友会では障がい者が60人ぐらい生活しています。そこで光友会の支援を学びました。地方自治体からの支援についても勉強しました。江ノ島と鎌倉にも連れて行ってもらいました。そしてここでも私にとって新しいスポーツである、ローリングバレーボールをしました。ルールがとてもおもしろかったです。 楽しい時間・初めての経験 ホームステイプログラムでは、お正月を日本の家族と過ごしました。そこで日本の生活と文化と伝統と新しい日本の食べものを経験しました。山梨に行ったので、富士山の写真も撮ることができました。そして初めて馬に乗ったり、温泉に入ったりしました。たくさんの新しい経験をもらって、うれしかったです。 スキーも初めての経験でした。雪も初めて見ました。 ディズニーランドへも行きました。そこで私はたくさん乗り物に乗りました。とてもすばらしいです。 それからブラインドサッカーとマラソンもしました。フィジーと日本のやりかたが少し違いましたが、とても楽しかったです。私はクライミングも初めて経験しましたが、おもしろかったです。 将来の計画 私はフィジーへ帰ったら、3つのことをしたいです。 1つめは、視覚障がい者のサッカーとゴールボールのナショナルチームを立ちあげたいです。そして2020年の東京パラリンピックに参加して、日本のみなさんとまた会いたいです。 2つめは、政府とアクセシビリティについて話して、バリアフリーにしたいです。たとえば、点字ブロックとスロープを付けたいです。また、音の出る信号機もフィジーにはありませんから、使えるようにしたいです。 3つめは、DAISYの本を紹介して、視覚障がい者のための図書館を作りたいです。 お礼の言葉 ダスキン愛の輪基金、ダスキンファミリー、日本障害者リハビリテーション協会、そして、研修でお世話になったみなさま、本当にありがとうございました。 Final Report アナム・ジェヘザディ マイルストーン(本事業第三期生シャフィク・ウル・ラフマンさんが代表を務める自立生活センター)で、広報と女性コーディネーターを担当している。 パキスタン出身 25歳 肢体不自由 研修希望内容 1.障がい者運動の歴史 2.交通アクシビリティ 3.障がい者(特に女性障がい者)差別とその撤廃へのアクション 4.共生社会実現に向けた日本の取り組み グループ研修 戸山サンライズで3ヵ月、日本語を勉強しました。日本へ来る前は、あいさつしか知りませんでしたから、日本語はとても難しかったです。 次に、バリアフリーやリーダーシップ、障がい者への虐待など、いろいろな勉強をしました。プロジェクトの計画の作り方と、クロスディスアビリティでどうやってコミュニケーションするかもならいました。とても役に立ちました。 個別研修 最初の個別研修は、つくば自立生活センターほにゃらでした。そこで私は介助について、いろいろな勉強をしました。たとえば、障がい者の介助サービスを見て学びました。それから、重い脳性まひのある障がい者の家へ行って、バリアフリーの部屋や生活を見ました。知的障がい者の工場で仕事も見ました。そこで働くと、お金をもらうことができます。これは障がい者の自立に役に立つと思います。パキスタンには、知的障がい者が働くところがありませんから、パキスタンに作りたいと思いました。 自立生活センター東大和で1週間研修をしました。ここで2回ホームステイをしました。最初は、田渕さん夫婦の家です。奥さんの障がいは脊髄損傷です。家はバリアフリーで、階段を上ったり降りたりするためのいす型のリフトがありました。初めて見たので、とてもおもしろかったです。何回も乗りました。私は、脊髄損傷の人が結婚して、子どもがいるのを見て、びっくりしました。パキスタンではめったにありません。次に海老原さんの家でホームステイをしました。彼女は24時間呼吸器を使って、生活をしています。重い障がい者が、ひとりで住んでいておどろきました。私は海老原さんと一緒にリフトの会社へ行って、いろいろな種類のリフトを見ました。たとえば、ベッドに移るためのリフト、トイレやお風呂で使うリフト、車に付いているリフトなどです。