アジア第21期研修生報告書(日本語版) アーワン・ムハンマド モルディブ(マレ)出身 27歳 聴覚:ろう 研修目標 1.ろう協会の組織運営や業務内容 2.手話通訳者の養成 3.ろう者・手話に関する啓発活動 4.ろう者に関する団体・施設の視察 人生のターニングポイント。 モルディブろう協会のエンパワメントと強化に向けたビジョン 私の名前はアーワン・ムハンマドです。第21期ダスキン研修の研修生です。出身地はモルディブです。ダスキン研修については、2018年に、同研修にモルディブから研修生として参加していたディナさんから話を聞いて知っていました。私はモルディブろう協会(MDA)に関わっていますが、協会にさまざまな問題があるので、この機会に研修に応募し、日本で知識や経験を得てどうしたらモルディブろう協会の機能や活動を改善できるのか知りたいと考えました。研修では4つ、学びたいと思っていたことがありました。 1)ろう者のための運営と活動について。 2)手話通訳者の育成について。 3)ろう者および手話に対する意識向上活動について。 4)日本のろう協会や組織の見学 この4つです。 モルディブのろう社会の現状 モルディブはインド洋に浮かぶ島国で、人口はわずか40万人ほどです。モルディブには1,190もの島があります。全土のろう者・聴覚障がい者は1,287人です。首都のマレに手話通訳者は3人しかいません。他の島で人が居住しているところに手話通訳者はまったくいません。聴覚障がい者は手話通訳者がいないことで大変苦労しています。モルディブには手話通訳者が勉強を進め他の国で手話通訳者がどのように活動しているかを見る機会もないのです。また、ろうの人たちが居住する諸島にはろう協会もありません。唯一協会があるのが首都マレです。他の島では手話通訳者がいないため、ろう者はまったく情報にアクセスできないのです。ろうの人たちが住む島の多くでは手話で教えてもらうことができないので、モルディブの言語であるディベヒ語や英語をまったく読めません。また首都で使われている手話はこうした島の人たちが使っている手話とは違うのです。首都では一般的な、標準的な手話が使われるのに対し、他の島はそうではありません。場所によって使う手話が違うため、ろう者のコミュニティの中ですらコミュニケーションが成り立たないのが現状です。 3ヵ月にわたる日本語と日本手話の勉強 日本に到着して最初の3ヵ月は、日本手話(JSL)と日本語(ひらがな、カタカナ、漢字)を勉強しました。ひらがなやカタカナはわかるようになりましたが、漢字の理解はとても難しかったです。日本語の読み書きには集中して取り組みました。日本手話は大変興味深かったです。日本手話及び日本語を指導してくださった先生方には大変感謝しています。 私が参加した研修プログラム グループ研修の一環として、リーダーシップ研修がありました。カバーされている分野はさまざまでした。いろいろ違う障がいのある障がい者との関わり方について学びました。リーダーシップ研修ではさまざまなスキルを学ぶことができ、一番興味深いプログラムとなりました。モルディブでもろうコミュニティのために同様のプログラムを立ち上げて、ろう者が知識を身につけることができるように、またろう者の基本的な権利擁護のために活動したいと思います。 お正月のホームステイ 12月には岩手でホームステイを経験しましたが、とても楽しいひと時となりました。雪を見たのは生まれて初めてで、とても嬉しかったです。お世話になったご家族はろうのご両親と、健聴者の娘さんでした。お互い手話でいろいろ会話を楽しみました。滞在中は岩手の美しい場所に連れていっていただきました。ホストファミリーの同僚の方にもお会いしましたが、大変親切で、またとてもフレンドリーでお互いを助け合う関係でした。私の人生で最も素晴らしかった経験の一つとなりました。 個別研修 日本ASL協会(JASS): ここではプレゼンテーションのスキルを学び始めました。ろうコミュニティやモルディブの文化に即したプレゼンテーションテクニックについても学びました。モルディブで公衆を前にプレゼンをしたことがなかったので、当初はプレゼンで情報を説明することを難しく思いましたが、何度も何度も練習しました。自分の暮らしやモルディブの文化、モルディブのろう協会についてのスライドを作り1時間ほどのプレゼンとなりました。初めてプレゼンをすることにとてもワクワクしました。プレゼンのテクニックを教えてくださった久美子先生に感謝いたします。 沖縄聴覚障害者情報センター: 沖縄ではモルディブと同様に、島に暮らすろうの人たちがいました。ろうの人たちが手話通訳を必要なときは、那覇から諸島にろうのスタッフや手話通訳者が派遣される仕組みになっていました。また、他の島に住むろうの人たちにも必要な情報が提供されるようになっていました。電話リレーサービスも見学しました。都市部か島しょ部かにかかわらずろうの人がビデオ通話をしたい場合は、電話リレーサービスセンターにいる手話通訳者を通じてビデオ電話ができるようになっているのです。また、センターからの手話通訳者派遣も見学しました。ろう者と健聴者の間のバリアを埋める大変重要なサービスであるという印象を持ちました。この経験から、モルディブの島々でも同様のサービスを立ち上げたいと思いました。 