アジア第20期研修生報告書(日本語版) スニタ タパ ネパール(シャンジャー)出身 26歳 聴覚:ろう 研修目標 1.若いろう者をエンパワメントする方法 2.ろう者の就労 3.高齢ろう者のサポート 4.コンピューターの基礎的な技術の習得 5.地方におけるろう協会の運営方法 人生のターニングポイント。 ダスキン研修に申し込んだ理由 私は以下のことを学びたくて、この研修に応募しました。 ・地方におけるろう協会の運営方法 ・若手ろう者のリーダー育成方法 ・ろう者と聴者の差別の解消 日本では多くのことを学びました。ダスキン第20期生として選ばれたことは、私の人生のターニングポイントになりました。 日本で驚いたこと 温泉に入るときに裸にならねばならないことには、本当に驚きました。ネパールでは、お風呂に入るときは、布を一枚羽織らなければなりません。それに、たくさんの人と一緒に入ることはありません。知らない人たちと裸でお風呂に入ると聞いたとき、自分には絶対無理だと思いましたが、今ではすっかり慣れてしまいました。 兵庫県聴覚障害者協会で研修した際、障がいのある人の強制不妊手術に関する裁判を傍聴しました。原告は高齢のろうのご夫婦で、子供を産むことを許されず、強制的に不妊手術をされたというのです。裁判で、そのいきさつを聞き、悲しくなりました。私も同じろう者ですから、ご夫婦の気持ちがよく分かりました。このことは悲しい驚きとして心に残りました。 グループ研修 介助研修は、3回シリーズで行われ、5人の研修生の障がいについて学びました。そこで、車いすを使っている人や視覚障がい者がどんな生活をしているのか、どんな困難があるのか、どんなサポート方法があるのかを知ることができました。ネパールにいるときは、ろう者としか付き合いがありませんでしたが、日本で様々な障がいをもつ4人に出会ったことで、多くの気づきを得られました。 ドリームマップは、将来の夢を「見える化」するワークでした。ダスキンの研修は、座学だけではなく、こういった参加者が主体的に参加するワークショップも含まれます。自分の3年後、5年後の夢を描くことで、日本で何を学ぶかを明確にしたり、帰国後に踏み出す最初の一歩を考えたりすることができました。とても楽しい研修でした。 個別研修 1.日本ASL協会 日本ASL協会では2週間のプレゼンテーション研修を受けました。ネパールでも人前で話す機会はありましたが、人前でどう話せばいいのかを知らずに話をしていました。今回、プレゼンテーション技法をしっかり学べたことはよかったです。なぜなら、私は帰国後、多くの人たちに日本での学びを共有しなければならないからです。プレゼンを成功させるには、講演時間を守ること、事前準備をしっかりすること、そして、何度も練習をすることが重要だとわかりました。 2.兵庫県聴力障害者協会 兵庫県には約1ヵ月間滞在し、様々な研修をしました。特に印象に残ったのは2つの研修先です。1つはたつのこ工房です。その福祉施設では、定年退職したろう者あるいはろう重複の方が軽作業をして、工賃をもらっていました。私も一緒に作業させてもらいましたが、たつのこ工房は、ろう者の仲間が集まる場所として、仕事の場所として機能しており、とても素晴らしいと思いました。2つ目は、淡路ふくろうの郷です。高齢ろう者の施設である、淡路ふくろうの郷では3日間研修をしました。私も高齢ろう者のサポートをさせてもらいました。ネパールにも、高齢ろう者はたくさんいますが、未就学で手話ができません。自分の考えや思いを伝える術がないのです。しかし、淡路ふくろうの郷と同じような施設がネパールにあれば、高齢ろう者の心の声を拾い、幸せに暮らせるようにできるのではないかと思いました。 3.全国ろうあ青年研究討論会 秋田で行われた大会にユキさんと一緒に参加しました。日本全国からろう青年が集まって、様々なトピックで討議を行いました。分科会もあり、それぞれの話し合いの結果を発表する機会もありました。ろう青年の活動のすばらしさを体感することができました。 日本で発見した素晴らしいこと 私はミョーミンさんと一緒に出掛けることが多かったのですが、駅の改札が車いす用に広くなっていることに気づきました。また、駅には点字ブロックも敷設されています。ネパールは交通バリアフリーが整っていないので、障がいのある人は外出ができません。日本では、駅のスタッフも手伝ってくれるし、どこにでも出かけることができます。ネパールでも、交通バリアフリーが進んでほしいと思いました。そのためには、ろう者だけではなく、他の障がい者団体と協力して、政府と交渉する必要があります。 また、福祉制度が整っているため、高齢ろう者が安心して暮らせることも素晴らしいと思いました。兵庫県での研修中に、高齢のろう夫婦のお宅に伺いましたが、その生活は穏やかで楽しそうでした。ネパールも高齢者が安心して暮らせる社会にしたいです。 ネパールに帰ったら やりたいこと まず、日本で学んだことを情報共有します。