障がいに応じて、オリジナルのリフトを作っていました。リフトは、小さくて、使いやすかったです。東大和では自立生活プログラム(ILP)の勉強をしました。ILPでは、障がい者が自立生活をするときに必要なことをならいます。ILPで手巻き寿司を作って食べました。とてもおいしかったです。知的障がい者のパン屋さんへも行って、知的障がい者と話したり、ダンスをしたりしました。とてもいい経験でした。 東京にあるさいとう工房で車いすを作る研修をしました。ここで私は車いすのフィッティングをならったり、電動車いすのコントローラーとクッションを作ったりしました。私は車いすを修理することができるようになりました。 次に宮崎の障害者自立応援センターYAH!DOみやざきに行きました。ここで、ILPと女性だけのピアカウンセリングと国からのサポートの受け方をならいました。それから障がい者のアートを見たり、精神障がい者と話したりしました。これは初めての経験でした。 愛知のAJU自立の家でもピアカウンセリングとILPを勉強しました。 メインストリーム協会では、介助サービスとそのシステムについてならいました。良い介助と悪い介助について、いろいろ教えてもらいました。ほかにも、結婚している脊髄損傷の女性の生活を見て、どうやって健康に生活するかをたくさん教えてもらいました。この情報は、とても役に立ちます。すばらしいリーダーにも会えたので、リーダーシップについてもならうことができました。 自立生活夢宙センターでは重い障がいの女性と話して、そのニーズを知ることができました。 自立支援センター『ぱあとなぁ』では、知的障がい者と身体障がい者が一緒に生活をしています。このスタイルのセンターは初めてでしたから、興味を持ちました。 最後の個別研修は、東京のヒューマンケア協会でした。私は3週間ピアカウンセリングをならってから、2日間ピアカウンセリングのリーダーをしました。最初はとても緊張してならったことを全部忘れました。リラックスしたら、とてもよくできて、いいコメントをもらいました。ヒューマンケア協会でも介助サービスについて勉強しました。 日本でたくさんピアカウンセリングとILPと介助サービスについてならうことができました。パキスタンへ帰ってからもやりたいです。いろいろな自立生活センターへ行って、たくさんいい経験をしました。 日本で楽しいイベント 私は日本でいろいろなことを初めてしました。 水泳とスキーをならいました。日本に来る前はできないと思っていました。でも今は泳ぐことができますし、スキーもできます。雪も見ました。寒かったですが、とても楽しくて、寒いことを忘れました。 香川の西尾さんの家でホームステイをしました。お正月にお餅を食べて、神社でおみくじをしました。大吉でしたからとてもうれしかったです。 京都と大阪でお花見をしました。桜はとてもきれいでした。京都で人力車にも乗りました。とても楽しかったです。 宮崎では海を見ました。パキスタンに海はありますが、私の住んでいるところからは遠いです。ですから、海を見ることができてうれしかったです。 光岡さんと奥さんと一緒にサンリオピューロランドへ行きました。私はハローキティが大好きです。ハローキティと写真を撮りました。 日本にはハラールミートはあまりありません。神戸でハラールの牛肉を食べました。とてもおいしかったけど、とても高かったです。 パキスタンでの計画 パキスタンへ帰ってから私がしたいことは4つあります。 1.ピアカウンセリングとILプログラムを始めたいです。 2.国のサポートをもらって介助サービスを始めたいです。 3.インクルーシブ教育のプログラムを始めたいです 4.パキスタンをバリアフリーにしたいです。 10ヵ月の研修でたくさん学ぶことができて、とてもうれしいです。パキスタンへ帰ってもがんばりたいです。 ダスキン愛の輪基金のみなさん、ダスキンファミリーのみなさん、日本障害者リハビリテーション協会のみなさん、私に研修のチャンスをくださってありがとうございます。研修でお世話になったみなさん、ほんとうにありがとうございました。