鳥取県聴覚障害者協会: 鳥取県聴覚障害者協会では、事務局長の石橋さんにお会いしました。ろう運動の歴史を大変興味深く伺いました。「ろうの運動が夢を作る」がモットーであると教わりました。非常に感銘を受けました。石橋さんはさらにリーダーとしての資質について、またどうやってリーダーシップ能力を育成していくのかについて教えてくださいました。ご自身の経験を話してくださったのは大変有難かったです。ろうあ者相談員(ろうカウンセラー)やろう者のイベントについても知りました。同様の活動をモルディブのろう協会でも立ち上げたいと思いました。 兵庫県聴覚障害者協会: 兵庫県聴覚障害者協会にはいろいろな部門があり、高齢部、女性部、青年部、スポーツ部などがありました。女性部やスポーツ部の活動について学ぶことができました。モルディブのろう協会でも女性部、青年部、スポーツ部を立ち上げられたらと考えました。子育て、結婚や家族関係などの課題を解決し、ろうの女性の権利擁護をするために女性部は重要です。女性部に参加すれば女性たちは安心できる環境でいろいろ情報交換し、知識や社会生活についてのノウハウを身につけるためのセッションに参加したりできます。これ以外に、京都・全国手話研修センターの日本手話研究所についても学びました。ここでは手話の研究を進め、すべての県に対し新しい単語が出てきたら通知して、手話を作成します。議論を重ね、すべての協会の意見を取りまとめます。ある単語についての手話ができたら、動画にして説明し、選出されたチームの監督のもとにウェブサイトで発表されます。それを見て関係者が全てコメントをし、そこでやっと新しい手話が決定されます。決定されて初めて、新しい手話を入れた本が出版となります。モルディブでもそれぞれの島で手話チームがこういうことができるようにしたいと思いました。また、ろう者に対する基本的な手話の教え方や、手話の動画を健聴者のトレーナーが読み書きしてろうの人に意思疎通の方法を教えるやり方も学びました。私も新しい手話トレーニングの教本を作って手話を学びたい人に伝えたいです。 帰国した後、達成したい目標 帰国後、私はモルディブろう協会のために下記の4つのことを達成したいと考えています。 1. 協会の運営と活動の改善。3つの島で新しい協会を立ち上げ、女性部、青年部、高齢部を作りたいと考えています。ろうの人たちが集まって一緒にプログラムに参加し、知識を向上させて自分たちをエンパワーできるようにしたいと考えています。 2. モルディブの手話の向上。モルディブの手話を分析し、発展させ、より多くの表現を網羅した新しい手話辞典を作りたいです。それぞれの島の言語の手話を研究し、すべてのろうの人たちが地元の手話を学べるようにしたいと考えています。 3.手話通訳者の育成。ろうの人たちは生活のいろいろな局面で手話通訳を必要としているので、手話通訳者を増やし、スキルも伸長させたいと思います 4. コミュニティの権利擁護・情報提供。社会の意識向上を目指し、障がい者の権利擁護、手話への意識向上に向けて活動したいです。とくに、ろう者がさまざまな障壁を克服し新しい「ニュー・ノーマル」を確立できるよう励ましていきたいです。また、全土で手話を通じてニュースやメディアへのアクセスが可能になるようにしたいと考えています。 感謝の言葉 ダスキン愛の輪基金および日本障害者リハビリテーション協会の皆様に御礼を申し上げたいと思います。研修の間支えてくださった皆さんのことは生涯忘れません。モルディブでも日本で研修を通じ学んだことを活かし、ろうのコミュニティの発展に努めたいと思います。「ろう運動が夢を作る」というスローガン、忘れません。皆様お一人おひとりに改めて感謝申し上げます。日本でこのように素晴らしい旅路を用意してくださり本当にありがとうございました。 アリ・トミー・ヘーゼルマン サモア(アピア)出身 30歳 視覚:全盲 研修目標 1.日本の障がい者支援の技術や方法(全ての障がい別) 2.インクルーシブ社会の実現にむけた日本の社会・法律制度 3.リーダーシップスキルの習得 4.日本文化 私の人生を変えた日本のダスキンジャーニー はじめに: 皆さん、タロファ(こんにちは)。 私は南太平洋に位置する美しい島国、サモアの出身です。趣味はいろいろな言語や文化を学ぶこと、権利擁護ツールとしてFacebookを使うこと、新しく人に会って、人脈やパートナーシップを築くことです。サモアから研修生が選ばれたのは初めてのことで、障がい者のための研修事業に選出していただいたことを光栄に思っています。この研修で私の人生はまさに一変しました。 私はサモアで国立の障がい者権利擁護団体および、サモアの視覚障がい者団体を代表して参加しています。今回の研修で身についた知識、スキル、経験は私のサモアの障がい者団体に、そして若い視覚障がい者として個人的にも深く関連のあるものだと強く感じています。 日本語と日本語点字の授業について 日本に到着して3ヵ月、私たち研修生は日本語の基礎を学ぶという大変貴重な機会を与えられました。日本語の授業は日本の人たちと意思疎通をはかるだけでなく、思い出深い友人関係や人脈、果ては将来仕事上のパートナーシップを築く能力を養うのに不可欠です。