私はシャンジャーという場所で生まれました。シャンジャーにあるろう協会をもっと強固で、大きな団体にしていきたいです。次に、ろう青年部・女性部を作って活動したいです。特に、ネパールでは女性の社会進出が遅れていて、家に閉じこもっている女性が多いです。力を発揮できずにいるろう女性たちに声をかけ、女性部を立ち上げたいです。3番目に、ネパールにはダスキンの卒業生がたくさんいるので、彼らと一緒に活動したいです。例えば、18期生のケサブさんです。彼とは日本に来る前に少し話をする機会があり、ネパールをよい社会にするために頑張ろうと話をしています。ダスキンの卒業生と繋がりながら、ネパールで活動していきたいです。 最後に、高齢ろう者の施設を作りたいです。これは、私が一番成し遂げたい目標です。未就学であるため、手話で話すこともできず、日々やることもなく過ごしている高齢ろう者がネパールにはたくさんいます。彼らの居場所となる施設をぜひ作りたいです。 これらの夢の実現のために、私は最善を尽くします。 謝辞 本研修プログラムは私にとって真のターニングポイントとなりました。このような素晴らしい機会を与えてくださったことについて、ダスキン愛の輪基金および日本障害者リハビリテーション協会の皆さまに感謝の言葉を捧げたいと思います。また、ダスキンファミリーの皆さま、そして日本の皆さま、このように長期にわたり成功を収めてきた研修プログラムを用意してくださり、本当にありがとうございます。また、私のことを親切にサポートし助けてくださった日本の友人の皆さん、団体の皆さんにも感謝したいと思います。時間の過ぎるのはあっという間でした。10ヵ月は瞬く間に過ぎてしまいました。この間学んだ一番大切なことは、私たちはみな同じ人間で温かいハートを持っている、ということでした。誰であっても、国がどこであっても、障がいがなんであっても、肌の色や自分のジェンダー・アイデンティティが何であっても、私たちはベストを尽くす…なぜなら、私たちはダスキンファミリーだからです。 ハラシニ サウバーギャ ユキ ガマティゲ スリランカ(コロンボ)出身 30歳 聴覚:難聴 研修希望内容 1.手話や書記言語、口話の指導方法 2.ろう児にとって分かりやすい授業の組み立て方 3.ろう者や手話を社会に認知してもらうための活動 4.コンピューター技術の習得(PPTを中心に) スリランカのろう教育をよくするために 自己紹介 私は千葉県船橋市で生まれ、4歳まで日本で育ちました。生まれつき耳が聞こえなかったので、筑波大学付属聴覚特別支援学校の乳幼児クラスに母と一緒に通っていました。 私はスリランカでろう学校の英語教師をしています。今回、ろう学校での口話教育や手話教育、ろう教育に関する新しい考え方を学びたくて、来日しました。 日本語と手話の勉強 9月に来日して、まずは日本語と日本手話の勉強をしました。最後のクラスで行われた日本語のテストでは、文法は78点、漢字は100点を取りました。一生懸命勉強した甲斐がありました。新しい言語を勉強するのはとても楽しかったです。 語学研修期間中に、秋田で行われた全国ろうあ青年研究討論会に参加しました。学びの多い3日間でしたが、中でもデフリンピックのことは全く知らなかったので、情報が得られてよかったです。夜の交流会に参加し、様々な人とコミュニケーションを取ることで、日本語、日本手話も上達しました。このような異文化交流は楽しかったです。 ホームステイ 年末年始に愛知県と三重県でホームステイをしました。ホストファミリーとは手話でコミュニケーションが取れたので、退屈さを感じることは全くありませんでした。愛知県では、抹茶を点てたり、たこ焼きを作ったりしました。どちらも初めての経験でしたが、丁寧に手順を教えてもらいました。抹茶もたこ焼きも「おいしい」と言ってもらえてうれしかったです。 私はカニが好物なのですが、三重県はカニが有名なところです。ちょうど、「カニ祭り」が開かれていたので、様々な種類のカニをたくさん食べました。 ホストファミリーの皆さんは、とても親切で、日本の文化、生活様式を教えていただきました。自然の風景が好きな私のために、きれいな場所に連れて行ってくれたりもしました。 個別研修 1.ろう学校 日本で様々なろう学校を見学しました。見学時に、教室の机といすの脚にテニスボールを取り付けてあることに気づきました。これは、机やいすを動かしたときに発生する摩擦音を軽減する効果があります。私の学校にも、補聴器や人工内耳を装用している生徒がいて、「机といすの音がうるさくて頭が痛くなる」と言われたことがあります。私はその音が聞こえないので、子供たちの訴えが理解できなかったのですが、テニスボールがあれば摩擦音を防げることがわかりました。帰国後、私の学校でもぜひ取り入れたいです。 2.ろう児とコミュニケーション 大阪聴力障害者協会の研修期間中、2日間「こめっこ」で学ぶことができました。こめっこでは、0歳児から手話でコミュニケーションを取るという活動をしていました。そこで、気付いたことは、ろう児だけでなく、その家族も手話を覚えることが大切ということです。スリランカにはこのような活動がなく、ろう児とその親がコミュニケーションを取れずにいます。 東京にある「あ〜とん塾」には、0〜12歳の子どもが通い、手話でコミュニケーションを取っていました。午前中は、乳幼児が親と一緒にあ〜とん塾にやってきます。そこでは、絵本の読み聞かせを手話で行っていました。スリランカではまだ取り入れられてない手法なので、私も絵本の読み聞かせに挑戦しました。午後は、放課後等デイサービス事業が行われていて、学校帰りの小学生がやってきます。私は日本語が苦手なので、英語や算数の宿題を手伝ったり、スリランカの遊びを教えたりしました。子どもたちとたくさん触れ合うことができた、あ〜とん塾での2週間はとても楽しかったです。最後の日には、あ〜とん塾のスタッフと子供たちが寄せ書きをプレゼントしてくれました。あまりにもうれしくて、涙ぐんでしまいました。 うれしかったこと 今回来日したことで、私は思いがけない再会を果たしました。私が日本に住んでいた時、母に手を引かれて乳幼児クラスに通う様子を見かけていたという男性です。彼は当時高校生でした。私は幼かったので彼のことを全く覚えていませんでしたが、とてもうれしく思いました。 それから、日本で本物のチューリップを見ることができました。私はチューリップが大好きですが、スリランカにはないのでテレビでしか見たことがありませんでした。立川でたくさんのチューリップを見たときは感動しました。 日本での学び 日本で様々なことを学び、以下のことがわかりました。 ・ろう教育には、色々な指導方法がある(ろう児に合った方法で指導することが大切) ・0歳から手話でコミュニケーションを取ることが大切 ・ろう児の家族も手話を覚えることが大切 ・手話による絵本のよみきかせは教育効果が高い 帰国後の活動 ・ろう教育のさらなる支援 ろう学校に復職し、日本で学んだことを活かして、ろう教育の質を向上させたいです。 ・大学院への進学 スリランカではろう者は勉強しても無駄だと考えられています。ろう者も学べることを証明したいです。 ・コロンボのろうコミュニティの支援 日本のろう者は自立した生活を送っていますが、スリランカでは違います。その状況を変えるために活動したいです。また、高齢ろう者の支援も行いたいです。 ・障がい種別を越えた協働 この研修のおかげで、ろう者以外の障がいのある人たちについても学ぶことができました。スリランカでも日本と同様に障がい種別を越えて障がい者が一緒に活動ができたらと思います。 謝辞 病気になったときに親身になって面倒を見てくださった那須さん、本当にありがとうございました。そして同期研修生であったスニタさん、ヨンテンさん、ミョーミンさん、ナンさん、ありがとうございました。東京で滞在していた間にお世話になった戸山サンライズの清掃担当の皆さん、ありがとうございました。そして、先生方、個別研修やグループ研修で出会った皆さん、ホストファミリーの皆さん、ダスキン愛の輪基金、日本障害者リハビリテーション協会の皆さん、そして日本滞在中に出会った皆さんに心より感謝申し上げます。 最後に.. 大事なことを一つ、最後になりましたが、私はダスキンの研修には3回応募したことがありました。そして今回幸運にもスリランカから選ばれたのです。このような理由から、ダスキンのリーダーシップ研修の素晴らしい思い出を、私の好きな言葉で締めくくらせていただきたいと思います。「挑戦を続けなさい。いつか飛び立つ日が来ます。」 ヨンテン・ジャムソン ブータン(ティンプー)出身 26歳 視覚:弱視(進行性) 研修目標 1.障がい者の就労機会の創出 2.視覚障がい者団体の設立方法やその活動内容 3.選挙におけるアクセシビリティ 4.障がい者が楽しめるスポーツやゲーム 5.点字印刷の方法 6.DAISY及びパソコン技術(ウェブサイト作成など)の習得 7.自立生活スキル 8.アクセシビリティ 目標を達成するためにあきらめません。 A. 日本語と日本語手話 私は日本に来るまで、まったく日本語が分かりませんでした。しかし2018年9月から12月まで、日本語の挨拶や簡単な会話の勉強に集中しました。先生方の教え方がとても素晴らしいことに驚嘆しました。また、私たち研修生の日本語を上達させようと、研修の主催母体より週ごとに日本語でレポートを書くようにとの宿題が与えられました。このおかげで、今では日本語の読み書きに加え、簡単で、かつ基礎的な日本語なら話せるようになりました。 B. 個別研修 個別研修は研修の主催母体が私の個人的な興味分野に合わせて組んでくださる特別のプログラムです。日本中のさまざまな団体で実践的な研修を受け、日本の障がい者の人たちの置かれている現実、そしてそうした障がい者の人たち向けのサービスについて理解することができました。