目の見えない私にとっては個人的にも、日々の日本での暮らしに必要なことを人に伝えたりするうえで大切でした。日本語を学ぶことで日本の人の考え方をより理解し、日本のさまざまな障がい者団体がなぜ、そしてどのように、障がい者の生活向上に向けてそれぞれサービスを提供したり、いろいろな考え方の啓蒙に努めたりしているのかが理解できたので、大変感謝しています。 また、日本語の点字は素晴らしく、生きた言葉であると感じました。勉強できたことを大変感謝しています。サモアでも点字の普及に努めたいと思います。 日本では自販機、看板、電車の駅の説明書きなど、ありとあらゆる公共の場に点字が見られたことに大変驚きました。サモアで働き、生活している日本人、またサモアを訪れる日本の観光客に対し、今回学んだ日本語を使ってコミュニケーションを図り、サモアや太平洋地域にある日系の援助団体と提携関係を築いていきたいと思います。 研修期間中、私たち研修生はグループ研修で、自分たちと違うさまざまな障がいのある人たちについて学ぶ機会が与えられました。種類に関わらず全ての障がいに関する活動や提携関係を作っていくための知識やスキル、なかでも種類に関わらず全ての障がいを対象とするアプローチが必要とされる全国レベルの権利擁護運動に必要な知識やスキルを学ぶうえで、大変貴重な学びでした。 グループ研修の間は、いくつか大学も訪問しました。それぞれ障がいを持つ学生のための支援センターを備えており、障がいのない学生との交流や人脈作りを支えていました。こうしたグループ研修からは多くの学びがあっただけでなく、私たち4人の研修生もこのグループ研修ではお互い助け合い、チームワークやスケジュール管理について学び、日々のグループ研修における責任の果たし方についても学んだため、お互いの絆が強まるきっかけとなりました。また学んだ内容の全てはすべて実用的であるだけでなく、生涯にわたってとても大切なことばかりでした。 個別研修 個別研修では日本中のさまざまな団体に派遣され、目が見えない、あるいは視覚障がいのある人たちをサポートするのに必要な大切なスキルについて学びました。障がい者授産所ウイズでは目の見えない人や視覚障がいのある人たちを対象としたさまざまな仕事や、同授産所の提供するサービスについて学びました。ウイズのワークショップでは、白杖の作り方も習いました。難しかったですが何とか作ることができ、他にも実用的なスキルを習いました。また、ブラインドサッカーに参加したり、視覚障がい者の学校を訪ねたり、能力開発ワークショップに参加したりして、いろいろな人と交流し、つながることができました。 日本点字図書館でも研修しました。ここではラジオの対談や意識向上プログラムに参加したりして、同図書館のさまざまなサービスについて学びました。なかでも点字図書の作り方や販売について学んだのですが、サモアの私の協会でも点字資料を作っているので、非常に有用なスキルを学ぶことができたと思っています。また、デイジーのフォーマットについても初めて知りました。「ふれる博物館」も面白かったですし、日本点字図書館創立者や、図書館の歴史についても学びました。2013年にマレーシアとサモアでそれぞれ日本点字図書館のご厚意により開催された池田輝子ICT奨学金事業、およびデジタル点字研修事業の研修生として学んだ経験があったことから、点字図書館を訪れてこのような経験をできたことは特別な思い出となりました。今回は歩行訓練を受け、移動方法について研修を受けて、手で触ったり、点字ブロックを頼りに歩き、自分で電車に乗って移動する方法を学びました。いずれも人生が一変する経験でした。 また、「ゆに」という団体も訪問しました。「ゆに」ではインクルーシブ教育サービスおよび重度の障がいがある人を対象とした介助サービスについて学びました。また、目の見えない人、特に高齢になってから目が見えなくなった人のヘルパー向けの3日間の集中研修にも参加しました。大変楽しく忘れがたい経験でした。また、京都の観光地のアクセシビリティ調査にも参加することができました。さらに、目の見えない学生がアクセスできる資料を提供している大学も訪れました。さらに、目が見えない・視覚障がいのある学生や社会人にも会いました。お互いのこれまでの経験を語り合い、日本では「食べニケーション」とか「飲みニケーション」と言われますが、インフォーマルな形でつながることができ、彼らからは多くのことを学びました。 また、日本ライトハウスでは、オンラインのデジタル図書館「サピエ」について学びました。サピエは点字およびデイジーの本やオーディオフィルムを多数所蔵しています。サービスフロアにある所蔵品をいろいろ試したり、オーディオガイドについて学んだり、初めて盲導犬を連れて歩く体験をしたりしました。また、大阪ではそれ以外にも、大阪のライトハウスとの提携により、あるいはライトハウスのサービスの一環として、目の見えない人のサポートをしている小規模の団体を複数訪問しました。竹下ご夫妻のお宅にも滞在させていただき、お二人の生活についても学ばせていただきました。大変励みになる経験でした。また、大阪の重要な史跡なども訪れることができ、一瞬一瞬が楽しい滞在でした。 4月から6月まではコロナウイルスによる緊急事態宣言が発令され、国際視覚障害者援護協会(IAVI)に避難することとなりました。この協会はマッサージや針灸などの職業技術を学べるようアジアやアフリカの若い視覚がい者に奨学金を提供しています。ここでは生涯の友となる人たちに出会いました。いつか、サモアの代表もこの奨学金の対象として研修に参加できればと思います。緊急事態の間は、デイジーの本を作る方法についての研修を受けました。スキルとしては大変難しいものの、私のサモアの団体においては絶対的に実用的なスキルだと感じました。 また、自立生活スキルもいくつか習いました。これらのスキルによって前より自立して生活することができるようになったので、大変感謝しています。また、自分で物事を決断し、できるだけ自分で支出計画を立てることもできるようになりました。 そのほかの経験 冬休みには、ホームステイに参加することができ、東京で榎本さん、郡司さんのお宅にお邪魔しました。お世話になっていた間、日本の新年のお祝いや、日本の家族生活、文化のほか、歴史についてもより深く学びました。また、日本のサモアコミュニティともつながることができました。日本に滞在していた間、異国での我が家ともいえる生活をさせていただき、サポートしてくださり、特にコロナウイルスの蔓延による緊急事態宣言下で私を励まし続けてくださったすべての皆様にいつまでも深い感謝の念に堪えません。 また、緊急事態宣言下では「チームふわふわ」ともご縁がありました。チームふわふわでは障がいのある人たちに関わる活動についてさらに教えていただき、千葉県のとても和やかで落ち着いたスポットにも連れていっていただきました。 今後の歩みについて サモアに戻ってから着手したいと思っていることは次のとおりです。 ●身につけた日本語および日本点字のスキルを維持し、伸ばし、日本の皆さんとの人脈を広げたいと思っています。長期にわたるパートナーシップが築ければと考えています。 ●研修で得た知識を他の人と共有し、虐待防止や障がい者の平等など、さまざまな分野に関する研修を実施したいです。 ●点字作成サービスをさらに向上させ、日本で実施されている点字による投票システムをサモアでも導入したいと思います。 ●目の見えない読者に本を紹介するサピエ図書館を例として提案し、サモアおよび太平洋地域各国の政府に働きかけ、マラケシュ条約批准を呼び掛けたいと思います。 ●サモアのICT協会と協働して、オーディオガイド、オーディオつき映画やドキュメンタリーの利用を促進するプロジェクトを推進したいと思います。 ●JICAに働きかけてデイジープロジェクトを発動させたいです。 ●目の見えない人たちのためだけでなく、障がいを持つすべての人のために活動を続け、サモアの障がい者の生活向上に努めたいと思います。 まとめ この場をお借りして、私および他の研修生たちがダスキンの研修の間、大変貴重なスキルを身につける手助けをしてくださったすべての団体の皆様に御礼を申し上げたいと思います。お時間を割きご親切にしてくださり、目の見えない人たちにだけでなく、日本の障がいのあるすべての人のために皆様の団体が提供なさっているサービスを快くご紹介いただいたことを、厚く御礼申し上げます。 また、日本語や日本点字を教えてくださいました先生方、アーワンさんのために通訳をしてくださった手話通訳の方、研修の間英語通訳をしてくださり、私たちと日本や日本の生活様式の間の橋渡しをしてくださった中村さん、心よりありがとうございました。 また、ホストファミリーの皆さん、温かく迎えてくださり、本当にありがとうございました。 さらに、世界でもっともアクセシブルな場所である戸山サンライズの、この上なく素晴らしいスタッフの皆様、私をはじめ、他のダスキン研修生が日本滞在中、ご親切にしていただいたことと皆様のお気遣い、本当にありがとうございました。 また、同期生のヒョウさん、アンジュさん、アーワンさん、サポートとヘルプをありがとうございました。皆さんは素晴らしいリーダーです。これからのご活躍を祈っています。 また、日本障害者リハビリテーション協会の研修課スタッフの皆様、同期の研修生に対し、なかでも私に対しては日々のサポートに加え、特に点字やデジタル資料がちゃんと整っているか常に確認してくださり、コロナウイルス蔓延下においても追加の研修を考えてくださり、さらに帰国のためのフライトを手配してくださり、心よりありがとうございました。受けたご親切に対し言葉ではとても感謝の念を書き尽くせません。また新しくリーダーとなるダスキン研修生をお迎えになるにあたり、すべてが滞りなく進みますよう、お祈りしております。 最後になりましたが、ダスキン愛の輪基金の皆様、研修プログラムを提供してくださり、本当にありがとうございました。このプログラムによって私の人生は一変することとなりました。今後も多くの皆様の人生を変えることになろうことを信じてやみません。 アンジュ・バラル ネパール(ポカラ)出身 27歳 肢体:脊髄損傷 研修目標 1.自立生活運動の理念と実践 2.ピアカウンセリング 3.介助セービス制度の理解と実施 4.日本の重度障がい者への福祉制度と生活状況の理解 5.公共施設や交通機関のアクセシビリティ 障がい者運動で社会が変わる。 みなさん、こんにちは!アンジュと申します。ネパールから来ました。