4ヵ月の個別研修プログラム期間中は、公的な機関、リハビリテーション・センター、特別支援学校、図書館、障害学生支援センター、国の、あるいは各地の団体、それにNGOやNPOなど日本各地の組織を訪ねました。最初は日本語での意思疎通が難しく、知識の吸収も難しくてかなり苦戦しましたが、徐々に自分自身も大きく前に進むことができるようになってきました。障がい者の人たちについて多くを学ぶことができた場所は数多くありましたが、ここにいくつかご紹介します。 1.視覚障がい者向けサービス :日本ライトハウスにおける点字本製作など 日本ライトハウスでは、日本の福祉政策およびその実施状況について学び、経験しました。日本ライトハウスでの研修には、障がい者運動、ボランティア活動、障がい者の就労支援、またリクエーション支援サービスなどもありました。研修中はリハビリテーション・センターや学生支援センター、盲導犬センター、また大阪の点字本製作センターや点字図書館を訪問しました。また、こうした課題に取り組む専門家にお目にかかるチャンスもあり、皆さんと、非常に建設的で実りあるディスカッションをすることができました。さらに、いくつか大学も訪問し、社会福祉システムや日本の法律、また障がい者に関する法律についても学びました。こうした経験により、各県でどのように福祉政策が実施・推進されているか学ぶことができました。日本には47の都道府県があり、おのおのが自らそれぞれの県のやり方で社会福祉政策を進めています。 2.日本点字図書館 日本点字図書館(Japan Braille Library、以降「JBL」とします)は視覚障がい者ないしは機能障がいにより印刷物を一般の人と同じように読めない人向けの、日本最大の図書館です。点字本やオーディオブックなどの本の貸し出しなど、いろいろなサービスを行なっています。JBLがどう設立されるに至ったのか、障がいのある人向けにJBLが提供しているサービスはどういうものがあるか、などのほか、日本の政策や国際的な恊働の取り組みなど、いろいろなことを学びました。 3.支援技術開発機構ATDOでのDAISY研修 DAISYは、印刷物を読むのが難しい人のためのシステムです。ブータンで国立の盲学校に通っていた学生当時は、点字本は非常に少なく、オーディオブックに至ってはまったく無かったので、誰でも使える本を作ることが私の夢となりました。ご縁あって支援技術開発機構(ATDO)ではDAISYブックの製作の方法を学ぶチャンスに恵まれました。その後、日本ライトハウスおよび日本点字図書館では、多くのボランティアの人たちが本をDAISYブックに変換している作業を目にすることができました。 DAISYブックの製作を始めることを夢見ながら、新しく身につけたDAISYのスキルを将来ブータンで活かそうと思っています。 4.障がい者授産所ウイズにおける障がい者の就労 ウイズは普通の開かれた労働市場では身体や知的やその他の障がいのために仕事を見つけるのが難しい人に就労機会を提供している団体です。ウイズの目的は、一緒に働き、一緒に挑戦することです。また、ウイズの基本理念は、「障がいを持つ人とともに」です。ウイズでは、障がい者の仕事についてのほか、白杖の作り方や使い方、さまざまな白杖の種類などについて学びました。 5.「ゆに」におけるオリエンテーション と歩行トレーニング さまざまな団体での個別研修から私が学んだ大切なコンセプトは、障がいのある人に力をつけること、そうすることで、障がいのある人たちが自らの人生で決断を下し選択できるようにしていくこと、でした。この学びにより、私ももっと頑張って働き、自立生活についてより深く学び、自立生活を体験したいと思うようになりました。 将来の目標は新しい組織を設立すること 研修中の意見交換やさまざまな経験のおかげで私のコミュニケーションのスキル、そしてリーダーシップのスキルは改善しました。また、日本の障がいに関する課題や障がい者に対するサービスについての理解が格段に深まりました。こうした学びが、「地元コミュニティで新しい組織を設立し、活動を展開し、日本と同じようなサービスを提供する」という私のミッションそしてゴールを実現する土台になるだろうと考えています。 団体名称: ブータン視覚障害者協会(Blind Association of Bhutan:BAB) ミッション:視覚障がい者に社会参画の機会とチャンスを提供し、支援する。 目的: ・視覚障がい者の権利に関する一般社会の意識改善 ・オリエンテーションと歩行訓練 ・基礎的な点字スキル ・アクセシブルな本(点字本、DAISY、布絵本など)の提供 ・スポーツ(パラリンピックゲームなど) ブータンには40ものNGOがありますが、障がい者を対象にしたものは3つだけです。したがって障がい者へのサービスは非常に限られており、今のところ視覚障がい者の団体もありません。