障がいは脊髄損傷です。私は昨年9月に日本に来て、いろいろなことを学びました。 1.日本語 日本に来て、まず日本語を勉強しました。ネパールで全然勉強しませんでしたから、ちょっと難しかったですが、おもしろかったです。先生のおかげで、個別研修の時、日本語で話すことができました。 2.グループ研修 日本語が終わったら、グループ研修がありました。グループ研修で、日本の福祉やリーダーシップ、障がい者の権利を勉強しました。個別研修の後にもグループ研修がありました。その時は、障害平等研修(DET)や 企画書の書き方などを習いました。グループ研修でいろいろと勉強して、日本の福祉はネパールよりいいと思いました。 3.個別研修 私の初めての個別研修は「自立生活センター東大和」でした。そこで私は介助プランとピアカウンセリングを勉強しました。そして重い障がい者の家へホームビジットに行きました。私は初めて呼吸器を使っている人を見ました。ネパールには多分、呼吸器がないですから、重い障がいのある人は早く亡くなっていると思います。 次は「沖縄県自立生活センターイルカ」でした。そこで、自立生活運動、介助の研修、バリアフリーチェック、いろいろな障がい者の生活について勉強しました。イルカにいるとき、自立生活センター希輝々にも行きました。知的障がい者の畑仕事、ハンセン病の差別について勉強しました。 私は研修で、障がい者運動で社会が変わることを知りました。今、日本の障がい者サービスはとても良くなっています。それは、日本の障がい者運動のおかげです。障がい者運動は大事です。私は、障がい者が運動しないと、社会が変わらないことがわかりました。 次は、鹿児島の「自立生活センターてくてく」で、スポーツと自立生活の哲学を勉強しました。私はスポーツが好きですから、とても楽しかったです。初めて車いすテニスと電動車いすサッカーをしました。電動車いすサッカーは誰でもできるスポーツです。重い障がいのある人もできるので、すばらしいと思いました。でも、ネパールには電動車いすがありませんから、残念です。 次は名古屋の「AJU自立の家」に行きました。AJUには部署がたくさんあって、仕事の内容もたくさんありました。その中で特に、わだちコンピューターハウスと愛知TRYが良かったです。 わだちコンピューターハウスでは、重度障がい者がパソコンを使って仕事をしています。ネパールで重度障がい者には全然仕事がありません。重い障がいのある人が楽しく仕事をしている様子を見て、本当にいいなと思いました。 愛知TRYは、まずTシャツを作って売ります。そのお金でバリアフリーのためのステッカーを作ります。そして、作ったTシャツを着て、会社やお店に行って、「バリアフリーにしてください」と話します。バリアフリーの考え方をわかってもらえたら、ステッカーをあげます。お店の人は、そのステッカーを貼ることで「バリアフリーに理解があるお店です」とアピールすることができます。障がい者にとっても、お店にとっても、嬉しくて役に立つ活動だと思います。この活動は若い障がい者と大学生が一緒にやります。大学生は障がい者と友達になって、障がい者のことがわかるようになりますからとてもいいです。そして、この活動はあまりお金がかかりませんから、ネパールでもできます。 4.日本での新しい経験 びっくりしたことは、自動販売機とトイレです。自動販売機はネパールにありません。日本のトイレは水や風が出ます。そして、バリアフリーのトイレもありますから、便利です。操作ボタンがありますから、重い障がいのある人も使うことができます。 最初にバリアフリーのトイレを使ったとき、私は日本語ができませんでした。説明は全部日本語でしたから、使い方が分からなくて、トイレを出るまでに1時間かかりました。英語の説明があったら、外国から来た障がい者もバリアフリートイレが使いやすくなりますね。 ヒョウさんと私は、勉強が終わったらいつも遊びに行きました。ある日、私はヒョウさんの電動車いすのハンドルに捕まって、一緒に行きました。でも小さい階段があることに気付かなかったので、私は車いすから落ちてしまいました。電動車いすのヒョウさんは大丈夫でしたが、私の体を起こすことができませんでした。ヒョウさんは「ごめんね、ごめんね」と私に言って、近くの日本人に「手伝ってください」とお願いしました。最初の人は忙しかったのでダメでした。でも次の人は手伝ってくれました。これは面白い経験でした。 私は日本に来て、のんべぇになりました。ネパールで全然お酒を飲みませんでした。でも、皆さんと一緒にお酒を飲むと、とても面白くて楽しい気持ちになりました。 神戸で船に乗ったことと、スキーはとても楽しい思い出です。日本はだいたいバリアフリーですから、いろいろなことが経験できました。 5.ホームステイ ホームステイの時、ホストファミリーと一緒にキャンプに行きました。楽しかったです。私の家族は本当にやさしいです。ネパールの家族みたいでした。お父さんは面白い人です。お母さんは、日本の文化や日本語など、いつもいろいろなことを教えてくれました。料理もとても上手です。着物を着たり、お寺へ行ったりしました。私はホームステイで日本文化を経験することを楽しみにしていましたから、とてもうれしかったです。 6.ネパールでやりたいこと 個別研修で障がい者運動について勉強しました。運動が強くなったら、ネパールの社会を変えることができると思います。ですから、私はネパールでいろいろな活動をやりたいです。たとえば、ピアカウンセリング、バリアフリーチェック、そして自立生活体験室も作りたいです。ネパールの障がい者の生活はとても難しいですから、頑張りたいです。 そして、障がい者のバスケットボールチームも作りたいです。スポーツをすると、新しい仲間ができると思います。そして、スポーツの経験から、障がい者をエンパワーメントすることができます。スポーツを使って、障がい者運動をもっと強くしたいです。そして、社会を変えたいです。障がい者運動で社会が変わると私は信じています。 7.日本に来て変わったこと 私は日本へ来て変わりました。日本語を勉強して、日本人とコミュニケーションできるようになりました。水泳ができるようになりました。ネパールに帰ったら、障がい者運動を強くする自信ができました。 ダスキン愛の輪基金のみなさん、ダスキンファミリーのみなさん、私にこのチャンスをくださって、ありがとうございます。心から感謝しています。 最後に、日本でお世話になったすべての人にお礼を言いたいです。みなさん、お世話になりました。本当にありがとうございました。 ヒョウ・ティー・ルー ベトナム(ハノイ)出身 28歳 肢体:脳性まひ 研修目標 1.障がい者団体による政府への働きかけ 2.障がい者が受けられるサービスやケア 3.障がい者の自立を支える方策 私を一変させた日本の旅 私は2019年9月に来日しました。アクセシブルなインフラが整い、私の国ベトナムとまったく異なる文化がある先進国で生活するという期待感でわくわくしていました。しかしこの滞在は驚きに満ち、思ってもみなかったことが次々に起こる、私が想像していた以上に私の人生を一変させるものとなりました。日本でのダスキン研修生としての私の旅路は、自分の生涯の目標を探し、将来なりたいと思う自分を見つける旅となりました。2020年、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、このため当初の計画通りに帰国できない事態になってしまいました。これまでのダスキンの研修の21年の歴史の中で、もっとも長く日本に滞在することとなる研修生となってしまったのです。このレポートは、日本に到着してから私がどのように変わっていったかを手短にご紹介するものです。 日本に来て、私は他の3人の研修生アンジュさん、アリさん、アーワンさんと共に3ヵ月日本語を勉強するカリキュラムを履修しました。日本語の授業では新しい文化に触れただけでなく、新しいコミュニケーションの方法を学ぶこととなりました。日本の人たちは非常に礼儀正しくコミュニケーションすること、また日本の人たちが他の人の話に反応するやり方など、さまざまな新しい表現を学びました。このおかげで、私も以前より自信をもって人と話せるようになりました。 日本語の授業以外には、障がい者を対象とした日本の福祉サービス制度や、リーダーとなるうえで必要なソフトスキルなどを題材にしたさまざまなグループ研修がありました。たくさんのことを学べて、ベトナムの現状との良い比較になりました。もっとも印象深かったことの一つが、「ドリームマップ」の作成です。自分が将来どのようになりたいかについていろいろな設問があり、それに答える形式なのですが、私はそれまで何事にも一生懸命当たっていたものの、将来どうするか考えたことがなかったので、このセッションで自分の将来像を描き、自分のなりたいと思うリーダー像を描くことができました。ドリームマップは大変良いツールだと思います。ベトナムの友人たちにも是非紹介して使ってもらいたいと思っています。 個別研修では、開始と同時に私の自立生活経験プログラムも開始になりました。2020年のお正月休みには、石井雅子さんのお宅にホームステイでお邪魔しました。石井さんは神戸の「自立生活センター・リングリング」のスタッフです。ホームステイは、それまで勉強した日本語を初めて実地に活かす経験となりました。ほとんど何もわからない中で、石井さんのお母さんは大阪弁で私に語り掛け続けてくださったのですが、私は分かっているような振りをしてニコニコしているしかない有り様でした。しかし数日するとホームステイの生活や大阪弁に慣れてきて、楽になってきました。この間は自立生活センター・リングリングの皆さんと会ったり出かけたりしましたが、それ以外にもいろいろ新しい経験をしました。たとえば着物を着たこと。たこ焼きを作ったこと。有馬温泉でお湯に浸かったこと、などです。わずか10日のお休みでしたが、日本の文化に深く触れることができました。 個別研修では2つの福祉施設を訪れました。一つは岩手の田野畑村にある「ハックの家」です。ハックの家は知的障がいのある大人・子供を支援する施設です。ここではたくさんの子供たちに会い、どのように施設で一緒に過ごすのか見せていただきました。次に訪れた施設は福島の「こころん」です。ここは農業や里山を活かした就労支援施設です。ここでは農業による事業や、精神障がいのある人たちとの作業について学びました。 こころんの後は、さまざまな自立生活センターを訪れ、日本の自立生活センターについて学ぶ機会が与えられました。 