このような状況であるため、私は目の見えない人のために新しく団体を設立し、日本で学んだり体験したりしたことを活かしたいと考えています。また、ブータンで目の見えない人たちが直面している困難について理解はしていても、新しい団体設立は大変難しいことになるだろうと思います。しかし上に挙げた目標を達成するため、公的な助成金や支援にも頼りたいと考えています。目標を達成するまで頑張って活動し、あきらめない所存です。 楽しかったこと 勉強や学びのほかに、日本では楽しい時間もたくさんありました。ホームステイに、スキー研修、水泳、観光などです。こうしたプログラムにより日本の文化や生活について知ることもできましたし、新しい体験をすることで自分自身の能力やスキルもアップしました。こうした知識はすべてブータン社会に利するものになると考えています。 ミョー・ミン・タッ ミャンマー(ヤンゴン)出身 19歳 肢体:先天性奇形<手動車いす使用> 研修希望内容 1.障がい者の権利擁護と啓発活動 2.障がい者スポーツ(特にバスケットボール) 3.自立生活 4.公共交通機関のバリアフリー 5.車いすの修理 ミャンマーに帰ってから障がい者の意識向上に取り組みます。 私が日本のダスキン リーダーシップ研修に 応募した理由 私はミョ―・ミン・タッといいます。ヤンゴンから来ました。 ミャンマーからダスキンの研修に参加した研修生は、私を入れて全部で6人です。現在、こうした元研修生3人が、ミャンマー自立生活イニシアチブという障がい者団体を立ち上げて活動しています。政府と協力して障がい者のための法律や政策立案に関わり、障がい者に関連するさまざまな活動を展開して、一般の障がい者に対する理解や意識を高める運動を続け、先駆的な役割を果たしています。彼らのこうした活動や活動の成果を目にしたことで、私もこの研修プログラムに応募したい気持ちになりました。ダスキン愛の輪基金のおかげで、ありがたくも第20期研修生の一人として選ばれることになりました。 日本語研修 日本での最初の3ヵ月は、日本語の勉強をしました。先生は全員日本人で、教室で話していいのは日本語のみということになっていたので、私たちも日本語を使わざるを得ませんでした。日本に来る前にすでに3ヵ月日本語を予習していたので、ひらがなやカタカナは難しくありませんでしたが、漢字には手こずりました。しかし先生方の教え方が素晴らしかったので、教えられていることがよくわかり、滞りなく学ぶことができました。先生方は非常に忍耐強く教えてくださり、また全力で励ましサポートしてくださいました。勉強を頑張ろうという気になり、日本語の読み書きや会話が上達するまで頑張りました。 ホームステイ ホームステイ研修では8日間、愛媛県新居浜の小野正師さんのお宅でお世話になりました。日本のご家庭にお邪魔したのは初めてのことでした。まるで私が実の息子であるかのように接してくださる日本のご家庭に迎えていただいたのは非常に幸運でした。私は外国にいるにもかかわらず、そして自分の家族や友人からは何千キロも離れた地にいるにもかかわらず、すぐ自分の家にいるかのようなくつろいだ気持ちにさせてくださいました。小野さんのお宅はかわいい子どもを入れて7人のご家族でした。朝から晩までおしゃべりしたり、大変おいしい日本食を食べたりして楽しく過ごしました。私が知るべきことについてもいろいろ説明してくださり、質問にも辛抱強く答えてくださいました。また、日本の文化・生活についていろいろ新しいことがわかるようにと、私にとっておもしろいのではないかと思われることもいろいろ教えてくださいました。今では誰かが愛媛のことを話すのを聞くと、あの時の美しい、素晴らしい思い出が瞬時に蘇ります。 スキー研修 1月下旬、私たち研修生5人は3日間のスキー研修のため新潟県、越後湯沢に行きました。私にとっては生涯初めてのスキーです。雪は見たことがありませんでした。研修前は、障がいのある人間がどうやってスキーができるのだろうか、ましてや足も動かせない人もいるのに絶対無理だろう、と思っていました。しかし研修を受けて、非常に障がいが重い場合でも、機会が与えられてちゃんとしたサポートがあれば、障がいのない人と同じように何でもできるのだということが分かりました。スキーは生涯でも忘れられない思い出、そして幸せな思い出の一つになりました。 個別研修 ホームステイのあとは個別研修でした。個別研修は、ダスキン研修の中でも一番大事なプログラムです。 1.CILだんない 個別研修で最初に訪れたのは滋賀県長浜市にあるCILだんないです。日本に来る前は、重い障がいがある人が自分でいろいろ決めたり、自立生活を送ったりするのは無理だと思っていましたが、CILだんないに来てそうした考えが間違っていたことを知りました。CILだんないのメンバーは皆さん障がい者でした。しかし、介助者のサポートを得て自立生活をしていました。