最初の2つは、神戸の自立生活センター・リングリング、そして八王子のヒューマンケア協会でした。ここでは自立生活のコンセプトを学んだほか、ピアカウンセリングの練習をしました。自立生活については何年も前に聞いたことがありましたが、コンセプトを実地で行動に移している人たちにお会いしたのは初めてだったので、大変嬉しかったです。自立生活がどのように日本で始まったのかや、自立生活センターの現在の役割などについて話してくださいました。 次に向かったのは、メインストリーム協会でした。パンデミックの状況だったので、当初1ヵ月とされていた研修の期間が3ヵ月に延長され、おかげで自立生活のコンセプトのほか、社会保護施設ではなく自立生活センターのサービスを利用しながら地域社会で暮らす人たちの生活について学ぶことができました。西宮駅に到着したときにはメインストリームの皆さんが100人も出迎えてくださったのでびっくりしました。まるで有名な歌手にでもなって、ファンが待ってくれていたかのような気分になりました。メインストリームの皆さんと過ごす中で、仲間を持つことの力強さとパワーを心底感じました。自立生活センターを運営するには、仲間が必要です。そしてメンバーの間に同じ価値観があることが大切です。メインストリーム協会では、書類やテキストなしに、このことを実地で教えていただいて感謝しています。メインストリームでの活動を見て、聴いて理解することができました。 東京に戻る前に、「自立生活センター夢宙」と、「自立支援センターぱあとなぁ」も訪れました。また新しく友達ができてとても楽しかったです。 10ヵ月の研修を通じ、バリアフリー社会、また障がい者のエンパワメント、仲間同士のサポート、障がい者を対象とした介助サービス、就労支援など、障がい者が地域社会で自立して暮らす上で大切なことを学びました。 日本に着いて最初に印象に残ったのは、大都市のバリアフリー環境でした。日本では電車やバスに乗って一人でほとんどどこでも行けますし、公共のビルも障がい者にアクセシブルにできています。障がい者の先輩がたが権利擁護を頑張り自立生活運動を展開してきたおかげであることも分かったので、電車に乗るたびに感謝の念を覚えました。一人で車椅子でどこでも行け、自由な気持ちになれたことは、私にとってとても意味がありました。ベトナムをアクセシブルな国にしようという勇気が湧いてきたからです。もちろん時間のかかることだとは思いますが、あきらめないつもりです。 ヒューマンケア協会と自立生活センター・リングリングでは、ピアカウンセリングを体験しました。日本語でのピアカウンセリングはなかなか大変でした。時々、何を言われているのか理解できないことがありましたが、ピアカウンセリングによって、自分と自分の障がいを大切にすることを学びました。「自分自身を大切にする」はどんな人にとっても、そしてとくに障がい者にとって、大切な心構えです。ベトナムに帰ったら多くの友人にこのことを伝えたいと思います。自分を受け入れることができれば、人生で次のステップに進めますし、よりよい生き方をするにはどうしたらいいか見定められるからです。 自立生活のコンセプトで学んだ重要なポイントの一つが、障がい者は自分で決断を下し、その決断について責任を持つ、ということです。これがどういうことを意味しているのか、当初は分かりませんでした。メインストリーム協会でできた新しい友人たちが介助サービスを利用しているのを見るまで分かりませんでした。たとえば、料理する場合、介助者(PA)は障がい者の人がお願いした通りに料理します。そして出来た料理がおいしくなくても、それは介助者の責任ではなく、料理をどういう風にするのか決断した障がい者の責任です。この経験は本当に目から鱗でした。PAはケアワーカーとは全く違うのです。そして、障がい者が家族の重荷とならずに尊厳をもって生活することを可能にする、素晴らしい仕事です。政府が自立生活センターに助成金を出してユーザーに対しこのサービスを提供できるようにしていることも素晴らしいです。障がい者は何もかもぎりぎりまで自分でやらなくても済むようになり、結婚も含め、したいことをする時間とエネルギーの余裕が生まれます。私にとってこの気づきは大変意味のあることでした。ベトナムでは、いつでも、頑張って歩きなさい、と会う人すべてに言われ続けてきました。しかし日本では、電動車椅子を使うことで時間ができ、自分の趣味である写真を撮ることに振り向ける余力も生まれました。つまり、自立生活とは、すべてを自分でやることではなく、充分なサポートと合理的配慮を受けて、自分自身で物事を決め、結果について責任をとることである、と学んだのです。神戸の須磨海浜水族園でメインストリームの脳性まひのスタッフによるグループの仲間と笑い合ったことを思い出すたびに、メインストリームでの自立生活の素晴らしさを思い出します。このときのことを思うと、私たち人間はそれぞれ誰であっても、どんな障がいがあろうと、自分の人生に対して決断を下す自由を謳歌する権利がある、という思いを新たにさせられます。 新型コロナウイルスの感染の状況下、帰国のフライトの調整がつくか待っている中で、私たち4人の研修生は幸いにも障がい平等研修に参加することができました。