うち何人かのお宅にお邪魔して、障がいがあってもどのように生活しているのか、そしてどのように自立生活ができるのか見せていただきました。自分自身も、初めてCILだんないで自立生活体験をしました。障がいのあるだんないの皆さんとは、日本やミャンマーの障がい者の話、自分自身の体験などを語り合いました。こうしたお話から、皆さんの生活やいろいろ抱えている課題などについて理解を深めることができました。 2.さいとう工房 現在、ミャンマーの車いす利用者数は増え続けています。しかし、車いすのメンテナンスや修理をしてくれる工房はありません。このため、いったん車いすが壊れてしまったら、直すのは至難の業です。このため私は車いすのメンテナンスや修理について学びたいと思いました。(経営者の)斎藤さんは、車いすのこと以外にも、福祉を必要としている人たちの日本の福祉政策についても教えてくださいました。 3.AJU自立の家 AJU自立の家では自立生活についてさらに学び、また、支援要請のためにどのように社会や地元政府と交渉したり協働して物事を進めたりするのかについて学びました。AJUにお世話になっていた間、山田さんとお食事する機会に恵まれましたが、山田さんはこれまでのご自分の歩みについて話してくださり、大変感動しました。また自分自身にとっても、これから将来の夢に向かって頑張るのに必要な自信とエネルギーをいただいた体験でした。わだちコンピューターハウスおよび小牧ワイナリーでは、障がいのある人の就労について学びました。研修の間もっとも印象に残ったのは、他の障がいのある人たちとともに、バリアフリーの障がい者活動に参加したことでした。 4.メインストリーム協会 メインストリーム協会では大変フレンドリーなスタッフやメンバーの皆さんと一緒に過ごし、なんといっても色濃く楽しい日々を過ごしました。とても短い間だったにもかかわらず、友人となった素晴らしい皆さん、そして私のメンターになってくださった廉田さんと平田さんからとても多くのことを学びました。廉田さんとメインストリームのメンバーの皆さんが当初どのようにメインストリーム協会を設立したかもわかるようになりました。廉田さんはメインストリームの創立には大変苦労なさった模様でしたが、アクセシブルな環境を作るという廉田さんの業績は偉大です。メインストリームで学んだのは、障がいがあっても人生を楽しむことでした。メインストリームでの研修で私のものの見方や考え方は一転し、非常にプラス思考になりました。メインストリームではどなたも明確な目標をもっていました。そして、仕事を楽しみ、それぞれ課せられた責任を果たしていました。非常に障がいが重くても、仕事を頑張り、生活を楽しんでいました。メインストリームでの経験では忘れがたい瞬間が数多くあり、私自身も自信を養うきっかけともなりました。 5.自立生活センタームーブメント 個別研修の最後の行先は自立生活センタームーブメントでした。ここでは人生初めて、アパートに住むという経験、そして一人で暮らし、自分で何でもやらなければならない生活を経験しました。ムーブメントでは、障がい者に対する差別について、また差別をどう克服するか、そして障がい者が地域で暮らしていくうえのサポート方法について学びました。 ムーブメントのスタッフの皆さんはみな若く、おもしろい人たちでした。互いの人生や問題、将来について語り合いました。友人となったスタッフの皆さんとは、あちこち行ってみたりもしました。とくに思い出深いのは、公園に行って満開の桜を見たことです。桜の下で日本のお花見をし、お昼を食べました。人生最高の思い出です。また、「バリアフリー2019」展にも参加しました。この展示会ではいろいろなことを学んだほか、インフラがバリアフリーであることの意義についても学びました。 日本のバリアフリー環境 日本のバリアフリー環境には心底驚かされました。日本ではビルのほとんど、交通のほとんど、そして製品でさえ、障がい者にとってアクセシブル、かつバリアフリーです。日本の障がい者の生活は非常に便利です。日本は今ユニバーサルデザインをすべての建築物や商品に採り入れようとしています。日本では障がい者運動によってバリアフリー環境を作るための努力が何十年も前に始まりました。今も運動は継続しており日に日に拡大しています。ミャンマーでは幾多というバリアがあり、しかも自分の家の戸口からすでにバリアが始まります。身体障がいのある人は思うように外出するなど考えることすらなくなります。そしてアクセシビリティが欠落していることで、自分を成長させることができなくなったり、他の人より成長が遅れたりしているのです。 国に戻ってからの目標 10ヵ月の研修の期間中、数多くの障がい者リーダーに出会い、日本が以前どのようだったか、そしてどのように日本の障がい者の人たちが頑張って障がい者運動を続けてきたかを知りました。私の国ではアクセシビリティは大きな問題です。このため私は自分自身の大きな目標として、政府各省庁と交渉し、物理的なインフラ、教育、すべての人にアクセシブルな道路などを作り、どんな障がいにとってもアクセシブルな環境づくりに取り組みたいと思います。このプロジェクトの一環として、障がい者のためのスマホ用バリアフリーアプリを作り、障がい者バリアフリーの場所を見つけたり、必要な情報を手に入れられたりできるようにしたいと思います。また障がい者のためのカウンセリングセンターを設立し、自立生活についてのアドバイスやガイダンスができるようにしたいと思います。また、インクルーシブ教育、障がい者の就労や福祉システムなどにも取り組みたいと考えています。さまざまなタイプの障がい者とともに障がい者運動にも参加し、社会の障がい者に対する意識向上に取り組みたいと思います。 感謝の言葉 ダスキン愛の輪基金、日本障害者リハビリテーション協会、戸山サンライズの皆さん、日本語クラスの先生方、水泳やスキーの先生方、ホームステイのホストファミリーのご家族、そしてさまざまな研修先で私を温かく迎えてくださった皆様、ボランティアの皆さん、そして私の滞在を楽しく意義あるものにしてくださった日本の友人の皆さんに、心からの御礼を申し上げたいと思います。 第20期研修生はみな家族のようになりました。一緒に暮らし共に時間を過ごしたことは本当に素晴らしい体験でした。ここで別れ、それぞれの国に帰るのは寂しいことですが、私は一緒に過ごした思い出をいつまでも大切にし、いつまでも心からの感謝の気持ちを忘れないことでしょう。 ソ・ナン 台湾(新北市)出身 26歳 肢体:脳性まひ<電動スクーター使用> 研修目標 1.職業リハビリテーション 2.発達障がい者に関する活動 3.日本の障がい者の権利擁護 4.障がい当事者団体におけるリーダーの役割 5.カウンセリング・障がい分野に関する学問 6.障がい者のエンパワメント 共生社会実現のために!! 自己紹介と来日の目的 私は台湾出身の蘇楠(ソ・ナン)と申します。平成3年に台北市で生まれました。生まれつきの脳性麻痺があるので、外出時には常に車いすを利用しています。来日前、私は障がい学生支援コーディネーターとして新北市・明志科技大学の学生カウンセリングセンターに勤めていました。仕事以外では、社団法人台湾障害者権益促進会という障がい当事者団体で活動しています。 台湾は多様性のある高度産業社会ですが、障がい福祉は発展途上にあり、まだ多くの課題が残っております。台湾における障がい福祉の改善を目指し、私は日本の障がい者福祉の現状を学ぶために来日しました。それ以外にも、日本語や日本人のマナーを学ぶこと、日本の障がい者・障がい者団体と交流すること、そして日本での生活・文化体験も研修の目的でした。 研修の活動 平成30年10月から令和元年5月まで、私は研修で日本各地の障がい者施設・団体を巡り、様々な活動を体験できました。詳細は以下の通りです。 日本語研修 台湾で現地在住の日本人とランゲージエクスチェンジ(お互いの母国語を教え合うこと)をしていたので、私は来日時既に日常の意思疎通には困らない程度の日本語を身につけていました。そのため、平成30年10月から12月まで、私は1対1プライベートレッスンやOJT(現任研修)で日本語研修を受けました。プライベートレッスンでは、私はビジネス会話、文章読解、ロールプレイ、口頭発表等の授業を受けました。それ以外の時間に私はリハ協でOJTを受け、他の研修生の日本語研修の様子を取材してブログ記事としてまとめたり、JDFパラレルレポート特別委員会の準備作業をお手伝いしたりして、リハ協の業務補佐を通じて日本語やビジネスマナーを磨いてきました。 名古屋シティハンディマラソン 平成30年10月に私は名古屋のAJU自立の家に伺い、「完全参加と平等」をテーマにして障がいの有無に関わらず誰でも参加できる「ハンディマラソン」に参加させて頂きました。ハンディマラソンは私にとってスポーツ大会の初挑戦であり、共生社会に向けた活動の取り組みを学ぶ機会でもありました。ホームステイ ホームステイ 平成30年12月末に私はホームステイで京都の大藪家を訪れました。家族の皆様と一緒にお餅つきしたり、京都の金閣寺や奈良の東大寺などの観光名所を巡ったりして、楽しく年末年始を過ごして日本文化を体験することができました。 自立生活センターほにゃら 平成31年1月に私は茨城県にある自立生活センター「ほにゃら」と「いろは」で1ヵ月弱の個別研修を受けて初めて「自立生活」という新しい価値観と出会いました。私はバリアフリー設備付きの自立生活体験室で一人暮らしして、実際に重度身体障がい者のお宅を訪問したり、障がい当事者や介助者と共に障がい者の住める部屋を探したり、バリアフリーチェックしたり、DET(障害平等研修)で「障がい」と「誰でも住みやすい街」のあり方を考えたりして、重い障がいを持っていても普通に地域で暮らして自立できるということを実際に自分の目で確かめました。 