非常に有意義な研修で、障がいの定義について、また何をしたら社会を変えることができるかの新しいアプローチについて、そしてそれを他の人たちとどう共有するかを学びました。 この後、私を除く3人の研修生は帰国の途に就きました。残された私は様々なソフトスキルの研修や、関心のある実証実験などに時間を使って知識を磨こうと決めました。中でも写真撮影の研修を手配していただけたのは大変嬉しかったです。プロの写真家のようにカメラを使って撮影しようとは考えたこともありませんでしたが、ニコンのカメラを使ってからは、カメラのレンズを通して物を観察するのが大好きになりました。また、写真のおかげで、自分の視点を分かち合える仲間もできました。帰国したらこうしたスキルを活かして障がいのある人たちについての前向きなイメージを広めていきたいと思っています。 また、美術館に行ったり絵画を描くクラスや焼き物のレッスンに参加したり、映画を見たり、ペットカフェを訪れたりと、さまざまな芸術・エンターテインメント関係の活動にも参加しました。サッカーも見に行きました。こうした活動を通して、知識だけでなく、車椅子ユーザーのためにこれらのサービスがどのように設計されているかを学ぶことができました。また、DPIの佐藤さんによる、アクセシブル・スタジアムの講義からは多くを学びました。 さらに、再び八王子を訪れて、社会福祉企業の活動を見学するチャンスもありました。ここではさまざまな障がいを持つ人たちが一緒に働いていました。とても良い経験でしたので、この経験についてレポートをまとめ、ベトナムの友人たちに送りました。この友人と日本モデルに基づいてどうやって職業研修センターを立ち上げられるかの議論にもつながりました。 最後に残った唯一の研修生になったおかげで、日本障害者リハビリテーション協会のスタッフの皆さんのお手配により、雑誌のモデルをするとか、盲導犬の協会を訪問するとか、美容の仕事に関わっている人たちに会うなどそれまでの研修の歴史にない初めての経験をする機会にも恵まれました。こうした「初体験」によって、日本の障がい者の人たちにはより広範な道が開けていることを知り、こうした皆さんがどのように全ての人が同じ権利を享受できるインクルーシブな社会を作ろうとしているのかを目の当たりにすることができたので、大変貴重な経験でした。 健康はとても大切ですから、滞在中はリハビリのクリニックに通ったり、新宿区障害者福祉センターのマッサージサービスを受けたりしました。また、電動車椅子サッカーをしたり、アジアの障がい者活動を支援する会(ADDP)のユニバーサル・スポーツフェスティバルに参加したりしました。こういった運動のおかげで、自信がつき、生活も楽しくなりました。ベトナムでも脊髄損傷の仲間たちとこうした経験を分かち合いたいと思っています。 2年続けて日本でお正月を迎えるとは思っていませんでしたが、ライフクオリティ・カーザを清里で経営する盛上さんご家族とお正月を過ごせたのはとても楽しかったです。一緒に花火を見に行ったり、星を見たり(でも雪がすごかったです)、美味しい食事をたくさんご一緒しました。一年で一番大切なお正月という時間に、私の家族になってくださったのでした。 ここまで書きましたが、ここではこの一年で経験したことは書ききれません。最後にもう一つ、日本でとにかく印象に残って、おそらく生涯忘れることがないであろう出来事は、日本の落とし物サービスです。お正月が終わってすぐ、私は財布を無くしてしまいました。日本障害者リハビリテーション協会のスタッフの方に付き添っていただいて、交番に落とし物をしたことを言いに行きました。見つかることはないだろうと思っていました。しかし、3時間もしないうちに見つかったのです。たまたま幸運だったのかもしれませんが、交番に行って警察の人と話すなどということになろうとは思ってもいませんでした。そしてなんと日本の警察の人がフレンドリーだったことか!こうして書いていても、どれだけ自分が日本を好きになったかをつくづく思い知らされます。日本を後にするのはとても辛いです。 しかし、帰国して国の障がい者のコミュニティや自立生活運動に貢献したいと思います。何をすることになっても、私にはこれからの旅路をサポートしてくれる大きな日本の家族と友人たちがついていてくれています。 この研修を最後までサポートしてくださり、家に帰るのが難しくなってしまってからも支援してくださったダスキン愛の輪財団に心から感謝します。また、この旅路は、日本障害者リハビリテーション協会のスタッフの皆さんのお手配と励ましがなくてはこれだけ有意義なものになり得なかったと思います。また、メインストリーム協会、ヒューマンケア協会、自立生活センター・リングリングの皆さんのお導きとサポートがなければ、自立生活のコンセプトを理解し、どのように自立生活運動が社会を変えるかも、理解できませんでした。新型コロナウイルスの感染拡大の中で、多くの友が私のことを心配し手を差し伸べてくださり、このおかげで「たった一人の研修生」である辛さを克服できました。ダスキンの研修生になれたことは生涯で一番の誇りです。この経験で得た知識、思い出、愛情は私の翼となって、ベトナムの障がい者の人たちにより良い生活をもたらすという私の夢を支えてくれるでしょう。