スキー研修 平成31年1月末に私は新潟の「障がい者スキースクール・ネージュ」でスキー研修を受けました。身体障がいのある私は最初、スキーはさすがに無理かなと思い込んでいましたが、ネージュから研修生全員それぞれの障がいに合わせた配慮をしていただき、「バイスキー」の形でスキーを体験することができ、「アダプティブスポーツ等合理的配慮があれば、障がいを抱えてもできないわけではない」ということが身に染みて分かるようになりました。 DPI日本会議 平成31年2月に私は東京のDPI日本会議で1週間の個別研修を受けて日本の障がい当事者による相談支援と権利擁護活動を学びました。DPIの「権利擁護センター」と「女性ネットワーク」の取り組みを勉強しながら私は障がい当事者の自分史をお聞きして、実例を通じて日本におけるバリアフリーと障がい者権利の現状や課題を学んできました。 ヒューマンケア協会 平成31年2月から3月まで、私は東京にある自立生活センター「ヒューマンケア協会」、「CIL日野」と「全国自立生活センター協議会」で1ヵ月の個別研修を受けて障がい者の自立生活をさらに学びました。昔の私は社会の固定概念にとらわれ、「自立生活」とは誰にも頼らずに生きることと思い込んでいました。しかし、ヒューマンケア協会で日本の障がい者自立生活運動の先駆者である中西さんと他の先輩方にお話を拝聴し、実際に各障がい者団体と共に行政交渉を見学して、私の考え方も変わっていきました。障がい者にとっての自立生活は「自己選択」(自分の生活は自分で選ぶ)、「自己決定」(自分の生活は自分で決める)、「自己責任」(自分がした選択と決定は、自分が責任を取る)というのを学んで、従来の思い込みが覆りました。障がい者の自立生活を支える介助制度とピアサポート(ピアによる相談支援)を学びながら、私はILP(自立生活プログラム)で介助サービスを使って料理づくりやホームパーティに挑戦してみたり、ピアカウンセリングを勉強して実際にグループを率いてみたりして、障がい者同士がどのように支え合うのかを実践を通して学んできました。 ヒューマンケア協会 平成31年2月から3月まで、私は東京にある自立生活センター「ヒューマンケア協会」、「CIL日野」と「全国自立生活センター協議会」で1ヵ月の個別研修を受けて障がい者の自立生活をさらに学びました。昔の私は社会の固定概念にとらわれ、「自立生活」とは誰にも頼らずに生きることと思い込んでいました。しかし、ヒューマンケア協会で日本の障がい者自立生活運動の先駆者である中西さんと他の先輩方にお話を拝聴し、実際に各障がい者団体と共に行政交渉を見学して、私の考え方も変わっていきました。障がい者にとっての自立生活は「自己選択」(自分の生活は自分で選ぶ)、「自己決定」(自分の生活は自分で決める)、「自己責任」(自分がした選択と決定は、自分が責任を取る)というのを学んで、従来の思い込みが覆りました。障がい者の自立生活を支える介助制度とピアサポート(ピアによる相談支援)を学びながら、私はILP(自立生活プログラム)で介助サービスを使って料理づくりやホームパーティに挑戦してみたり、ピアカウンセリングを勉強して実際にグループを率いてみたりして、障がい者同士がどのように支え合うのかを実践を通して学んできました。 研修の所感 私は研修中に日本における障がい者福祉の現状と障がい者の生活の実態を自分の目で確かめることができました。日本ではたとえ重度障がい者でも、自立生活制度や様々な合理的配慮により普通に地域で一人暮らしをして、健常者より多彩な生活を送ることができます。そして日本の障がい者は一方的に他人に助けられるばかりでなく、当事者スタッフとして自立生活センターで様々な支援活動を行い、他人を助けたり社会に貢献したりする存在であります。障がい者は、実は想像以上に可能性を秘めているということに、非常に感銘を受けました。 帰国後の抱負 日本で学ばせていただいたことを糧に、私は帰国後、自国の障がい者福祉を向上させるために、「どんな障がいや生きづらさを抱えていても、普通に地域で尊厳ある生活を過ごせる共生社会を実現する」という夢を目指します。この夢に向かって、私は帰国後、まず日本で学んだことを現地社会に発信します。そして、当事者団体での活動を続けて、障がいのある仲間一人ひとりに寄り添って支援します。現地のCILと連携・協働して共に運動し、当事者ネットワークを広げて一緒に運動する若手を増やすことも目指します。最後に、また大学の障がい学生支援室に就職し、障がい学生の自立に向けた支援を現場でも始めたいと思います。 私ひとりで見る夢はただの夢ですが、障がい者同士と社会の人々を巻き込んでみんなで一緒に見る夢は、きっと現実になると信じております。 ダスキン愛の輪基金の皆様、日本障害者リハビリテーション協会の皆様、そして各研修先の方々に大変お世話になり、誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。